ライブハウスcircleの練習部屋にて。
「───白金さんが元ピアニストでジュニアコンクールの賞を総なめ出来る程の実力者、ですか?」
先に到着し練習の準備を着々と進めていた氷川先輩は、俺の突然の来訪と独白に疑心暗鬼な様子で訝しんでいた。
ま、彼女の言いたいことはよくわかる。
確かに、彼女達に知り合いの中で条件に見合うようなピアニストはいないかと訊ねられはしたが、特段深入りして欲しいとは言われていない。その相手がよくわからない奴なら殊更。
一度、湊先輩と音を合わせた経緯があるだけで、特別彼女達に肩入れする必要のない俺がこの場に勝手に来て、勝手に首を突っ込んでいるのだ。
一言二言文句をつけられるくらいどうってことない。
だが、俺だって引くに引けない理由がある。
「……俺みたいなよく分からない男に言われたところで信じ難いとは思いますが、事実です」
俺は真剣な眼差しを氷川先輩に向けながら、真摯に訴えかける。
「と、言われましても……実際、あなたが何者なのかわからないことには……」
「紗夜、彼の言っていることは正しいと私は思う」
「湊さん?」
予想外の人物───湊先輩の援護射撃に面を食らった氷川先輩。
そんな彼女の疑念を抱いた表情を、いつもの冷気が纏わり付くような鋭い眼光で見る。
しかし、氷川先輩も負けじと取り戻した冷静さをそのまま冷徹の仮面へ変え、湊先輩と向き合う。
凄まじい冷気が室内全体に充満する。
「紗夜も彼の演奏を聴いて実力は知っている筈。そんな彼が認める人なら、相当な腕に違いない……違う?」
「いえ、そうかもしれませんが……それでも、彼が言っている内容の真偽をしっかりと精査できるまで練習時間を削るリスクを負ってまで動くべきではないと思います」
「今回のオリジナル曲はキーボードが必要な曲……わずかなリスクを冒してでも凄腕のピアニストは確保しておくべきよ」
「ですが、中途半端なキーボードに任せて下手なものを出してしまうよりは今のままで構わないでしょう? 湊さんはやけに彼を推しているようですが、彼の話自体に信憑性があるようにはとても思えません」
両者が言い切った後、二人の間で息の詰まるような静寂が訪れる。
ピリピリとした空気感に耐えきれなくなった俺は、二人の間に入り込もうとするが……
「はいはーい! 二人とも落ち着いて〜」
パンパンと手を軽やかに叩いて静まり返った部屋に響かせたのは、なんとも意外な今井先輩だった。
「友希那も紗夜も暑くなり過ぎ。もっと冷静な状態で話さないとお互いに進展しないよ?」
軽い口調だが、なによりも安心感を覚える声音で優しく二人を諭す。
「今井さん……ごめんなさい。ですが、これ以上の時間ロスは週末のライブに影響を及ぼしかねないのも事実……彼の話を鵜呑みにして戦力にならなかった場合、迷惑を蒙るのは私達なんですよ?」
しかし、氷川先輩は謝罪は述べるも一転せずに冷ややかな視線を俺に向けたまま反対意見を押し通す。
彼女の言っていることは間違っていないし、現状のバンドを考えればそれが妥当と考えるべきだろう。
湊先輩の歌は確かなものだと肌で感じているし、氷川先輩の技量も生で聴いているから高度なものだとわかる。
今井先輩や宇多川だって、そんな二人に認められている以上、相当な実力者な筈だ。
なれば、そんな彼女達が、わざわざ練習時間を削るリスクを冒してまでキーボードの獲得に躍起になる必要などないだろう。
「けどさ、ツルギもここまで言ってるんだし、せめて話ぐらいは聞いてあげよ☆」
しかし、今井先輩は見た目からは予想のつかない程の大人の包容力で氷川先輩の口を噤ませた。
以前も感じたが、今井先輩は意外にも大人びていて冷静かつ、俯瞰的に物事を見れるタイプだと思う。
見かけは、悪いとは思うけど軽薄そう……だが、湊先輩を後ろから見守ると言っていただけあって、その献身的な姿勢や達観した物事の捉え方をよくしている気がする。
そんな彼女の母性に折れたのは、氷川先輩だった。
「……はぁ、今井さんに免じて話だけです……早く聞かせてください」
氷川先輩は溜息をついて、そう言った。
その様子を見た今井先輩は優しく微笑みながら頷く。正直、助かった。
