どうぞよろしくお願いします!!
懐かしい夢を見た。
────女の子が泣いている、そんな夢を見た。
どうして泣いているの、と訊ねた。
────哀しいから泣いている、そう返答された。
どうして哀しいの、と問い掛けた。
────別れるのが怖い、そう答えてきた。
別れは哀しいものじゃないよ、と彼女の頭を撫でながら慰めた。
────他に何があるの、そう聞かれた。
答えに行き詰まる。
『別れ』。その意味は“僕”等は深く知らない。知識がなければ答えようもない。
“僕”が黙り込むと、少女が再び泣き出した。
困ったな、と頬をポリポリ掻いた。
再度、『別れ』について思考する。
『別れ』とは、繋がりを完全に断つことではない。そもそも繋がりは容易く切り離せないのだ。人の力ではどうしようも無いだろう。
では、『別れ』とは何だろう?
深く考えてみても解は出てこない。つまり、彼女の機嫌を復調させる説明は期待できないと言うこと。
本格的に手詰まった。そんな時……“僕”は、殆ど無意識のうちに背に隠していた一本の花を彼女に与えていた。
餞別の品……なんて、幼少の頃の引っ越しぐらいで大層な言葉を使うのもどうかと思うが、用意はしていたのだ。
何色だったか、どんな花の種類だったのかさえ曖昧になった花をそっと優しく手渡した。
花言葉はなんだったか。やはり憶えていない。
曖昧にも程がある過去夢。ただ、ひとつ明確に憶えているとするならば、それは彼女と交わした最後の『言葉』────
『『またね』』
その一言だけは、鮮明に憶えていた。
「……過去夢か」
早朝四時半。パッといつも通りの時間帯に目が覚めた。
気分は爽快……とはいえない。だからといって凄く不快というわけでもない。極めて判別の付きにくい心理状態だ。
寝惚けた身体をゆっくりと起こし、我ながら質素すぎやしないかと、最近呆れている無地の羽毛布団から這い出る。
凝り固まった関節をストレッチで解す。その後、シーツや布団を出来る限り綺麗に纏めてベッドの上へ丁寧に置く。
この間、約五分。これも毎回同じぐらいである。
「あの子……名前、なんだったかな」
動きやすいコンプレッションウェアの上にジャージを羽織り終え、外出の前準備を整えた、“俺”────日神 剣は、ふと夢の中に出てきた少女の名について推察する。
が、これで思い出せているのならとっくの昔に思い出しているだろうと、頭を振って思考を止めた。
不合理で軽骨な考えで、有限な時間を使い潰すことほど無駄なことはない。
昨晩からコンセントに繋いでいた充電済みのスマホから線を抜き、黒の腰ポーチに仕舞う。
これにて外出の準備は整った。
「ノルマは二〇kmを一時間完走ペース。遅すぎても早すぎてもダメ」
自分にそう言い聞かせながら、両親を起こさぬように忍び足で玄関口から家を出た。
怪我をしないようにストレッチで入念に身体をほぐし、軽く跳ぶ。芯から温まってきたところで止めて、軽度の腿上げ。
調子は、悪くもないが良くもない。ボチボチといったところだろうか。
「ま、いつも通り走れば問題ないだろう」
言ってから、日課の早朝ランを始める。ルートも毎回お馴染みの河川敷沿いを真っ直ぐ走り抜けるだけ。時間を見て見て折り返す。それが毎日行なっているトレーニングだ。
四月六日。今日から新しい生活が始まる。だが、この日課だけはどんな時でも変わらない。もちろん、これからも変わらない。
