めんへらねっとすとーかーのひさびさのしゃかいは

2022追記:ミステリ的なものが書きたくなって書いたと記憶してる。この路線でエブリスタとかにも色々書いてたんだけど、向いてねぇなと思ってやめた。

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FIGHT 命を賭して

 * * * [T] * * *

 

 運転は乱暴だった。

 誰がハンドルを握っているのか知らないが、もっと速度を落とせ。男は吐き気をこらえながら、心の中でそう悪態をついた。

 

 外の景色を見ることができればかなり楽になるのだが、あいにく窓にはスモークが張られている。

 死は覚悟していたが、まさかその前にこんな拷問が待っているとは計算外だった。こんなことならもっと警察署の近くに住めばよかった、と彼は後悔した。

 

 男は、「トカレフ」の異名を持つ殺し屋だった。

 頑固で堅物、金を積んでも正義に沿わない殺しはやらない。しかし、腕は確か。数多の暴力団やマフィアの長が、彼をそう評した。

 彼は自分がこれまでに何人殺したのか、その正確な数は覚えていない。だが、百人や二百人、という話ではないのは確かだ。彼は殺す相手を選んだが、どれだけ少なく見積もっても、この世に「死んだ方がいい人間」はごまんといた。

 

 そんな彼の「伝説」も、いつかは終わる時が来る。

 科学技術の進歩とともに、完全に証拠を消すためにはビニールの防護服に身を包まなければならなくなった。トカレフを含む多くの殺し屋はそれを嫌い、そして、些細なことで自らのDNAを警察に採取され、照合され、逮捕されていった。

 彼もまた、その餌食となったのだ。

 

 車がブレーキをかけた。

 トカレフの身体が前に倒れ、シートベルトが食い込む。彼は思わず舌打ちした。

 

「......なぁ」

 

 おもむろに、彼の前の方から気の抜けた声がした。

 護送車にはカーテンがかかっているので、運転席や助手席の様子を見ることはできない。だから、トカレフにはその声が、中年の男性のものだということしかわからなかった。

 

「なんすか、神谷さん」

 

 今度は、それに答える若い男性の声がした。

 彼の声には多少棘がある。それで、トカレフは「神谷」が助手席に、今返事をした男が運転席に座っているのだろうと思った。

 

「俺さ、小学生の息子がいるだろ。それでさ、なんか最近しょっちゅう呼び出しがかかるわけ」

「はあ」

 

 助手席の「神谷」は、かなり無神経なタイプのようだ。

 運転席から発せられる相槌は、面倒臭い、という感情を全く隠せていない。

 

「そんで行くとさ、厚化粧のおばさんの担任が、おたくの息子さんが何トカ君をいじめています、とか言ってくるわけ。こっちも忙しいんだからさ、そんなことでいちいち連絡してくるなって思わねぇ?」

「はあ。......すみません、青になったんで」

 

 運転手の若い男は強引に話を切ると、車を発進させた。

 神谷はそれで一旦は黙ったが、十数秒すると再び話し出す。

 

「一応さ、俺も息子に話を聞くわけ。そうするとさ、どっからどう考えても相手のガキがやべえやつなの。もう、会話もまともに出来ないようなやつ。そんなやつ、いじめられて当然だろ。嫌なら障害者学級行けって、そう思わねぇ?」

 

 神谷は再び同意を求める言葉の切り方をしたが、運転席からはまた気の無い相槌が漏れただけだった。

 トカレフは彼の気持ちが痛いほどわかったが、特に同情する気持ちにはならなかった。なぜなら、運転がますます荒っぽくなっているからだ。

 自分が苛ついたからといってそれを運転にぶつける奴を、俺は一生好きになれない。彼はそう独りごちた。

 

「......ねぇ、聞いてる?天くん」

「聞いてますよ。て言うか、その呼び方やめてくれっていつも言ってるじゃないですか」

 

 どうでもいいから、コンビニに寄ってくれ。

 込み上げてくるものをぐっと堪えながらそう言ってみたくなるが、認められるはずがない。

 

 車に乗ってからもう三十分くらいは経っただろうか。

 おそらく彼らは自分を、岐阜県警まで連れて行く気だろう。だとしたら、まだまだ一時間以上かかる。東京に住むべきだったな、と男は再び後悔した。

 

「だからさ、息子にも言うわけ。お前、やるならもうちょっと上手くやれ、ってな」

 

 神谷はねばねばとした笑い声をあげる。

 不快感をどうにか抑えていた「天くん」が、ついに声を荒らげた。

 

「すいません、運転中なんで黙っててもらえ——」

 

 次の瞬間、トカレフは凄まじい衝撃に襲われた。

 身体が揺さぶられる。シートベルトが、痕が残りそうな勢いで身体を強く締め付けた。

 

 

 * * * [P] * * *

 

 

 運転は久々だった。

 非番の日に呼び出されたのなら理解はするが、公休の日に、しかも一刻も早く、と急かされるのはどう考えてもおかしい。

 平成最後の旅行のはずだったのに、面倒臭い事に巻き込まれちまった、と俺は悪態をついた。

 

 ハンズフリーにした携帯電話からは、早く、早くと指示が飛ぶ。

 うるせえ、と怒鳴りつけて、ハンドルを慎重に切った。

 

