七代目
彼女の事を知る者は少なく、また記録も残されていない。
家族を殺され、唯一残った息子も見知らぬ他人に預けて彼女は戦った。日本という国に潜む巨悪、オールフォーワンと。
『私の師匠──志村菜奈にとても似ている少年が居るんです。それも、姓は志村という名字で』
グラントリノ──酉野空彦は、オールマイトの言葉を聞き驚きを隠せなかった。
かつての盟友に似た少年……つまり、彼女が遺した血縁者ではないのだろうかと。
「だがよ、俊典。もしそうだとしたらどうすんだ?」
『それは……』
「ほぼ確実に知らねぇと見た方がいい。それを、わざわざ巻き込む理由もねぇだろ」
彼女の願いは、『ヒーローに関わって欲しくない』。今の時代こそ煌びやかで人々が認める職業だが、当時はそうではなかった。
凶悪で、強大なヴィランが多数存在した時代。オールマイトという絶対的な正義は存在せず、ヒーローと名乗る人々も皆身を削り戦っていた。グラントリノも、オールマイトも……そして、志村菜奈も。
歴代ワンフォーオール継承者はその命と個性を託され、そして託しただけの人々に過ぎない。
特別な力を持っていても踏み台にされる世界に、愛する人に足を踏み入れて欲しくなかったのだ。
だから、何も知らないと言った。
かつての戦い、祖母の願い、ワンフォーオールの事も含めて全部。
『私は、もしそうなら──いえ、そうでなくとも。彼を守るつもりです』
雄英に入学し、ヴィランとの直接戦闘をしたヒーロー科1年A組。その中でも特に重傷、人体実験を重ねた果ての改造人間脳無との戦いで受けた傷は未だ癒されず。
今最も注視してケアしなければならない生徒であり、体育祭以降様子がおかしいと教師陣の間でも噂になりつつある。
『ですが、もし仮に……仮にお師匠の血縁者であるならば、教え、導き──許されるなら、どれだけ素晴らしい方だったかを伝えたい』
「……まあ、俺も少し気にはなっていた。それにこの顔写真、全く。似すぎだぜ。これじゃあ孫ってよりかは息子だな」
電話越しに語るオールマイトに同意を示す。
「事情はわかった。九代目継承者と、志村を俺が預かる。志村に関しては来るかはわからんが、体育祭にも出てない生徒に指名が行くとは思わねぇ。それとなく誘導してくれ」
『はい、わかりました。申し訳ありません、ご隠居されてるあなたに……』
「気にすんな。それにな、俊典」
「俺だってな、共に戦った盟友の遺した子が苦しむのは見たくねぇ」
オールフォーワンとの接触から、数日。
日に日に濃くなっていく志村菜奈の記憶。最近は、他人の視点で見るのでは無く完全に志村菜奈の視点で見ている。何がキツいって、感触が再現されているのがキツい。
志村菜奈が抱いた感情、そして喰らった攻撃の痛み。
それら全て、当時を再現するように流れ込んでくる。俺は志村我全で、志村菜奈じゃない。なぜそこまで俺に見せる。一体何が俺に記憶を見せている?
