さて、突然のことで悪いが、皆さんは“青薔薇”の花言葉についてどれ程のことを知っておいでだろうか?
近年では『夢叶う』や『神の祝福』などと、プラス思考の言葉の意を飾っていることが多いと思われる“青薔薇”。
しかし、二〇〇二年より以前の花言葉は全くの逆であったことはご存知だろうか?
過去の“青薔薇”の花言葉は、『不可能』と『存在しない』。そんなふうに少し怖さを滲ませたマイナス言葉が引用されていたようだ。
では、どうしてそのような言葉の変化が訪れたのか……。それを紐解くに当たって必要なのは、薔薇の色素成分という難しい話になってしまうので、少しだけ細部は割愛させてもらう。
簡潔に説明するならば、そもそも薔薇には青い色素であるデルフィニジンを保有していなかった。
よって自然界において“青薔薇”なんてものは『絶対に存在しない薔薇』であり、品種改良でも青く染め上げるのは『不可能』。という印象を昔の人々の意識に深く刻み込み、軈て、それが負の花言葉へと直結していった……という事である。
その為か、昔は、人々が“青薔薇”を手に入れるには、色素の抜けた白い薔薇を人工的に塗り染めた『人工的な“青薔薇”』しか手に入らなかった。
しかし、そんな歴史にも転換期が訪れた。それが、西暦二〇〇二年だった。
この年、皆さんご存知の有名な会社『サン●リー』の専門開発グループ達が公表した『blue rose APPLAUSE』が正真正銘の“青薔薇”だったのだ。
数多の時間と人員を割いたことで発達した、バイオテクノロジー(遺伝子組み換え)技術により、青い色素のデルフィニジンを分泌させることに成功し、“青薔薇”が誕生した。
これによって、『不可能』や『存在しない』という負のイメージから、研究員達の文字通り、血と汗の滲んだ努力が産み出した『夢叶う』や『神の祝福』という正の花言葉に変貌を遂げたのだ。
そして、そんな幻想的で理想を叶え儚く咲き誇る“青薔薇”だとしても、当然のように鋭い“棘”がある。
それでも、彼女達は頂点に狂い咲く為に自ら“茨の道”を突き進む。
その果てにあるものが、ただの張りぼてだとしても、彼女達は歩みを止めない。
“棘”が血肉に食い込んでも、“茨”が巻きついてきても……前に進み続ける。
どれだけ他人から蔑まされ滑稽な姿に映ろうが関係ない。
だって、その蔑まされ滑稽な姿こそが“青薔薇”を咲き乱れさせ、『不可能な夢』を『夢叶え』る何よりの根拠たる礎となるのだから。
俺は、そんな彼女達の誇り高く一途な姿が何よりも好きだ。
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放課後。
校門前に呼び出された俺は、憮然と佇んだ美女の前で立ち尽くす。
そろそろ太陽が沈み出す頃合いで、茜色に染まっていく快晴の下、彼女はそっと手を差し出して凛々しい唇を震わせて言った。
「日神 剣……貴方は、私に全てを賭ける覚悟はある?」
どうしてかいきなりの告白だった。
理解が追いつかない。突然告白した動機は何なのか? そもそもこの子と面識があっただろうか? そんなことが頭を過っていき脳は困惑に誘われる。
けれども、向けられる楊梅色の瞳から感じられる熱意は本物であり、虚偽や詐欺のような疑念を孕んだ歪み切ったソレではなかった。
理由は不明だが、彼女は勇気を振り絞って告白してきてくれたのだ。
人間として、男として誠心誠意を込めて彼女の勇気ある言動に返答しなければならない。その責任が、俺にはある。
まず、俺は自身の『感情』と向き合う。
告白されて嬉しくないわけがない。俺とて年頃の男子だ。可愛く美しい女子から告白されるという夢のようなシチュエーションを目の当たりにして嬉々としないわけがない。
ならば、俺の答えなどとうに決まっている。
俺は覚悟を決めたように、目をパッと開き、俯き気味だった視線を前に上げた。
「あ、覚悟とか重いので断りまーす」
この際、はっきりと言わせてもらう。
女子高生が軽々しく『全てを賭ける覚悟がある』とかいうなよ? ちょっと引くわ。
その後、普通に帰宅した。
翌日、朝礼前。
「おはよう、日神 剣」
「……」
春麗らかな淀みない澄み渡った天候の中、校門前で俺を待ち伏せる一人の女生徒が仏頂面で呼びかけてきた。
その女生徒は昨日フッたばかりの美人だった。
昨日の今日でよく顔を見せられたなぁ……と、場違いに感心する。
普通、あんなフラれ方して翌日の朝にいきなり顔見せることが出来るか?