「まったく、じゃあ警察官がスピード違反していいのかよ」

 

 まぁ、別に家族サービスというわけでもない一人旅だったのだから、文句を言う筋合いもないのかもしれないが。

 数多の男がいる中で、一生昇進しないことが決まっている俺なんかと付き合ってくれる女など、いるはずがなかった。

 

 十年前の話だ。

 交番で勤務してから三年、念願の刑事になった矢先、仕事中に取り返しのつかない大ポカをやらかした。

 懲戒免職だけは何とか回避したものの、上層部からは依願退職するよう、ほとんど命令に近いような圧力がかけられた。

 

 それでも、俺はこの仕事にしがみついている。

 住民は老人ばかり、事件など皆無、交番に所属しているのも二人きり。

 そんな辺境の村に飛ばされても、もう二度とチャンスは訪れないと分かっていても、旅行を切り上げてレンタカーで岐阜の山奥に帰る羽目になったとしても、どういうわけか警察官を辞められずにいる。

 

 その理由は、俺にもよく分からない。

 目の前で信号が黄色から赤に変わり、俺はハンドルをどん、と叩いた。

 

「......車に当たっても、どうしようもないか」

 

 俺は心の中ですまん、と謝り、肘掛けを撫でる。

 これだから運転は嫌いだ。電車やバスを使った方が、よほど楽に乗っていられる。

 

 すぐに、信号は青になった。

 舗装された山道を進んで行くと、急に視界がぱっと開ける。

 ここが俺の今の勤務先、八箇所(やごしょ)村だ。 この手の山中の村落にしては面積が広く、人口も一千人余りいる。そのうち半数以上は、この先十年以内に死ぬだろうが。

 

「あぁ、結城さん。待ちわびましたよ。私じゃどうすることも」

 

 適当な路肩に車を停めると、白髪混じりの男が九月だというのに滴り落ちる汗を拭きながら近づいてきた。

 彼の名は古野。笑い皺が特徴的な定年間近のベテラン巡査で、俺がやって来るまで何十年も一人でこの村を守っていた人だ。

 

 どう考えても訳ありの俺がここに来た時、彼は何も言わずに受け入れてくれた。それどころか、一応元刑事という肩書きを持つ俺を信頼して、何かと意見を仰いでくれる。

 おかげで年上だというのに、俺は敬語で話すことをすっかりやめてしまった。

 

 だが、今回はそれらとは少し事情が異なるようだ。

 

「状況は大体聞いてる。どこだ」

「政村旅館です。あの、一年前に廃業した」

 

 まずは交番に向かい、制服に着替え、古野に目配せをして拳銃を携帯する。

 久しぶりに持つ鉄塊のずっしりとした重みを腰に感じながら、自転車に跨った。

 

「あそこです!」

 

 数分後、古野がブレーキをかけて指差した先。

 そこには、旅館の屋上で今にも飛び降りようとしている、一人の青年の姿があった。

 

 

 * * * [T] * * *

 

 

 トカレフは、青のベンツに乗っていた。

 ラジオからは野球中継が流れている。

 中日対阪神は、阪神が意地を見せて引き分け。ペナントも終盤、どうにか首位中日に追いつきたい阪神にとって、意義ある引き分けだ。

 

「兄貴、大丈夫でしたか?」

 

 ビニール袋に顔を突っ込みぜえぜえと喘ぐトカレフに、運転席に座る小太りの男が声をかけた。

 名を野高という彼は、トカレフに師事する便(・)利(・)屋(・)だった。運転手から死体の処理まで、訳ありの仕事を何でも引き受ける。

 

 彼がなぜそんな生き方を選んだのかには、トカレフは興味がなかった。

 ただ使える奴だったから、時々仕事をさせた。それに、トカレフは野高の「殺しだけはしない」というポリシーを気に入っていた。

 

「乱暴な助け方になってしまって、申し訳ありません。何しろ、時間がなかったもので」

 

 野高は右手でハンドルを握り、左手で中日ドラゴンズの帽子をぐいっとあげた。

 トカレフが野高を最も評価している点は、片手で運転しようが、決して運転が乱れないことだ。凸凹のある山道を進んでいるのに、決して大きく揺れることはない。速く走るよりよっぽど難しい技術だが、残念ながら大会はない。

 

「......どこに向かっている?」

 

 その問いには、贔屓のチームが負けたからかやや不機嫌な、助手席に座る黄色いパーカーを着た三十代くらいの男が答えた。

 

「八箇所村っちゅうとこや。ド田舎やけど、人手不足の煽りを受けて交番にお巡りは一人だけ。手錠、もう少しの辛抱やで」

 

 関西から仕事を求めてやって来たという楊(ヤン)は、トカレフの整備工(メカニック)だ。

 

 トカレフの通り名は、彼の得物が文字通りトカレフという銃であることに由来する。

 1933年にソ連で開発されたこの銃は、80年代以降は中国製の紛い物しか出回っていない。ソ連軍が当時使っていたそのままの構造に拘る彼にとって、注文通りのものを生産、メンテナンスしてくれる楊は欠かせない存在だった。

 

「......俺は、助けてくれと頼んだ覚えはないぞ」

 

 トカレフは大きくため息をつくと、そう呟いた。

 車内の空気が、一瞬にして凍りつく。

 

