セカイの呪いを解くために。   作:はたけのなすび

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お待たせしました。

『セカイ強度が足りてない。』続編、『セカイの呪いを解くために。』です。

では、どうぞ。


その一

 

 

 

 

 

 彼と彼の龍が隠れ里を訪れたとき、大人たちの慌てぶりと言ったらひどいものだった。

 

 ひっそりと、川の岩陰に住む魚のように息を殺し、隠れて、時が流れていくのをやり過ごして生きてきた隠れ里の人間たちにとって、境界をものともせず、山を飛び越えて、自分たちの前に現れた漆黒のドラゴンは、まさに冥府の使者に映ったのだ。

 里中が上を下への大騒ぎに叩き込まれていながら、自分はただ、里の隅で茫洋と佇んでいた。

 あのとき、自分の隣には誰がいただろう。

 思い出せなくなってしまったけれど、誰かがいてくれた気はするのだ。

 だって、そうでなければ、臆病な自分はあれほど落ち着いていられなかっただろうから。

 

 自分は誰かと一緒に、多分手を繋いだまま、里の恐慌を眺めていた。

 逃げるったって、どこへ行くというのだ。

 空を自在に飛び、炎を吹くドラゴンと、それを御する龍使いからどうやって逃げるというのだ。

 ドラゴンの力は言わずもがなで、ドラゴン乗りたちは魔力で水面を走り、信じがたい速度で剣を操り、魔族を斬り殺すことのできる、人の枠から外れた戦士だ。

 いくらこの里に優れた剣士がいたとしても、刀が届かない距離から攻撃してくる相手にどう立ち向かうというのだ。

 大陸全土を覆う魔力結界すら張ることができる化物に目をつけられたら、逃げるも逃げないもない。

 こんな貧しい隠れ里など、炎の一吹き二吹きで消え去るだろう。

 そんな簡単なこともわからない大人たちは、渓谷にへばりつくようにして細々と拓かれた里の上空を飛ぶ龍の影の下で、右往左往していた。

 いつか終わると思っていた生活が壊れるときなど呆気ないと思いつつ、空を見上げる。

 いつか行ってみたいと焦がれるほど望んでいた空を駆ける龍と、その背に乗る戦士。

 二つのいのちを一つとして、自由に空を行く彼らが、ただひたすらに羨ましかった。

 自分には決して届かない高みにいる彼らが、妬ましかった。

 無慈悲に、空から自分たちを睥睨する龍を睨んだときだ。

 黒龍の背から、人が一人、飛び降りて来たのだ。

 無造作に鞍の上に立ったかと思うや、そいつは躊躇いなく足を下にし、飛び降りた。

 猫のように軽やかに降り立ったその姿を、自分は今も、忘れていない。

 川底の泥色のような黒の髪は紐で束ねられ、その両眼は濃い紫色。髭の影すら見えない白磁の肌をし、歳は二十歳の前半か、半ば程度。

 だけど、どれだけ若く見えても、その眼にある光はもっと深い、様々なものを見てきた色をしていた。

 里の老人たちと少し似ていて、でももっと深みに佇んでいるような、そんな眼だった。

 紫眼の青年は、口を開く。

 黒を基調にし、銀色の篭手や脛当てがついた衣はドラゴン乗りの軍装で、腰には飾り気ない革の鞘に収まった長剣が佩かれていた。

 

「この里の長と、話がしたい」

 