まだ肌寒い空気。朝露を含んだ湿気を小さく吸い込んで吐き出した。
「高校では、まともな学生生活を送れればいいんだがな……」
まだ薄暗い天を仰ぎ、ポツリと呟く。
淡い期待を抱いた俺は、住宅街をテンポ良く走り抜けて行ったのだった。
季節は春。ポカポカと穏やかな陽光が差し込む晴天の日。
春麗らかな桜並木から視界一杯に埋め尽くされた桜色の花弁が舞い上がっている。
現在の時刻は午前八時二五分。入学式は三十分から学校までの距離は残り二km。
はっきり言おう。
“わかりやすく詰んだ”
「はぁ、はぁ……! まさか、日課以上に疲弊するダッシュを行う羽目になるとは思わなかった。こんなことなら、桜見も兼ねてとかいって歩いてくるんじゃなかった!」
息を若干荒げる。脚を懸命に動かし、人々の合間を縫って疾風の如く駆け抜ける。新品の制服ブレザーにはシワが寄り、キチッと閉めていたネクタイはだらし無く緩まっていたが、気にも留めない。留めていられない。
家を出たのは、八時頃。自転車で行けば余裕を持って登校できた────はずだった。なのに、俺という奴は桜並木をゆっくり見たいがあまりに、私欲に溺れて徒歩にしてしまった。だが、気付けばどうだろうか? えぇ、お察しの通り普通に詰みましたよ。
何やってんだ、と己の失態を恥じる。
それでも脚を止めることだけはしなかった。ほぼ詰んだこんな状況でも、最後の最後まで諦めない。
有限な時間を無駄に費やさないためにも全力で取り組む。それが俺の決めた信条。
「間に合えェェェェ─────!!」
絶叫にも似た轟声を上げる。当然のように近所迷惑だが、気合を入れているだけなので見逃して欲しい。
「は────さ……!」
「はぁ、はぁ……あ?」
そのまま通り過ぎようとした路地裏から、突如として小さく少女の声が響いた。
普通ならば聞き逃してしまっても仕方のないようなほんのわずかな音だったが、俺にはきちんと聴こえた。だからこそ、足を止めて視線を向ける。
息を整えてから足を路地裏の方へ進めて、チラリと奥を見た。
「いやっ! 離してっ!」
「いいじゃん別にィ〜。入学式なんてサボってさぁ〜、お兄さん達とキモチイイことしようぜぇ〜」
「ギャハハ!! 近藤さん、JKに容赦ねぇーなぁ!! マジパネェ〜!」
すると金髪の歯抜け────不良のリーダー格の男がピンク髪の女の子に恐喝気味に迫っていた────というか、もはや完全にヤる目だった。
取り巻きの奴も、下げパンに鼻ピアス。いつの時代だよって叫びたくなるような不良だ。
「……なんか普通にヤバい場面に出くわしたな」
しかし、見れば見るほどアホヅラだな。
金髪、ゴリラ顔、ピアス、ゴリラ体、歯抜け、ゴリラ頭。……五分の三がゴリラだ。
身長が大きいから威圧感はあるが、大した実力は伴ってないだろう。
なんでこんなチンピラ崩れが幼少時代は怖かったのだろうか……。
しかしアイツ、よく見ると肌荒れひどいな……あと、細々とした鼻毛はちょこっとだけ見えていたりする。
笑いを堪えていると、金髪はパシッと少女の手を無理矢理強引に掴んだ。
「いやぁーー!!」
「ギャハハっ!! もうお前の許可なんざしらねぇーよっ! オレの好きなようにさせてもらうぜぇ〜!」
おいおい未成年への強制猥褻罪だぞ?
しかもこんな場所で……完全に刑務所行きだ。
まさかこの馬鹿、自分が警察の厄介になるなんて微塵も思ってないのか?