「俺の流儀は、命を賭して勝負することだ。そして、俺は負けた。逮捕も死刑も当然の結果だ」

「せ、せやけど......」

「勝負した癖に、都合の悪い結果から逃げる。トカレフの名は、今この瞬間、地に堕ちた」

 

 トカレフは前にいる二人をぎろりと睨んだ。

 野高のハンドルを持つ手に、ぎゅっと力が入る。ごくりと、唾を飲む音が鳴った。

 

「......だが」

 

 トカレフの口調が和らぐ。

 

「正直、あの運転には参っていた。今回は、素直に礼を言おうとしよう。助かった」

「......いや、どこが素直やねん」

 

 ほおっと、楊が大きく息を吐く。

 

「やめて下さいよ、そういうこと言うの!」

「責めているように聞こえたか?そんなつもりはなかったんだが」

「兄貴、顔怖いから。危うく事故るとこでしたよ」

 

 車がゆっくりと減速する。

 ほとんど空いているだだっ広い駐車場の端に、「ようこそ八箇所村へ」の看板が見えた。

 

 

 * * * [P] * * *

 

 

 きい、と軋むような音を立てて、扉は開いた。

 鍵が壊された痕がある。力任せでない、器用な壊し方だった。

 

「近づかないで」

 

 すぐさま、鋭い声が飛ぶ。

 俺はその場で立ち止まり、両手を小さく挙げた。

 

 青年は、屋上の縁に立ち、正面からこちらを睨んでいた。

 青白い顔。物憂げな瞳。そして、掌の半分くらいのところまでを覆うパーカーの袖が、儚さを連想させる。

 その手には、俺が腰に提げているものと同じもの——拳銃が、握られていた。

 

「......そんなもん、どこで手に入れた」

 

 これが、古野が休暇中の俺を引っ張り出してきた理由だ。

 俺は言いながら、気取られないようにじっと観察する。と言っても、今や模造品(モデルガン)は遠目からでは本物と見分けがつかない。だから見るのは、青年の態度だ。

 

 青年は、不気味なほど落ち着き払っていた。これから飛び降りようとしているというのに、高揚も絶望も浮かべてはいない。

 殺人の道具である拳銃を人に向けているなら当然抱くはずの、躊躇いの色すら彼の表情からは読み取れなかった。

 

 だが俺は、彼は本気で撃つつもりだと感じた。

 両眼で数十メートル先の俺をしかと見つめるその圧と、指が引き金から受ける抵抗。

 正直なところ俺は、彼の迫力に気圧されていた。

 

「さっきのとは、違うおまわりさんなんだ」

「同じ八箇所交番の、結城だ。刑事課出身でな、お前が物騒なもん持ってるから呼び出されちまった」

 

 俺は頭を掻いて、気持ちを切り替える。

 ただのガキだ。どうせ、あの銃も偽物に違いない。

 

「とりあえず、さ。その銃だけこっちに寄越してくれないか」

 

 俺はゆっくり、青年に近づいていく。

 青年が顔をしかめ、引き金を引く指に力を込める。

 

 撃てるなら撃ってみろよ、と俺は独りごちた。

 どうせ、撃てねぇんだろ。

 

「.....おまわりさん、これが偽物だって思ってる?」

「本物だって言うのなら、床でも何でも撃ってみればいい」

 

 次の瞬間、青年は俺に真っ直ぐ猛ダッシュしてくる。

 不意を突かれた俺は、咄嗟に受け身をとった。

 

 その額に、冷たいものが押し当てられる。

 

「よぉく見てよ。モデルガンでもオモチャでも、偽物なら銃口には必ずインサートっていう部品がついてる。これは、どう?」

「......!」

 

 彼は銃口をゆっくりと眼に近づける。小刻みに震えている指は、撃つことを躊躇っているというより、撃ってしまわないよう必死に堪えているように見えた。

 銃口の中は、どこまでも闇が広がっていた。俺はぺたん、と尻餅をつく。

 

「僕が撃たないのは、誤射が怖いからだよ。慣れてないから、威嚇射撃が当たっちゃうかもしれない」

「わ、判った。信じる。信じるから、それを下ろせ」

 

 少年は鼻息を一つ吐くと、銃口をこちらに向けたまま縁まで戻り、俺にも下がるように指示する。

 俺は素直に指示に従った。完全に戦意は喪失し、心の中で白旗を揚げていた。

 

 なに、やってんだろうな。

 俺は泣きそうになる。

 

 平和を守るために、誰かを守るために、この仕事を棄てずにいたのに。

 その志を果たす絶好の機会に、俺は自分より一回りも下のガキに怯えていた。

 

「おじさん」

 

 青年の俺の呼び名が、「おまわりさん」から「おじさん」に変わった。

 それを屈辱だとも、もう俺は思わなかった。

 

「僕の話を、聞いてくれる?」

 

 彼のその問いに、俺は頷くしかなかった。

 

 

 * * * [T] * * *

 

 

 車を降りると、野高は手錠で繋がれたトカレフの腕を隠すように彼の前に立った。

 その横を、二人より二十センチ弱は背丈が低い楊がぶらぶらと歩く。

 

「楊さんも、もっと緊張感持ってくださいよ」

「こんなド田舎、心配せんでも誰も来いへん。気楽にいこうや」

「......そもそも、普通こんな一大事に黄色いパーカーで来ます?目立ってしょうがない」

 