フッた俺が言うことではないが、最低な断り方だったぞ。どんな胆力してんの、この人……。
制服の色から断定するに一つ歳上のようだ。
昨日も思ったが凄い美人だ。
可憐で儚げで、どこはかとなく甘美な面立を彷彿とさせる端麗な容姿の持ち主だと思う。
そんな美人な先輩に朝一番に声を掛けられる問題児。視線が集まらないわけがなかった。
「あの人、友希那様に話しかけられてる……」
「えぇ〜! いいなぁ! 私だってまだ挨拶もしてもらったことないのにぃ〜!」
「クソヤンが……!」
「死ね!」
てか、一方的に俺を卑下してきてる輩がやたらと多い気がする。
男子からの殺気が凄まじい。俺の腕には鮫肌が立ってしまうほどの圧力が一斉に襲いかかってくる。
しかし、彼女にとってそんな視線は然程興味がないのか、特徴的な銀髪をファサっと掻き分けて、俺に鋭い眼光を突き付けた。
「昨日はあのまま帰してしまったけれど、今日はそうはいかないわ」
「いや、何度言われようと俺は断りますけどね」
「昼休み、音楽室に来なさい。扉は開けておくから」
全く感情の起伏が感じられない能面のまま用件だけ伝えてスタスタと歩いて行く女生徒。
てか、この人話全く聞いてねぇ……。
「それじゃあ、待ってるわよ」
それだけ告げて、彼女はさっさと行ってしまう。
取りつく島もないまま勝手にアポを取られた俺は、深くため息を吐くのだった。
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「お、おい! 日神っ!」
一悶着? あった校門前から自身のクラスの教室へ辿り着いた俺は、自席に鞄を下ろしたのだが、横から大きな声で呼ばれる。
「あ?」
「ひ、ひぃー!?」
横目で呼んだ奴を見ると、別に凄んでいる訳でもないのに酷く怯えた大柄な男子生徒が竦んでいた。
「誰かと思えば昨日のビビリか」
「び、ビビリって呼ぶなよぉ!? 俺には歴とした“
「ふーん……名は体を表すって言葉、知ってるか?」
「ちきしょおォォオ!! わかってるよっ!! オレの氏名が“ビビる”に見えるのはなぁァァァァァ───!!」
俺の指摘に大きく絶叫を上げながら地面に這いつくばるビビリ君こと日々流。そこまで自分の氏名と性格にコンプレックス抱いてたのかよ……流石に彼が可哀想に感じてきたので、話題を戻す。
勿論、心の中で謝罪を入れておこう。すまん。
「それで、ビビリ。なんか用か?」
「……オマエって人の弱ってる心をさらに削り取るのが趣味な悪人なの? もしかしてそっち方面の人間か?!」
「違うやい。変な誤解を招く発言はよせよ、俺の悪評が増える。それより、早やく用件を話せ」
「なんかオレを悪く仕立てようとしてるけど、真っ先に仕掛けてきたのオマエだかんなぁ!?」
憤っているように見える日々流だが、若干後ずさって行っている。完全に腰抜けじゃねぇか。
もうこいつ、本当にこれからもビビリでいいや。
そんなビビリがゆっくりと距離を取りながら、ピシッと指を指してきた。
「そ、それよりもだ! オマエ、湊先輩とはどう言う関係なんだよっ!?」
「……湊先輩?」
震える肩を懸命になっているビビリから飛び出した先輩の名前に、俺は首を捻って頭を懸命に働かせるが、知り合いに該当する名は無かった。
「誰だそれ?」
「お、おまっ!? 昨日、オマエを呼び出してた先輩だぞ!? それと今日も朝から話してた女の人だろうが!?」
俺が誰か問うと、ビビリは眼を瞠きながら答えた。
へぇ、あの人、湊先輩っていうのか……。
一人、得心していると、ビビリが凄い剣幕で捲し立ててきた。
「し、ししし、しらばっくれんなよっ!? この学校に進学してきて彼女のこと知らないとかあり得ないだろうがっ!!」
しらばっくれるもなにも、本気で知らなかったんだけど……。そんなに有名なのか?
