朝──。
今日は何の偶然もなく起き、何の偶然もなく登校に成功した。何故か信号にはまる事も、何故か工事中で迂回路を取らされることもなく、である。
一度小さな地震があったらしいが、歩いていると小さな揺れというのは気にならないもので、全く気付かなかった。もう少し危機管理能力を上げたほうがいいかもしれないな。
ただまぁ、多少、心の痛む出来事というか。
幼い頃。俺がこの世界に気づく前の幼少期に、お世話になっていたお兄さんがいた。
今は花屋を営むその人には、俺も妹もとてもよくしてもらっていた──のだが。
「……やぁ、彩人君。やっぱり君も、この道を通って学校に行くんだね。なんだか嬉しいよ」
「……」
「彩人君?」
「あの、急いでるんで。話しかけないでもらっていいすか」
「──」
まぁ、そういうことである。
俺の噂は耳にしていたのだろう、思ったよりかは好意ゲージが低かったが、それでも半分近くあった。
毎日通る可能性のある道だ。毎度顔を合わせていては、上昇するも減少するも悲惨な未来しか見えない。
だから、ごめんなさい。
心の中で謝って、歩を早める。振り返らない。手も上げない。ポッケに突っ込んだまま、そのまま。
「……昔はかわいい子だったんだけどなぁ」
小さく呟かれたその言葉に、もう一度ごめんなさいと謝った。
さて、今日は委員会決めという好意上昇イベントの発生する日である。
黒板に描かれたいくつかの委員会から入りたいものを選ぶのだが、「一緒になった生徒との好意ゲージが一ゲージ増える」という最悪のイベントである。まぁゲーム中に用意された好意上昇イベントは大体最悪なのだが。
何を選んでも結果は同じ、ということはない。
みんながやりたくないような仕事を選べばさらに周囲の人間の好意が上昇するし、暇そうなもの・人気の高いものを選ぶと「ランダムでほかの委員にならされる」というクソ仕様。抽選会はインチキ極まれりだ。
よって、何を選ぶかは最初に決めていた。
若干杞憂はある──が、他がどう考えても危ないので消去法だ。
「次──藤堂君。やりたい委員の下に名前をかいてください」
メガネの男性教師……もとい担任の言う言葉に従って、席を立つ。
一瞬のざわつき。
昨日の先輩殴打事件が広まりでもしたかね。
「ふむ」
「え──」
真横と後ろ。
俺がチョークを持って止まったそこにある文字に、担任のメガネと"もう一人の少女"が驚いた声を出す。いや担任は……まぁ、ゲーム中では"驚いた声"というテキストではあったから、驚いた声なんだろう。
「選挙管理委員会、ですか」
「……悪いすか」
「いえ、そんなことはありませんよ。では次、時旗くん──」
舞台装置かと見紛う程平坦に司会を務めるその姿に若干の畏怖を覚えながら、席に戻る。
一応好意ゲージは存在して、一ゲージ分、進んでいる。まぁ教師が生徒に好意がなかったらそれはそれで怖いわな。高くは、ないだろうが。
席へ着き、座り──感じる視線。後ろ。横。斜め前。チラチラしすぎ。
その中で、最もチラチラ……というかキョロッキョロしてるのが、少し遠方斜め前に座る少女。
俺と、その少女の後ろの席に座る少女をキョロキョロキョロキョロと見比べている。
その顔は、困惑……というか、絶賛困り中だな、あれは。
「では、これで決定します。学級委員は安西くん、篠原さん。広報委員は柴田さん、池神君──」
彼女にとっての俺がどういう位置づけなのかはわからないが、少なくとも好印象ではないだろう。ゲージが物語っている。
……というか、ちょっとマズめ。あれはフォローしたほうがいいやつだなー。
「──選挙管理委員、藤堂くん、榛さん」
どうせこの後すぐに会う。
それでは一年、よろしく。
──"早速で悪いのですが、この資料を選挙管理委員長の元へ届けてきてください"
そう言われ、昼休み、俺と榛は二人で廊下を歩いている。
渡された資料の束はそれなりの量があり、どう考えても榛が持てる量をオーバーしていた。
ので。
「無理するな」
「へ……え?」
彼女の持っている資料を片手で持ち上げ、自分のものの上に乗せる。
主人公の体はバランス感覚も筋力も最高値であり*1、特に危なげなく持ち上げることに成功した。
そのまま、先ほどと変わらない速度で歩き出す。
「え、え……ちょっと、大丈夫だ、だよ?」
「こっちも、大丈夫だ」
君に持たせてるほうが危ない。
という言葉はもちろん言わないけれど……あぁ、良かった。
先ほどは1.5ゲージしかなかったゲージが、
| ♀ | 15。 | |
3ゲージにまで回復している。
十分だ。
「あ、待ってよ!」
それには答えず、スタスタと歩く。
……出来るだけゲージは2か3をキープしたい。1は……いつ死亡イベントが起きるかわからないから、怖すぎるのだ。
最低な行いであることはわかっている。でも、それを怠れば何が待ち受けているか。それを考えたら、やめることはできない。
結局榛に資料を返すということもなく、不在だった選挙管理委員長の席に資料を置き、こちらの所属をしたためた附箋を張り付けて、退室。
榛は教室へ戻るらしく、俺は購買へ昼飯を買いに行くため、そこで解散。
最後には"これからよろしくね"と言われるまでになっていた。
……あんまり好意を持たれても困るから、後々不誠実な行いをしておくべきかな。
購買でパンを購入し、今はまだ解放されていない屋上へと続く階段で一人、そのパンを食べている──時だった。