 これは俺のユニフォームや、と楊がほえる。

 神経質な野高と楽観的な楊は、何かと馬が合わない。トカレフは黙って肩をすくめた。

 

 秋口の山村の寒空の下、十五分くらい歩いただろうか。誰にも出くわすことのないまま、彼らはぽつんと佇む廃工場までたどり着いた。

 周りの建物の多くが空き家のようで、どこか寂しい雰囲気を感じさせる。

 

「いい場所でしょう?人は減る一方の村には、こうして人っ子ひとり近づかないような地区が一つや二つはあるもんです」

 

 中に入り、軋む扉を閉めると、野高は満足そうに言った。

 機械はそのままになっており錆臭さは残るものの、野高たちが事前に手入れしていたようで、中は思ったより清潔だった。

 トカレフはああ、と一つ頷くと、パイプ椅子に腰掛ける。

 

「......何や、テレビないんかいな」

 

 楊は漏らすと、携帯電話を横向きにする。

 何度かボタンを押すと、ニュース映像が流れてきた。

 

《......では、立てこもり事件の続報をお伝えしま......》

 

 楊はすぐにチャンネルを切り替え、野球番組をつける。

 先ほどの試合について、元プロ選手たちがあれこれ言い合う。

 

「立てこもりですか。怖いですねぇ」

「ふん、どうでもええわ。......兄貴、手錠外すから手ぇ出せ」

「ああ」

 

 机の上に両手を乗せると、楊は工具箱からクリップのようなものを取り出す。

 野高がそれを見て眉をひそめた。

 

「そんなもので手錠が外れるんですか?」

「他にも色々やり方はあるけど、これが一番手っ取り早くて安全や。手錠に限らず、鍵っちゅうもんは道具と時間さえあれば必ず開く」

 

 楊はそう言うと、鼻歌を唄いながらかちゃかちゃと鍵穴にクリップを押し当てていく。

 ものの数十秒で、トカレフの手は完全に自由になった。

 

「な?」

「......確かに」

 

 渋面で頷いた野高の視線が、次の瞬間トカレフの後ろの一点で止まる。

 楊とトカレフは顔を見合わせ、視線の先に目をやった。

 

 扉が、開いていた。

 それだけではない。七、八歳くらいの少年が、唖然とした顔でこちらを見ていた。

 

「......誰や、人っ子ひとり近づかへんとか言った奴は!」

 

 楊は素早く立ち上がり走り出すと、怯えた様子の少年の首根っこを掴む。

 そのままずるずると引っ張ってくると、工具箱から乱暴な手つきでペンチを取り出し、大きく振りかぶる。

 

「止めろ!」

 

 ドスの効いた声が工場に響いた。

 楊がぴたりと動きを止め、恐る恐るトカレフの顔を見る。

 

「貴様、トカレフの矜持を汚す気か?」

「せ、せやけど兄貴。こいつ、自分らの顔がっつり見てるで」

 

 だとしてもだ、とトカレフは語気を荒らげた。

 楊は渋々といった様子でペンチを工具箱に戻し、椅子に座り直す。

 

「......ですけど、どうするんですか?このまま帰すわけにもいかないでしょう」

「闖入者は俺たちだ。俺たちがこの町を出ていけばいい話だろ」

「でも、他に隠れ場所なんてないで」

 

 三人があれこれ話していると、少年が突然、か細い声を発した。

 

「......ぁの」

「あん?何や、坊主」

 

 楊が不機嫌な顔でずいっと顔を近づけると、少年は萎縮したように下を向いてしまう。

 野高が彼を押しのけて、帽子を取ってもう一度話しかけた。

 

「どうかしたかい?」

「......あの、皆さんは、殺し屋なんですよね?ニュースで見ました」

 

 言われた三人は顔を見合わせる。

 トカレフが代表して応じた。

 

「ああ」

「......お願いが、あるんですが」

 

 楊がまたずいっと前に出てくると、眉をひそめて訊く。

 

「お願い?」

「はい。皆さんのことを誰にも言わない代わりに、僕をしばらく匿って欲しいんです」

 

 少年は明らかに怯えた様子だったが、何か大きな決意のようなものが感じ取れた。

 三人は再び顔を見合わせる。

 

「その齢で自分らと取引しようっちゅうんか。いい度胸やな」

「そ、そんなつもりじゃ......」

 

 しかし、楊の表情にももう怒りや不機嫌はなく、目尻には皺が出来ていた。

 野高は少年に笑いかける。

 

「......そりゃまた一体、どんな事情で」

 

 少年はその問いに答える前に、まず自らの名前を名乗った。

 

「僕は、遥といいます」

 

 

 * * * [P] * * *

 

 

 どこかから、焼き芋を勧める音声が聞こえてきた。もうそんな季節か、と一瞬意識がそちらに向かい、慌てて青年の方に向き直る。

 青年は、自らをアオイと名乗った。

 

「僕が、何でこんなことをしてるのかっていうとね。まぁ、一言で言えばいじめですよ。いじめを苦にした自殺」

「......」

「面白くないですよね。百万回も語られた、どこにでもある話」

 