と、問い掛ける。
すると、これまた凄惨に染め上げた顔色でビビリは声を荒げた。
「“あの”湊 友希那先輩だぞっ!? 数々のライブハウスを一匹狼の様に渡り歩いては、次々に観客を沸かせ、その圧倒的な歌唱力で視線と耳を釘付けにする【孤高の歌姫】……そう呼ばれているお方だぞ!?」
「説明ご苦労だが、知らねぇし、興味もない」
一蹴すると、次はムンクの叫びを彷彿とさせる面立ちで跪く。
こいつ、どうやってその顔作ってんの? 役者か?
「あんな美人に呼び出されておいてどんだけ羨ましい野郎かと思ったら、実のところ興味ないとか……オマエ、実はホの字か。別の意味で」
「お前もお前で、俺を貶めるのが好きなのか……? 喧嘩なら買うぞゴラァ」
「……すみませんでした」
ちょっと圧を掛けると直ぐに頭を地につけるビビリ野郎は、潔く謝罪する。
いや、これは変に視線集めるから本気でやめてほしい。ただでさえ悪目立ちしてるのに、これ以上悪印象与えに来るとか……これは戦争確定かな?
とりあえず、後で一発殴るのは確定としてだ……。
「で、俺がその湊先輩とどう言う関係かって質問だが、何もないとしか言いようがないぞ」
「は?」
ビビリはばっと顔を上げて驚きを隠せないでいるような表情を向けた。
「なんで驚いてんだよ……今の会話から、俺が湊先輩と深い関係にはないことぐらいわかるだろうが」
「……あ」
今更気がついた様に小さく零した。
マジかよ……頭に血が昇りすぎだろ。あと、いい加減に立ってくれないかな。ずっと正座されてると居心地が悪すぎる。
呆れながら頬をぽりぽりと掻いた。
「なんでか知らないけどいきなり呼びつけられた挙句、『私に全てを賭ける覚悟はある?』とかよくわからん告白されて最後は昼休みに音楽室に来いとか言われてるだけで、別に深い関係……なんで血涙?」
「
「なんで!?」
突然豹変したビビリは、拳を固めて全力右ストレートを肩に入れてきた。
ドゴッ! と鈍い音を立てる。思ったよりいい拳持ってやがる……!
って、そうじゃなくて……。
痛む肩を摩りながら向き直った。
「ちょっ、なんで俺が突然殴られたんだよ……!」
「自分の胸に聞けよ大罪人っ!! リア充死すべしっ!! コレ絶対!!」
「二発目ェェェェ────!?」
もう、早速だけど、こいつの事をビビリと言うのはやめよう。日々流、よくわからないけど俺が悪かった。だから暴力はよそう。そろそろ肩外れる……。
こうして、外れた肩をプラプラさせたままホームルームに突入した。
入って俺の肩を見た瞬間の担任の顔は、ちょっと言い表せないぐらいに驚愕していた。
マジ痛い。肩が全く上がんない。誰か助けて。
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「……どうして肩が外れているの?」
「……ほっといてください」
約束通り、昼休みに音楽室に行ったら本当に渦中の先輩────湊 友希那がいた。
彼女の視線の先には、俺の外れたままの肩がある。
痛々しいほどにプランプランの肩がエグさを演出していた。
「よいしょっと(バキボギッ!!)……それでここに呼び出した理由を伺ってもいいですか?」
「……どうやって治したの?」
「? 筋肉を強引に動かして填めただけですけど何か?」
いとも容易く肩を填めて見せた俺に、湊先輩は瞠目する。
肩をぐるぐると数回ほど回してみても可動域に問題はない。若干、まだ痛むが私生活にそれほどの支障はない。
何度か試行してたのだが、筋肉と関節の動きがようやく噛み合った。朝からずっとプラプラ状態だったので、逆に違和感があるが、問題ないだろう。
「バケモノね」
「それ、先日も他の人に言われたばっかりなんですけどね。一応、俺は一般人のつもりなんです」
女子の先輩からバケモノ呼ばわりされるとは思わなかったぞ。
湊先輩は未だ治った俺の左肩を留意しながら、言葉を紡いだ。
「まぁ、いいわ。用件はただ一つ……」
この状況、この雰囲気……間違いない、昨日の放課後と同じような事を言うらしい。
高鳴る鼓動を抑えつけながら、姿勢を整える。
昨日は思わず逃げ出してしまったが、返事はしっかりとすべきだ。
自分の返答は決まっている。覚悟を固めて前を向く。
彼女は間をしっかりと空けてから、唇を震わせた。
「日神 剣。今ここで、先日のように音を奏でてみせて」
「……………………は?」
告白かと思えば彼女が指差したのは、昨日、俺が昼飯抜いてまで夢中に弾いたグランドピアノ。
え、どういうこと?
