エミリアがこれほどまでに緊張したのはロズワールと初めて会った時以来だ。
パックが眠りについてから起きるまでの約半日。
倒れ伏す大の大人を背負って近場の病院まで運び、一人で手続きを済ませるなんて。――もし、パックが起きていればずっと早く済んでいたかもしれないけど、どうしてだか彼をパックと会わせるのはとても不味い気がして、何枚もの未知の紙面とにらめっこすること数時間。自分一人でやり遂げてしまった。
「いい、ぜーたいこの部屋から出ちゃだめよ」
「…………」
未だ目覚めない男を医者に任せて後にする。万が一目覚めた場合はロズワールの屋敷に連絡がいくように病院側へ話を通しておいた。
我ながら抜け目ないというか……エミリアは自分は思ったよりも頭が固いタイプの人間であることを思い知った。
そのお陰で一睡もしていない。今日はナツミ・シュバルツさんとの大事な会合があるというのに酷い隈である。
「ふふ」
姿見で隈の具合を確かめていたエミリアは、こんなになるまで頑張ったのはいつ以来だろうかと思い返し、その記憶の中に自分と同じような隈を浮かべて頑張っているであろうナツミ・シュバルツを思い浮かべて小さく笑う。
こんなことで追い付けたと思っていてはナツミ・シュバルツさんには鼻で笑われてしまわれるかもしれないけれど、この隈が誰かの為に頑張った証だと思うと、すぅーと胸の内が軽くなる。
「リア、おはよぅーうわ!どうしたいんだい、その隈?
まさか、緊張して眠れなかった?」
「ううん。そうね、緊張して眠れなかった。
私、ナツミ・シュバルツさんと話すのがすごーく楽しみよ」
「……乙女が夜更かしなんて感心しないけど、今回は見送っちゃう。でも流石にその状態で人前に出すなんてお父さんは見過ごせないかな。綺麗におめかししましょう」
パックに連れられて白い粉やクリームみたいなのを顔に塗る“おめかし”を済ませると、ロズワールからお呼びがかかって私たちは竜車に乗った。
てっきり、ナツミ・シュバルツさんが此方にくるものだと思っていたけど、そんなことを聞けばロズワールは苦笑い。
「今のルグニカで彼女を呼び寄せることが出来る存在がどれだけいましょうか……少なくとも、私にはそのような権限はありませんよ」
賢人会ですら、ちゃんとした理由がなければ難しいのだ。
辺境伯である私にはとてもとても……。
それというのも、この会談はナツミ・シュバルツさんのご厚意で開催が実ったものらしく、ほとんど彼女と接点のなかったロズワールが多忙な所に無理を言って叶えたものらしい。
また此方に招くという行為は外聞が悪く、シュバルツ邸やロズワールの屋敷ではない第三の会場を使うという手もあったが、下手に大きく動いて他の陣営に警戒されるのも面白くないのだそう。
故にこれは、公的なものではなく、あくまでも個人的なお話の範疇であるのだそうだ。
エミリアにはこれほど準備したのに個人的なお話になるという意味が今一理解出来なかったが、パックが「ようは、ナツミ・シュバルツとの会談が他の陣営にバレなければいいんだよ」エミリアが気にすることではないと優しく諭した。
「エミリア様は楽になさって問題ないかと。ナツミ・シュバルツ様は寛大で知られるお方です。私の用が済めば後は貴方様の望むがままに質問なさるとよろしいでしょう」
「ありがとうロズワール。私も頑張ってみるわね」
シュバルツ邸に竜車が停止し、扉が開く。
従者に促されて竜車から降りるロズワールとベアトリスと私。
「お待ちしておりましたロズワール様、ベアトリス様、エミリア様」
「―――えっ!?」
そこで彼女達を出迎えたのは予想外な人物だった。
「―――レム?」
なんとエミリア達を出迎えたのはロズワールの屋敷で双子の姉と一緒にメイドをやっている鬼族の少女レムだった。
「なんで、貴方がここに……ロズワールは知っていたの?」
「ええ、勿論。今の彼女は度々我が家の業務を手伝ってくれますが正式にはシュバルツ家のメイドです」
「そうなんだ。じゃあラムも……?」
「………………いいえ」
最近妙に休みを取ることが多いとは思っていたが、まさかナツミ・シュバルツさんの屋敷で働いていたなんて。
私やお姉さんのラムも驚いている。
「申し訳ございません、姉様。ロズワール様の命により少し前からこのお屋敷で働かせていただいておりました」
「ロズワールの命……そういうことなら仕方ないわ。むしろレムの些細な変化に気付かなかった私が悪いのよ」
申し訳なさそうに視線を下げるレムをラムは優しく抱き寄せる。
「私の方こそ、レムはこのお屋敷での仕事もあるのに、いつものように仕事を任せてごめんなさい。これからは私一人でも頑張れるように努力“は”するわ」
「いいえ!あれは私が好きでやっていることで!」
ほわほわとした空気。
こういう時、姉妹って素敵だなとエミリアは思う。
「おい双子の妹のほう。さっさと案内するかしら」
「申し訳ありませんベアトリス様。すぐに案内いたします!」
ベアトリスの言葉にレムは慌てて屋敷の扉に手をかける。
「ナツミ様は客室にてお待ちです」
……続く