全ての大人たちが絶望の淵へ沈もうとするなか、毅然と顔を上げる少女がいる。
「だいじょうぶ! へいき、へっちゃらです!」
希望の炎を瞳に宿し、勇気の歌を胸に秘め、確かな未来を見据える少女たちがいた。
「さすが神世の聖遺物。一筋縄ではいかんかッ!」
「へッ、だったら次はいよいよあたしら真打の出番ってことだなッ!」
「こんな事態も想定内ッ!」
「悪い狼は、直接アタシたちで退治してやるデスよッ!」
「絶対に、みんなを護るんだ…ッ!」
彼女たちの雄姿を目の当たりにするは、大人の中の大人、風鳴弦十郎。
―――子供たちが諦めてないのに、大人が先に諦めてどうするよッ!
一度は消沈しかけた心を瞬時に立て直し、頬に不敵な笑みを浮かべて見せる。
苦しい時ほどしっかり笑え。
無理やりでも、目の前の絶望を笑い飛ばしてみせろッ!
「よしッ! 全員至急本部へと帰投せよッ! 次の作戦のミーティングを行うぞッ!」
弦十郎が子供たちの雄姿を見て奮い立ったように、S.O.N.G.の職員たちは弦十郎の雄姿を見て奮い立つ。
チフォージュ・シャトーの射出作戦自体は無為に終わったように見えたが、今のところ、こちらは何も失ってはいない。
人的被害は皆無。装者も、人類規格外の総司令もなお健在。
連日の激務の疲労を忘れ、または押し隠し、特殊部隊S.O.N.G.は次なる最終作戦の計画へと着手する。
総人員の半分は本部へと詰め、半分は日本国内の自治体や組織と合同で、国民の大規模な避難誘導を開始していた。
発令所で腕を組むいつもの弦十郎の姿に、己の魂に筋金を通して意気軒昂の防人たち。
「ここまで来たら、もう小細工は必要ねえだろッ?」
作戦と言えど、今更小手先のものを弄する時間も余裕もなかった。
クリスの勢い込んだ台詞は完全に正鵠だったが、古来より逸る若者を諌めるのは年長者の務め。
だったら早く行かせてくれッ! とばかりに訴えてくるクリスを、弦十郎は穏やかに受け止める。
「全力でぶち当たるのと闇雲に突っ込むのは全く違うぞ、クリスくん」
「ッ! だからって、他に手は…!」
「今回の場合、ガングニールの存在が大きく戦局を左右する可能性が高いのだ」
皆の視線が立花響へと集中した。
彼女の絶唱特性は、誰かと手を繋ぎ合わせることによって倍加するエネルギーベクトルの操作だ。
神に匹敵する力を産み出すために必要な、装者全員の力を束ねる要となる。
同時に、彼女の纏うギアはガングニールという神殺しの哲学兵装であり、北欧神話の主神オーディンの魔槍グングニルの欠片が基となっている。
そして今回相対する相手は、グングニルごとオーディンを飲み込んだとされるフェンリル。
ここに至り、単純な疑問が提起される。
神殺しのガングニールと、操り手ごとフェンリルに飲み込まれたグングニル。
実際に響がギアを纏ってフェンリルに立ち向かった場合、どちらの哲学、逸話が優先されるのか?