 青年が口を開いて告げたその言葉は、まるで何かの託宣のように人々をその場に留める力があったことを、今も覚えている。

 ────それがただの幻想であったという事実と合わせて、鮮明にだ。

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 俺の師匠に曰く。

 人がドラゴンを選ぶのではない。ドラゴンが、人間を選ぶのだそうだ。

 そんなことは言うが、師匠は昔、剣を突きつけて契約しろとドラゴンに迫ったという。

 師匠の古い知り合いが、くすくす笑いながら教えてくれたことである。

 若いころの話をばらされた師匠は、自分の失敗のうちの一つだからこそ、お前にやってほしくないのだと、元々表情に乏しい顔に精一杯の苦味を浮かべ、つけつけと言っていた。

 ドラゴン乗りは、なりたいと思ってなれるものではない。

 そして、一度印が刻まれたならば、降りることは許されない。

 選ぶのではなく、選ばれてこそなれるものなのだと、師匠は真面目に言うのだ。

 ドラゴンと二度目の契約を交わした折、深い紫に染まったという、二つの眼で真っ直ぐにこちらを見つめながら。

 真剣な話をするときの師匠の瞳は、人間のそれではなく、宝石を嵌め込んだかのように硬質に光っていて、だからこそ、その瞳がとても苦手だった。

 自分に注がれるには、あまりに視線が真っ直ぐすぎて、そこにある光が一途過ぎて。

 翻って今の状況は、まさにその眼差しから逃げた結果、であるのだろう。

 

「なぁ、さっきの見てたぞ!すごいなぁ!すごく強いだろ!」

 

 ドラゴン乗りたちの本拠地、円状都市アジャーティの闘技場。そこに自分はいた。

 目の前にいるのは、黒い髪に明るい金色の瞳を輝かせる同じ年頃の少年。

 こちらもこの歳にしては背が高いほうなのだが、さっきからしきりと話しかけてくるこいつのほうが、やや背が高い。

 割と、ムカつく。

 押し黙ったまま壁にもたれ、腕組みを崩さないこちらをどう思ったのか、少年は何かに気づいたように眼を瞬いた。

 

「あっ、名乗りもせずにいきなりすまないな。俺はルグナ!そちらの名前は?教えてくれないか?」

「……」

 

 離れようにも、ここは闘技場の舞台裏、控えの部屋でどこかに行きようもない。

 他の参加者が見ている中で騒ぎを起こすのも良い話ではないと判断し、口を開くことにした。

 

「……ハヤ、だ。姓はない」

「ありがとう。良い名前だな、ハヤ!」

 

 何故、こうもあけっぴろげに笑うのだろうと思いながら、自分はただ黙っていた。

 少しどころか、普通に後ろ暗いものを抱えてここに来ている上、元々他人に明るく話しかけられるのに慣れていない。

 見ず知らずの人間の眼を真っ直ぐに覗き込めるような人間は、こちらにとっては未知も良いところだった。

 日頃から身近にいる人間は師匠くらいであるが、師匠は世辞にもにこやかな人間ではない。

 世の無愛想と無表情を煮込んで、抽出したような人なのだ。

 岩よりいくらかマシな話し相手とすら、言われていたことがある。岩と比べられる人間てそれはどうなんだ。

 

「ところでハヤ、俺はそちらに聞きたいことがあるんだが」

「後にしてくれないか」

 

 今この日、この闘技場では一年に二度の【闘技祭】が行われているのだ。

 文字通り、大陸中から腕に覚えのある者が集い、開かれるこの大会で、自分は本戦に残っていた。

 ルグナも同じように残っている人間なのだろう。立ち居振る舞いが堂に入っていた。

 それも当然だ。

 次は準決勝だから、ここまで残っている人間に弱い者はいないはずなのだ。

 そもそもこのルグナが、次の対戦相手ではないだろうか。

 次に戦う相手と、あれこれ話すなどしち面倒で敵わない。変に顔など覚えたら、相手がしにくい。

 そう思っている間に、案の定自分と、目の前のルグナの名前が無機質な声で呼ばれる。

 傍らに立てかけていた鞘に入ったままの剣を取り、闘技場の入り口へと歩き出す。

 

「あっ、ちょっと待ってくれよ!大事な話なんだ!」

 

 だというのに、ルグナは慌てたようにこちらの隣に並び、やはり屈託なく話しかけて来た。

 それも無視して進もうとした途端に、ぴり、と肌が痛みに似た微かな気配を感じた。

 

「……なんだ」

 

 いきなり気配に込められた、針のような鋭さに立ち止まれば、朗らかな笑顔を引っ込め、ルグナは眼を細める。

 金色の瞳が、刃物のように細くなっていた。

 彼の指が指したのは、この手が持つ剣だ。

 飾り気ない黒い革の鞘に収められ、茶色い革が柄に巻かれた一振りの両手剣。

 

