「…………」
マーリンがオアシスに向かってから、3時間が過ぎようとしていた。
1時間ほど前まではかすかに感じられた気も、遠く離れすぎたせいか、今はもう捉えられない。
「……やっぱり逃げたかもな……」
そうぼんやりとヤムチャは思う。今日の修行は、いわば素人の女の子にとってはあまりに過酷なものだったと自分でも判っていた。しかし、それを承知でヤムチャはあの修行を課したのだ。
だから、それならそれでいい、と男は一人笑った。
…もはや少女の『敵』であるサイヤ人はほとんど存在しない。ベジータの生存を彼女に伝えていない以上、後は悟空ただひとり。それさえあきらめれば地球を出て、どこかで平和に暮らす事も出来るはず。あんな女の子が、これ以上血みどろの戦いに身を投じるのは間違っている…。そう考えた。
だからヤムチャは半ば、わざとマーリンが逃げ出したくなるようなハードな修行を課したのだ。
しかし。それは理由の半分に過ぎない。ただマーリンに諦めさせるだけなら、他にいくらでも方法はあっただろう。なのに何故、自分はあんなことを、マーリンに武術の修行をさせたのか。
…ヤムチャ自身にも理由はよく判らない。
彼女の熱意にほだされた…という部分は確かにある。しかしそれだけでは決してない。失いかけていた純粋な力への情熱、あるいは失いつつある悟空への対抗心。思い当たるところはいくつか浮かんだが、納得の行く答えは見つからなかった。その時。
ふいに洞窟の入り口から、かつん、と物音がした。動物か風か、あるいは気の毒な物盗りか。しかし、顔を上げたヤムチャの目に飛び込んできたのはそのいずれでも…無かった。
「…お…お前……」
果たしてそこにいたのは…マーリンだった。いまだ身体が痛むのか、少しふらつきながら、少女がヤムチャにゆっくりと近づく。
「…………っ…」
恐らくは逃げたのだと判断したすぐ直後だけに、ヤムチャにはにわかには信じられない光景だった。思わず声を失い、ぽかんと立ち尽くした男に、マーリンがくすりと笑いかける。
「…ふふ、お前ほどの男がわたしの接近に気がつかなかったとはな。それとも…少々お前の事を買い被っていたかな…?」
ヤムチャの表情を勘違いしたマーリンは、してやったり、という風情でそう言いながら、どっかと地面に腰を降ろす。
「なんで…」
なんで戻ってきた…。ヤムチャはそう言い掛けるが、すんでのところでそれを押し留めた。
その言葉は少女に対する侮辱だ。
そして、また自分は昔と同じ過ちを繰り返している事に気付く。相手の姿かたちで判断し、本質を見ようとしないのは自分の悪いクセだ。これまでに何度も、その癖のせいで痛い目にあって来ているにも関わらず。
…改めてヤムチャは理解した。マーリンはまぎれもなく『戦士』なのだ。例え自分よりも力が劣ろうとも、例え外見が少女であっても、戦う事しか出来ない、戦う事でしか自分に価値を見出せない人間なのだ。勝てない相手だからと言って、尻尾を巻いて逃げる事など出来るはずが無い。逃げ延び、得た命などは彼女にとって路傍の石ほどの価値も無いのだろう。
それに引き換え、自分はどうだ。ちょっと前までは互角とまでは言わないものの、それでも『戦う』ことぐらいは出来ていたのに、気がつけば比較する事すら馬鹿らしいほどの差がついてしまった悟空と自分。そしてそれを仕方無いとあきらめている自分。
だが、そんな悟空と自分以上の差があっても、なおマーリンは悟空に戦いを挑もうとしているのだ。
…自分は本当に、この少女よりも『強い』などと言えるのか…?
力は増しても、相変わらず自分はヘタレなのだと思う。何が精神と肉体の統一だ。何が協調だ。師の教えの受け売りをぺらぺらと並べ立ててマーリンに接していた自分に反吐が出る。
「…そんな事、俺にだって出来てないのによ…。はは…ばっかみたい…」
「……? さっきからどうしたんだ? ヤムチャ……」
「……ッッ…!!」
心配そうな表情でマーリンがヤムチャを伺う。その時、自問自答するヤムチャは唐突に理解した。なぜ自分がマーリンに武術を教える気になったのかを。
……自分は…この少女がまぶしかったのだ。恐ろしく、悲しいほど純粋で、そして誇り高い、マーリンという名の宇宙から来た少女が、今の自分には眩しすぎたのだ。だから………。
……だから自分はそんな少女に「現実」を…、どうやっても悟空には勝てっこないという事を思い知らせるために、修行を引き受けたのだ。そして現実に直面し、打ちひしがれてその魂が輝きを失う事を望んでいたのだ。まるで自分が辿った道のりのように…。
「……ぅ……ぁ……っ…!」
自分自身でも今の今まで気づかなかった、いや、気づこうとしなかった己の本心に、あまりに黒い願望に、ヤムチャはうつむき、呆然と立ちすくむばかりだった。
「…いったい…どうかしたのか、ヤムチャ…?」
不意にマーリンがヤムチャの顔を覗き込む。
「もしかして…さっきの言葉が気に障ったのか…? あ……、あの…あれはその…冗談というもので……」
またもヤムチャの表情を勘違いしたマーリンが、必死になって弁明をする。まるで父親に叱られた子供のように。そして、少ししてヤムチャがようやく我に返った。
「え…あ…マー…リン…?」
「うぅ…、だから…、す…すまないと言っているんだ…。お願いだからこっちを見てくれ…。…無視しないで…」