 そんなことはない、と俺は首を振った。

 彼は俺の動作にいちいち関心は払っていない、という態度で、眉ひとつ動かさず話し続ける。

 

「僕は高校生でしてね。○◯高校。ご存知ですか」

 

 県内有数の進学校の名前が飛び出した。地図上では、ここ八箇所村は岐阜県の真ん中。一方、彼が言った高校は愛知県との県境、下部に位置する。

 この村の子供ではないことは分かっていたが、どうやら彼はかなり遠くからわざわざこの村にやって来たらしい。何故、と尋ねたくなるが、青年の機嫌が悪くなりそうな気がしてやめた。

 

 彼は俺から答えが返ってこないことを確認すると、構いませんが、と言わんばかりにまた話し出す。

 

「まぁ、いじめなんてどの学校にもあるわけですが、この高校にもやっぱりあってね。で、お約束通り、一人、ガンみたいな奴がいるんですよ。仮にKとしましょうか」

「仮名にする必要はない。俺は誰にも話さない」

「おじさんのことを信じてない訳じゃないんですが、もうそういうことにしちゃったので」

 

 彼は意味深に言った。

 

「話を続けますね。Kはとんでもない奴でしてね。明らかに『いじめ』の範疇を超えるようなことを平気でやってくるんですよ。で、ターゲットは僕。理由は、まぁ、こんな性格だからですかね」

 

 アオイは自嘲するように笑う。

 だがその眼には、深い哀しみが見て取れた。

 

「親や、教師には」

「教師には相談したよ。でも、彼は警察の偉い人の息子だから」

「......!」

 

 その瞬間だけ、彼は俺を睨んだような気がした。

 俺はかつての上司の、へらへらとした態度を思い浮かべ、ため息をついた。

 

「おじさんのせいじゃないんだから、気にしなくてもいいですよ。......そうこうしているうちに、いじめはどんどんエスカレートしていった。例えば」

 

 アオイはそこで言葉を切って、黒い上着の袖をまくって手首を見せる。

 

「何だ?よく見えない」

「近づいて大丈夫ですよ。おじさんに僕は止められないでしょ」

 

 俺はゆっくりと歩を進める。

 近づいていくにつれて、アオイが俺に見せたいものがだんだんと姿を現してきた。

 

「......これは」

 

 遠くからでは分からなかったが、手首には幾つもの紅い線が浮かんでいた。

 

「自分でやったんじゃないですよ。Kとその仲間が、切ったんです」

「おいおい......立派な傷害罪だぞ、これ」

 

 アオイは袖を戻して、俺に手振りで下がって、と指示する。

 

「死にたくなるのも理解できるでしょう。......その前に、誰かに話を聞いて欲しいと思うのも」

 

 それまでは表情に乏しく、凍りついた眼をしていた彼がふと、年相応の寂しそうな顔をした。

 その顔を見て、俺の心の中に、何かが戻ってくるのを感じた。拳銃を向けられた時に喪失した、正義の心だ。

 

 こんなガキに、銃なんて持たせちゃいけない。

 俺が彼を怖いと思う気持ちの何倍も、彼はこの社会を怖いと思ってる。その恐れを抱かせたまま、彼に死なれる訳にはいかない。

 

 俺がこの歳まで警察官を続けてきたのは、彼を救うためなのではないかとまで思えた。

 それほどまでに、彼の脚は今にももう半歩後ろに下がりそうな気がした。

 

「......まだ、肝心なことを聞かせてもらってないぜ」

 

 自分の声に、力が戻るのを感じた。

 

 

「その拳銃は、どこで手に入れた」

 

 

 * * * [T] * * *

 

 

「......こんなもんしかないんやけど」

 

 楊が烏龍茶のペットボトルを机の上に置いた。

 遥は恐縮しきった様子で蓋をあけると、こくこくと控えめな音を立てて飲む。

 

「それで、どうして家出なんて」

 

 野高の問いに、ハルカは指で口を拭ってから答える。

 

「家出、じゃないです。逃げてるっていうか」

「逃げてるって、誰に」

「......仄城っていう、中学生です。この村みんなの人気者」

 

 皮肉っぽく笑う遥は、既に社会の理を達観しているようだった。

 トカレフはおかしくなって、彼に問いかける。

 

「人気者なら、逃げる必要はないだろう」

「みんなにとっては人気者でも、僕にとっては違う。彼は、僕に酷いことをするんだ」

 

 酷いことって、と野高が尋ねると、遥は一瞬口ごもった。

 殴られたとかか、と楊が水を向けると、首を振る。

 

「あいつは証拠に残ることはやらない。その代わり、その......パンツを脱がせて写真を撮ったり、それで脅して万引きとか、女の子の着替えを撮らせたりとか」

 

 まじか、と楊が呟いた。

 トカレフは中学生のいじめなど、と高をくくっていた自分を恥じたくなった。田舎の閉鎖社会では、人はどこまででも凶暴になれる。

 

「それ、親には」

 

 遥はもう一度首を振った。

 

「ママが病気で死んでから、パパは働きながら一人で僕を育ててきた。ママに気兼ねしてサイコン?できないのを、パパはずっと申し訳ないと思ってる。僕が言ったら、パパは絶対に自分のせいだって思う」

「んなこと言うてる場合か。今、父親はどこにおるんや」

 