あのままだったら取り付く島もなく、俺は追い出されていた可能性が高いだろうから。
ここで冗談や嘘は通じない。言い方一つで、俺の我儘は即終了だ。
自分勝手な言い分を貫き通したければ、最低でも、その熱意と誠意を見せる。それが何よりの礼節だろう。
ふぅ……と、一息つく。姿勢を正し、真っ直ぐに氷川先輩の瞳を見据える。
「これは自分勝手で我儘が過ぎる話なんですが、彼女をバンドに入れてやってください」
ギュッと強く掌を握りしめて、以前、珈琲店で見た彼女の憂いた哀情の篭った表情を思い出しながら話す。
「小学生の頃、天狗になっていた俺の鼻をポッキリ折ってその上あんな綺麗な世界を表現できる彼女に、俺は初めて敗北を知りました」
次に思い出したのは、もう十年以上も前の出来事。
今でも、彼女がピアノを奏で、幻想の世界を創り上げるその気高く美しい姿は脳裏に焼き付いて離れない。
「あんなにも綺麗で新鮮な音を、俺は今でも聴いた事も魅た事もありませんし、自分でも奏でられない……そして、湊先輩との合奏を思い出して、確信しました」
「確信?」
「はい、湊 友希那という“演奏家”を際立たせることが出来るピアノを奏でられるのは、白金 燐子という“表現者”なのだと」
俺と湊先輩の音色が良くも悪くも『感情』に委ねられた《情景》なら、白金先輩の奏音は自身の中で創造し『表現』する儚くも尊い《幻想》だ。
「『感情』同士がぶつかり合うのは、たしかに楽しいです。ただし、ぶつかり合うだけなら、そこに生まれるのは反発しあった果ての暴走音……芸術とは程遠い、乱雑な世界だけ」
喧嘩し合う音色が根本的に評価されるのは、客を楽しませる為の演出の一つであり、コンクールなどでは御法度に近い。
喧嘩が全くなくていいわけでは無い。ただ、喧嘩をしたのならその間を取り持つ仲裁役が、少なくとも一人は欲しい。
「それを抑制出来るのが、白金さんだと?」
「はい」
氷川先輩の問いかけに、俺は首肯する。
「『感情』という情熱的な景色を、より燦燦と輝かせ調和する“燐光”……蛍のように淡く優しく尊い煌きこそ、彼女──白金 燐子だと、俺は思います」
女王様のピアノは、華やかで流麗。それでいて濁りのない音を奏でる。だが、俺と同じで我が強い。伴奏には向かない独裁者。
奇人の音色は、大胆で凄絶。際立って音が弾け観衆をひと呑みする。しかし、荒れ狂う本能のままに奏でる音故に、誰かに合わせても本領は発揮されない旅詩人。
そして、俺の奏音は、感情的で独裁。誰かに魅せたいという自身の願望から零れ落ちた空想の音。誰かと共に音を奏でる前提はなく、ただ孤独に、ただ鮮烈に、自身を魅せしめる事にしか意義を見出せない一匹狼。
俺達は孤独の中で人を魅了し、個人の音色にしか気が向かない孤立した愚者だ。
けど、彼女は違う。
清冽で潤玲。純白にして、煌々しい。
音に穢れがないから拝聴するものを魅惑し、音が輝いているから奏でている者の心を救い上げることが出来る。
誰かの為でありたいと願い、誰かの束縛された心を解き放ってあげたいと望むからこそ、彼女の音色は演奏者の『感情』を調和し、引き揚げる。
俺は、そんな彼女の創り上げる『理想』に憧憬を抱き、あの日から抱いたまま追いつけない。
「彼女なら、貴女達のバンドにも必ず良い影響を与えてくれる……俺は、そう確信してます」
とりあえず、そう言って目を伏せる。これ以上は言うことがないと言う意思表示。
「まだですね」
「えぇ、まだね」
「……」
しかし、湊先輩と氷川先輩は納得いかないようだ。二人して、スッと目を細めた。
「それでは、答えになっていません。結局、あなたは私達のバンドに白金さんを入れてどうしたいの?」
「あなたの我儘というのは、何? 私達の歌を際立てるピアニストだというのは十二分に伝わった……けど、そうまでして白金さんをバンドに入れる……いえ、音楽の世界に戻したい理由は何?」
二人に問われ、俺は微笑んで……
「──あの日、俺を負かした白金先輩。俺と競り合った湊先輩。そして、貴女が選んだ他三人が集まって、誰もが認める最高の音色を奏でる全力の貴女達を、まとめて倒したい」
逡巡する間も無く、そう答えた。