ガングニールに対してフェンリルが致命的な特効を持つ可能性は高い。
その危惧を未然のものとするため、過日の緒川は奮戦している。
つまるところ、装者が一丸となって立ち向かったとしても、中心となるべき響のガングニールが鎧袖一触されては勝ち筋すら存在しなくなる。
「…だとしてもッ!」
響は顔を上げている。
「正面から突破するだけです! いえ、やってみせます、してみせますッ!」
敢然と言ってのける彼女の姿には、歴戦の風格すら漂う。
なぜなら、過去の彼女は同様のことを何度もやってのけているのだから。
値千金の言葉に他の装者たちも、呆れながら、納得しながら、笑いながら、それぞれが同調している。
弦十郎も思わず微笑を浮かべかけたが、慌てて吹き消す。
まだ大きな懸念が二つ残されている。
「皆さんがシェム・ハを打倒するほどの膨大なフォニックゲインを生成してぶつけたとしても、あの台風の中心に半ば飲み込まれる形になるのは避けられないと思います」
フェンリルは終末の狼ということになっているが、いま、全人類に見えているのは台風という自然現象的な形だけ。
そんな概念的な存在に、神の概念のエネルギーをぶつけて相殺させるのが次の作戦の骨子となっているが、前回と違い、装者たちが極近距離まで近づかなければならないのが最大の差異となる。
その場合の危険性を、エルフナインは淡々と説明していく。
「先ほど一瞬だけ消滅したかに見えたフェンリルですが、再構成された瞬間のエネルギーなどの概算推測の結果、ブラックホールに匹敵するほどのデータが検出されました」
それが意味するところは、ほぼ無限に神性を吸い込み続ける惑星災害であることの証明。
先の作戦が無意味ではなかっただろうが、もたらされた情報はより絶望的なもの。
「もしこの推測が正しければ、中心はシュバルツシルト面が形成され、一度囚われれば光すら脱出できません。いえ、更に重力の特異点が発生して、そこでは何が起こっても予測不能な…!」
「え、えーと、エルフナインちゃん? いきなりそんな難しいこといわれても、ちょっと…」
「あッ! すみませんッ、その…」
「ごめんね、わたしバカだからさ~」
てへへと笑う響の背中を、ドンとクリスが叩く。その顔には笑顔が浮かんでいる。
「バカに余計な講釈はいらねえよッ。こいつは素のままが一番強ぇんだからなッ!」
かつてキャロルの展開した絶対防御障壁を「そんなの知ったことか!」とぶち破った実績が響にはある。
この場合の無知は、正しく力だ。
「するってーと! 行きは良い良い帰りは怖いってことデスか!?」
続くように素っ頓狂な声を上げたのは切歌。
「切ちゃん、それは
調が思わず嘆息するも、顔を赤くする切歌の肩に優しく手を置く翼がいた。
「いや、暁の云うこと天晴だ。いかに怖くても帰って来ようとする気概があるッ!」
その物言いに、今度はマリアが嘆息して天井を見上げている。
「まったく、とうとう翼までお気楽極楽に染まっちゃったわけね…」
「ふむ? 朱に交わるのは嫌いかマリア?」
「…嫌いじゃないわッ」
そっぽを向きながらマリアは腕を組んで見せる。
「そういうわけでエルフナインちゃん! 何だかよく分からないけど、無事に戻ってくるから安心してッ!」
「ですが…ッ! 皆さんが無事に帰ってこられる確率は
涙目になるエルフナインの頭をくしゃくしゃっとクリスが掻き回す。
「エルフナインがオーナインって、韻を踏んでいて良いじゃねえか!」
それから響たちを親指で指し示し、
「こいつらにゃ、小難しい理屈なんていらねえんだよ。成功するか失敗するかの1/2さ」
まあ、失敗することなんざ考えてもいねえだろうけどよ、とクリスは呵々と笑う。
「むう、クリスちゃん、自分だけ他人のフリみたいなの、ズルいよッ!」
頬を膨らませる響。
その頭にぽすっと手を置くのは弦十郎。
「…まったく頼もしい限りだよ、おまえたちは」
逞しい掌の持ち主を見上げて、響は拳を握りしめた。
「それじゃあ師匠ッ! さっそく出撃を…!」
「落ち着け。まだ、時間はある。それと、最後に一つ、全員に言っておかねばならぬことが残っている―――」
強い風が吹いている。
今にも泣き出しそうな黒い雲が立ち込める空のもと、週末にも関わらず街を歩いている人は驚くほど少ない。
それもそのはずで、東京都以下、全国の市町村に空前絶後の大規模避難命令が発令されていた。
1000万都市である東京も段階的な避難がなされていて、今のところ大きな混乱は起きていない。
繰り返されたノイズの襲来が、皮肉にも多くの都民にとって強い防災意識を持たせる結果になっていたようだ。
そんな不穏な天候の中、調と切歌は自宅へと急いでいる。
装者たちに12時間の自由時間が与えられていた。
一方で、S.O.N.G.職員たちは休息を取るどころではない。
ぎりぎりまで作戦内容を煮詰めるのはもちろん、都民の避難誘導も継続中。
なにより厄介なのは、一部の政治家や政府の要人が、退避場所としてS.O.N.G.の次世代潜水艦へ搭乗を熱望してきていること。
