Verzweiflung   作:vitae


原作:Arknights
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自分がドクターなら、たぶんこうなる。

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Verzweiflung

いつから、こんなことになってしまったんだろう。ドクターはいくら考えても、答えは出なかった。気づいたら自分は指揮官として戦場に駆り出されていた。拒否権も、選択肢もなかった。それに加え、自分には記憶がなかった。それも、厄介なことに自分が何者かという知識は失われていたが、世の中についての知識は忘れていなかった。つまり、この天災が日常的に発生している残酷な世界を認知していた。いっそ全ての記憶を無くせていたら、どれほど幸せだっただろう。無知は罪と言うが、時に知らないほうが幸せなことも多い。

 

 

薄暗い路地を不気味な服装の男が歩く。いや、顔をフードで覆っているので、性別もひと目見ただけではわからない。歩き方や身長から男性だと、赤の他人は推測することができるに過ぎない。だが、ドクターは医学的に男性だった。ドクター自身も、自分が男性であるという自覚はあった。記憶喪失とは言え、何でも忘れているわけではなかった。裏路地をドクターは一人で早々と歩いていた。ドクターは指揮能力としては傑出した才能があったが、戦闘能力は皆無だった。だから、いつもはロドスの実質戦闘リーダーのアーミヤか、外に出る時は基本的には護衛が付いていた。だから、ロドスのオペレーターからしたら、非常に危険な行為に見えるだろう。

 

 

事実、極めて危険な行為だった。この地区は治安がお世辞にもいいとは言えない。チンピラに見つかってもまず勝てないし、逃げ切れるほどスタミナがあるかも自信がない。だが、それはそれでいい。運命なんて所詮その程度だ。今までの戦でも、死にかけたことはいくらでもあった。指揮官とはいえ、戦況を適宜確認して判断をくださなければならない。自分自身が前衛に出ることも幾度もあったし、当然敵であるリユニオンも指揮官を落とせば戦力を大幅に削れることも知っていた。真っ先に狙われ、そのたびに誰かに守られるという極限のストレスを受け続けた。

 

 

記憶喪失が治る見込みは未だに無い。ケルシーが言うには、何か外的な要因で突発的に治る可能性があるから長い目で見ていくしかない、とのことだった。記憶を失う前の自分は、勇敢な医者だったのだろうか。かつては鉱石病の権威で、神経学の分野にも明るかったというかつての自分に思いを馳せる。だが、いくら考えても記憶を取り戻すことはなかった。むしろ、考えれば考えるほど今の自分が情けなく思えた。アーミヤが自分のことを慕い、ケルシーが自分のことを信用しているのは、かつての自分なのではないかと邪推してしまう。

 

 

今の指揮しか出来ず、戦闘能力のなさと戦場で一番に命を狙われ続ける圧力から精神病を患っていると知ったら、彼女らはどれほど悲しみ、早くかつてのドクターの記憶を戻せと攻めてくるのだろうか。だが、ドクターだって人の子だ。それも、記憶を失ったという非常に不安定な。本当なら、落ち着いた空間で療養に励むべきなのだが、そのような状況ではなかった。もちろん、ドクターも理解はしていたし、自分でもどこかで納得させていた。

 

だが、自分を強引に納得させようとしても、身体は正直だった。心的外傷後ストレス障害という言葉がある。略してPTSDとも言われる言葉だが、目の前で仲間が死んだり、殺されるという恐怖に長時間さらされ続けた結果生じる戦闘ストレス反応だ。ドクターは自分はこの症例の、かなり末期の方だと自分でも意外に冷静に判断できた。仲間にも極力隠すようにしてはいたが、戦場で指揮を取ろうとすると、手足の震えは止まらなくなり、金縛りで動けなくなったりした。

 

 