だとしたら、よほどの無能だ。
仕方ねぇな、と俺は覚悟を決める。
警察呼んで穏便に済ませてやろうと思ったが、気が変わった。
あの阿保の喜悦を含んだ気色の悪い声を聞いて、少女の咽び泣く情景を見てしまったら、流石に遠慮なんてなくてもいいだろう。
「おい、テメェら……。女子一人に男二人で集って何してんだ」
俺は全くおくびを見せず、少女と金髪の間合いにスッと割り入る。その際、金髪の腕を強引に払い除けておいた。
「アァッ!?」
金髪は恫喝紛いの声を出す。気分の良いところに俺という異分子が入り込んだことで、害されたらしい。青筋を立てて睨んでくる。
背後の少女の肩がビクンッと跳ねたのが分かった。
どうやら、凄く怯えているようだ。
「おい、クソガキィ。今ならまだ半殺しで済ましてやんよぉ〜。だからさっさと地面に頭擦り付けて詫び入れろや!」
胸倉を掴み上げられる。見た目が厳ついからパワーが結構あると思ったのだが、思ったより引き上げる力が弱かった。
黙り込んだことで竦んだとでも思ったのだろう、金髪は少し頬を吊り上げた。取り巻きの男もギャハハっと下品に笑い飛ばしている。
なんか思ったよりも雑魚敵キャラ要素満載で今にでも笑い転げそうだ。
「近藤さん、とりあえずコイツ殴りましょうよぉ〜。ほら鉄パイプ丁度ありますしぃ!」
「お、それいいなぁ!! よこせ!」
と、馬鹿コンビが下卑た笑みを浮かべながら鉄パイプを武装した。
「わざわざその女に関わろうとしなきゃよぉ〜、こうして鉄パイプで殴られるなんてなかっただろうになぁ。お前、鉄パイプで殴られるのはおろか、武器のとして扱われるのも見たことねぇだろ? へへ、殴られるとな、痛いじゃなくて響くんだぜ? 日常生活では珍しい経験ができることを感謝しろや」
そんなこと、わざわざ嬉々として語ってもらわなくてもいいのに。
と、そこで近藤とか言われてた金髪が鉄パイプを振りかぶって俺の脳天に打ち込んできた。
「ひぃっ!?」
「ギャハハっ!! どうだぁ!? 偽善者さんよぉ〜!! 響いただろぉ!?」
頭から鈍い音が立っておそろしくなったのか少女が悲痛を上げる。同時に手を上げた金髪の汚ねぇ笑いまで聞こえてきた。
マジかよ……と、俺は内心で憤る。
普通の人なら障害が残るか、あるいは……。しかも背後にいる少女に一切の配慮なく、だ。
もし、俺が避けていれば、頭蓋を割られていたのは少女である。
そこまでの考えなしだとは思いたくはなかったが、どうやら本物の馬鹿らしい。
カチッ……!
流石にスイッチが入った。こんなこと、最近はめっきり減ってたのにな。
入学式早々、変なことに首を突っ込んで何してんだろうか。
まぁ、とにかく、別にこの程度の奴ら相手に余計な手間は取らない。
再度振り下ろされる鉄パイプの中腹へ、俺は的確に拳を這わせた。
ガッゴォーンッ!! と、爆音を鳴らして路地裏に響かせる。
衝撃を支えきれずに金髪が鉄パイプを手から離し、クルクルと鉄パイプは何回も弧を描きながら天高く打ち上げられた。
「殴られたのに、平気……? それに、鉄パイプを拳で……あんなに高く?」
呆気に取られた三人は鉄パイプの上昇後、落下してきた一部始終を見届けた。
そして、地面に叩きつけられた鉄パイプを見て、金髪がパクパクと口を開閉させる。
無理もない。
鉄パイプが人の拳でくの字に折れる光景なんて、滅多に見られないだろうからな。
「ば、バケモノ……!?」
「あ? バケモノ?」
「こんな……、こんなふざけた芸当……人間にできるはずがねぇッッ!!?」
完全に正気の抜けた金髪は、俺の顔を見るなり屁っ放り腰で高速で後退りを開始しながら、そう叫んだ。
むっ……。
「心外だな。俺は歴とした人間だ。ちょっと異常な頑丈さを持った……って備考欄に追記されるがな」
「お、オマエッッ!? 何者なんだよォォオォォ────!!」