 楊が立ち上がる。ダメですよ、と野高が冷静に諌めた。

 遥はもう一度、力なく首を横に振った。

 

「どうせ無理だよ。パパは今、シンガポールにいるから」

「シ、シンガポール!?」

「パパは元々日本と外国を行ったり来たりする仕事をしてる。一人で僕を育てている間、パパはずっと会社で肩身の狭い思いをしてきたんだ」

 

 にしても、こんなガキを一人で置き去りにして、と楊は憤慨する。

 

「......パパは、村の人たちに僕のことを頼んで、安心して行ったんだ。でも僕は、みんなのところへは行けない」

「『村の人気者』である仄城が、俺が見ててやるよ、などと言い出したら、終わりだから」

 

 野高が後を引き取り、遥は頷いた。

 

「パパがいないことは、村中に伝わってる。さっき言われたんだ。『自殺に見せかけて人を殺す方法を思いついた。ゆっくり試してやる』って。僕、本当に殺されちゃう。あいつは人の命なんてなんとも思ってないんだ!」

 

 恐怖に駆られ、全身から汗を吹き出す遥。

 野高がまぁまぁ落ち着いて、と烏龍茶を勧める。

 

「......出張は何日だ」

「三日。明後日の昼には帰ってきます。だからそれまで、ここに居させてください」

 

 ペットボトルの液体を勢いよく飲むと、遥は深々と頭を下げた。

 礼儀のなってるガキやな、と楊が顔をしかめる。

 

「......駄目だ」

 

 トカレフは、重い口を開いた。

 

「兄貴、そりゃないで。このまま外に放り出すっちゅうんか」

「確かにリスクはありますが、聞いてしまった以上、ここに置いておくしか」

 

 二人の反論を目で制すと、トカレフは遥を鋭い眼光で見下ろした。遥がびくっと身体を震わせる。

 

「......このままお前をここに置いて、三日が過ぎたらどうする」

「どうするって......」

「このままこの村を離れるまで、仄城の嫌がらせに耐え続けるのか」

 

 遥の視線がぐらりと揺らぐ。

 

「じゃあ、どうすれば」

「虐げられたくなければ、正義を貫きたければ、道は一つしかない。......命を賭して、戦うんだ」

 

 

 * * * [P] * * *

 

 

 村を囲む山麓に、夕日が沈んでいく。

 第一報を受けてから、既に三時間が経過した。拳銃をどこで手に入れたのか、という俺の問いに、アオイは口を噤んだままだ。

 

「......もうすぐ、機動隊が来る。下にマットを敷けば、あいつらは何も遠慮することなく突っ込んでくるぞ」

「睨めっこしてても無駄だって?......いいんです。もう、目的は果たしました」

 

 建物の上空から、大きなプロペラ音がした。

 見上げると、ヘリコプターが空を旋回している。

 

「マスコミか?こんな田舎の事件に」

 

 違和感を覚える。

 アオイに視線を戻すと、彼の緊張はすっかり解けていた。もはやその立ち振る舞いに、命を捨てようという意思は微塵も感じられない。

 

「まさか、お前......!」

 

 

 * * * [T] * * *

 

 

 翌朝。

 野高は三人が車に乗ったのを確認すると、もう一度トカレフに問い直した。

 

「本当に良いんですか?兄貴は待っててもらっても」

「あれだけ威勢の良いことを言って、おれが見届けないわけにはいかないだろう」

 

 トカレフは後部座席で、おどけたように肩をすくめてみせる。

 その横には、おどおどと視線を宙に彷徨わせる遥がいた。

 

 

 

『お前に俺から言えることは、二つだ』

 

 昨晩、トカレフは言った。

 

『一つは、戦うには力が要るということ。何も体力だけじゃない。精神力や知力、演技力だって武器になる』

 

 そして、もう一つは。

 

『お前が思っているほど、この世界は残酷じゃない。人の命をなんとも思ってない中坊なんて、この世に居てたまるか』

 

 俺が、本当の怖さを教えてやる。

 彼は、そう言ってにやりと笑った。

 

 

 

 野高はゆっくりと車を発進させる。

 村を出て山道を登っていくと、猛スピードで爆走する黒いポルシェが視界に入った。仄城の愛車だ。

 

「おいおい、中学生がポルシェ乗ってええんか」

「田舎ですから、みんな黙認してるんですよ」

 

 エンジン音を高らかに鳴らすポルシェを、背後からコバルトブルーのベンツが追う。

 ポルシェの運転手も不審な車が迫っているのに気づいたのか、一段速度が早まるのを感じた。野高はアクセルを目一杯踏み込む。

 

「うわぁぁっ!」

 

 遥が悲鳴をあげた。

 シートベルトをしていても、身体があらゆる方向に揺れる。トカレフは息を荒らげながら言った。

 

「......心配、するな。うちの野高の運転は世界一......うっ」

 

 戻しそうになるのをぐっと堪えて、トカレフは座り直す。

 

「やっぱり、一旦帰りますか!」

 

 野高が声を張り上げるが、彼は首を振った。

 

「いいんだ。俺に構わず、絶対に追いつけ」

 

 ガードレールもない山道を、二つの車が疾走する。

 道路は急カーブに差し掛かった。ポルシェが僅かに減速する。

 

「甘いんだよ!」

 