いざとなった場合の人命救助の観点からも、この巨大潜水艦の本来的な運用の一つではあるのだが、とても希望者全員を乗せるわけにはいかない。
それらの選別や身元の洗い出し、危険物の持ち込み、果ては補給物資の追加までと、人数が増えれば増えるほど、幾何学的にしなければならない作業も増えていく。
膨大な業務に押し流されそうな中で、少しでも自分のためだけに使えと弦十郎が用意してくれた、宝石よりも貴重な時間だった。
―――そんな弦十郎が、装者たちに伝えた最後の懸念。
それは、彼女たちが身に纏うシンフォギアシステムそのものに他ならない。
301,655,722種類のロックが施されたシンフォギアは、かのシェム・ハとの戦いに至り、バーニング・エクスドライブという形で発動した。
神に比肩するほどの凄まじいエネルギーを発生させる最終決戦形態は、かのイグナイト・モジュールと同様に、システムそのものへと負荷を与える。
事実、ユグドラル・システムの基幹から脱出する際に、その負荷のツケがシステムそのものを崩壊、機能停止させていた。
全てが落着したあとに、エルフナインの手で修復されてはいたものの、それはあくまで補修でしかない。
本来的には全て分解してオーバーホールでもしなければならないのだが、開発者である櫻井了子は故人であり、彼女以上に櫻井理論に精通し行使できる人間は存在しない。
結論として、現状で運用できているシンフォギア・システムも、いまひとたびバーニング・エクスドライブを解放した場合、どれほどその能力を維持できるか全く不明なのだ。
最悪、解放途上で負荷によるシステムダウンの可能性も否定できない―――。
翼はこの悪天候の中、父である八紘の墓参りへ赴く。
クリスは自宅へ戻り、軽く掃除をして両親の仏壇を拝んでいた。
響と未来もそれぞれの自宅へと帰り、家族との短い時間を過ごしている。
最後の作戦に対し、小日向未来も参加を表明し、譲らなかった。
エルフナインの中のキャロルも喪失しダウルダブラのファウストローブを纏えない以上、神獣鏡を纏った彼女の参加も必須ではあったが、バーニング・エクスドライブの件を聞いただけに、響は渋い顔をしていた。
響にとっては彼女こそ戻るべき場所で、守るべき陽だまりに他ならないのだから。
それでも、強く訴えてくる未来に、最後はお互いを護りあうことで一致したのは彼女らしい。
―――私の守るべき場所、か。
どうにか自宅へ帰りつき、切歌にタオルを渡して、自分も濡れ髪を拭いながら調は考える。
そんな彼女の前に、三匹がちょこちょこと歩いてきて出迎えてくれた。
思わず笑みをこぼす調の隣で、切歌が嬉しそうに語りかける。
「いや~、おまえたちは運がいいデスよぉ」
そんな切歌が抱えているのは、ペットの持ち運び用のケージだ。
帰り際、シャッターを降ろそうとするペットショップに駆け込んで、店主に拝み倒して購入してきたもの。
装者に対する特例として、二親等まで優先的に次世代潜水艦へ搭乗できる権利が与えられていた。
響と未来がそれぞれの実家に出向いたことも、それに由来する。
もっとも、彼女たちを除く装者はみな身内の縁が薄い。
それでも調と切歌が自宅へと戻ってきたのは、その権利を行使するため。
「潜水艦の中なら絶対に安全デスッ!」
二人は、肉親の代わりに、ペットである三匹の乗船許可を得ていた。
「そうだね。けれど、連れていく前に少しお片付けしなきゃ…」
今のトイレの後始末だけではない。もてる限りのトイレシートや餌も準備しないと。
「おっと、そうデスね! あと戸締りもしっかりしていくデス!」
まずは切歌に戸締りを任せ、調はトイレの後片付け。
猫用のプラスチックトイレを横にずらしていると、何やら小さなキーホルダーのようなものを発見。
ボタンを押せば「ワンワンッ!」と小太郎の元気な声が流れ出す。
以前に切歌が購入してきたオモチャであることを調は思い出した。
「切ちゃんったら、遊んだらそのまんまなんだから…」
軽く頬を膨らませ、洗面所の棚の上に置いておく。
どうにか後片付けを済ませてリビングへと戻れば、横殴りの風に乗った大粒の雨が窓をビタビタと叩いていた。
その向こうに見える景色は、盛大に街路樹や看板が揺れて、嫌でも不安を煽ってくる。
「…みんな、大丈夫デスかなあ」
切歌の言うところの『みんな』が誰を指しているのかは、調の思うところと完全に一致している。
近所のスーパーで働くおばちゃん。商店街の馴染の店のおじさんやおばあさん。
そしてリディアンの級友たち。
全てが、この国へ、この街へやってきて知り合いになった人たちばかりだ。
「きっと大丈夫だよ。みんなシェルターに避難しているみたいだし」
対ノイズ用のシェルターだ。生半の耐久力ではない。
にも関わらず、調の中の不安が鎌首をもたげてくる。
いまだフェンリルは日本に到達していないのに、この暴風である。
さらに神性を喰らうということだから、寺社仏閣が被害にあう可能性が高いと想定されていた。
そして日本には、大小含めれば、どれほどの神に紐づけられた建築物が存在することだろう?
