“音楽は世界語であり、翻訳の必要がない。そこにおいては、魂と魂に話かけている” by J.S.バッハ
上記は、【G戦場のアリア】、【アヴェ・マリア】などの代表曲で知られるバロック音楽において重要なドイツ作曲家。日本では『音楽の父』とも呼称される西洋音楽の源流総帥のバッハが述べた名言の一つだ。
彼のこの名言に心打たれる人も決して少なくはないのではないだろうか?
勿論、俺もその一人だったりする。
我々人間には様々な種族が、多種多様な文化内で生きるため、やはり言語の齟齬がどうしても生じたりする。この齟齬が小さいものならまだいいのだが、時には大きな勘違いを生み出し、世界を巻き込んだ大戦に発展することだってあり得るのだ。
血と涙の諍いの元凶たりえる言語という壁。しかし、音楽にはそう言ったものがなく、人々に統一した景色を見せることが可能だったりする。
受け取り次第によっては感想はそれぞれ別々だろが、喜怒哀楽の表現は皆一様に感じ取れるだろう。
魂と魂の会話が出来るのが音楽。彼はそう言っているのだ。
多様な人に対して、本当に伝えたい気持ちを伝えるのに一番有意義な手段が音楽である。
故に、音楽家同士が苦楽を分かち合うのに必要なのは互いの言葉ではなく、思いの丈を込めた演奏だけ。
音楽と音楽をぶつけ合う。
それこそが、至上の理解方法だと、俺は思っている。
さぁ、今日も俺の『感情』を観客たちに伝えよう────
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私が彼の音を初めて聴いたのは、中学二年の頃。
父達のバンドが解散に追い込まれて丁度一年が過ぎた頃のことだったと思う。
中学生ながらに根を詰めて歌唱の練習に励んでいた私を見かねて、お父さんが息抜きに、と言って連れ出したのが始まりね。
クラシック曲。興味がないわけではないけれど……私の歌を、お父さん達の曲を世間に知らしめるために躍起になっていた私には聞く必要性などないと、その時は思っていた。
そんな気分で大人の人たちが丁重に奏でるつまらないピアノ音に耳を傾けながら、次の作曲の構成を考えていた時だった。
一人の少年が視界にふと映る。
このコンクールは大人のものではなかったのか? そんな疑問が浮かんだが、どうせ他の人と比べても大したことないだろう。同い年ぐらいの男の子ならこの観衆の多さに緊張して本来の実力を出せないかも……程度にしか、思っていなかった。
しかし、期待値の低い私と違い、お父さんの顔は真剣そのものだった。
今でも思い出せる。あの頃のお父さんの横顔は、付き物のとれたような晴れやかな緊張を張り付けた笑みであった。
彼に何かあるのだろうか。そんな疑問をちょうど抱いた時……
────世界が変わった。
その言葉通りね。彼の運指から放たれる音色は、新しい世界を構築し、私たち観衆を別世界へと誘う。
この時の景色は、無限に桜木が並み立つ桃源郷。桜吹雪舞う視界一面の桜色。頬を撫でる優しい春風。心地よく大らかな陽気な気候……感じるはずのない五感を感じてしまった時点で、私は彼の演奏に、完璧に幻惑されてしまった。
曲が終わり、一礼する彼にスタンディングオベーションが送られる。
私ははっと我を戻して、プログラム表の名前欄に視線を落とした。
────日神 剣
それが彼の名前だった。
お父さん曰く、彼の音色に救われたと言っていた。感情剥き出しの音に彩りを含み、曲に魂を宿らせる。その奏音は精神的に追い詰められていた自分を救い上げてくれた。と、語っていた。
その気持ちはよくわかった。彼の音色に聴き惚れた……いやこの場合は魅惚れてしまったが正しいだろうか? とにかく、彼の音に疲れていた心は疲労感を喪失し、その時はすごく軽やかになっていたわ。
彼が創り出した別世界。その領域にもう一度踏み入れたい。そんな気持ちがあって、彼が突然姿を消す寸前まで、彼の音を追い求めて行けるコンサートには顔を出した。
それほどに、彼の音楽の虜になってしまった。
そして、今、そんな彼が手の届く範囲にいる。
『FUTURE WORLD FES.』。私の音楽を証明するために、彼の音楽が絶対に必要。
だからこそ、今度は私が彼を取り込んで見せる。
日神 剣。一人の音楽家として、貴方を必ず────
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夕焼けに染まりつつある時間。
俺は湊先輩に言われた通り、校門前で待っていると思われる彼女の元へ向かった。
そんな時のこと。
「まってまって友希那───っ」
聞き覚えのある名前を呼ぶ快活の良い少女の声が横側から聞こえてきた。
視線をズラせば、パタパタと走ってくるギャル風貌の少女が校門前に立つ湊先輩を呼びかけている場面であった。
サッと身を隠し、動向を探る。
……別に隠れる必要はなかったのに思わず身を潜めてしまった。
今更、表立って顔を見せるのはなんだか気恥ずかしいので、このまま大人しく隠れ蓑になっておこう。
「今から新しくできたアクセショップに行くんだけど、友希那も一緒に……」
「……行かない」
「ん?」
「……アクセサリーショップには行かない。私は歌うこと……音楽以外のことで時間を使いたくないの」
ギャルの提案を軽く一蹴する湊先輩の表情はずっと変わらない無だった。
おそらく、仲睦まじい間柄なのだろうがそんな相手でも一切表情を変えずに提案を流す彼女に、俺は悪寒を覚える。
「ん……。そっか! けど、大丈夫! フラれるの慣れてますからっ!」
「……」
そんな俺とは対照的に、ギャルの人は少し翳りを含んだ表情を浮かべただけで直ぐに持ち直し明るさを全面に見せた。
しかし、そんな彼女の明るさを受けても湊先輩はずっと黙り込んだままだった。
「でもほら、アクセショップがライブハウスの近くにあるんだよね♪ だから途中まで一緒に行こうって話」
「……それならいいけど」
「やった☆」
流石に折れた湊先輩。嘆息を含みながら肯定したようだ。
それに対して、ギャルの人も嬉しそうにキャピキャピし始めた。
……ダメだ。時間が経つごとに俺が入っていくタイミングが無くなっていく!?