「アンタが持っているその剣、それはどこで手に入れたんだ?」

 

 朗らかだった雰囲気が剥がれ落ちるように変わる。左の腰に吊るしたルグナの剣の、柄頭に嵌め込まれた金色の石が光った。

 どうして知っているのだろう、とは考えなかった。

 ルグナの服の釦に刻まれている、蔓草が氷花に絡み付いた紋章には、とっくに気がついていたからだ。

 ルグナの顔に見覚えはない。完全な初対面だ。だが、その家紋に見覚えはあった。それをぶら下げた家の人間であるならば、確かにばれてもおかしくはない。

 なんでこんな家の人間がここに来るんだと、愚痴混じりな想いはあるが、人生そんなもんだろう。

 早々に、諦めた。

 

「……後で話すっつってんだろ。あんたに負けたら、全部話すさ」

「本当か?」

「あんだけ観客がいるんだぞ。逃げるも逃げないもないだろ。言っとくけど、俺は別に盗んだわけじゃねぇよ」

「い、潔いな!まぁ、もし逃げていたなら、追いかけてぶっとばしてたけどな」

「お前、顔に似合わず物騒だな。お坊ちゃん」

「お坊ちゃんじゃない!俺はルグナだ」

 

 細められていた眼が元に戻る。ルグナはにやりと笑った。

 その微笑みになんとなく怖いものを感じて、ルグナから半歩横に離れる。

 そう、自分は盗んではいないのだ。盗んでは。

 勝手に、無断で、師匠が持つ赤い剣を借りただけであって、盗んだつもりはないのである。

 ──────結構な詭弁であることは、百も承知だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 凡そ五十年前、この世界は呪われたという。

 血のように赤い瞳と髪を持つ黒龍の乗り手によって、世界は呪われると同時に、護られたと人々は語るのだ。

 北大陸から押し寄せ、人を喰らったという魔族から、南の大陸全土と海の一部を護る【百年結界】。

 それをたった一人で張り、大陸を護ったのが、件の【赤】の乗り手だった。

 名は、アジィザ。

 ドラゴン乗りたちの本拠地、円状都市アジャーティの名の由来にもなった、五十年前の人間である。

 当時のドラゴン乗りたちの中で唯一の女の乗り手だった彼女は、今も尚様々に呼ばれている。

 その中で、最も知られている異名は【赤】の魔女と【赤】の巫女だ。

 彼女を畏れ嫌う者は魔女、敬い慕う者は巫女と呼ぶのだから、わかりやすいと言えばこれほどわかりやすい名はないだろう。

 後者の呼び方をしている人間が圧倒的に多いが、魔女呼ばわりする人間も皆無ではないのだ。

 人々を護るため、その身すべてを引き換えにして結界を張った彼女を何故恐れる者がいるのかと言えば、やはり彼女自身に起因する。

 

 結界を張った際、彼女は南の大陸すべての人間、すべてのドラゴンの脳裏に、ある化物の姿を直接叩き込んだのだ。

 燃え盛る炎のような、怒りの言葉と共に。

 この結界は、百年しかもたない。

 この時代を生きているお前たちの生は、魔族によって脅かされることはないだろう。

 だが、お前たちの子々孫々は違う。

 その化物、【混沌】を滅ぼさなければ、南大陸すべての生命は喰らいつくされるだろう。

 それが認められないならば、戦え、と。

 

 当時を克明に覚えている者のほとんどは、既に六十を越した老人である。

 が、その言葉に込められていた触れれば切れるような苛烈さと、悍ましく蠢いていた【混沌】の姿は、今でも決して忘れることができないという。

 戦え、止まるな、油断をするな、という叫びを直接頭に叩き込まれ、それでも未来を見据えられた者は、アジィザを讃えた。

 が、受け入れられなかった者は、あれだけの怒りを燃やしたドラゴン乗りが世界を呪ったと彼女を恐れたのだ。

 人知を超えた化物など、お前たちドラゴン乗りが倒すべきだろう。何故我々にまで戦えというのか、無意味に死ねというのか、と。

 そんな彼らは、黒の龍乗りを指して魔女と呼ぶ。

 