そう考えれば、日本で本当に安全な場所など存在しないのかも知れない。
出来うるなら、全ての日本人に国外退去をして欲しかった。しかし、それはどう考えても不可能事。
「…そうデスッ! みんなして、お月さまに避難したらどうデスかねッ!?」
切歌の得意満面の提案に、調は月遺跡のことを思いだす。
カストディアンが建築した月の地下施設は、確かに人間が生きていける環境だったと思う。空気も美味しかったし。
シェム・ハに操られたヴァネッサの一撃で破壊されたはずだが、それに類するシェルターが、もしかしたら月にまだ無事に残っているかも。
「けれど、難しいかな。どうやったって月まで行くのは時間がかかるもの」
いまはテレポートジェムもない。戻ってきたときも、ノーブルレッドたちによる『哲学の迷宮』経由だったから短時間での帰還が叶ったわけで、本来ならロケットでも三日はかかる距離なのだ。
「でも、アイディアとして悪くはないんじゃないかな。一度、エルフナインに相談してみよ?」
嬉しそうに頷く相棒に頷き返し、ふと調はかつてエルフナインと交わした雑談を思い出している。
科学が神を殺そうとするのは、その神秘を否定する性質ゆえだそう。
その一番顕著な例が、人類の月面到着だ。
月は、全人類が目にしながら、絶対に届かない場所にある神秘的な存在だった。
しかし、人類は科学の衣をまとって、その神秘のベールを剥奪した。
月にはウサギも何も存在しない。ただの無機質な岩の塊だ。
世界各国に、月に纏わる神や、その神話は数知れない。
だが、人類が月に到達した瞬間、神話は逸話へと堕落し、多くの神は力を失った。
現在のように月が破壊され、その姿を虚空に晒している以上、もっと多くの神々が力を失い、もしくは消えていったことでしょう…。
エルフナインはそう結んだが、これは彼女なりの抽象論も多分に混じっている。
解明されない力=神秘であり、解明しようとする力=科学である以上、この二つの相性は水と油以上に悪いに違いなかった。
「…調? どうしたデスか?」
「う、ううん。なんでもないよ」
いけないいけない、少しぼーっとしていた。
調は短い髪を振り振り、深呼吸。
改めて現実に迫った問題へと焦点を当てる。
これから挑むのは命懸けの最終決戦だ。
けれど、少しも怖くない。
マリアがいる。切ちゃんがいる。
他の仲間もみんな一緒だ。
だから、みんなを護ろう。
いままでの平和な生活を支えてくれたみんなを。
ううん、絶対に護って見せる。
それが私に出来る、せめてもの恩返し。
かつては、F.I.S.として、命懸けで人類を護ろうと誓った。
今はシンフォギア装者として、命懸けで私を取り巻く全ての世界を護って見せる。
だから調は、まずは身近な護るべきものへと手を伸ばす。
「ほら、小太郎、リオン、Qちゃん、おいで」
へっへっへと尻尾を振っていた小太郎たちだが、調が手を差し出したとたん、そろって窓際の方まで下がってしまう。
「小太郎…?」
普段と違う態度に、調が訝しげな声を出したその時だった。
強風に載って飛んできた看板の欠片らしきものが、リビングの窓をぶち破る。
ガシャンッ!
「きゃッ!」
短く悲鳴を上げる調と切歌の顔を、吹き込んで来た雨が濡らす。
カーテンをばさばさと揺らす風に髪を押さえながら、調は小太郎たちへと必死に語りかける。
「ほら、みんな、危ないからこっちへ…!」
床には窓ガラスが散らばっており酷い惨状。
慎重にガラス片を避けながら近づこうとする調の前で、三匹は頷きあうように一つ鳴いた。
それから三匹は割れた窓の隙間からベランダへと出て行く。
「どうしたの、みんなッ! 早く中へ…ッ!」
雨でずぶ濡れになりながら調が叫ぶ。
しかし、その叫び声も空しく風に吹き散らされるだけ。
調の方を見ながら三匹は身軽にベランダの手すりの上に飛び乗っている。
「お願い、みんな、降りてッ…!」
顔を青ざめさせ、調が駆け寄ろうとした次の瞬間。
三匹は、揃ってべランダの外へと身を躍らせていた。