焦る俺を他所に彼女達は歩き出した。
て、おい湊先輩コラァっ!!
人呼び出しといて忘れてるってどういう要件だよぉっ!?
「そういや、友希那はなんでこんなところでずっと立ってたの?」
「……ぁ」
あの人、ようやく思い出しやがったなぁ!? そしてギャルの人はナイスゥー!!
疑問を浮かべたギャルさんの声に、思い当たる節があった湊先輩はピシリとその場で止まる。
というより、本当に俺のこと忘れてたんですね。何気にショックだ……。
「……何もないわ。気紛れよ」
「そっか☆ じゃあ、行こ?」
「えぇ」
俺がそうしてショックを受けていると、二人は並んでスタスタと歩いていく。
って、あの人! 俺の存在を無かったことにしてるぅぅ!?
完全にしらけやがったぁ! 自分から約束ふっかけてきたくせにぃぃ!?
流石に冗句だよな? そうだよな!? 本気で忘れてるわけないよな!?
そうだと言ってくれ。じゃないと割と本気でショックなんですけど……。
「さて、冗句はここまでにして……そろそろ出てきなさい。日神」
校門影に隠れて四つん這いになっていた俺に呼びかける声が一つ。湊先輩だ。
ギャルの人は頭に疑問符を浮かべてこちらを見ているが、本当に何のことか分かってないようだ。
はぁ……本当に冗句だったぁ。よかったぁ〜。
…………いや、別に良くないか。
さっきからそうだけど、別に本気で忘れてくれていた方が俺的には面倒ごとが無くて助かっただろう。
勝手に呼び出されてるわけだから、さっさと帰るなら無視されていた方が良かったのかも?
もう、今更だけどな。
「気付いてたんですか?」
俺は潔くサッと姿を現す。湊先輩はやっぱりと言った感じに肩を落とし、隣のギャルの人は驚きでぽかんと呆然と立ち尽くしていた。
そして、俺の問いかけに湊先輩は、答える。
「話の途中に影が視界に映ったのよ。気配は全く感じなかったわ。もしかして忍者?」
「影で俺って判ったんですか? 先輩の方こそ実は名探偵では?」
「そんなわけないじゃない。単に私達の話を盗み聞きする輩なんて貴方ぐらいしか知らないだけよ」
「……出会って間もないのに辛辣ですね」
「え? えっ? えぇぇぇっ!?」
軽口を叩き合う俺と湊先輩を交互に見渡しながら、ギャルの人は驚きの声を上げまくった。
……混乱するの、凄くよくわかります。
だけど大声出すのはやめてください。俺、完全に不審者になっちゃう。
「友希那に春がキタァァァ───!」
夕暮れ時。橙色に染まった空に少女の叫び声が吸い込まれていった。本気で警察が来なくて良かったと思う。
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「あ、あはは……勘違いしちゃってごめんね? すっかり友希那の彼氏かと思っちゃったよ」
そう言って愛らしく舌を出してペコっと謝罪をするのは湊先輩の幼馴染である今井 リサ先輩である。
バリバリのギャル風貌の中にお姉さん的雰囲気を醸し出しており、話しやすさは俺が出会ってきた人達の中でも群を抜いているだろう。
それと優しい人だと思う。さっきから滅茶苦茶、俺の話をちゃんと聞いてくれている聞き上手だ。だから先程の誤解も簡単に解けた。
「彼氏。そんなもの作ってる暇なんて私にはないわ」
きっぱり。そう言い切った湊先輩は一目もくれずに目的地に向かって歩みを進めていた。
彼女の凛とした立ち姿に不意にも見惚れてしまった。同時に形容し難い畏怖も覚えてしまう。
なんだろうか、この先輩から感じる凄まじい違和感は?
