那田蜘蛛山での一件からひと月ほど経ったある日の事。俺はいつもの茶屋でバイトに精を出していた。
「トウコちゃん、その器洗い終わったら、今日はもう上がっていいわよ」
「うむ、了解した」
ここの女将はいい人だ。身元も分からない俺を雇ってくれたし、何より優しい。この人がいなければ、俺は今頃野垂れ死んでいたかもしれない。
「終わったぞ、女将」
「ありがとう。じゃあはい、これ今日の分ね」
そう言って女将が紙封筒を差し出してくる。今日の分のお給金だ。
「うむ!…あれ?女将、いつもより多く入ってしまっておるぞ」
「いいのよ、取っといて。トウコちゃんが来てくれてから、お店の売り上げもあがってるし。たまにはサービスしないとね」
「いや、しかし悪いぞ。無理を言って働かせて貰ってるのは吾の方だというのに…」
「いいからいいから。こういう時は遠慮するもんじゃないよ。ね?」
女将の心遣いに、胸の奥がむず痒くなる。この人にはいつも恩を貰いっぱなしだ。
「う、うむ。では遠慮なく頂いていくぞ!今更返せと言っても遅いからな!」
「言わないわよ、そんな事。明日もよろしくね」
女将にお礼を言い、茶屋を出る。昼間の人集りはすっかりなくなり、辺りは夕闇に包まれつつあった。
思わぬ臨時収入を得てしまった。何に使うかは後回しにして、まずは財布に大事に…
(…あれ、財布?どこ行った?)
いつも着物の内ポケットに入れているはずの財布がない。どこかで落としたのだろうか。
とは言っても、貯金は別の隠し場所に置いてあるから、財布には必要最低限のお金しか入れてなかったから、大した痛手ではないのだが。
仕方ない、このボーナスで新しい財布を買うか。そう考えていた時だった。
「あの…茨木って、君の事だよね」
那田蜘蛛山で出会った、鬼殺隊の少年に出会ったのは。
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さあさあやって参りました運命の分かれ道!ここで間違えれば命はありません。
さあ、運命の選択肢をどうぞ!
【茨木?誰の事でしょう、人違いではないですか?】
【よくぞ吾の正体を見破ったな!その命貰い受ける!】
絶対上の方絶対上の方絶対上の方絶対上の方絶対上の方!わざわざ選択肢用意する必要ないだろこんなの!
「い、茨木?誰の事でしょう、人ち「あらぁ、茨木ちゃん。今帰りかい?夜道は気をつけなさいよぉ」スゥーー……」
通りすがりのお婆ちゃん、第三の選択肢をありがとう。おかげ俺は終わりを迎える事ができそうです。いや、恨みませんよ。悪気はないですもんね。
「やっぱり、君が茨木ちゃんなんだね。実は…」
はいなんでしょう。那田蜘蛛山の再現でしょうか。
少年はゴソゴソと懐をあさり、何かを差し出してきた。
「それは…吾の財布?」
「うん、うどん屋の豊さんに頼まれてね。今は店を離れられないから持って行ってくれって。間に合って良かったよ」
な、何だ。俺を追ってきたわけじゃないのか。しかしわざわざ財布を届けてくれるとは、随分人がいいんだな。
「……ところで君、どこかで「きゃぁぁぁぁぁぁっ!」…!」
少年の言葉を遮り鳴り響く悲鳴。その声がした場所はーー
「女将!どうした、何があった…!」
茶屋に飛び入り、俺が見たのは、気を失った女将の首を掴む異形の姿だった。
「……日の模様をした耳飾り。見つけた、ついに見つけたぞ。竈門炭治郎!」
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少年ー竈門炭治郎は困惑していた。
匂いが全くしなかったのだ。鬼独特の異臭が。あの悲鳴を聞くまで、鬼の接近に気付けなかった事に。
だが今そんな事考えていても仕方ない。目の前の鬼に囚われた女性を救う為に、炭治郎は刀を抜いた。
「その女の人を離せ、でなければお前を切る!」
「ケケケッ、状況が分かっていないのか?人質を取っているのは俺の方なんだぜ?」
白くのっぺりのした顔が不気味な笑みを浮かべる。この鬼は強い。炭治郎は匂いでそう確信していた。少なくとも以前戦った十二鬼月と同等か、それ以上。
「俺は噂話が好きでな、しょっちゅう色々な所で聞き耳を立て、話を聞いてくるんだ。そして今回聞いた話は素晴らしかった。何でも日の模様の耳飾りをしたガキ、そうお前だ、竈門炭治郎。お前を殺せばあのお方がお喜びになる、とな」
「あのお方…?まさか、鬼舞辻の事か⁉︎」
「ケケッ、何だ、知っていたのか。お前を殺してその首を持って行けば、あのお方は俺を再び認めてくださるだろう。そうすれば、あの生意気なガキ共に奪われた数字を、再び与えてくださるかもしれない!」
鬼が見開いた眼。十字に傷が付いているが、そこには確かに数字が刻まれていた。
(陸⁉︎こいつ、十二鬼月か⁉︎しかも…!)
右眼に刻まれた『上弦』という文字。それは間違いなく、鬼舞辻直属の配下の、最強の鬼達に与えられる文字だった。
「さぁ、選べ炭治郎!貴様が死ぬか、この女が死ぬか!五つ数えるまでに答えなければ、この女を殺す!」
炭治郎は思考を巡らす。どうすればあの女性を助けられるか。剣撃を繰り出そうにも、距離が遠すぎる。こちらの刃が届くより、鬼が女性を殺す方が早いだろう。
(くそっ!どうすれば…!)