 野高は叫ぶと、ハンドルをぐいっと切った。タイヤが横滑りし、ぎゃりぎゃりと道が擦れる。

 

「ドリフト!?マリオカートでしか見たことないや!」

「絶対に、真似しちゃダメですよ!」

 

 直線に入ったところで、二つの車の距離が一気に縮まる。

 息も絶え絶えになりながら、トカレフが楊に手を差し出した。

 

「準備できとるで、兄貴!」

 

 楊が差し出したのは、彼の名前の由来でもある愛銃。

 1933年のロシアで生まれた、安全装置のない銃だ。

 

「覚えておけ、坊主」

 

 トカレフは窓から身を乗り出す。吹きつける風が、頰を切る。

 

「この銃は戦時中、暴発で何人もの使用者を殺してきた。他に性能のいい銃はたくさんある」

 

 銃身ががたがたと揺れる。口の中に苦いものが溢れ出してきた。

 

「それでも俺がこの銃を選ぶのは、自分を試したいからだ。それは、命を賭してでも為すべきことか」

 

 覚悟がないなら、やめちまえ。

 トカレフはそう呟き、引き金を引いた。

 

 銃声が轟く。

 この秋空のように乾いた、冷たい音。百五十キロ以上出ているのに、一瞬時間が止まったような気がして、遥は身震いした。

 がた、がた、と、前方のポルシェがバランスを崩す。タイヤから、空気が溢れ出した。

 野高は急ブレーキをかける。最大限減速して、青いベンツは黒のポルシェに追突した。

 

 衝撃が車全体に響く。勢を殺したとはいえ、前方の窓ガラスは割れ、野高の頭はエアバッグに埋まる。

 トカレフは口いっぱいに広がった液体を、ごくりと飲み込んだ。

 

 ポルシェから咳き込みながら、背の高い少年が青い顔で飛び出してくる。

 トカレフは、遥の背中を叩いた。

 遥は頷き、運転席の方に寄っていくと、エアバッグを踏みつけてドアを開ける。

 

「......遥?」

 

 仄城が、彼に気づいた。

 遥が表情を殺し、緊張を読み取られないように努めているのがトカレフには分かる。だが、知らない者が見れば、かなり肝が据わっているように見えるはずだった。

 

「お前が、これを運転してたのか?あの、拳銃も?」

 

 仄城が信じられない、という顔でこちらを見る。

 彼の目からは、野高の姿は見えない。

 

「......もう僕に、関わらないでくれる?」

 

 遥が冷たい声を発した。よく響く声だった。

 仄城はびくっと大きく身を縮め、何度も、何度も頷く。普段の彼との違いに、遥の目には戸惑いの色がはっきりと現れた。だが、怯えきっている仄城は、そんなことに気付くはずもない。

 

 彼はぺたん、と尻をつき、お伺いを立てるように恐る恐る遥を見上げる。もう行っていいか、という確認らしい。

 遥は威厳たっぷりに、大きく頷いてみせた。その瞬間、仄城はポルシェの運転席まで這うように走ると、ぺちゃんこになった後部には目もくれずにアクセルを踏み、一瞬のうちにその場から消え去った。

 

「......演技派だな」

 

 トカレフは呆然とする遥の肩を後ろから叩き、にやりと笑った。

 

「それで、どうだ。これからも理不尽と遭遇した時、命を賭けて戦う覚悟はあるか」

 

 遥は一瞬戸惑うそぶりを見せたが、すぐにこくり、と頷いた。

 トカレフは満足気に笑うと、 懐からごそごそ、と何かを取り出す。

 

「ならば、戦うための武器をやろう。どう使うかは、お前次第だ」

 

 

 * * * [P] * * *

 

 

「僕は誓ったんだ。命を賭けて、戦うって」

 

 しばし空を見上げていたアオイは、爽やかな笑顔でこちらを振り向いた。

 

「すみません。僕に、死ぬ気なんてない」

「......騙しやがって」

 

 俺は苦笑する。

 彼はこの屋上に立つ前、マスコミに告発した。警察高官の息子の壮絶ないじめと、拳銃を使って立てこもり、自ら命を絶つことを。

 最初は取り合わなかったメディアも、実際に事件が起きれば黙殺する訳にはいかない。今頃、アオイの告発文はほぼそのまま全国に流れているだろう。

 

 実際に死ぬ必要は、どこにもない。

 ただ拳銃というセンセーショナルな道具と、命をちらつかせれば、権力は簡単にその優位を失う。

 

 アオイは銃を俺に投げて寄越した。

 次の瞬間、盾を持った機動隊がこちらに突入してくる。アオイは素直に両手を挙げると、大きな声で言った。

 

「結城巡査が説得してくれたおかげで、命を捨てずに済みました。ありがとうございます!」

 

 呆気に取られる俺をよそに、機動隊はアオイを取り押さえると、乱暴にその場から連れ出す。

 彼は最後に、小さく手を振った。

 

「ありがとう、おまわりさん」

 

 

 * * * [Ten years ago(十年前)]* * *

 

 

「......これって」

 

 遥は恐る恐る、トカレフが差し出した黒光りする物体をを受け取る。

 トカレフTT-33。彼の愛用する銃と全く同じ形のものが、そこにはあった。

 

