セカイの呪いを解くために。   作:はたけのなすび

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お久しぶりです。
お待たせしました。

では。


その七

 

 

 

 翌日、師匠は朝飯の粥を食べながらいきなり、この山から龍に乗って飛ぶと宣言した。

 あまりにきっぱりした口調だったものだから、昨日の話の折りに見えた井戸の底のような暗さなど、欠片もなかったかのようだった。

 

「飛んで、どこへ行くんですか?」

「ヴェスタ山の麓の街までだ。そこに、魔族が出たという知らせが来た」

 

 たちまち、朝食の席は凍りついた。

 だってそれは、有り得ないはずだ。結界はまだ、あと五十年は保たれるはずなのだから。

 一様に顔色を青褪めさせた弟子たちの顔色を読んだのか、師匠は食器を置いてかぶりを振った。

 

「落ち着け。まだ魔族と決まったわけではない」

「だけど、疑わしくはあるんですよね。でなければ、師匠が行くなんてことにならないでしょう?」

 

 ホノメが問えば、やや苦い顔をしたまま、師匠は頷いた。

 魔族に襲われたという事件自体は時折起こるのだが、それらの中身はただ尋常でない大きさの獣に動転しただけだったり、魔族と見せかけた、ただの野盗の仕業であるのだ。本物の魔族が現れたという話は、一度も聞いたことがなかった。

 五十年前の魔族たちの恐怖は、まだ人々の間から拭い去られておらず、不安に駆られた人間たちが騒ぐことはあるが、龍たちの手を借りず国の手でどうにかなる程度の騒ぎなのだ。

 だが、師匠のような【五翼将】にまで指令が来るということは、それは、本物の可能性が高い。

 この大陸に再び魔族が現れるときは、この世界がもう一度滅亡の危機に晒され、最後の戦いが起こるときのみのはずなのに。

 魔族と戦ったことがない自分たち三人でさえ、身構えるほどに。

 

「……結界が、破られたわけではない。破壊されたならわかるように、術式が加えられている」

 

 そちらからの報告がないのに、現に魔族に襲われたと訴え出た町があったというのだ。

 

「戦闘も予測される。お前たちも準備は整えろ」

 

 ホノメ、ルグナ、俺の三人は揃って、はい、と答えた。

 いっそ本物の野盗であってくれればよいのだが、そうなればなったでどのみち戦闘の可能性はある。

 魔族相手になるなら、自分の対人特化の剣術がどこまで通じるのだろうか。

 

「俯いている暇はないと思うぞ!現に俺も、兄上からは生まれ持ったものを生かしたいなら、人を相手にする職を探せこの愚弟!と尻を蹴っ飛ばされたが、そのまま家を出てきたからな」

 

 常に元気印のようなルグナだが、それなりに色々あったらしい。尻を蹴飛ばした勢いで家出されたなら、蹴ったほうは堪った者じゃないと思うのだが。

 冷徹と冷静と冷血が紙一重のところできりきり舞いしている、と以前師匠が漏らしたような人が兄貴で、何故こうもやかましい弟になったのかは甚だ疑問であるが。

 

「お前はまだいいだろ。魔力を放出できるんだから」

 

 確かにルグナの、先読みの域にまで達している読心能力は魔族相手には通じないだろう。

 最悪、死体の思念を読み取って発狂しかねない。

 だが、体内に巡らせるしかできない出来損ないよりはどれだけマシか。

 龍の鞍の革紐を、知らず力を込めて引く。

 苛々するのだ。あの子ができることができない自分に。できないことを認められない自分自身に。

 

「俺に勝った君がその有様だと、こちらも惨めになるのだがなぁ」

「だーかーらー、勝手に心読むなっつってんだよ。もう一回ぶちのめすぞ、お前」

「いや、読んでいない!君がわかりやすいだけだ!」

「いい加減にしなさい愚弟ども。まとめて私に吹き飛ばされたいの?」

 

 手は止めていなかったのだが、目を三角にしたホノメの周囲には魔力で起こした風が吹いていたので早々に口を閉じた。

 ヴェスタ山の麓までは、ドラゴンに乗って行く。ドラゴン乗りでない自分とルグナは、コクヨウとアメノに乗せてもらうことになるのだ。

 編成は、自分がアメノに、ルグナがコクヨウに乗るということになった。

 

「落ちるんじゃないわよ。落ちるまで助けないからね」

「落ちたら助けてくれるんだろ、それ」

 

 言い返すと、普通に頭を叩かれる。

 二人乗り用の鞍についている騎乗帯で体を固定すれば、それで準備完了なのだ。手間取るかと思ったルグナのほうも、普通に乗り込んでいた。

 