「もう……いくら音楽に熱中してるからって、他の事を蔑ろにしちゃダメだからね? 恋愛のことはとやかく言うつもりないけど、テストが出来なくて卒業できないとか切なすぎるし。ツルギもだよ?」
「気を付けます」
先輩のアドバイスはしっかり受け取っておかないとな。苦笑いを浮かべて返答する。
ちなみに、入試成績は悪く無かったはずだ。見聞では次席だったかな? 一位は取れなかったのは悔しいが致し方がない。
「そんな馬鹿な真似はしないから安心して。赤点を取ったら音楽活動に支障が出る」
今井先輩が心配そうに湊先輩を諭すが、彼女は一瞥も向けないままそう言った。この時も表情に変化は見られない。
「……あはっ。まぁ、そっか……」
この時、今井先輩の笑顔が俺にはひどく痛々しいものに見えた。
「でもホント……最近は忙しそうだね。毎日、いろんなライブハウスに行ってて」
「毎日っ!?」
今井先輩の言葉に驚きの声を上げる。
流石に毎日別々のライブハウスに顔を出してるとか、とんだ変人だろ。
そんな感想を抱くが、口にはしない。俺は寿命を短くしたいわけじゃないのだ。長寿最高。
「……そうね」
湊先輩は今井先輩の言葉に憮然と首肯する。
マジのとんだ変人かよ。どんだけ歌の虫なんだろうか……? 常人の俺では計り知れない執念を彼女の背中から感じた。
というか、俺が連れて行かれてる場所ってライブハウスかな? 十中八九そうだよなぁ……。と、内心で溜息を吐く。
昼間の続き……とでもいうべきか。たしかに、今日の昼休憩では中途半端どころか始めることすら叶わずチャイムに御預けを食らった。
だから俺としても不完全燃焼ではあるが……。
「元々ライブハウスで歌ってたけど、毎日出演してるんじゃ……ないんでしょ?」
「……」
今井先輩の質問に湊先輩は無言で返す。沈黙、ということは出演してるのかよ……本当にそこまで執念深いと畏敬の念すら覚えるよ。
しかし、彼女の表情は何処か暗がりを含んでいるように見えた。
そんな湊先輩に対して、今井先輩は愁眉に染まった表情で言った。
「……あのさ……この話したくないってわかってるけど、まだ……バンドのメンバー探してるの?」
湊先輩は目をスッと閉じて儚げに唇を開いた。
「バンドメンバーは当然探してるわ。今年のフェスに向けたコンテストのエントリーはもう始まってる。条件は三人以上。今年こそメンバーを見つけなきゃ」
淡々と告げる。
そんな彼女に対して眉と顔を下げて俯く今井先輩。
「でも、そーゆーのって……」
「私はやる。父さんのために……」
最後の部分。そこは重々しい何か事情を含んでいて、とてもじゃないが俺には入っていける雰囲気ではなかった。
それに、父さんのため……ねぇ。
俺は少し呆れたが口には出さない。ここで変に口出しして面倒事を請け負うなんて身がいくつあっても足りやしないだろう。
「リサだって知ってるでしょ?」
「それは……」
思い当たる節でもあるのだろう、今井先輩は泣きそうな表情をさらに辛そうに顔を顰めながら俯く。
その原因に湊先輩の父親が関わっているのぐらいは、今の話からでも掴める。そして、そのお父さんを認めさせるために湊先輩は音楽を磨いている……か。
俺とは方向性の違った自己犠牲。万人が望み幸福をもたらせるようにと願いを込めた『感情』を奏でる俺と、父が望んだ歌を万人に認めさせようと復讐心を誓った『感情』を歌う彼女。
歪んでいたとしても、強い意志を持った彼女の歩みを止められるものなどいないだろう。
「父さんの……私の音楽を必ず認めさせてみせるわ」
その深まる意志が痛いほどに伝わる。部外者の俺がこんなにも揺さぶられるのだから、当事者だと思われる今井先輩の悲痛な感情は到底測れるものではないはずだ。
そんな彼女や俺から一歩前に躍り出た湊先輩はこちらを一切振り向くこともなく言い放った。
「そのために妥協のない完璧なバンドを作る。そこに楽しさは要らないわ」
その言葉に虚偽など一片も感じられない。直情で本気。そんな狂気的な意志を見せつけていた。
これには、思わず俺も足を止めてしまった。
「じゃあ、ライブハウスついたから、じゃあね。日神、行くわよ」
最後、そう括って今井先輩を振り返ることなく置いてけぼりにした。
これが彼女の意志であり、理想。潰えた父の音楽を世間に知らしめるために己をここまで律する高校生か。
……湊 友希那の『理想』はまさに破綻している。
そう直感した。
「……ごめんね? 暗くしちゃって」
俺が彼女の背中を無意識に見送っていると、今井先輩が苦笑しながらそう謝罪を入れた。
「友希那って、昔から頑固なんだよねぇ。だからあの覚悟もそう簡単には変わらないと思うんだ」
だから、と湊先輩の背を哀愁漂う視線で見送ると、彼女は悲痛な笑みで言った。
「───アタシは、最後までその覚悟を見守るって決めたんだ」
その決意が篭った言葉は今まで聞いてきたどんな言葉よりも重く強かった。
「……」
「ま、またしらけちゃったね☆ じ、じゃあ、アタシもアクセショップに行くから、じゃねっ!」
今井先輩は手を振り顔を朱色に染めながら走り去っていった。
その背を見送ったところで、俺はライブハウスの方へ足を向ける。
大して俺が話をしたわけではないのに、聞いているだけでお腹いっぱいになってしまった。
そして、思い出すのは湊先輩の『妥協のない完璧なバンドを作る』という話。
「……完璧な音楽なんてこの世にはないのにな」
空々しい呟きは春風に溶け込んで、誰の耳にも届くことはなかった────
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♫〜♪〜♩……!!