 馬鹿な話だと、心底思う。

 呪うも呪わないもない。何百年も前から、あの【混沌】は世界に巣くっていた。

 黒のドラゴン乗りは、ただ真実を明らかにしただけ。

 それに耐えられなかった者が逆恨みして勝手につけた名だけが、独り歩きしているのだ。

 

 足掻こうが目を逸らそうが、平穏な世界の寿命はあと長くて五十年。

 その先に訪れる『好機』を上手く活用できなければ、この世界は滅びる。

 それだけが、真実だ。

 

 そんな話を、唐突に思い出した。

 今この場で、金色の瞳を光らせる少年を相手にして。

 瞳の奥に、昔のことを語るときの師匠と、同じものを見たからだ。

 同時に、こんな場面で思い出すことではなかったと、少し後悔する。

 これは余分だ。邪念だ。今の自分には、いらない感情だ。

 何故ならここは、闘技祭の会場。五十年前の戦いを讃えるためにと作られた『祭り』。

 闘技と名がついてこそいても、魔力を用いてる戦士すら現れない祭りは、師匠が言わせれば単なる演劇の舞台にも等しい。

 飾った舞台の上で行う人々を安心させるための見世物であって、本当にいのちを懸けて腕を試すためのものではない。まったくの無意味な祭りだとは言わないが、それでも俺は行く必要を感じない、むしろ行きたくない、というのが師匠の意見だった。多分、最後の一言が本音だろう。

 だが、自分はこの場に立っている。

 闘技祭を勝ち抜いた者に与えられる一つの権利。それが欲しくて、この街を訪れたのだ。

 南大陸から老若男女問わず集った腕に覚えがある者と言っても、闘技祭の参加者は師匠よりも遥かに─────弱い。

 師匠に連日しごかれている身にとっては、多少苦戦するときもあれど、勝てないと思う相手はここまでいなかった。

 それはきっと、ルグナも同じだろう。纏う雰囲気には、何某か余裕のようなものがあった。

 観客が飛ばす野次も、ぐだぐだと続く解説役の煽るような謳い文句も何もかも、すべて受け流している。

 自分と、同じだった。

 

 もしかすれば、このルグナも何か腕を競う以外の目的があって、闘技祭に参加したのかもしれない。

 

 審判役の男の口上を信じるならば、ルグナは十七歳。同じ歳だ。

 大陸中央部から来て、ここまで苦戦はなく進んで来た希代の新星……だそうだ。

 審判共がこいつの服についた釦の紋章に気づいてないことはないだろうに一切触れないということは、見なかったことにされたらしい。

 面倒ごとだからと言って後回しにしないで欲しかった。

 

「【抜かず】のハヤって……なんだよ、クソ」

 

 勝手に解説役の男がつけた名を聞いて、鼻を鳴らした。

 抜かずは文字通りの名前だ。ここに至るまで一度も、自分は鞘から剣を抜いていない。

 抜いていないままの剣一本で、ぶん殴るかぶっ飛ばすかでここまで勝ってきたのだ。

 端からどう見えているのかは知らないが、断じて相手を舐めてかかってそうしているのではない。

 認めるのは、非常に、非常に不本意であるが、抜きたくとも抜けないのだ。

 抜けない剣など、ただの鈍器である。

 ならば棍棒を使えよと言われそうだが、自分はここまで剣を手放さず、しかも勝って来た。

 一方のルグナは、長剣一本。造りはこちらの持つ剣と同じである。

 砂が敷かれた闘技場の中央で向き合い、鞘から剣を抜いたルグナは切っ先をこちらに向け、断固とした口調で言った。

 

「さっきも言ったが……俺が勝てば、何故アンタがその剣を持っているのか話してもらうからな」

「勝てば、な」

 

 客観的に見て、ルグナと自分の強さは、同じほどに思えた。

 素の強さが同じならば、抜けない剣を無様に振り回している自分よりも、銀色の剣を自在に操るルグナのほうに分があるだろう。

 しかし、こちらにはこの剣を手放すことができない。できない理由があったのだ。

 手にしっくりと馴染まない黒い革の柄を、強く握りしめた。

 自分では赤い剣を操り、閃くような速さで敵を斬る師匠のようには戦えない。

 剣すら抜けないのだから、笑い話だ。笑い話以下の、とんだ駄作だ。

 だが、どうしても譲れないものがあった。

 ルグナに、負けるわけにはいかない。負けたくない。

 一段高いところに座っている審判役が、真っ直ぐに片手を上げる。

 