自分すら嫌になってきた。
あの最悪の悪魔、オールフォーワンの血が混ざってると思うと吐き気がする。何度も何度も
だが、利用しなければならない。
俺はオールフォーワンの息子で、強靭な個性を持っているはずだから。
オールフォーワン、志村菜奈。
オールフォーワン志村菜奈オールフォーワン志村菜奈オールフォーワン志村菜奈──気が、狂いそうだ。
自己暗示を何度も何度も繰り返す。
俺は志村我全、それ以外の何者でもない。
「あ、志村くん」
緑谷が話しかけてくる。
ワンフォーオール継承者、緑谷出久。オールマイトに認められその個性を継ぎ、次代を担うヒーローになる事を定められた少年。
……違う、少年じゃない。俺と同い年だ。呑まれるな。俺は狂ってない。
「どうした、緑谷」
「ええと、その……ほら。職場見学同じ場所に行くみたいだから」
「山梨県甲府市、朝の新幹線は学校指定で入手済み。朝学校に行くから特に集合地点は気にしなくていい。何かあったか?」
緑谷と今話す事はない。
こいつの個性があれば、俺はあの男に対抗できるのに。ワンフォーオールがあれば、俺はオールフォーワンと戦えるのに。
どうしてだ。
どうして、俺にはないんだ。
「……悪い。それどころじゃないんだ」
授業が終わってすぐに鞄を片付けて教室から出る。
雄英に代々続く体育祭を終えた後の職場見学、プロから指名が来た場合はその中から選んで向かう。指名が来ない者は学校側が用意した場所へと研修に行く。
今回で言えば轟、爆豪が特に人気だったらしい。
まあ、どうでもいいが。
俺に指名を出したのは、グラントリノ。
志村菜奈が生きていた古い時代を生き抜いた傑物であり、尚且つオールフォーワンと戦ったヒーロー。
調べても情報としては出てこないが、俺の記憶の中には……違う、志村菜奈の記憶にはあった。
互いに盟友と呼び合う程に仲が良く、普段は誰にも教えていないグラントリノの本名呼びも許されていた。オールフォーワンに殺されるその瞬間まで、オールマイトと共に戦っていた。
混ざりつつある俺が顔を見て、大丈夫だろうか。いや、無理矢理制御はする。感情の抑制はするが、自信が無い。
こうやって感覚がおかしくなってきて、オールマイトにも顔を合わせてない。
あの記憶の中で抱いた感情は言葉では言い表せない、重たい深い感情だ。俺が抱いたことのない、知らない感情。それを隠し通せるか? 浸食してくる志村菜奈を、俺は抑えきれるのか?
不安だ。どうしようもなく不安だ。
……話を戻そう。
グラントリノが俺を指名した理由だが、志村菜奈関係だろう。
過去のワンフォーオールを知る彼だから納得できる。緑谷も共に呼び出したのは、今代ワンフォーオール継承者だからか? 体育祭を見て、よっぽど酷かったか……確かに志村菜奈の記憶を追体験し始めてから何度かワンフォーオールを使用するシーンには遭遇した。
その時の経験と比べると、緑谷の使い方は拙いと言わざるを得ない。
身体が出来上がっていない状態の継承、それ自体がかなりイレギュラーだ。
志村菜奈は、先代から受け継いだ時点である程度戦闘を可能としていた。元々の個性、浮遊を十分に使いこなしていた。オールマイトもまた無個性の緑谷と変わらない状態だったが、身体はしっかり出来ていたようだ。
個性の制御が十分に行えず、それでいて腕や脚の耐久力も足りない。一撃で全力を出して駄目にしてしまうのは非常に拙い。
オールマイトを僅か数年間で育て上げたグラントリノならば確かに適任だろう。
だが、そこに俺を呼び出す理由はわかるが納得できない。少なくとも俺はまだ『志村我全』であり、『志村菜奈』とは何の関係もない。
顔が似ている?
それだけで呼び出すか?
貴重なワンフォーオールの修行の時間を削ってまで?
絶対に他者に漏らしてはいけない個性、それをよく知る人物が対面で教える絶好の機会にわざわざ俺を入れた理由はなんだ? そこまでして探ろうとする理由はなんだ?