ライブハウスの地下会場。
そこで行われているのは、数々のバンドが織り成す演奏会という名のライブ。
かなり初めの方から聴いているのだが、大体のバンドが学生ということもあってお世辞にも上手いとは言い切れない印象を受けた。
けど、観衆の熱狂は本物。歓声が地鳴りをあげて腹の底から響く音は人々の『感情』そのもののようで、非常に感激を誘われている。
それでも物足りないと感じてしまうのは、やはり実力が足りていないからだろうか?
いや、違う。音が軽いんだ。
軽音楽なのだから軽くて当然。そういうことではないのだ。ただ、一音の深さを彼等は理解できていない。音の怖さを経験したことがない。そんな音色では彩りを表現する幅が出ないだろう。
学生バンドだからそこまで高いレベルを求めているわけではないが、やっぱりモヤモヤと物足りなさが胸を埋め尽くしていた。
隣の湊先輩も実につまらなさそうにグラスの中身を煽る。その行為はあまりに凜然としていて、その中でも仄かな色香を漂わせて瞬間だけ視線を奪われてしまう。
実に美麗だった。
……中身がカルピスじゃなければもっと様になっていただろう。ちょっと残念。
続いてやってきたユニットの準備が終わり演奏が始まる。
期待値はさほど高くなかったが、ギターの音色を聞いた途端に耳が反応した。
ユニットの他の音色も混じるが、明らかにギターの音が際立って上手い。
超然とした『感情』は感じはないが、凄然とした圧巻な『技術』が備わっていた。
荒々しさとは程遠い清廉とされた淀みない音色で他者を寄せ付けない圧倒的な技巧能力が観衆の心を掴んでいく。
しかし、このギターの音色の良さも、他の人達の音によって半減されてしまっている。
ギターだけが異常に上手くて、後は話にならない。これほどアンバランスなバンドは滅多にないと思う。
『最後の曲です。……聴いてください』
ギターの子が静かにマイクに口を近づけてそう言った。
そして始まる最終曲。
ここでもバンドの内容にあまり変化はなかった。難しい曲調の部分でも大きなミスをせずしっかりアレンジを組み込んでいるのはギターだけ。あとは完全に置いてけぼりだ。
実力の差がここまで明確されたチームに未来はない……だが、あの難しそうなフレーズを容易く弾き鳴らす『技術』もそうだが。
この一音の『深み』。高校生が普通に練習して出せる音じゃない。
彼女から微かに映る情景は、その冷氷そうな表情とは真反対に熱き魂。
本人は隠してるつもりだろうが、素人の耳は騙せても俺のような半端者程度でもわかる。
あの人、毎日とんでもない練習量をこなしてる。
じゃないと、こんな深みは絶対に出せない。土台となる基礎の部分が段違いなんだ。
他とは重みが違いすぎる。
「乗せてくれるじゃねぇーか……」
「……えぇ」
湊先輩も同様の気持ちだったのだろう。彼女を観て深い関心を得たように頷いた。
『……ありがとうございました』
演奏を終了した彼女たちは、最後、ボーカルが感謝で括って退場し他のグループと交代する。
そんな中でもギターの子への賛辞が飛び交い止まない。
「紗夜────っ!!」
「サイコーォ!!」
サヨ? それがギターの子の名前のようだ。
名前を覚えられるほど有名な高校生ギタリストということは、やはりそれなりの実力者ということか。
「! ねぇ、あれって友希那じゃない!?」
「ほんとだ……隣の男の子は誰?」
湊先輩の名前が聞こえた気がする。そちらの方面に視線を向ければ複数の視線が湊先輩を見ていた。
やっぱりこの人も有名人ってところだろうか? 今朝、日々流から聞いた情報によると【孤高の歌姫】だったか……上手くて、けれどバンドを組むことがなくソロ活動を続けるアマチュアトップクラスのボーカリスト。それが湊 友希那。
おかげで周りからは忌避対象としても見られているのかもしれない。時々、陰口に近い言葉もちらほらと聴こえるが、湊先輩はどこ吹く風と颯爽と立ち去っていく。
俺もそれに続くように後ろをついていく。
奇異の視線が俺にも向けられるが、気にも留めずに追いかけた。