カツン、と。
誰かが階段を昇る音が響く。
別にここ自体は立ち入り禁止でもないため教師が来ても問題はない、と高を括っていたのがマズかった。
尤も高を括っていなかったとしても回避できたかどうかは怪しいが……。
「ねぇ、なんで?」
開口一番。疑問。
携帯端末に落としていた目を上げれば、足音の持ち主がそこに立っていた。
「なんでよ」
半分より上にあったゲージが、また一段。増えた。そして今もなお、チリチリと増え続けている。
それはふつふつと湧き上がる熱のように。
「……何がだ」
声を殺して問う。気を静めて発声する。
焦るな。焦らなければ問題はない。
焦らず冷静に──なだめろ。
「なんで──なんであの子には、あんな優しい声で!」
その子は。その少女は。今にも泣きそうで。
紙葉だった。紙葉美紅は、怒りと悲痛を混ぜた声で、問う。
「なんでよ。私にはあんなに冷たかったのに。そんな声、出せるなら。そんな顔できるなら……」
「お前は別に関係ないだろ」
マイナスのイメージによって勘違いされがちだが、嫉妬は好意の一種だ。
妬ましいという感情は、好意の上で成り立つものだ。
だから、増える。また1ゲージ。
「どうして? 私の何がだめなの? なんで? 別に好きじゃなくたっていい。ただ、優しい声をかけてくれるだけで。それでいいのに。なんで。あの時。守ってくれた時。助けてくれた時。なんで、あの声で……ねぇ、どうして……」
加速度的に好意が爆発している。本来はこんなにも大きな感情を俺に向けていたわけではないはずだ。だが、嫉妬によって好意ゲージが上昇した事で、
──ふざけた話だ。本当に。
この世界は好意ゲージに支配されている。それは言葉通りの意味なのだ。
「落ち着けよ。つか、黙れよ。こっちは飯食ってんだよ」
弁明をしてはいけない。じゃあ、私にもしてほしいという足掛けになってしまう。
優しさを見せてはいけない。それはそのまま好意ゲージの上昇につながる。
冷静に──冷徹に。
非情に徹しろ。隙を見せるな。
「痛かった。痛かったのよ。足、挫いて……あそこで座っちゃったのだって、座りたくて座ったわけじゃない。動けなかったの。ねぇ、なんでわかってくれなかったの? あんなに気遣いができて、あんなに優しいことができるのに。私は、私じゃ、ダメだったの?」
「黙れって」
止まらない。マズい。
冷徹はそのままに、冷静ではいられない。だってゲージが──。
「痛かったよ。帰るとき。帰るとき。ずっと辛かった。気付いていたんでしょ? 足、見てたもの。知ってた。でも無視した。なんで? 私が、私が、私がかわいくないから? 私の顔が気に入らない? 私の声が嫌い? 教えて。教えてよ。直すから。だから!」
「黙れっつってんだろうが!!」
──響き渡った。
主人公の肺活量──加えて、こっちの怒りの乗った怒声は、恐らくは校舎中。果ては隣の校舎にまで聞こえただろう。それほどの大声。
「──」
「……失せろよ。うるさいんだよ。飯くらい静かに食わせろ」
好意ゲージの上昇が止まったのを見て、心の中で安堵する。
恐怖が勝ったか……それでいい。
しかしまだ立ち去ろうとしない紙葉。
「失せろって。どっか行けって意味だ。わからないのか?」
泣きそうな顔で。
もう半分泣いた顔で、彼女は俺を見る。睨むように。
だから、止めに──殴った。
消火栓を。
「ぇ……ぅ、あ……」
ガッシャァン! と大きな音が響き渡る。
退く意思を見せるな。同情するな。
怒りを見せろ。
「もういい」
埒が明かないと、パンや携帯端末などを持って立ち上がる。
そのまま、固まったままの紙葉の横を通り過ぎた。
小さい声で、言う。
「お前、ほんとウザいわ」
……本当に、ごめんね。
そのまま階段を下りる。
教室のある階まで下りれば、やはり先ほどのが聞こえていたのだろう。
こちらを見つめる視線、複数。
それらすべてを無視して、自身の教室へと戻った。
放課後。結局教室には戻ってこなかった……保健室にいるらしい紙葉の事を気にしつつ、その資格もないな、と自嘲して帰り支度を整える。
といってもカバンに適当にものを詰めるだけだ。学業に必要なものはすべてロッカーに放り込んであるしな。
昨日割れた窓は新品になっていて、仕事が早いというべきかなんというか。
……弁償とかしなくていいのだろうか。いやまぁ俺が割ったわけじゃないのだが。
そうして、おもむろに携帯端末を取り出してニュースアプリを起動し──蒼褪めた。
近くの沖合で震度五──津波の心配はありません。
「……」
このゲームにはフラグといった"イベントの前兆"は存在しない。
だが、災害や天候には前兆がある。それはゲームシステムではなく、自然という意味での前兆だ。
たとえば、異常気象とされるほどの寒波が北上してきたり。
たとえば、好意上昇に伴って超大型の台風が近づいてきたり。
たとえば、小さな揺れ──前震が起きていたり。
破滅を齎す何かは、確実に。
目に見えるところにいるのだ。
……それを把握できていないのが、今回の俺の落ち度か。それに、もっと人目を気にするべきだった。
頼むから、死なないでくれよ、と願う。
もし──また、好意が0にまで落ちたら。
「……死なせてたまるか」
誰も。
それだけは、阻止しないと。
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