「……人混み、凄くないか?」
ショッピングモールにて。
珈琲店の一件から紆余曲折あって漸く解放された俺は昼飯を食い逃し、時間も時間なので買い物だけ済ましに来たのだが。
「これは、エグいな」
見渡す限り人、人、人……! 辺り一面が人波であふれていた。
流石は休日のショッピングモールと言ったところだろう。客層を見れば、家族層だけではなく、友人間での買い物や映画で足を運んだ学生も少なくない。
人酔いしやすい質をしているわけではないが、これは一人だと気が滅入るかもな。と、苦笑を交えてスーパーマーケットエリアに足を運ぶ。
今日の献立は何にしようか……。食品売り場にて、カゴを持ち歩きながら今日の献立を考える。
ぶらぶらと見ていると、値段欄に一回三〇〇円で詰め放題と記載されている野菜ゾーンに突入した。
案の定というべきか、そこは値段に飢えた主婦層で溢れかえっている。
「ドケェッ!!」
「ソレハワタシノダッ!!」
「ツメロツメロ!!」
血走った彼女達。それを遠目で立ち竦む夫&子供達。プルプルと肩が震えていて可哀想だ。しかし、これは戦争。一つの終末論。弱音を吐けばつけ入れられ、途端に食品争奪戦から剥離されてしまう。
ありとあらゆる激安品を取り揃え、尚且つ家族に満足いく逸品を作り上げる……そうするためには、同じ志を持つ他の主婦方を駆逐するしかない。
その戦場に覚悟亡き者は、立ち入ることすら出来ない。
とはいえ、俺とてこのまま傍観に徹しているわけにはいかない。
こちとら、昼飯も食い逸れた身……晩飯くらい安く贅沢に済ませたっていいだろう?
「シャウラァァァァ────ッッ!! そこ退けやぁぁぁぁぁ────っ!!」
覚悟を決め、荒ぶる主婦共の間を縫うようにして強引に突っ切る!
「チョッ⁉︎ ジャマヨ!」
「ガキガイキガルンジャナイワヨ!!」
人波という荒波に揉みくちゃにされ、あっという間に引っ掻き傷や打撲が身体のあちらこちらに出来るが気にも留めずに合間を縫い、目的の場所に到達。
だが、これで終わりではない。
次の関門は、この荒れ狂う猛者達の狂腕からかい潜り数々の野菜達を掴み、それをこの小さな袋へ効率的に詰め込まなければならない。
常人ならば辿り着くことふら到底不可能な狂地にて。
さらなる難関を前にして、諦め離脱する主婦も少なくはない。
今もこうしているうちに目的の野菜が瞬く間に奪われ、逆脱された主婦は俯きながら去っていく光景がそこら中で広がっている。
…………それがどうした?
この程度の修羅場……とうの昔に経験済みだ。
わかるか? 親から本人に相談なしでいきなり初コンクールに出場させられピアノを大勢の前で弾かなければならない恐ろしさが……。
わかるか? 目付きが鋭いだけで女からは一線引かれ、男からは拳が飛び交う世界へと強引に連れ出される地獄が……。
舐めるなよ、主婦共。
ぱぱっと眼前の野菜を保持し、小さくバランスの取りにくいジャガイモを均等に袋へと敷き詰めていく。
「ナッ⁉︎」
「ハヤイッ!!」
驚愕に染まる主婦達。そして俺の腕は霞むほどに加速し続け、ついには自身でさえ目がついてこない速度にまで達してしまった。
ニヤリと勝ち誇った笑みを浮かべる。
次々に今週いっぱいの食材達を袋一杯に詰め込んで、それでも溢れ出んばかりの勢いで勢いで敷き詰め店員に見せる。
合格基準は五秒間で手を離した状態で崩れたり溢れたりしなければOK。だが、五秒以内に崩れればその時点でやり直しだ。
「アンナノタオレルニキマッテル!!」
「アワレネ!!」
端々からヤジのようなものが飛んでくる。
しかし、そんな嘲笑は虚しく五秒が経過。野菜を詰め込んだ袋は普通に立ったままだった。
「ソンナバカナッ!」
「ズルヨッ!! ズルッ!」
「キィィィィィ────ッッ!」
絶叫に近しい声を上げながら現実に撃沈する主婦達。
勝ったな。
少しうざったらしく口角を上げ、店員から詰め込んだ袋を受け取り、買い物カゴに入れる。
その際、凄まじい殺意が篭った視線が随所から襲いくるが、どこ吹く風でそそくさとその場を離れた。
とりあえず、これで一週間分の野菜は十分に補填できたのでよしとする。
その後は、一通りの食品売り場を周って補充分の食材を出来るだけ買い、生活用品エリアへ移動。洗剤、トイレットペーパー、箱ティッシュ……その他諸々の生活用品をカゴに入れてレジへ向かい精算。
作荷台にて。買った品々を丁寧に整頓しながらエコバックに詰めていく。卵が割れたらたまったもんじゃない。
パックの中で黄身がぐちゃぐちゃになんだ……。しかも、使い物にならなくなるのは嫌だから火を通して食べるけど卵すぎて次の日から食べたくなくなる現象。一般家庭だとよくあることだと思う。……ないか。
単純思考だが、大抵のものは焼けば衛生面的に大丈夫と考えている俺の思考は間違っているのだろうか?