「ケケケッ、悩んでいるな炭治郎。だが時間はもうな「黙れ」…あぁ?」
その声の主に、炭治郎は目を見開いた。
「黙れと言ったのだ、ミミズ野郎。貴様の声は気色悪くて吐き気がする。今すぐ女将を離し、消え失せろ。貴様にそれ以外道はない」
隣に立つ少女、茨木から感じる怒りの匂い。だがそれだけではない、この匂いはどこかでーー
「…お前、今俺の事を何と言った?ミミズ野郎だと…⁉︎お前ぇ!人間の分際でこの俺を侮辱しやがったな⁉︎万死にぃ、万死に値する!」
「死ぬのは貴様だ、阿呆め」
少女の姿が変わる。黒い髪は金色へ、拳と脚が赤く染まり、額には異形を示す二本の角が。
「…あぁ?お前まさかーー」
一閃。鬼が言葉を言い終わるより早く、少女の持つ骨刀が鬼の首を切り裂いた。
鬼の首がぼとりと地に落ちる。少女はそれを気にも止めず、続け様に鬼の腕を断ち、女性を優しく抱きかかえた。女性が息があるのを確認すると、鬼の少女は安堵の笑みを浮かる。
「君は、あの時の…」
少女と目が合う。髪と同じ金色の眼。そして少女が何かを言おうと口を開いた、その時だった。
「おめでたいよなぁ、今ので俺を殺したと思ってるんだからなぁ」
舐め回すような不快な声。直後、地面から黒い影のような腕が飛び出し、少女を襲った。
「くっ!」
少女は手に持った骨刀で辛うじてその攻撃を防ぐ。だが、
「危ない!」
壁、天井、あらゆる箇所から腕が現れ、少女を襲う。
少女はとっさに抱えていた女性を炭治郎に投げつけ、身軽になった体で何とか迫る腕を弾いた。
「女将を連れて逃げろ!こいつは吾が足止めする!」
次々と襲いくる腕を弾きながら、少女が叫ぶ。だがそれを嘲笑うように、鬼の声が響いた。
「ケケッ、逃げる?この俺から?させるわけないだろうがぁ!」
炭治郎の目の前に複数の腕が現れる。
(離れた場所にも腕を出せるのか!けどこの量ならー!)
肺に空気を取り込み、血中に酸素を巡らせる。心拍数が上がり、体が熱くなる。
(水の呼吸、参ノ型!流流舞い!)
女性を庇いながら、流れる水のような足運びで迫り来る腕を切り払い、茶屋の外へ飛び出す。
「禰豆子!」
炭治郎の声に反応し、背負っている箱の中から着物を着た女の子が現れる。
「この人を連れて遠くに逃げてくれ。俺はここで鬼と戦う」
直後、茶屋の壁を突き抜け少女が飛び出してきた。
「馬鹿か小僧!貴様も一緒に逃げろと言ったろうが!いつまでも貴様を庇いながら戦える程、吾は強くはないぞ!」
「小僧じゃない!俺の名前は竈門炭治郎だ!」
「今そんな事言ってる場合か⁉︎」
禰豆子が行ったのを確認し、少女ー茨木の側に並び立つ。
「あいつは異能の鬼だ。まずは血鬼術の仕組みを見破らないと」
「おい、吾の話聞いてるか?聞いてないよな、さすがに吾悲しいぞ」
壊れた茶屋の壁から鬼が姿を現す。
「チッ、人質には逃げられたか。しかしどういう事だ、なぜ鬼を二人も連れている?竈門炭治郎」
「いや違う。この子とは、たまたまここで会っただけだ!」
「そうだ、此奴と吾はたまたまここで…って事は吾と女将が巻き込まれたのは汝のせいではないか!」
「それは…ごめん」
「いや急にしゅんとなるな!」
二人の会話の隙をつき、鬼が攻撃を仕掛けてくる。炭治郎と茨木は、それぞれ手に持った刀でそれを弾く。
「ともかく、信用していいのだな、鬼狩り」
「ああ。あいつはともかく、君はいい鬼だ。匂いで分かる」
「え、匂いで分かるの?何それこわ」
「戦いに集中してくれるかな⁉︎」
鬼の攻撃は勢いを増していく。このままではまずい。炭治郎がそう思った直後、旋風が吹き荒れ鬼の攻撃を弾き飛ばした。
「ならせいぜい、吾の攻撃に巻き込まれぬよう気を付ける事だ。行くぞ!炭治郎!」
「望むところだ!茨木!」
満月の夜、戦いの火蓋が切って落とされた。
▼おまけ
「まいど!…さて、一服するか、と」
「ムー」
「うぉ⁉︎って何だ、さっきの嬢ちゃんか。茨木の嬢ちゃんにちゃんと財布渡してくれたか?」
「ムー」
「あん?お前さん何担いで…ってこりゃあ甘味処鬼ヶ島の女将じゃねえか!」
「ムー、ムー」
「何?気を失っているから介抱して欲しい、だと?それは別に構わねぇが、一体何があっ…ておい、嬢ちゃん!まだ話は終わってねえぞ!」
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下弦落ちがいるなら上弦落ちがいてもいいんじゃない?そんな安易な考えでこの度オリキャラを投入しました。至らぬ点多々あるかと思いますが、どうかご容赦願います。