「あんた、あのルグナとすぐに仲良くなれたの?」

「……仲良いのか、あれ」

 

 自分もルグナも、好き勝手なことを喋ってるようにしか思わないのだが。

 そういうと、ホノメは呆れたように頭を振った。

 

「知らないわよ。でも連携はとれてたじゃない。狙い撃つのに苦労したもの」

 

 その判断基準はどうなのかと思うのだが、ホノメも自分も友人というものがいた覚えはない。誰の顔も、具体的に浮かばないのだ。

 ピィ、と師匠の指笛が響く。コクヨウが翼を広げ、今にも飛び上がろうとしていた。

 砂塵除けの眼鏡をかけて、ホノメに頷けば、彼女はアメノの首を手で叩く。薄い紫の翼が広げられ、龍の体が浮き上がる。

 ふわり、と内臓が浮き上がるような心地になる。

 

「下見てると酔うわよ」

「……」

 

 素っ気ないホノメの言葉を聞きながら、家はみるみるうちに足の下で小さくなって行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ヴェスタ山の麓の街は、青色に見えた。

 万年雪を頂く山の麓に造られた小さな街で、周りを木々に囲まれているのだが、建物の屋根が一様に明るい青に塗られているのだ。

 街を囲む壁の外に広がる草地でドラゴンから降り、降りたところには既に街の人間が集っていた。

 

「お待ちしておりました。【黒】のレト様!」

 

 この街の長なのか、恰幅の良さそうな男と、その秘書らしい痩せた女である。

 待たせてすまない、と簡潔に言った師匠を見る彼らの眼には、はっきりと畏怖があった。背後に小山のような黒龍がいるのだから、それも当然だ。だが、相対している師匠は威圧しているつもりはほぼ無いに違いない。

 さらに、多分出迎えた彼らの眼には、同じドラゴン乗りの弟子であるホノメくらいしか見えていないのだろう。

 隣では、ルグナが眉をへの字にしていた。

 

「どうした?」

「……さすがに俺も、誰彼構わず心を覗いたりしないぞ。そういう人間と思われていたなら心外なのだが」

「眉間に皺が寄ってるから聞いたんだよ」

「む。それはすまない。……いや、なんというか、ここに本当に魔族が出たのだろうかと考えると、緊張したんだ」

「緊張しすぎると却って駄目よ」

 

 弟子三人で言い合っているうちに、師匠と街長の話は終わったらしい。

 読めない表情で戻って来て、戻って来るなりこう言った。

 

「ホノメ、ハヤ、ルグナ。今からしばらく、俺とは別行動だ。魔族が出たと言われた箇所が、街の各所に散っている。手分けして散策すべきだ。それから、人数分けだが……一人増える」

「はい?」

 

 手分けして別行動、まではわかる。だが誰が増えるのかと聞くまでもなく、そいつは現れた。

 

「はいはーい!私ですよぉ!」

 

 えいやっ、というふざけたかけ声と共に上から跳び降りて来たのは、白髪の若い女だった。

 着地したその手に握られているのは、先に鞘をつけた槍。

 上を見れば、そこには枝を張り出した木がある。まさか、そこにいたのかこいつ。

 咄嗟に何も言えない俺たちの前で、女は目をぱちぱちと瞬かせた。

 

「あれっ?通じませんでしたか?せっかく準備して隠れてたんですけどねぇ。あ、お久しぶりです師匠」

「久しぶりだ、ヨミ。だが毎度毎度、お前は普通に出てくることができないのか?」

「普通じゃあつまらないじゃないですか。でもこの子たち大丈夫なんです?私が上にいたのに、気づけてないんですよ。上からグッサリしても、わからなかったんじゃないですかねぇ?」

 

 雪のような艶のある白髪の女の瞳は、夜のように真っ黒だった。

 表情は笑っているのに、目にまったく笑みがないのだ。顔がなまじ人形のように整っているだけに、ちぐはぐさが無視できなかった。

 対する師匠は、いつものようにきっぱりとした口調で言う。

 

「それはない。殺そうとしても、ハヤは反応できたろう。ホノメは気づくのが遅かろうが魔力障壁で弾ける。ルグナは……根性で一撃では殺されないだろう」

「師匠ォ!」

 

 確実に論点がずれたことを言った師匠は、俺の大声に驚いたように紫の瞳を瞬かせていた。

 そこじゃないだろうが。そもそも誰がこいつは。

 

「えぇ、本当ですかぁ?っていうか、そのハヤってどの子です?あ、いえ、待って下さい。自力で当てますので」

 