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追いかけた後、ライブ会場の熱気から一気に気が抜けたのか雉撃ちに行きたくなったので、一度湊先輩と別れて後でフロントに落ち合う事になっている。
「ふぅ……」
手を洗ってから便所を出て持参した手拭いで水分を拭き取り、廊下を歩く。
ジャンジャンと時折音が聴こえてくるので、ライブは続いているのだろう。
今の時刻は六時程度。さらに湊先輩にピアノを聴かせるとなると、流石に晩飯は要らないと、母に一報を入れておく。
そもそも、ライブハウスにアコスティックピアノがあるのだろうかという疑念は拭いきれないわけではないが、わざわざこんなところに連れてくるのだからある筈だ。
そんなことを考えながらフロントへ足を向けていた俺だが、途中で湊先輩の後ろ姿が映った。
こんなところで何をしているのだろうか? 疑問を抱いた俺は彼女に近づく。
すると、彼女の前には先ほど、圧倒的な技術力を見せつけていたギタリスト……確か、サヨと呼ばれていたか? とにかく、その少女がなんとも言えない表情で立っていた。
そして────
「紗夜って言ったわね。貴女に提案があるの」
湊先輩はそっと手を胸に添えて言った。
「私達(・)とバンドを組んで欲しい」
「「……え?」」
どうやらこの時、サヨという子と俺の思考はシンクロしてしまっていたようだ。
しかし、思考停止時間は俺の方が些か長かったようではっとした彼女はたじろぎながらもやんわりと断りを入れた。
「……すみませんが、あなたの実力もわかりませんし、今はお答えできません」
だが、この程度では【孤高の歌姫】様は怯まない。彼女のことを諦めるつもりが毛頭ないようだ。
「私は湊 友希那。今はソロでボーカルをしていて……『FUTURE WORLD FES.』に出る為のメンバーを集めているの」
湊先輩ら真剣な眼差しで目標を告げる。
それに対し、サヨは俯きながらも頷く。
「私も『FUTURE WORLD FES.』には以前から出たいと思っています」
それでも、と続ける。
「……フェスに出る為のコンテストですらプロでと落選が当たり前の……頂点と言われるイベントですよね」
そんなに大きなイベントなのか。俺は目を瞠いて驚いた。
しかし、サヨの話はまだ続いていた。その際、何か悔やむような表情だった。
「私は今までいくつもバンドを組んできました。けれど、実力が足りず諦めてきた……」
ギュッと拳を握りしめる。彼女なりの決意の表れなのだろう。
それほどまでに、彼女は音楽に真摯的に取り組んできた。
と、なれば湊先輩の提案は受け入れ難いのはよくわかる。
きっと、『また、時間を無駄にしたら……』と思っているはずだ。
「私はもうこれ以上、時間を無駄にしたくない……」
ほらみたか、と頷く。
ここまでの会話を聞く限り、彼女の性格はトコトン真面目だ。
音にもそれが如実に現れていたからよくわかる。通常のギタリストと比較しても感受性が比較的豊かとは言えないが、正確無比さなら誰にも負けない自信がある。そんな音色をしていた。
俺の感性になるが、そういう人は根っこからの生真面目な人が多い傾向にあると思う。
「ですから、それなり実力と覚悟のある方でなければ……」
「あなたと組めばいける。私達(・)の出番は次の次……聴いて貰えばわかるわ────日神、行くわよ」
クルッと振り返ってこちらに歩み寄ってくる湊先輩。
……ん?
「え? ちょっ待って。マジ待って。私“達”?」
「当然、貴方も弾くのよ。伴奏者として」
「はいっ!?」
「昼の続きよ。私にあなたの音を聴かせて」
え、何言ってんのこの人。頭沸いた? なんの前振りもなく突然、伴奏者として演奏しろとか、無理難題にも程がある。
そんな俺の困惑を見透かしてか、湊先輩はきっと睨んで真剣味を増させて難題を押し付けてくる。
まるで『貴方に逃げ場はない。大人しく観念なさい』とでも言いたげだ。
それでも、どうしてだろうか?
この人の楊梅色の瞳を見ると、どうして何も言えなくなるのだろうか?