……本当はわかっている。だが、俺はまだそれを認めたくない。
志村菜奈の記憶を辿ればその答えは簡単に出てきた。ヒーローと呼ばれる心を持つ彼らなら、絶対にそうするだろうという自信すら持てる。
『志村菜奈の本当の息子』……彼女が幸せに生きて欲しいと願った血縁者の可能性があるとすれば。それは、確認しようとするだろう。
違う、俺は志村我全だ。志村菜奈じゃない。志村菜奈の血と、オールフォーワンの血が混ざった人造人間。個性は不明、ロクな物でもない強力なモノな事は間違いない。他者の個性を奪い与える、そんな個性社会における頂点と言える男の息子だぞ。
ああいや、違う、志村菜奈の息子なのはあっている。本人がどう思うかは知らない、死人の意見は聞こえない。だが、それを露呈させるわけにはいかない。オールフォーワンと血が繋がっているなんてことが知られてしまえば、終わりだ。
俺の人生はオールフォーワンの目論見通り、嫌がらせ程度に使われてお終い。そんなのは嫌だ。俺は、俺が生きた俺だけの証を残したい。
──携帯のブザーが鳴る。
ポケットから伝わる振動が喧しく、仕方なしに反応する。見慣れた通学路、信号で止まったタイミングで手に取り内容を確認する。
SNSの通知、葉隠からだった。
『手伝えなくても、誰かに話すとスッキリするかも!』
…………そうだな。誰かに話せれば、俺は少しは楽になるかもしれない。けどな、葉隠。
言えないんだ。
どうしても、誰にも話せないんだよ。
「……最悪だな」
自嘲しながら携帯を閉じる。既読すら付けずに、ポケットに放り込んだ。
雄英で得た大切なモノは、俺にとって足枷にしかならないのだろうか。そんなはずはない。俺が選んだ大切な人たちだ。相澤先生は、今も俺の事を見ている。
少し様子が変わった俺に少しずつ探りを入れている。
葉隠、それに耳郎も。
……それだけ得られれば、いいんじゃないか。
そんな風に何度も思った。
ワンフォーオールの事を忘れて、オールフォーワンの事も忘れて……忘れることは出来ないが、意識的に無視してしまえばいいんじゃないかと。
でも、それじゃあ駄目だった。俺にとってその二つは命よりも大事な事で、絶対に忘れられないんだ。
だって、俺が生きる目標だったから。俺の、生きる目標だから。
──お師匠!
うるさい、黙れ。俺は志村菜奈じゃない。俺は志村我全だ。
オールマイトの声が響く。ああ、クソ。何で制御できない、どうして俺の個性は暴走する。こんな記憶を見るなんて、個性以外じゃあり得ないんだよ。読み取り、奪う……いや、わからん。違う、違うんだ。奪うなんて個性じゃなくて……違う。
思考が纏まらない。
一度リセットしろ。オールフォーワンを嫌悪する志村菜奈の記憶に呑まれてる。
こんな状態でグラントリノに会って大丈夫なのか? ボロを出さないのか? 幻聴すら聞こえ始めてるのに?
ここまで来てしまえば、逆にどこまでバレてもいいか考えるべきだ。志村菜奈の息子、そう伝えるには何が必要か。
血縁関係に触れていくのは無理だ。俺の親は何処まで行っても用意された親で、そこに『志村』は関係ない。俺が志村菜奈の血縁だとバレても、問題ない……無理、だ。
仮にグラントリノに志村菜奈を知っているか、と言われて知っていると答える。
そうすると、何故知っているのか、どういう関係なのか、という事を説明しなければならない。ソレが無理だ。
どう足掻いても、俺の誕生が不自然すぎる。
ヒーロー側に独自の捜査網が無いとは考えにくい。国の戸籍情報だって見ようと思えば見れるだろう。なんせ、平和の象徴であるオールマイトだって協力できるのだから。
駄目だ。バレないようにするしかない。どうにかして誤魔化せ。
「俺は、志村我全。我全、我全だ……! 菜奈じゃない、志村菜奈じゃない……!」
口元を抑えて、歪み始めた筋肉を無理やり引き戻す。俺は、オールフォーワン
記憶に蘇るあの笑み。
深く、深く口角を歪めて嗤ったあの表情。見れば見る程憎たらしく、ムカつく顔。
家に着き、洗面台へと向かう。このニヤついた自分の顔が、どうしようもなく見たくなかった。それでも、確かめないといけない。
俺に必要な、個性を把握するために。確実にあの男の息子だと確信するために。
電気を付けて、鏡に映る顔を見る。
「…………はは」
どうしようもない程に、歪んだ口元。
あの、悪辣で邪悪で最悪な魔王の愉しむ顔にそっくりで──鏡を叩き割った。