その瞬間、音楽家としての本能が何かを感じ取ったのか湊先輩は一歩後ずさる。その瞳に宿るのは、恐怖? いや、これは警戒。
湊先輩が本能的に感じ取ったと思われる俺の気配が、自身の中でも昂っているのが判る。
「……っ。わかりました。ただし、白金さんをスカウトした際、一度だけセッションさせてください。もし、それで駄目なら残念ですが、白金さんの加入は見送るという形をとらせてもらいます」
「えぇ、それで構いません」
俺は氷川先輩の案に頷く。
今は、彼女にチャンスを与えることができた。それを喜ぶべきだ。
その張本人の気持ちなんて度外視。俺が彼女に戻ってきて欲しいがため、強引に作り出した音楽界への復帰手形だ。彼女がどう使おうが、そこから先は彼女の選択に全てを委ねよう。
言いたいことだけ言って、スタジオを後にした俺は、胸寂しく沈んでいく夕暮れに向かって歩いて行った。
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『りんりーん、この動画見てみてー!』
あこちゃんから突然送られてきたメッセージと、添付された動画のフォルダー。
どうしたの? と、尋ねてもあこちゃんからは『いいからいいからー!』と、動画を見る事を催促してくるメッセージがくるだけで、答えが返ってくることはなかった。
……どうしよう。
困惑する思考と同時に好奇心もあって、戸惑うもそのフォルダーを開き動画を再生した。
再生されたのは、あこちゃんが友希那さん達とオリジナル曲を奏でている光景。
♪〜♫〜♩
な、何!? この曲っ!?
流れ出すメロディーに、私の意識は容易く引き込まれた。
凄然と弾んで溢れ出す音色。強い意志を感じる歌声。それを引っ張り上げる正確で安定した音。意志を持って纏め上げる奏音。
それらが一体感を生み、一つの曲を創り上げていく。
これが、あこちゃんのドラム……そして、あこちゃんの憧れた友希那さん達の音楽。
凄い……。ただただ、気圧される。完璧に近しい曲。
それでも、何か物足りなさを覚えた。
そう、彼のピアノには、明確な意識を持って暴れ、そして誰も見たことのない鮮烈な世界を創り上げる……そんな衝撃があった。
けど、この歌にはそれがない。
紡がれる世界観や、骨格は伝わる。ハイレベルな実力であることも判る。
だけど、肉付きがない。何かいまひとつ音色が足りないような気がしてならない。
……凄く細かい部分。それも、私が勝手に自己解釈しているだけに過ぎない。
もしかしたら、私よりも優れた音楽家が評論した時、この音色が完成形と答えるのかもしれない。
それでも、この歌に私のピアノを合わせてみたくて……。
いつも触れている、けれど人前では奏でることのなくなったピアノ。その鍵盤をそっと優しく触れて、流れ続ける曲に合わせるようにして奏でて見る。
っ!? な、何これ?
私は驚きのあまり、目を瞠いてしまう。
初めて弾くどころか初めて聴いた曲なのに、どうしてか以前にもこうやって弾いていたみたいに、自然と軽やかに指が動く。
ピアノとしっかり向き合うのが怖くて、それでも離れることができなくて……結局、私は音楽から中途半端な形で逃げた。
それ以来、一人で弾くにしてもどんな曲でも奏でるのが怖くて、中々最後まで弾けなかったのに……。
なのに、この曲は……楽しい。
こんなにも自分を表現できたのは、いつ以来だろうか?
もっと奏でたい。もっと弾きたい。もっと自分を……!
終わりが近づくにつれて、私の想いはだんだんと強く、そしてより明確なものへと変わっていく。
私はあの日、友希那さんの歌声と彼のキーボードを聴いてからずっと彼女達に憧れてた。
……ううん。違う。
あの幼くて非力で、何もなかった頃に聴いた彼のピアノを聴いてから、私は音楽と彼の虜だったんだ。
初めて聴いた彼のピアノは、純情でカラフルに色づいていて……一瞬にして、私をピアニストにした。
だから失敗が怖くて逃げた筈なのに、辞められなかった。
でも、そんな中途半端は嫌。
やるなら、本気で……!
こうして、私は初めて自分の意思で前に進む事を《決断》した。
もう、彼の音楽に縋るのはやめる。私は、私の『表現』であこちゃん達と前に進む。それが、私の道……白金 燐子だけの演奏だから。