『はい』も『いいえ』も言えぬまま、立ち尽くすだけ。
「……あと、弾いてくれたら何か奢ってあげる」
「喜んでやらせていただきます!」
「がめつい男……」
引き気味の湊先輩とは対照的に、俺の心はルンルン気分である。
相手が女子であろうと、俺は容赦をしない。奢ると言ったからには相応の物を提供してもらいましょうか……はっはっはー。
「待ってください!」
そんな湊先輩に待ったをかける人物……サヨは捲し立てるように言葉を紡いで湊先輩の足取りを止めた。
「たとえ実力があっても、あなた達が何処まで本気なのかは、一度聴いたくらいではわかりません!」
正論だ。たった一度でその人の気持ちを完璧に悟るなんて出来やしない。それが普通のこと。
ただし、それは一般向けの話である。
「それは私が才能があってもあぐらをかいて、努力をしないような人間に見えるということ?」
ヒュォォ。と、湊先輩の雰囲気が一瞬にして冷たく変貌した
そこに在るのは、湊 友希那という“人間”ではなく、“ボーカリスト”の湊 友希那が圧倒的なオーラを纏って佇んでいる。
恐怖とはこのこと。俺は身も毛もよだつ思いで肩と膝を同時に震わせた。
他者を寄せ付けない濃密な存在感が空気を完全に支配する。
「私はフェスに出るためなら何を捨ててもいいと思ってる。あなたの音楽に対する覚悟と目指す理想に自分が少しも負けているとは感じてないわっ」
ゴクリと、湊先輩の強靭的思想を前にしてサヨは生唾を呑み込み、眼を瞠いた。
そのおかげだろう。彼女は間を空けてから、
「……わかりました。でもまずは一度聴くだけです」
渋々と言った感じで納得したようだ。交渉は半分成立といったところか。
もし、一度聴いて分かり合えなければそれまでのことだったということだ。
「いいわ。それで充分よ」
湊先輩もそれで納得したようで、その場を離れてそう言い残して去っていった。
俺もその後に続くように歩みを進めたが、
「そこの貴方、待ってください」
サヨに呼び止められる。
「……なんですか?」
クルッと振り向き、呼び止められた理由を訊ねる。
彼女は見た時から変わらぬキリッと面立ちのまま唇を開いた。
「貴方の名前はなんですか?」
……まさか、俺の名前を訊ねられるとは思わなかった。驚いて、少々動揺したが直ぐに持ち直して隠す必要もないので普通に名乗る。
「日神です。日神 剣……それじゃあ、失礼します」
「……日神?」
最後にペコリと頭を下げて、その場を立ち去る。
彼女は何か思案顔に染まっていたが、俺は気にせず湊先輩の後を追った。
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「……やっぱ電子ピアノしかないですよね」
「そうね。流石にライブハウスでアコスティックピアノは用意できないわ」
「ですよねぇ……」
出番が次になったため舞台裏に移動してきた俺達。
急遽、舞台に立つことになった俺は、湊先輩のような私服のような衣装がなく制服姿でやる羽目となった。完全に高校がバレるという拷問を受けて、これで個人情報が無惨にも晒される訳だ。末恐ろしい。
挙句、ライブハウスというバンドマンが集う場所に、重楽器のようなアコスティックピアノを舞台に急に用意できるはずもなく、貸し入れた電子ピアノを使用することとなった。当然、ガックリと項垂れたのは言うまでもない。
しかもだ、予定していない緊急伴奏ということで電子ピアノの調整をしている時間がなかった。つまり、鍵盤に一切指を添えていない。実質、ぶっつけ本番の演奏になってしまう訳だ。
ま、そこはコンクールでも慣れないピアノで弾くのだから大きな問題にはならないと思うが……やっぱり、一音だけでも合わせておきたい気持ちは常にある。
「湊先輩」
「なに?」
「俺、足引っ張ると思うんで、サヨっていう人スカウトできなかったらごめんなさい」
ここは素直に謝っておこう。
うん、一度も触れた経験のないキーボード。どんな音色か予想が付かない上に鍵盤の押し幅も理解不能。となれば、舞台慣れしている彼女に引けを取るのは必然というもの。
「あなたなら、大丈夫よ」
しかし、彼女は俺の心配などどこ吹く風と言ったように全幅の信頼を寄せてくる。
どうしてそこまで俺を信用できる?
思えば、この人の俺の評価は最初から思ったより高かった。
一日二日の関係だが、湊先輩が音楽に対して非常にストイックな人だってことはわかる。
そんな彼女が、登校初日に奏でた音楽室での俺の演奏を素晴らしいものだと褒めてくれていた。
ただ、今回は同じ鍵盤系統でも毛色が全く違う。楽器が違う。弾き方も異なれば音色も違う。コンクールと違い静聴してくれるような舞台ではない。
俺にとっては全部“未知”だ。失敗しない訳がない。
それでも湊先輩は、俺に対しての評価を一向に変えようとしない。
この人が見据える俺はもっと上の存在……実際はそんなことはないのに、彼女はそう思っているというのか?
だけど、そうだなぁ……
「? どうしたの?」
「いえ、なにもないですよ」
────過剰期待されるのも、悪くはないな。
「では、湊友希那さんと日神剣さん! 演奏が終わったので準備の方お願いしますっ!」
スタッフの呼び声に心臓が高鳴る。とうとう来た。と、ドクンドクン耳朶を打つ。
沸騰するように湧き上がる熱源が『感情』を刺激し、気分をハイに高揚させてきた。
「いくわよ?」
「うすっ」
さぁ、今日は観客達にどんな『感情』を伝えようか────?
