おじいちゃんは古びた拳銃を裸のまま携えて基地の廊下を歩く。こつこつという靴音が夜の空気を切り裂くが、きっと聞いているものは誰もいないはずだ。ウォースパイトも、ほかの秘書艦も、きっと誰も聞いてはいないはず。
窓から差し込む月光が拳銃を照らして鈍く輝く。
音をたてないように玄関の扉を開けて外へと足を踏み出す。冷たい空気が潮風と混じっておじいちゃんの頬を撫でる。
やがておじいちゃんはつい先日ネモフィラを植えた場所で足を止める。目の前には海が広がっているのだろうが、ちょうど月を雲が覆い隠したため何も見えない。どこから海が広がっていて、どこからが空なのかすらもわからない。
おじいちゃんはふっと柔らかに微笑むが、そんな表情も闇の中では見えない。
おじいちゃんは撃鉄を起こし、銃身を口に咥えた。
「(今いくよ)」
目をぎゅっと瞑り、ほんの少し指先に力を込めようとした瞬間、おじいちゃんの背後から小さく声がかけられる。たまらず声の方向を振り返ると、月にかかっていた雲がゆっくりと晴れる。今日は満月だ。
「死ぬつもりなのですか?」
今にも泣きだしそうな顔の綾波がそこにいた。
おじいちゃんは綾波の瞳を見つめる。綾波も泣き出しそうな表情のままでおじいちゃんを見つめた。
「……綾波、やっと思い出したよ。妻のことを」
「そう、ですか」
おじいちゃんは拳銃を地面に置いて胡坐をかく。月光が2人を照らす。おじいちゃんは自らの隣の地面をぽんぽんと叩くと、綾波もおじいちゃんの隣に腰かける。
「なんで忘れていたんだろうなぁ」
おじいちゃんは満月を見つめてつぶやく。綾波はその言葉にうまく返事ができない。
「死ぬつもりだったよ」
おじいちゃんが絞り出すように言うと、綾波はおじいちゃんを見つめる。
「でも、綾波を見てやめた。やりかけの仕事が残ってるし、そのうち嫌でも死ぬことになるだろうから」
おじいちゃんが意地悪気ににっと笑うと、綾波もつられて笑う。目元からは涙が流れている。
「どうしてここまで来てくれたんだ?」
「……女の勘です」
おじいちゃんが疑問符を浮かべる。綾波は素早く立ち上がるとスカートをたたいて土を落とし、おじいちゃんに向き直った。
「指揮官」
「うん?」
綾波は涙をぬぐい、震える口元を一生懸命釣りあげて精いっぱい笑った。
「ずっとずっと昔に、『愛していました』」
涙を流して足早に走り去る綾波の背を見つめてから、おじいちゃんは満月を見上げた。
「女の子を泣かせたなんて知られたら、きっと怒るよなあ。余計死ねなくなった」
おじいちゃんはそのまま地面に大の字に倒れこんで空を眺める。いつの間にか空からは雲が消え、満天の星空がおじいちゃんだけに降り注いでいた。