この天災と鉱石病が跋扈する厳しい情勢で、役に立たない人間は死ぬだけだ。ドクターは自分が足手まといになっていることに気づいた。指揮能力は相変わらず発揮されたが、最近は誰かに常に助手として介護してもらわないと戦場に経つことすら危うくなっていた。それに、指揮能力なら、自分には劣るがアーミヤも最低限の指揮はできる。ドクターがある決意を下すのに、時間はかからなかった。

 

 

人はなぜ生きるのだろうか。哲学者が昔から考えてきた永遠のテーマであり、その答えはすでに解き明かされているようにも見えるし、未だに最大の謎として立ちふさがっているようにも思える。だが、少なくとも今のドクターにはその答えは解き明かせていなかった。少なくとも、今の自分に何かを思考する時間は無かった。朝起きて、リユニオンと戦闘。それがない日も、ロドスアイランドのトップの一人として膨大な書類仕事。あまりの過労で昼寝をしてしまった時は、アーミヤにまだ休んじゃダメですよ。と言われる。自分の情けなさに唇を噛しめる日々は続いた。

 

 

薄暗い路地裏が徐々に、眼前が明るくなってくる。さらに歩いていくと、唐突に路地が終わり、開けた場所に付いた。そこには、大穴があった。直径はどれくらいだろうか。少なくとも目視できる範囲では、終わりなき穴がそこにはあった。これはかつて降った巨大な隕石の跡だった。これほど巨大な隕石の落下だと、衝撃波も凄まじいことだろう。この隕石が落ちたのは自分が生まれるはるか前の出来事らしいが、この隕石の周辺は一時期死の地域と成り果てていたらしい。

 

そして、今では自殺のスポットとして、密かに名前が知られていた。不思議もない。この情勢だ。特に、鉱石病になってしまった者に対する扱いは極めて劣悪と言えた。人間扱いすらされず、冷たい床の隔離所で一生を終えるものも少ないという。それなら、死ぬほうがましだと思うのも自然と言えた。

 

久しぶりに、ロドスアイランドのこと意外に脳のリソースを使える喜びからか、感情の濁流と呼べるものが押し寄せてきた。寝るときですら、基地の施設数に頭を悩ませていて不眠になったぐらいなのだから、当然かもしれない。せめて、全ての思考が停止する前に、全ての自分の感情に整理を付けるべきだ。その結果、ここから飛び降りることを拒絶するならば、それもまた一つの考えだろう。ドクターは、思考を続けた。

 

自殺に対する否定的な意見の一つに、次のようなものがある。「あなたが死んだら悲しむ人がいる」なるほど、確かにそれはその通りかも知れない。事実、ドクターが死んだらアーミヤは非常に悲しむだろう。彼女は不安定だから、自分という防波堤を失ったら、どうなるか誰にも予想できない。だから、他人のために生きろと、偉い人は言うのだろう。だが、それはあまりに厳しい。他人のために生きろというのは、つまり自分を捨てろということだ。自分の身の危険を顧みず仲間を助けるという行為は、一見フィクションでありがちな高尚な行為ではあるが、普通の人間はそこまで強くなれない。

 

そして、そのような熱血漢が自分の精神病を見て、何というのだろうか。だいたい予想はつく。「心の病は気持ちの問題だ。それぐらい気合で治せ」である。だが、普通の人間はそんなに強くないし、ましてや記憶喪失で精神的に元から不安定なドクターにそのような高尚な精神で生きろなどというのは不可能に近かった。仮にそれを実戦しようとしたところで、いつか戦場で心が壊れて廃人になるだけだ。

 

他人に迷惑をかけない範囲なら基本的に何をしてもいい。その考えから言うと自殺は間違っている。明確に他人に迷惑をかけるからだ。だが、とドクターは嘯く。自分は突然記憶喪失のまま戦場に駆り出され、今日に至る。今日まで一度もロドスアイランドに逆らったことはなかったし、常に仲間全員が助かる指揮を磨くために、寝食を惜しんで戦術書の精読に励んだ。だから、最後ぐらいはわがままを言ってもバチは当たらないだろう。