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「友希那ーっ!!」
「きゃーっ!!」
うわぁ……凄い熱気。やっぱり友希那って凄いんだよねぇ。
月並みだけどそんな感想が浮かんでしまうぐらいに、友希那の人気はアマチュアの度を超していた。
もはや、プロでもおかしくないじゃないかって思えるぐらいに圧倒的な実力を誇るのが【孤高の歌姫】なんて呼ばれているアタシの大切な幼馴染……友希那だ。
音楽に対して真剣で、友希那のお父さん……おじさん達のバンドを排斥した世間を見返すためにずっと根を詰めて練習に励んでいる姿をよく見かける。
最近では、深夜遅くまで友希那の部屋には電灯がついていたりする。
もう、ゆっくり寝ないとお肌が荒れちゃうのに……そーゆーところは興味ないみたいで、いつもアタシが注意するんだけど、反応は薄いかな。
オシャレしたら絶対チョーモテるのに勿体ないなぁ。
アタシがそんなふうに思ってると、周りはどよめいた。
なんだろ。そう思って舞台に視線を移すと、どこか見覚えのある男の子がキーボードの前に佇んでいた。
友希那はソロでボーカルしてるから、こういう風に誰か後ろについて演奏するという光景はなかったと思う。
たしか、あの子、名前はツルギだったかな? 今日、友希那が連れてきていた子だった筈だ。
友希那が男の子を連れてきたからビックリしたけど、理由は概ね聞いてるから大体予想つくんだよねー。
ツルギのピアノに惚れ込んだって、友希那は言ってたけど実際はどうなんだろう?
周りは友希那が男の子をそばに置いてることが驚きみたい。変な噂がたたないか心配だなぁ。
ツルギはなにやら、キーボードの電源を落とした状態で音を出さずに鍵盤に触れてるみたいだけど何かちゃんとした意図でもあるのかな?
そう思っていたら、どんっと軽い衝撃が背中に掛かった。
「あっ、ごめんなさい」
「いえ……こちらこそ」
横を見たら凄く美人な子がペコっと頭を下げて謝罪を入れてくれていた。どうやらぶつかったらしい。
けど、アタシもボーッとしてて不注意だったのは事実だから慌てて謝りかえした。
それにしても、友希那が心配になって結局ここにきちゃったけど……友希那の歌にツルギが入ってどうなるんだろ?
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ざわざわ……。
凄い熱気……こんなにファンがいるの……?
あたりを見渡しても人、人、人……。これだけ人で埋め尽くされた光景はそうはないだろう。
しかも、こんなに押しているのに観客達は全然騒がない。
……みんな、あの子の歌を待っているみたい……。
ただ演奏が上手いだけじゃあ、人は靡かない。あの子はそれだけの『何か』を持っているのかもしれない。
そう考えて、もう一人……今もキーボードを懸命に触れている彼を見る。
日神……剣。彼はそう名乗っていた。
どこかで聞いたことのある名前だ。思い当たる節はあるはずなのに、喉元寸前で出てこない奇妙な感覚に顔を顰めてしまう。
一体、どこで……?
「りんりん! こっちこっち!」
そんな大きな声に、私の意識は現実に引っ張り戻される。
「ここにいれば押されないからねっ。……って、りっ、りんりん!?」
「人が……たくさん……うち……に…………帰り……た……」
「わ、わわわ〜〜! り、りんりんの顔が青い────! りんりんしっかりしてぇ! 友希那の歌を聴くまで死んじゃダメだよぉ〜っ!」
スゥ……と今にも意識を失いかけているのは……たしか同じクラスの白金さん……?
もしかして、彼女もファンなの?
それにしても隣の子が騒がしい。このままでは音に集中できない。
「ちょっと、貴女達静かに……」
だから、そう注意を促そうとした時だった────
ポォーーーン♫
……たった一音。
けれど、その一音で先程までの熱気が嘘のように霧散した。
な、にが……?
ありえないほどに澄み渡った一音に慥かな清涼感を覚えた身体から緊張という名の力みが消え失せていた。
どうなっているの理解できていないのは私だけではない。隣の人も唖然と口を押さえている。他の人も同様に黙り込んでしまう。
たった一音で騒乱の世界を鎮めてしまった。
それを引き起こしたのは、日神と名乗っていた少年が指を添えた鍵盤。
彼は不敵に笑ってボーカルの彼女にアイコンタクトを送り、曲が始まる。
鈴木このみ:【This game】
キーボードの前奏から始まる曲らしい、彼がそっと鍵盤に指をおとす。
そして、その瞬間……。
空気が、色彩が、世界が変わる。
軽快なリズムでありながら、神聖さすら覚える一音の重みが心に深く抉り込んだ傷跡を残す。
瞬間にして舞台を掌握したキーボードの音色に、彼女の……湊友希那の声が重なった。
この瞬間、さらに彩りが豊かになる。
これまで聴いたことのないハイレベルな演奏が、私の理想がそこにはあった。
言葉一つ一つが、伴奏に乗って、情景にかわる。色になって、香りになって、世界になる……そして、会場が包み込まれていく。
魅せたい情景がそれぞれ違って、まるで音同士で殴り合っているようで……それでも強者しか立ち入れない領域に、人は目を奪われる。
……『本物』だけが踏み入れることの出来る最凶の共演……っ!
───やっと……見つけた……!