品々をエコバックに詰め終え、ずしりと重い荷物を持ち上げる。
出口あたりまではカートに乗せて行こう。そう考えてカゴだけを返却し、カートに荷物を下ろす。
こうしてゴロゴロと荷物の乗ったカートを押し、出口に向かっていた時だった。
「あれ? ツルギじゃん」
名前が呼ばれた方へ振り向けば、そこには以前と変わらずニコニコと笑うギャル娘……今井先輩がいた。
☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎
「それにしても、新しくできたショッピングモールで再会するなんて凄いぐーぜんだね☆」
「……そうですね」
「あ、買い物してたんだ! もしかして一人暮らし?」
「いえ……今日から親がどっちとも出張しているので」
「へー! 自炊できるんだ。意外〜☆」
ショッピングモールからわずかばかり移動し、大型チェーン系のファミレス店にて。
昼食代わりのドリアを頬張りながら、対面に座する高校の先輩と何でもない雑談を交わす。
とはいえ、俺個人的には、さっさと杭終わらせて帰る気満々なのだが、今井先輩がそれを許してくれない。それほどの質問攻めである。どうしたら、そんなに喋れるのだろうか?
少しだけ、視線を向ける。
すると、彼女は微笑みを浮かべてきた。
なんだか、気恥ずかしくなってそっぽを向いてしまう。
「アハハ! 顔赤らめちゃって、照れてるの? 可愛いとこあんじゃん」
「……揶揄わないでください」
これだから、陽キャの年上女子はちょっとだけ苦手なんだ。
簡単に、俺が作った壁を突き破って侵入しては様々な話を折り込んで……果てには勝手に干渉してくる。別にそれが悪いとは思わないが、俺自身は干渉されることが少々苦手なので、是非ともやめていただきたい。
「あ、そういえばさ。聴いたよぉ〜☆」
「?」
「友希那とツルギの演奏!」
「……そうですか」
「もの凄かった! あそこまで友希那に合わせられる人って初めて見たな〜」
今井先輩は華やかに微笑って、そう言い───
「……アタシじゃあ、友希那にあんな楽しそうな顔で歌わせてあげることが出来ないや」
───続けて、少し哀愁を漂わせる声音で、そう小さく呟いた。
やはり、彼女は……いや、今井先輩に拘らず湊先輩も含めて、この人達には昔、なにか暗闇の底へ放り込まれるような出来事があったのだろう。
そんな無明の中でも、この人は暗がりで足掻き続ける大切な幼馴染の為にと、自分を奮い立たせては献身的に支えてきた……けど、それは幼馴染みの横ではなく後ろから。後方から支援することに方針を切り替えた。
なぜなら───
「ツルギは凄いね。あんなにピアノが上手に弾けて……周りも……友希那も盛り上げられる実力があって……アタシだったら、きっと友希那の邪魔にしかならないから」
───彼女自身が、湊先輩の演奏理念に押し潰されてしまった張本人に他ならないからだ。
苦しそうに顔を俯ける今井先輩に掛けるべき言葉が見当たらず、俺はドリンクコーナーから淹れてきたブラックコーヒーで乾いた口を潤す。
味わい深さや、仄かに鼻腔を掠める香りは、先程、珈琲店で味わった一品と比べれば粗末なものだが、今の居心地の悪さを誤魔化すぐらいには落ち着きを持たせてくれた。
「あ、アハハ……ごめんね? また湿っぽくしちゃったね」
自嘲気味に苦笑する今井先輩に向かって、ホッと一息つき一言だけ告げる。
「俺は、湊先輩を立てることなんて出来ませんでしたよ」
「え?」
今井先輩は瞠目したように、目をぱっちりと瞠いて、俯き気味だった顔を上げた。