「では──────試合、開始!」

 

 砂を蹴って、先に跳び込んで来たのはルグナのほうだった。

 腰だめに構えた剣を横薙ぎにして、左腕を狙って来る。

 刃引きしてないんだぞと内心罵りながら、鞘ごとその一撃を受けた。

 峰で受け流し、体を回転させてルグナの脇腹を狙う。だが剣を一瞬で引き戻したルグナは、その攻撃をぎりぎりで凌ぐ。

 当たっておけよ、と舌打ちが漏れた。

 互いに距離を取り、それぞれの得物を構え直した。

 

「お前なぁ!この場面で人死に出す気かよ!真剣だろ馬鹿!」

「まさか!アンタならば受けられると思っていたぞ!そっちだって真剣だろう!」

「そりゃどうもっ!」

 

 ほぼ同時に踏み込み、二本の剣がぶつかり合った。

 銀色の刃を正面から受けても、赤い剣を収めた鞘は傷ひとつつかない。龍革の鞘は、さすがに頑丈極まりなかった。

 だからこそ単なる棍棒なのだ。

 罵りながら、剣を握ってルグナと斬り結んだ。

 審判の声も、観客の声も遠く、水の中にいるようにはっきりと聞こえない。

 視界には金色の瞳を光らせる少年の姿だけがあった。

 ルグナは、強い。

 師匠のような、高みにいる隔絶した強さではない。

 競い合い、技をぶつけることで高め合うことができる領域にいる強敵だった。

 ルグナも同じものを感じていると、確信があった。瞳の奥に、隠しきれない明るさが弾けていた。

 こちらの剣がルグナの額を、ルグナの剣が自分の脇腹を狙い、突きが放たれる。

 だが、自分たちの技が、同時に炸裂しかけたその瞬間である。

 唐突に、何の前触れもなく、闘技場の上に黒い影が差したからだ。

 頭上に現れた膨大な魔力の反応に、頭より先に体が反応した。咄嗟に剣を引き、全力で後ろに跳び退る。

 直前に、とりあえずルグナを蹴り飛ばして距離を取らせた。

 

 互いに後ろへと跳んだ刹那、開いた空間に風の塊が叩きつけられた。

 砂が巻き上げられ、砂嵐が起きる。風が吹き荒れ、観客席から浮ついた悲鳴が上がった。

 顔に叩きつけられる砂粒を避けるため、腕で顔を覆ったこちらの視界に、ゆらりと立ち上がる人影が目に入った。

 

 空中に現れた、黒く巨大な影。そこから、一人の人間が、跳び下りて来たのである。

 風がさらに強くなり、闘技場を覆っていた砂嵐が吹き散らされる。

 晴れた砂幕のその向こう、仁王立ちになっている姿があった。

 水底に澱む黒土のような、くすんだ色の髪を風にたなびかせ、銀の籠手や脛当てがついた簡素な青の衣を纏う、丈高い青年である。

 腕に巻かれた白布にいくつも縫いつけられた、宝石のような磨き抜かれた黒い石が、天高く昇った太陽に照らされてよく光っていた。

 青年の頭上、丸く区切られた闘技場の空を悠々と飛ぶのは、黒い鱗を光らせる巨大なドラゴン。

 そのドラゴンの背に乗って圧縮した風の塊を闘技場に叩きつけ、祭りの闘技の只中に乗り込んで来た青年は、俯きがちだった顔を真っ直ぐ上げると、辺りを睥睨した。

 ぴりぴりと、項が粟立つ、

 

「し、師匠……」

 

 思わず、その名を呼ぶ。半ばそれは、反射に近かった。

 ぎろり、と恐ろしいほどに鋭い紫の瞳が、砂塵を突き抜けて、鞘込めされた剣を握るこちらを射抜いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




前作からざっくり50年後が舞台です。


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