 

そもそも、この世界に希望という物を見いだせないのが悪かった。鉱石病は最近の病ではない。そして、それにかかった人への待遇、偏見、差別も昔から存在していた。もちろん、善人が鉱石病の差別撤廃への活動をした記録は残されている。だが、その努力が実らなかったのは、今のこの現状を見れば察するにあまりあるだろう。

 

人は、いつの時代も差別とともに歩んできた。同性愛に対する差別。人種に対する差別。その他にも様々な歴史が繰り返されてきた。常に人は他人と違うものを恐れる。他人と自分が違うのは当たり前だ。自分という唯一無二の存在は世界で一人しか存在しないのだから。だが、みんな違ってみんな良い。共に違いを受け入れて共存していこうという考えよりも、自分と違う存在は排他していこうという感情のほうがどうも芽生えやすいらしい。こうして幾度となく血が流れ続けて、今はこうした感染者と、非感染者による紛争となっていた。これが差別による末路だ。いくらでも変換点などあった。感染者と非感染者を分け、それぞれ別の地区で暮らしていく選択肢もあったし、ここまで感染者が多い以上、隔離などせず、そうしたほうが遥かに合理的だ。

 

だが、非感染者はどうやら感染者を人間扱いしたくないらしかった。隔離所という名の強制収容所に押し込め、非感染者を栄養失調で殺していく姿は、まさに非感染者を化け物としか扱っていない悲惨な有様だった。このような世界に希望を抱けという方がおかしい。自分が世界を救うフィクションに出てくる勇者なら、この世界に憤慨し、世界を変えようと努力し、変えるのだろう。だが、自分は勇者ではない。ただの精神病患者だ。抱ける感情は、絶望と虚無。それだけだ。

 

ドクターが足を止めた。ついに大穴の目の前まで到着した。あと数歩も歩けば真っ逆さまという距離だ。大穴は深く、底が見通せなかった。終わりの見えない闇。今のこの世界を揶揄するにピッタリの表現だと思った。仮にレユニオンとの戦いに勝利したところで、この感染者に対する差別をなくさない限り、根本的な解決にはならない。また、非感染者が蜂起するに違いなかった。

 

色々思考したが、結局自分の飛び降りを否定できる材料は見当たらなかった。生きていたらいつか楽しいことがあるよ、などと言うのは現実に楽しいことがあるからだ。今の彼に待っているのは、終わらない書類仕事と血なまぐさい戦場での指揮のみ。もし自分に戦闘能力があったら、今すぐ抜け出して傭兵生活をするのも悪くはなかった。だが、残酷だ。神は二物を与えなかった。自分に与えられたのは、この頭脳だけだった。

 

実際にこうして穴を目の前にすると、やはり死の恐怖に慄き、飛び降りを辞めるかも知れないという可能性は常にあったし、もしそうなったら潔くロドスに帰ろうと思った。だが、穴を目の前にしたら、今すぐこの穴に飛び込んでしまいたい衝動に駆られた。それほど、戦場でのストレスはひどかったらしい。殺されるという恐怖から始まった精神病が、最終的には自分から死にたいという感情に変化するのは、あまりに皮肉だ。だが、この恐怖の感情から抜け出したいと思うのは、人として当然の反応だろう。

 

思い残すことなど、何もなかった。元々、記憶喪失で失うものなど何もない。記憶を失う前のドクターには申し訳ないことをしたなとは思うが、この性格も元のドクターの一部なのだろう。本当に記憶を失う前のドクターが勇敢なら、記憶を失っても勇敢であるはずだからだ。

 

自然と重力に身を任せて、体重を前に預ける。そのまま重力に従って、身体が前のめりになる。そのまま何も抵抗せず、身体は穴へと吸い込まれていった。最後にドクターが感じたのは、浮遊感というのは、存外悪くない、という素朴な感想だった。

 

 

 

HAPPY END?


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