昔から一番近い間柄で共に生きた二人が、互いへの想いの変化を自覚し始めた頃の話

(支援A後~支援A+までの間の話です。あと本編中では付き合いません。)

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清廉な至情

「……はぁ……」

 

 イングリットは大聖堂の付近の橋から、今の自分とは正反対な澄んだ青空を眺めながら溜め息をつく。半節前の幼なじみであるシルヴァンとの会話が頭から離れなくて、複雑な気持ちを抱えているのだ。

 あの時、シルヴァンは『口説き文句ではないが、一緒にいると落ち着く』と言った。あの時、確かにそうだとも思ったが、それと同時に何故か心のどこかで口説き文句ではないということを悲しく思った自分もいたのだ。幼なじみという間柄であった以上、シルヴァンが今更そんな目でこちらを見ないことはわかっているし、イングリットもシルヴァンどころか『ダスカーの悲劇』で亡くなったグレン以外の異性に対してそのような感情を抱いたことはない。そもそもグレンへの感情も、それとは同じかどうかわからない。

 それが、今になって何故そんな気持ちを──しかもよりによってシルヴァンに──と、一人で考えていると、後ろからとある声が聞こえた。

 

「まーた溜め息ついて、老けるぞー」

 

 その声はとても聞き覚えのあるものだった。振り向くと、思った通り、そこにいたのは今自分を悩ませている原因たるシルヴァンだった。

 最近、シルヴァンと目が合うと妙に心臓が五月蝿く(うるさく)高鳴り、思わず目を逸らしてしまいそうになる。

 

「……それ、五年前にも言ってたわね。それで、何の用?」

 

 照れ隠しのような辛辣さが残った言葉だったと自分でも思ったが、シルヴァンはあくまでもいつも通りの態度だった。

 

「そんなんよく覚えてたな、お前……。自分でも忘れてたぞ。……それより、最近どした? 五年前と同じくらい溜め息多いぞ?」

 

 シルヴァンに心配されるのも理解できないものではない。五年前のあまりにも多かったシルヴァン宛の苦情は、今ではゼロとは言わないまでも相当少なくなっているのだから、溜め息をつくことも減って当然だ、とシルヴァンは思っているのだろう。

 だが、今回はそれとはわけが違う。悩み事はシルヴァンへの苦情とは何ら関係のないものなのだから。

 

「そうかしら。気のせいじゃない?」

「気のせいってことないだろ。それとも、俺がそんなに頼りないか?」

 

 シルヴァンが自分を案じていることはイングリットにもわかるので、あまり強く突き放すこともできなかった。

 

「そういうわけではないけれど……。とにかく大丈夫よ、心配しないで」

「そうか。なら大丈夫らしいな。……事情は知らねえが、耐えられなくなる前にいつでも俺を頼れよ。相棒っつったろ?」

「……ええ。ありがとう……」

 

 シルヴァンは結局橋から去るまでイングリットを案じていた。

 

 ……本当に自分が理解できない。イングリットは心の底からそう思った。あの時から、何かとシルヴァンの振る舞いに一喜一憂しがちだ。かつてはシルヴァンが自分の素行のせいでイングリットに迷惑をかけていた時は怒るか呆れるかだったのに、妙に嬉しく思ってしまったり、逆に他の女の子を口説いている場面を見かけた時には、泣きそうなほど悲しくなってしまったり。

 

「……相棒よりも特別な存在になりたいって言ったら、あなたは何て言うのかしらね」

 

 去ったばかりの幼なじみを想いながら、二度目の溜め息をついた。

 


 ──翌週──

 

 ──何なんだよ、俺は。

 

 そう心の中で嘆きながら、シルヴァンは自室で一人頭を抱えていた。この頃はイングリットと一緒にいると調子が狂いそうになる。

 これまで素行が良くないとは先生やイングリットにも散々言われてきただけあって、普段から口説き文句ばかり言っている自覚はある。しかし、何故か最近はイングリットにそれを言おうとして挙げ句空回りか先に予防線を張っているかのどちらかだ。女性を口説くことが減ったのは確かにイングリットにこれ以上迷惑をかけては不味いと思ったのもあるが、それ以上に自分がイングリットを本気で意識し始めているからだ。

 

 何故よりによって一番口説き文句を言っても通じなさそうな相手を本気で好きになり始めているのか。それに、何故イングリットには口説き文句が通じないどころかそもそも言えないのか。

 正に口説く能力が無意味になっているこの絶望的な状況で、何をしたらイングリットの気を惹けるのか、シルヴァンには思いつかなかった。シルヴァンにとって今まで先生から習ったどの学問よりも圧倒的に難しい難題がそこにあった。

 

 その時、食堂が開いたことを知らせる鐘が鳴った。

 考えてばかりいても仕方ない。と思ったシルヴァンは、とりあえず食堂に向かうことにした。

 

 イングリットは無類の肉好きだし、今日のメニューは肉類──特にベリー風味のキジローストなら共通の好物なので申し分ない──ならいいな、などと思いながら食堂に向かうと、何やら付近が妙に騒がしい。シルヴァンは首を傾げ(かしげ)ながらも入ると、そこにはいつにも増して美しいイングリットがいて、シルヴァンは言葉を失って立ち尽くした。

 普段から見ているうえに想いを寄せているだけに、薄めではあるが化粧をしていることは一瞬のうちにわかった。だが、急に化粧をした理由ははっきりとはわからない。大方男だろうとは思うが、なら誰だ。幼なじみのフェリクスか、ディミトリか。或いは同じ騎士道物語好きのアッシュあたりだろうか。などと思索を巡らせていると、