「俺が……俺達が出来たのは観客が盛大にアガるだけの喧騒曲。コンクールやコンテストでやれば一発退場になりかねない、ただの戯れと何ら変わりません」
「……それでも友希那が一緒に盛り上がってたのは事実だよ……違うの?」
「盛り上がってましたよ……けど、彼女が見ている先は、もっと上だ。……ご存知でしょうが、湊先輩が目指している場所は、恐らくあの時の和気藹々な世界ではなく、もっと上の……頂上の世界です」
期待と焦燥……色々な感情が入り混じった表情のまま俺の話を聞く今井先輩。
彼女なりに、音楽は何かと思うことがあったのだろう。でなければ、これだけのコミュ力を持ちながら、湊先輩との距離感だけ掴めきれていないというのはおかしな話だ。
口振りやネイルの端からほんの少しだけ見える小さな傷から、彼女が音楽に精通していたことが分かる。
それも、湊先輩を横から支えたいと考えていたのなら彼女に置いていかれないように、指がボロボロになるまで懸命に練習をしただろう。
それでも湊先輩の才能とセンスには遠く及ばなかった。
決して、追い抜くことは愚か、追いつくことすら出来ないと悟っていた筈。だとしても、せめて横に立つ権利ぐらいは、彼女が笑顔で音楽を奏でられる手助けぐらいは……。と、小さな切望を叶えられるぐらいには、と考えていたのかもしれない。
だが、現実は残酷で……そんな今井先輩の小さな願いすら呑み込んでしまうほどに、湊 友希那の音楽理念は想像を絶していた。
「俺では、彼女の横に並んで同じ情景を共有して音色を奏でることは出来ない……最初ならば演奏技術でも到底賄える領分にあったとしても、必ず途中で音が破綻し、鬩ぎ合ってしまうでしょう。それでは、彼女が望む本来の音色は絶対に生まれません」
だから……と、俺は直情的に今井先輩を見る。
「今井先輩が俺をどれだけ褒めちぎったり、自身にその力がないと貶めて俺にその役割を託そうとしたって、俺が彼女を支え奏でるなんて不可能です」
「……っ!」
「湊 友希那という演奏家の本懐を理解することが出来るのは、きっと日神 剣の演奏家なんかじゃない……彼女のことをずっと見続けてきた人───理解者にこそその役割は相応しいと、俺は思いますよ」
最後に微笑んで……
「もう一回ちゃんと、湊先輩の音楽性と向き合ってみたらどうですか? まだ出会って間もない後輩の助言なんて信用ならないかもですけどね」
……そう言った。
「……ま、そういうことなんで。俺はこれで失礼します」
……なんだか小っ恥ずかしくなった俺は、早々に立ち去るべく、レシートに記載されていた金額を今井先輩の前に置き、そそくさと出口に向かう。
「ねぇ」
しかし、今井先輩はさっさと歩き始めた俺の背中に向かって呼びかけてくる。
「友希那の目標は分かってるつもりなんだけどさ、ツルギの演奏家として目指しているのは何かな?」
その問いかけに、俺は一切の躊躇なくこう答えた。
「───聴いてくれた人に、俺の観ている世界を伝え魅せつけることです」
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「ふぅ〜……なんだか疲れたなぁ」
帰宅して、バフッと、着替えも荷物の整頓もしないままアタシはベッドに力無く倒れ込んだ。
じんわりと疲れが分散されていく気がして、そのまま意識を手放しそうにな……った寸前のところではっと起き上がる。
まだ晩御飯も食べてなければ、お風呂にも入ってないのにアタシは何を寝ようとしてるんだ!