 白髪女は腰に手を当て、じろじろとこちらを眺めまわす。時間の無駄という言葉が頭を掠め、自分はあっさり手を上げた。

 

「いいだろそんなこと。俺だよ。俺がハヤだ。で、あんたは誰だ」

 

 それを聞いて、女は首を傾げて師匠の方を向いた。

 

「あれれ、師匠。私のことを話してないんですか?姉弟子じゃないですか」

「師匠と呼ばれるほど、俺はお前に何かを教えることができたためしはないだろう、ヨミ」

 

 ヨミ、ともう一度名を呼ばれた白髪女は、猫のようににんまりと笑った。それだけを見るならば、人懐っこそうであるのに、さっきまでの言動で色々と台無しである。ホノメやルグナも、呆気にとられたように目を瞬いていた。

 

「そんなこと、私は気にしてないのですが。ええ、でも確かに、これ以上騒いでいても仕方がありませんので、名乗りましょう」

 

 手に持っていた短めの槍の石突きで地面を叩き、ヨミという名の女は、胸に手を当てて名乗った。

 

「初めまして、【黒】の弟子。私はヨミ。龍の戦士ではありませんが、これでもそれなりの魔力持ちです。言っておきますが私、かーなり強いですので、そのつもりで。さて、こうして名乗ったからにはあなたたちの名前を聞きたいのですけれど、そっちの二人はどっちがどっちなんです?」

「……ホノメよ。あそこの藤色の龍は、アメノ」

「俺はルグナだ!初めましてだな!」

「ははあ、声が大きいのですねぇ。いいことですよ、ルグナくん。ちなみに私、姉弟子でもありますけど、歳でも皆さんより上なので、大いに頼りにしてくれて構いませんよ」

 

 どんっ、と胸につけた薄い金属の胸当てを拳で叩き、ヨミはそっくり返る。

 その様子は完全に面倒見の良さそうな人間のそれで、先ほどのちぐはぐさが拭い去られて消えたようだった。

 

「わかったと思うが、こいつが今回手を貸してくれる四人目だ。ホノメ、ハヤ、ルグナはヨミと行動しろ。四人一組だ。別れて動いても構わないが、決して一人では動くな。かならず二人以上で動け」

 

 ここに魔族が出た可能性を忘れるな、と師匠は堅く言い切った。

 

「ええ、私は昨日ここに着いたのですけどね、本気で怪しいですよこれは」

「怪しい?」

「ええ、ええ。では、事件のあらましを……と、これは私が語っても構いませんか?それとも、師匠が説明されます?」

「いや、頼む。俺が聞いた話とのすり合わせもしたい」

 

 心得ました、とお道化た敬礼をしてから、ヨミは口を開いた。

 この街が襲われたのは三日前。

 街を囲む城壁が崩され、門番が十人殺された。それを目撃した住民曰く、いきなり一撃で壁が破壊されたかと思うと、剣を持った骸骨が現れ、門番を切り捨てたのだと言う。続けて現れたのは、腐肉の翼で空を飛ぶ、屍竜。

 屍竜は門の詰め所に飛び込み、中にいた門番を喰い殺したという。

 だが、屍竜はそれだけを為して骸骨を掴み取り、あっさりと飛び去ったのだ。

 後には破壊された壁と詰め所、門番の死体が転がっていただけだという。

 それが、街の三か所で同時に起きたのだ。

 

「おかしいのはやはり、被害が()()()()()ことだと思うのです。本当に魔族だったならば、人間を十人食い殺した程度で自分のほうから下がるなんて、あり得ないでしょう?その上、目撃者まで残してるんです。おかしいことしかありません。この大きさの街に対して、屍竜三体に骸骨数体だったならば、一晩で半分は喰うことができたでしょうに」

 

 けろりとした顔で恐ろしいことを言うヨミは、この周辺大陸中を旅して回っているのだという。どこにも属さない魔力持ちとして、護衛や武者修行のようなことをしていたらしい。

 この街の近くまで来たとき、この街が魔族に襲われたこと、そして【黒】が解決のためにやって来るのを聞きつけ、街の人間に自分は【黒】の弟子だったから協力できる、と提案したそうだ。

 弟子であるかは証明できたものではなかったが、嘘だったならば追い払えばいいし報酬もいらない、と言い張るヨミを、街の連中はそのままにしていたそうだ。実際、ヨミは弟子でこそないが、この様子だと師匠と繋がりがあるのは、本当のことらしかった。

 