告白じゃない? めっさ恥ずかしい勘違い!? 恥っズッッ!!
羞恥に悶えるが、それを表面には出さない。それよりもだ……
「あの……意図が掴めないんですけども…………何故、俺がピアノを弾けると?」
別に隠しているわけではないが、まだ誰にも教えていないはずの情報をこの人はさも当然のようにやれと言ってきた。
よくよく考えてみればおかしい。どうしてこの人は、俺の名前を知っている? 入学したての普通の男子学生だぞ? たとえ、昨日の放課後に告白するために俺を呼び出すとしても名前まで指定してきている時点で、湊先輩は俺のことを何処かで知っていたことになる。
では、一体いつ?
そんな俺の疑問を晴らすかのように、彼女は口を開いた。
「日神 剣。その圧巻の『技術』力はもちろんのこと、異常なほどに『感情』を込められた表現力は他の追随を寄せ付けず、国内は当然、国際的にも数々のコンクールで賞を総なめした天才ピアニスト……そうでしょ?」
「……俺のこと、知ってたんですか?」
「えぇ。一度だけ父にコンクールへ連れて行ってもらったことがあるの。その時にね」
なるほど、合点がいった。
「しかし、よく俺だとわかりましたね。最後にコンクール出たのだってもう二年も前のことですよ」
「こんな素晴らしい音を聴かされれば当然思い出すわよ」
そう言って、薄く微笑った先輩の手にはスマホがあり、そこから一本の動画が再生されていた。
そして流れ出すピアノの伴奏。聞き覚えのある音色に驚愕した。
そして、そこで気持ち良さそうに奏でているのは……
「俺……」
いつのまに撮られていたのだろうか。全く気がつかなかった。
集中状態に陥っていたとはいえ、左後ろの角度に立たれれば嫌でも気がつくと思うんだが。
「これ、どこから撮影してたんですか?」
「机下に隠れて、スマホだけ机の上に立てて撮ったのよ。よほど集中してたみたいだから多少ゴソゴソしてても気付かなかったみたいね」
湊先輩は無表情だが、何処か得意げに話す。
要するに盗撮では? 隠してたわけじゃないし別にいいんだけどさ。てか、机下で全部隠れられるもんなの? それとも彼女が特別にちんまりしてるだけか?