ふと気づけばマーリンは今にも泣き出しそうな表情で自分を見つめていた。自分の心の内にある、得体の知れないモノを凝視し続けていたヤムチャ。その見つめる視線の先に自分がいない事に、少女はひどくおびえていた。
「あ……、い、いや。悪い。ちょっと考え事をな……」
「…考え事……? そうか、これからのトレーニングの事か……?」
「ん、ま、まぁそんなとこだ……」
「…明日はもう少し頑張れそうだ。やはり風呂の効果とはすごいものだな! ふふふっ」
…我に返った自分を見て、ようやく安心したのか、マーリンの様子もいつも通りに戻る。それを見て、本当に不思議な少女だ、と改めてヤムチャは思う。
こうしていると本当にどこにでもいる女の子のようであり、いや、むしろ見た目よりも幼いぐらいの精神年齢に思えるほどなのに、幾多の戦場をくぐり抜けてきた程の戦士でもあるという。
あるいは『敵』やサイヤ人の命を奪う事に何の躊躇もないのに、それでいて、さっきのようなちょっとした事に、子供のようにショックを受けるガラスのようなこころ。
いったいどちらが本当のマーリンなんだろうか…と。
しかし、己がまた馬鹿なことを考えている事にヤムチャは気づく。それでもマーリンの本質はやはり戦士なのだ。自分との、そして悟空との戦いを見れば判る。勝利のためならば両腕の犠牲をもいとわない人間が、戦士以外の何者だというのか。
この癖は一生直らないかもな…とヤムチャは心の中で苦笑した。そして、続けて心の中でマーリンに謝罪し、改めて彼女に対し、今までの非礼…どこかでマーリンを少女だと見下していた事、同時に戦士として見ていなかった事、そして自分自身のおぞましい願望をもって修行に接しようとしていた事を詫び、男は改めて、本気でマーリンに協力することを誓った。
…そう、本気で悟空を倒す。そのためにマーリンを鍛え上げる事を。
人造人間のことも、その先のこともどうでもいい。刹那的と人からは言われるだろうが、マーリンの純粋さを踏みにじりかけた自分には、それだけが唯一の贖罪と言えるのだから。
「………?」
しかし、さっきまでは暗く険しい表情をしていたと思ったら、急に真剣な顔になり、そうかと思ったらだんだんと笑みまで浮かべるようになっていくヤムチャに、またマーリンの表情に不安の色が浮かぶ。
「ど…どうしたんだ…ヤムチャ…。…ま…まさかトレーニングの最中に頭でも打ったのか…?」
「ん…あぁ、なんでもないさ。それより悪かったな。一応口でも言っとくよ」
「……?………」
ますます訳が判らない風のマーリンだったが、とりあえずヤムチャが元に戻ったようなので、少し安心したのか、泣き笑いのような表情を浮かべている。
「…それにしても、さっきは驚いたぜ。全然気がつかなかったもんな」
「ふふ……、最初はまっすぐ飛ぶのにも苦労したが、要領を掴んでからはさほどでもなかったな」
「な……に……?」
我に返ったヤムチャが、先ほどの状況と会話をぼんやりと思い返す。が、マーリンの得意げな一言にまた呆然としかけた。
確かに自分は最低限の気の使用は許可したが、この洞窟近くまで接近されて気がつかないはずがない。しかし事実、ヤムチャは少女の接近にまったく気がつかなかったのだ。それほど見事な気のコントロールだったのだ。しかし。
「…これがお前の課した訓練の一環だと気づいてからは、ひたすらパワー…気……だったか。それのコントロールに専念したんだ。そうしたらほとんど気を消すことも出来るようになった」
「…え、ま、待てよ…。そんな事…俺は……」
信じがたいものを見るような目で、ヤムチャがマーリンを見る。
気のコントロール、おまけに気をほとんど完全に消す技など教えていないにも関わらず、少女はこの短期間にそれを自力でマスターしたというのだ。
「…何を不思議そうにしている? これもヤムチャ、お前の目論見通りなんだろう?」
「……い、いや……違……」
そう言いかけて、しかしすぐにヤムチャは口を閉じた。というよりも、あまりに信じがたい少女の言葉に絶句した。
…あるいは今日、マーリンが言っていたように、『他の戦士の戦い方を見様見真似で学んだ』のだろうかとヤムチャは考えた。以前の自分との戦い、悟空との戦い、そして自分が修行中の界王拳を見て得た、気の概念とその操作を。
だが、それは口でいうほど容易いことではない。これがもし本当なら、マーリンのセンスは並大抵のものでは無い……。
「……これは…、もしかしたらもしかするかもな…」
そう言ってヤムチャはにやりと哂った。マーリンの好意的な勘違いも否定せずにおいた。その方がこれからの修行には好都合だろうから。
…そして、ふと湧き上がってきた光景に、年甲斐も無くヤムチャの心が踊った。自分自身ではなくとも、自分が育て上げた戦士が宇宙最強の超サイヤ人を倒す…。
興奮によるなのか、それとも冒涜と感じたのか。そんな光景を想像したヤムチャの身体が……ぶるっとわずかに震えた。
「……よーし! そうと決まったら明日からはビシビシいくぞ! さっさとメシ食って寝ろ! 明日も早いんだからな! はははっ!」
「えぇぇ……、本当に大丈夫なのか…ヤムチャ……」
もう、何がなんだかさっぱり判らないマーリンだった。