「しばらく前に稽古をつけただけだ。師匠と呼ばれるほどではない」

「そうですねぇ。でも私にとって、師匠は百年経っても師匠なんですよ。それに、師匠も私が手伝うと言ったのを拒みませんでしたよね?それくらいには信用してもらってると思っていいでしょう。お弟子さん三人も連れてきているってことは、師匠も本気の本気で来たようですし」

 

 だがそれにしてもこの女、滅茶苦茶よく喋る。

 ホノメも師匠も自分も、揃って無口でもないがお喋りという性格でもないため、必要最低限と少しくらいにしか会話をしない。だからあの家は、静けさが常にあった。

 そこへルグナが来て大分会話の音量が上がり、ここへ来てこのお喋り女である。

 ヨミに肯定も否定も返すことはなく、師匠はこっちを見た。

 

「ヨミはこういうやつだ。三人とも、こいつと協力して事に当たるように。六時に中央広場へ集合。それからホノメ、アメノはここで待機だ。コクヨウとじゃれたりしないよう、よくよく言っておけ」

「はい」

「連絡は以上だ。ハヤ、ホノメ、教えたことを忘れるな。全員、気をつけて事に当たれ」

 

 次の瞬間、師匠は消えていた。

 魔力を用いてどうこうではなく、素のままの身体能力で跳んで行ってしまったのである。師匠が消えるのとほぼ同時に、かなり離れたところの森の木が揺れて、鳥が飛び去って行くのが見えた。

 多分、駆け抜けていく師匠に驚いて鳥たちは飛んだのである。

 目の上で手日差しをつくりつつ、ヨミは軽い口調で言った。

 

「やあやあ、あの人は相変わらずせっかちですね。いえ、こういう事件ならば当然なのでしょうが。それでは皆々さん、ひとまずここから最も近い事件現場へ向かいましょう。ええ、時間は貴重ですからね。それからハヤくん、君の武器はその刀ですか?」

「そうだが」

 

 ヨミの視線は、自分が腰に差した刀に向いていた。初見でこれを刀と正しい名で呼ぶ者は、あまりいない。

 大概、変わった形の剣だと思うだけなのだ。だがヨミは、あっさりと名を当てた。加えてこいつの、薄い灰色の衣の前を帯で締め、裾を絞った袴を纏うその装束は、大いに見覚えがあった。

 

「そんなに警戒しなくてもいいじゃありませんか。同じ師匠についてた弟子なのに。それにほら、見て下さい」

 

 ヨミが槍の鞘を取り払う。そこにあったのは両刃の穂先ではなく、片刃の白刃そのものだったのだ。

 槍ではないその武器の名を、自分は知っていた。

 

「薙刀というのでしょう?この武器は。私は大陸中を旅していた武辺者ですし、師匠からも聞いて、君たちの里の武術も知っているのですよ。ですからハヤ君、仲良くしてくださいね」

 

 

 薙刀を携えて嗤うヨミの瞳は、黒を湛えた闇のようだった。

 身構えているふうにも、闘気があるわけでもないのに、向かい合うとどうしてか刀の柄に手をかけたくなる。一言でいうと、こいつは得体が知れなかった。

 

「……ああ、よろしくな」

 

 だが、得体が知れなかろうが胡散臭かろうが、こんなところで刀なんて抜けるわけがない。第一、ヨミは何も間違ったことを言っていないしやってもない。印象はすべて、勝手な自分の主観なのだ。

 会釈すれば、ヨミは同じように挨拶を返して来た。

 頭を上げれば、白い髪を風になびかせつつヨミはにこりと微笑んだ。

 

「挨拶をちゃんとするって、いいものですねぇ。ちゃんと挨拶を返してくれる人はいいと知っていますよ、私!ホノメちゃんも、よろしくお願いしますね」

 

 にこにこと懐っこそうな笑みを浮かべたまま、ヨミは薙刀の先に鞘をつけた。ぎらぎらと光っていた白刃は隠され、ヨミは薙刀を肩に担ぐ。

 ホノメはヤツミ草の汁を前にしたかのような顔になりつつヨミを見、絞り出すように答えた。

 

「よろしく。だけどちゃん付けはやめて。ヨミさん」

「そうですか?では、ホノメさんで」

 

 綺麗すぎる微笑みのヨミと、苦い薬草を呑んだ顔のホノメの二人を見比べ、自分は隣で同じことをして同じように困惑しているらしいルグナと視線を合わせる。

 なんでいきなりこんな特大のややこしそうな人を置いて行ったんですか、ともう気配も辿れなくなった師匠に、届きもしない恨み言を呟くのだった。

 

 

 

 

 




薙刀白髪少女、ヨミです。

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