ダメダメ。頭をブンブンと強めに振りながらベッドに腰掛ける。
眠気との格闘にひと段落つけ、見慣れ過ぎた筈の部屋を意味も無く見渡してみた。
そこそこ手入れの行き届いた部屋で、最近の女子高生なら当たり前のような化粧品用具やネイル、ファッション雑誌の数々が丁寧に揃え置かれている。
やっぱりこうしてみると、ベースに打ち込んでいた中学時代とは全くの別物だなぁ……と、感慨深く感じるのと同時に、何処か心虚しさも覚えた。
どうして突然こんなこと感情がふと湧き上がったのだろう?
自問してみても、答えは見つからない。
ただ一つ、思い当たることがあるとすれば。
ショッピングモールで偶々、再会しただけの後輩と話をしたことぐらいだろうか?
日神 剣。不思議な年下の男の子。
何処か達観していて大人びた様子の彼と初めて会ったのは、友希那とCircleの手前まで歩いて行こうとした時だったけ?
あの時は、友希那が男の子を連れてきたからびっくりしたなぁ。
突然のことすぎて、頭はずっとパニクってた。
最初はちょっと風変わりした後輩男子だなぁ……って印象だったけど、案外話してみれば普通の男の子だと思った。
けど、それだけで友希那と話が合うものかな? って、疑心暗鬼になってたのも事実で、友希那が彼に騙されて変なことに巻き込まれてるんじゃないかって疑ってしまってた。
本当にピアノが弾けるのか……弾けたところで、本当に友希那に目をつけられたのとか、脅されてるんじゃないかとか……。
だって、その……言い訳かも知んないけど、ツルギって、色々とやばい噂が立ってたしね。
今ではそんなこと、嘘っぱちだって分かってるけどね。やっぱり心配だった。
ただ、そんな疑念はcircleでのライブ、ツルギのキーボードの一音を聴いた瞬間、一斉に晴れた。
人並みのことしか言えないけど……ただただ圧巻だった。
柔らかくて清涼感のある澄み渡った音色。身体を自然と弾ませてくる粒立った音色。神々しい情景を魅せる音色……とにかく、こんな音色を醸し出せる人が悪いはずがないと、アタシは心の中でツルギに対する罪悪感が生まれると同時に、嫉妬したんだ。
友希那と合わせられる技術もそうだけど、なによりも……友希那を楽しそうに歌わせたことに対する妬み。
アタシは、悪い女だ。
大切だから横で支えようとして、友希那の音楽についていけなくなって、勝手に諦めて、勝手に後方で見守ってただけなのに……アタシじゃ変えられなかったことに、どうしようもなく欲深く妬んで……ホント、意地汚い。
ホント、ツルギには悪いよね。自身勝手な理由で妬まれてるんだもん。罵られたって、何も言い返せないや。
『──理解者にこそ、その役割は相応しいと、俺は思いますよ』
それでも、これは流石にズルイと思う。
アタシ達の事情なんてほとんど知らない筈なのに……アタシの心情なんて知らない筈なのに──
……なのに。
なんでそんな的確にアタシの心象を突くような言葉を掛けてくれることができるのか。
この時、日神 剣という“男の子”が分からなくなったのと同時に、日神 剣という“演奏家”が、アタシにバトンを託してくれたのはわかった。
「向き合う……か」
ポツリと溢してから、開閉式タンスを見る。
徐に立ち上がってタンスを開ける。そして、奥底にしまった埃のかぶったそれを取り出す。
「うわぁ……やっぱ埃まみれでヤバいことになってる」
埃を被って古ぼけてしまったアタシの紅色ベース。暫くの間放置していた因果だろう。
出来るだけ、舞い上がった埃を吸わないようにして、埃を取り払い手に持ち、ストラップを肩にかける。確かな重量感が身体に掛かり、懐かしさが込み上げてくる。
……少しだけ音を鳴らす。
ボォーン♪
久しぶりの感触に、胸が微かに跳ねた。
今度は覚えている範囲で音を自由に鳴らしてみるが、やはり所々が拙く、指に力が入らない。
「アハ……当然、下手糞になってるよね……」
自虐的になりながらも、またベースを掻き鳴らす。手入れの行き届いていない相棒は、何処か音色が歪で長年放置していたことを怒っているようだった。
けれど、この久々な感触はアタシの虚心を、確かな満足感で満たしていく。
その日、アタシはお母さんに呼びかけられるまで夢中になってベースを奏でてしまっていた。