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『俺、足引っ張ると思うんで、サヨって人スカウト出来なかったごめんなさい』
誰が足を引っ張るの……?
本当に冗句は勘弁してほしいわ。
こんなバケモノじみた音に対抗する私の身にもなってほしい。
あの言葉はやはり虚偽だったのか、いざ始まってみれば途轍もないプレッシャーで、常に伴奏で音を引き摺り出される。
この曲はピアノが主旋律を奏でる箇所が多い。ピアノ主体の構成になっているけど、やはり肝はボーカル。
歌詞に込められた言葉を紡ぎ、音に乗せ、周囲に響かせるのがボーカリストの役割であり、主旋の私の仕事。
いい加減にしなさいよ、伴奏者。
少し恨みがましく視線を送るが、日神は全く見向きもしない。主旋の私を喰らおうと、副旋が音を呑み込み始めた時は、凄く慌てたわ。
貴方の『感情』は、こんなに自己主張が強いのね。
いつもより汗が滴る量が多い。消耗が激しいのか? そんなこと、気にしていられない。
一瞬でも気を抜けば、今なお勢いを増し続けるキーボードにすべて喰われるから。
鳴り響く『感情』と、卓越した『技術』が彼の音を構成し、“日神 剣”という音楽家をバケモノへとのし上げていく。
……羨ましい限りだ。
ただ無邪気に、音楽を習ったばかりの子供のように瞳をキラキラと輝かせて笑みを浮かべる彼の姿に眩さを覚えた。
伴奏者……いえ、この場合は敵ね。
バケモノへと変貌を遂げた敵と真っ向から殴り合わなければならない恐怖は確かにある。
けど、上等じゃない。
最後まで付き合ってあげる。
勝ち負けなんてなかったはずなのに、私は無性に日神の音に対抗するために魂を込めて歌う、歌う、歌う!
彼の情景じゃない。私の情景を、魅ろっ!
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やべぇ……。
自然と流れるように運指がスムーズに働き、リズムや呼吸に一切の乱れはない。
絶好調とはいえないコンディショニングだったが、これが伴奏のいいところと言うべきか。
湊先輩の歌に煽られて、俺の『感情』がずっと昂り続けている。彼女の歌声が俺の上限を強引に引き上げてくれる。もっと先の領域に行けると、促してくる。
あぁ、足りない。まだだ。俺が見せたい『感情』は、情景はこんなもんじゃない。
魅ろ、魅ろ、魅ろ────っ!
俺の奏音をもっと魅ろ!
こんな感覚に入ったのはいつぶりだ?
もしかすれば初めての経験だ。
ずっと弾いていたい、なんて……馬鹿じゃねぇの!?
あぁ、でも本当にずっと弾けるんだとするなら、馬鹿でもいいや。
けど、終わりも近いなぁ。どうしようかな……?
俺は一度だけ湊先輩の背中を見つめる。
その覇気と圧倒的なオーラを見て、笑みを浮かべた。
そうだよなぁ……あんたも決着つけたいよなぁ。
音楽家なら当然の心理だ。己の音を独占して魅せたいという願望は、音楽に携わるものなら誰にでも持ち得るはずだ。
これほど鬩ぎ合った音は、決して伴奏とは呼べない。
ただの殴り合いだ。これが何かのコンクールやコンテストなら落選確実の音。
けど、今は違う。全力で主旋を叩き潰してやる。
本能で導き出した答えに促されるままに鍵盤を叩く。最大の喜楽の『感情』を爆発的に放出し、音に乗せる。
それでも、まだ湊先輩の世界は健在。
ちくしょー! やるじゃん!
なら次は────
と、思っていたところで不意に、俺の指は止まっていた。
あれ? なんで俺の指が止まってる?
あたりを見渡せば、湊先輩も歌うのをやめていた。
気づかなかったが、どうやら決着が付く前に歌が終わってしまったらしい。
シーン……と静まり返る会場。
しかし、次の瞬間─────
ワァァァァァァァァ!!
「ブラボォ!!」
「友希那────っ!」
「男もよかったぞー!!」
ドッ!! と会場が湧き上がった。拍手喝采が巻き起こり、俺たち二人への賛辞があちらこちらで飛び交う。
『はぁ……はぁ…………ありがとう、ござ、いました』
息も絶え絶えで、頭を下げて挨拶を済ませた湊先輩はヨロヨロと舞台裏に移動する。
俺も状況に頭が追いついていないが、いそいそとその場から立ち去る。
そして、客から姿が見えなくなったところで膝から崩れ落ちる。
そのさい、頭が若干フラフラしていたのは気のせいではないだろう。
先程までの高揚感は嘘のように消え失せ、今では酸欠気味なのか吐き気が凄まじく気持ち悪い。
けれど、これだけは言える。
「はぁ……か、はっ……湊……せ、んぱい……サイコー、でした……ね」
「……ふぅ……えぇ、そう……ね」
こうして、俺と湊先輩の初めてのセッションは幕を閉じた。
半分に分けるべきでした……
今からでもしようか迷ってます。