「お前のための特注品だ。昨晩、楊に造らせた」

「機械も工具も時間もないし、おかげで徹夜や。まぁでも、なんてったってわいの作品やからな、品質は確かやで」

 

 楊が誇らしげに胸を張る。

 トカレフは表情を変えないまま、遥に別れを告げた。

 

「こんな騒ぎを起こしたからには、この村にはいられない。すぐにここを発つ」

「......それで、どうするの」

「俺は、負けたんだ。もう仕事をする気はない。どこか別の田舎で静かに暮らすさ」

 

 野高が寂しそうな顔で、遥に手を差し出す。

 震える手で、遥はそれを握った。

 

「そういう訳で、さよならです。いい出会いになりました」

「気張るんやで。絶対に負けたらあかんで」

 

 三人はベンツに乗り込むと、クラクションを二回、短く鳴らし、走り出した。

 その姿が徐々に、徐々に、小さくなっていく。

 

 遥は拳を握りしめようとして、わずかな違和感に気付いた。

 涙があふれ出す。止めようと思っても、止まらない。

 

「......どこが、演技派なんだか」

 

 そこには、何の変哲も無い八歳の少年がいた。

 しかし、彼はこの日、嘘偽りない確かな正義を知った。

 

 そして同時に、今まで味わったことのない寂寥に、彼は凍えた。

 

 

 * * * [Present day(現在)]* * *

 

 

 岐阜県警は、彼——蒼井遥を一晩すら拘留することができなかった。

 銃に弾は入っておらず、また発射できる機構でもなかった。外枠だけは本物そっくりで、インサートも入れていない。だが、中はがらんどうだ。

 彼は入手経路を問われ、人に貰ったと証言した。銃の型式と彼が言ったその人物の容姿に、警察は思い当たる節があった。

 

 また、彼は周囲に何の被害も及ぼさなかった。

 事件の舞台となった旅館はすでに廃業しており、中は無人。彼自身を含め、誰も傷ひとつ負っていない。

 彼に問える罪状は、偽計業務妨害くらい。初犯で未成年、それに世間は同情ムードとなれば、警察も厳重注意以上の処分は下せない。

 

 何より、警察は彼に模造銃を渡した男——かつて警察が逮捕しながら逃亡を許し、今なお行方をくらましている殺し屋——を、メディアに掘り返されたくないという思いがあった。

 現警視総監、神谷宇佐季の息子が犯したいじめの実態は既に隠しようのなく、これ以上傷口を広げる訳にはいかなかった。警察はこの事件を、「巡査が青年の自殺を食い止めた」という美談にしようと躍起になった。

 

 この結果、俺は警視総監賞を貰う運びになることが、早々に決まったらしい。

 そんなことはどうでもいい、と吐き捨てると、その話を伝えにきたお偉いさんは複雑な顔をした。

 

 どうやら、彼に迎えが来たようだ。俺は蒼井より一足先に、迎えに来る人間の元へ行く。

 

「......やぁ」

 

 待合室のソファに、ロマンスグレーの髪の老爺が座っていた。

 彼は背が高く、眼はぎらついていた。眉間にはこれまで何度も険しい表情をしてきたのだろう、深い皺がいくつも刻まれている。

 

「あなたは」

「遥の父親だ。蒼井利賀という」

 

 彼は思いの外溌剌とした声で答えた。

 俺は眉をひそめる。

 彼の父親は海外出張中で、当分帰ってこられそうにないと聞いたが。

 

 俺の疑問を先回りするように、彼は懐から免許証を取り出した。

 

「警察から話を聞いて、飛んで帰ってきた。今は飛行機が進化しているから、チケットさえ取れれば充分間に合う」

 

 彼から免許証を受け取る。特に不審な点はなかった。

 

 蒼井が姿を見せた。

 待合室に父親の姿を見ると、嬉しそうな表情を見せる。

 

「それでは、失礼するよ」

 

 彼は息子の手を取ると、警察署を出る。

 俺は何となく外に出て、あとを見送った。

 

 不意に彼が立ち止まり、こちらを振り返る。

 

「ここで事件を起こすように言ったのは、私だ。いい巡査がいるからと」

「.......?」

「君には、申し訳ないことをしたと思っていた。『天くん』、いや、結城天巡査」

 

 先ほどまでとはまるで違う、低く威厳のある声。

 俺は不意に、彼の正体に気づいた。

 

「......全部、あんたの入れ知恵か」

「彼とは以前に一度だけ会ったんだが、去り際にうちの仲間が勝手に連絡先を渡していたらしくてな」

 

 困ったものだ、と彼は薄く笑った。

 俺もつられて笑う。高校生にしては、計算され過ぎたアイデアだと思ったのだ。

 

「俺が不恰好に逃亡したせいで、君の出世の道は絶たれた。その埋め合わせにはならないだろうが、今回のことが君の助けになることを願う」

「余計なことしやがって。おかげで、まだ辞められなくなっちまった」

 

 二人はぽかんとした表情の蒼井をよそに、笑い合う。

 それじゃあな、と彼は別れを告げた。

 

 俺は二人に背を向け、署に戻っていく。

 その建物に入ることができるという特権。この帽子を、被ることができるという誇り。

 一度は失いかけたそれらが、自分の中に再び戻ってきたのを、俺は感じた。

 

 

 fin.


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