「言ったろ? 人間だって。それでもあえて名乗るとするなら────」
そして、しばし言葉を溜めた後、俺は金髪に言い放った。
「────ただの【ヒーロー】だよ」
「な、何ふざけたこと言ってやがる、この厨n───!?」
俺は何かヨロシクナイコトを言おうとしていた、金髪のお付きの右手首を軽く掴む。
「な、何しやが────」
「ふんっ!!」
少しだけ力を入れて引き寄せると、ドゴォッ! という音と共にお付きの愛息子を高速で蹴り上げ、的確に、完璧に潰す。
「ぁぁ……ッ」
どうやら、あまりの痛みに絶叫すら出てこないらしい。その場でへたり込み、力無く意識を手放した。
「お、おまっ……!? な、何しやがった!? 何がどうなって────?」
金髪は一瞬にしてお付きがやられたことで、互いの戦力差を明確化したようだ。
狂乱になったのか、くの字に折れた鉄パイプをその場で振り回している。
それで威嚇になっていると思っているのだろうか……とにかく、金髪は青冷め、瞳の色には恐怖と後悔に満ちていた。
俺は怯え続ける金髪に向けてゆったりと一歩進んだ。
「く、来るなぁァァァァ────ッ!!」
「つれないこと言うなよ。こうやってこの娘に詰め寄ったのはオマエだろ? これまで何人の女を脅したのかは知らないけど、こうやって暴力で解決してきたのはオマエ達となんら変わらないぞ」
金髪がぶん回す鉄パイプが俺の顎下にクリーンヒット───したように見せる。
ガギャンッと、金属音が路地裏に再度響き渡り、金髪がザマァみやがれと叫びながら笑った。
「おい、オマァァァァァ─────!?」
金髪はとうとう恐怖に耐えきれず鉄パイプを離して腰が抜けたように尻餅をついた。
ガードしていた左手でパイプをしっかりと握り、悪魔のような笑みを浮かべた俺を目の当たりにしたのだから、仕方がないと言えば仕方がない。
こんなの、本人である俺でも怖いわ。
「ということで、つまらない私欲で女の子を食い潰していくのは金輪際止めろよ、この大馬鹿ヤロォォォォォ────ッッ!!」
パイプを遠方に投げ捨て、金髪の胸倉を掴み無理やり身体を起こさせると、俺は右拳を固めて、金髪の左頬に打ち込んだ。
ドゴォッ!! と、肉を打つ音が響いた。
「がぁ……っ!!」
小さな呻き声と共に金髪は壁に叩きつけられて、そのまま意識を失った。
完璧な角度で拳を突き刺したし、顎骨が数本逝ってるのは間違い無いだろう。
「さて、二人とも完璧に沈めたし……入学式、どうしようかな」
記憶の片隅に追いやっていた遅刻問題。時計を見るが、どうみても三〇分を超えている。いきなり遅刻確定だった。
「あ、あの……」
項垂れていると、背後にいた女の子に声をかけられた。
「た、助けてくれてありがとうございました!!」
怖かろうに……震える手と膝を懸命に抑えながら桃色髪の少女は礼を述べてくれた。
うむ、しっかりとした芯の強い子である。こういうのを見ると、助けて良かったと思える。
「気にすんなよ。それより、怪我とか無いか? 具合とか悪ければ警察の他に救急車も呼ぼうか?」
「う、ううん! 大丈夫。それより、鉄パイプで殴られたところは本当に大丈夫?」
「あぁ、こんぐらいなんでも無いよ」
そう言って、心配そうな少女を安堵させるために自分の頭を少しだけポンポンと叩く。
その際、ポタポタと何か赤い液体らしきものが額から垂れてくるが気にしない気にしない。
「ち、血ぃ! 血ぃっ!! 血でてるよぉ!?」
「ふ、何をおっしゃってるでござるか。ワイの額が割れちょるわけにゃいじゃ無い」
「キャラが統一してないっ!?」
「あ、爺ちゃん。久しぶり、元気してた? 俺も今そっちに行くよ」
「ダメっ! そっちは天国だよっ!」
あ、ほんとに意識がまずいかも。
クラクラと混沌に染まっていく意識の中、少女の慌てる声だけが耳朶を打ち、俺は完全に意識を手放したのだった。