「今、失礼なこと考えたかしら?」
「いえ、なにも?」
「……まぁいいわ」
ギロリと一睨まれした俺は肝を冷やした。
最近のJKは勘が鋭いなぁ……勘の鋭いガキは嫌いだよ。
……心の中だとしても言ってみたかっただけだから気にするな。
「一つ、聞きたかったのだけれど」
「なんですか?」
「貴方が、忽然と音楽界から姿を消したのはどうして?」
すっと細められた双眸が俺を覗き込む。まるで裁判で詰問されている容疑者のような気持ちになった俺だが、特別な意味はないのでぱっと言った。
「別に深い意味はありませんよ。ただ俺があの舞台で『感情』を出すのが嫌になったんです」
「『感情』を出すのが嫌になった?」
「はい」
湊先輩の問い掛けに頷く。
「個人差はあると思いますけど、俺は、音楽は『感情』で奏でるモノと考えているです」
言葉で説明が出来るとは到底思えないがある程度は伝わるように努力しようと言葉を選ぶ。
「『感情』という息吹を吹き込んで詞曲に魂を宿す。そして、その曲に備わった情景を受け入れ、相手に魅せつける……それが俺の音楽です」
けど、と苦笑いを浮かべながら続ける。
「あの舞台は俺が賞を取るたびに曲の情景を壊してくる。優勝したい気持ちから賄賂に走る小汚い大人、愛想笑いで御機嫌を取ろうと必死な作曲家、嫉妬と怨嗟で睨みつけてくる演奏家……こんな奴らに『感情』を晒し続けるのか。そう思った時には、コンクールから手を引いてましたね」
最後に取り繕いながら笑う。過去の俺はまだ子供だった。コンクールの勝敗など二の次で、俺が魅せたいと思っていた情景をより多くの人に魅せる。それが第一の目標だった。
そうすれば、どれだけ荒んだ心でも癒されると思ったから。多くの人が幸福感に満ち溢れると思っていたから……。
幼稚な発想だが力がダメなら音楽で人の心を救う【ヒーロー】になろうと思っていたのだ。
昔は喧嘩も弱く身体も軟弱だったせいで色々とダメだった。
そんな中で出会ったピアノという希望。それに縋りたくなるのは子供なら当然だと思う。
けれど、やっぱり音楽で全てを救うことはできない。それどころか疎み陰口を叩かれると言った傷心的な攻撃を受けたことだってあったのだ。
そりゃあ、小さい子供は舞台に立ちたくなくなる。
何もかも甘かったんだ。考えも、理想も、覚悟も……。
中途半端で未熟な心でも勝ててしまう。そんな傲りがあったから周りも変になって、それが嫌になった。
俺が舞台を降りたのはたったそれだけのことだった。
「……そう」
全て話し終えると、湊先輩は素っ気なく返答する。
けれども少し沈んだ様子を見せているようだ。
どうしてこんなことを話してしまったんだろうか? 自分でもよくわからないが、沈めてしまったこの雰囲気を取り持つにはやはり音楽しかないだろう。
「何か聞きたい曲はありますか?」
「……弾いてくれるのかしら?」
「えぇ、暗い話をしてしまったお詫びです。何か曲案があれば遠慮なく言ってください」
「じゃあ、これをお願いできるかしら?」
湊先輩は、そう言ってスマホから音楽を流す。
これって、割と有名なライトノベルアニメのオープニングだったけ?
あまりそういうのには詳しいわけではないが何度か聞いたことはあるので弾けない事はないだろう。
「いいですよ」
笑顔で了承し、ピアノ椅子まで移動。そして、座って高さを調整。鍵盤の感触は昨日合わせたばかりなので問題ない。
すぅ……と空気を吸い、はぁ……と肺腑から息を吐き出す。
すっ……と鍵盤にそっと指を添えた────
「っ……!!」
ピクリと湊先輩の肩が跳ねたのが分かる。
まだ一音。それも試しの音鳴らしでそこまで驚かれるとは思わなかった。
念のために調律しようと思ったが、昨日から変調やノイズは感じられない。やはり問題はないようだ。
今度はちゃんと演奏するために『感情』を引っ張り出す。
意志を濃密にし、魂を吹き込む。
頭と体をフラットに。音色の種類、演奏の基盤、運指のリズム……全てに『感情』を宿し情景を展開する────!
キーンコーンカーンコーン♪
「「……」」
────演奏しかけたところで、間の悪いことに予鈴が鳴り響く。タイムリミットだった。
俺と湊先輩は呆然とし尽くし、軈てようやく顔を合わせて冷や汗を出して、
「……戻りましょうか」
「そうですね」
慌てて片付けを開始する俺たち。俺にとっては二日連続で昼飯を逃したことになる。母さんごめん。また、弁当残しちゃったよ……。
後でガミガミ言われるんだろうなぁ。と、億劫になりながらも忘れ物がないことを確認して、教室に戻ろうと駆け足をしたところだった。
「放課後、昨日と同じく校門前で待ってるわ。ちゃんと来なさい」
と、湊先輩の声が聞こえてきた。返事をしている暇がないので振り返らずに廊下を駆け抜ける。
行くかどうかはまた別として、遅刻は勘弁である。
大慌てながら事故らないように慎重に駆けて行った。
……てか、あの人めちゃくちゃのんびりしてたけど、授業遅刻しねぇの?