 

「おい」

 

 という粗暴な声が聞こえた。振り向くと、そこにはフェリクスが立っていた。

 

「お、おう。おはよう、フェリクス」

「ああ。……それより、お前は今まで何を見ていたんだ。元々美人な部類のイングリットが化粧しただけで、そこまで狼狽えて」

 

 よもや軍で一番女性に興味がなさそうなフェリクスから『美人』という言葉を聞くとは思わず、シルヴァンは目を見開いた。

 

「だいたい、お前はわかりやすすぎる。ここ最近のイングリットが絡んだ時のお前の態度を見たら誰だって検討がつくぞ」

「そんなにか!? ……なぁ、フェリクス。お前、急にイングリットが化粧した理由、知らないか?」

「知るか。自分で聞け」

 

 フェリクスはそう言い、呆れたと絵に描いたような顔をしてから食事を取りに向かうので、シルヴァンはその後を追った。

 

 運良くベリー風味のキジローストが今日のメニューだったが、シルヴァンは何故かあまり食は進まなかった。

 


 

 シルヴァンは食後に大聖堂で祈りをしようとすると、またイングリットに遭遇したので、思わずシルヴァンはイングリットに声をかけていた。

 

「……よ、よう、イングリット。今日も訓練か?」

 

 嘆かわしいことに、シルヴァンの言葉は誰がどう聞いても何かしらの原因で動揺しているのはわかるようなものだった。が、イングリットはあくまでいつも通りに応じた。

 

「ううん、今日は街に物資の買いつけに。訓練はその後ね。それがどうかした?」

「い、いやー、相変わらず真面目だなー。そういうところは全然変わってないのかー」

 

 シルヴァン自身でもまともに会話できていないとわかるほどの言葉だったので、さすがにイングリットも訝しく思った。

 

「……えっと、何の話? 私は前から変わりないけど」

 

 シルヴァンを意識している、という相当大きな変化があった以上、変わりないかというとそれは嘘になるが、今のシルヴァンには全く気づかれなかった。

 

「そ、そうだよな。ははは」

「……ちょっと、どうしたの、シルヴァン。あなた、変なものでも食べた?」

 

 いくらなんでも心配になり、思わずイングリットはそんな言葉を口にしていた。

 

「い、いや、そういうわけではなく、だな。その……お前、好きな奴でもできたのか?」

「…………好きな奴……? ……何のこと? 心当たりないわ」

 

 イングリットもイングリットでそのようなことを聞かれるとは思わなかったので、咄嗟にはうまく答えられなかった。

 

「何のって……お前、急にその、綺麗になったって、みんな噂してるぞ」

「綺麗……あ、お化粧のこと? おおげさね。ちょっとアネットに教わっただけよ。まだ見様見真似だし……。ねえシルヴァン、私、どこか変かしら」

 

 無論今のシルヴァンには変どころかフォドラの女神と言っていいほどに美しく見えているため、批判など照れ隠し以外ではするはずがなかった。

 

「え? あ、いやまあ、いいと思うぜ、俺は。イングリットのくせに、そこそこ……」

 

 その照れ隠しが最後の一言で出てしまい、イングリットが軽く怒る。

 

「一言多いわよっ。……でも、ちょっと驚いたわ。私がちょっとお化粧したくらいで、あのシルヴァンが、そんなに慌てるなんて」

 

 慌てているということを急に指摘され、シルヴァンはますます慌てながらも否定する。イングリットの指摘は図星だったのだ。

 

「いや、別に慌ててるとかじゃなくてだな。……ただ少し、気になっただけだ」

「……化粧の理由、ね。あなたはどうしてだと思う?」

 

 イングリットの質問に、シルヴァンは少し考え込んだ後に答える。

 

「そうだな…………やっぱり、男か? お前が好きになりそうな相手っつったら、今までの傾向からして……」

 

 食堂にいた時のように、頭の中でイングリットに好かれそうな男性を片っ端から列挙していくシルヴァンを見て、イングリットは、

 

「……シルヴァン、何を言っているの。勝手に話を膨らまさないでくれる?」

 

 段々声のトーンが怒っている時のそれに変わりかけている。何に怒っているのかは自分でもよくわからないが。

 

「騎士連中ってこともあるだろうし…………あ、俺か!?」

「殴るわよ」

 

 最後に自分の名前を挙げたシルヴァンに、イングリットは思わず冷ややかな言葉を浴びせてしまう。二人して、想い人が相手になると方向性は違えど不器用になってしまっている。

 

「じょ、冗談だって、暴力反対! あんまり乱暴だと、美人が台無しだぞ!」

 

 シルヴァンが一歩後退り(あとずさり)しながら半ば無意識に口にした言葉は、イングリットは勿論、シルヴァン本人をもまるで計略を一人で喰らったかのように固め、二人の間には一時の静寂が訪れた。

 

「…………。……ああ、その、ええと。あ、美人っていうのは別に、口説き文句とかじゃないからな、うん!」

 

 シルヴァンはまたもや予防線を張りながら、来た道を走って戻っていった。

 

 自分で自分の言葉や態度に困惑しながら走るシルヴァンの背中を見送っていたイングリットは、

 

「……美人、か。ふふ」

 

 頬を赤く染めて、一人微笑んでいた。



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