「…………」
しばしの逡巡の後、観念したかのように、マーリンは無言のまま両腕を前に出した。
「オッケー。子供はそうやって素直なのが一番だ。はははっ!」
「…わたしは子供じゃない…。わたしからすれば、よほどお前の方が子供に見えるぞ…」
何か悔しそうにぶつぶつと少女が文句を言っているが、それはヤムチャには聞こえていないようだった。
軟膏状のものを掬い取り、差し出された少女の腕にそれを塗ろうとするヤムチャだったが、瞬間、ふっと以前にあった出来事を思い出す。
「あ…っと……、そう言えば…身体に触られるのは苦手だったっけな。…悪い」
少し前にあった、オアシスでの出来事がヤムチャの脳裏に蘇る。あの時は倒れそうになったマーリンを支えようとしただけで、突き飛ばされたのだ。だったら修行の時ならともかく、こんな平時にべったりと触られるのは、さすがに耐え難い事なのだろうと。
…自分のデリカシーの無さに、またも嫌気が差したヤムチャだった。
「…じゃあ、自分でそれを塗っとくんだぞ。もう俺は寝るから…」
そう言ってヤムチャは薬を置き、寝場所に戻ろうと立ち上がりかけた。しかし。
「…待て…。自分から言い出しておいてそれは無責任だろう。わたしだけでは塗りきれないところもあるんだぞ…」
非難するような口ぶりではあるが、顔は不思議と怒っている感じではなく、むしろ照れたような、はにかんだ表情のようにも見えるマーリンが、男を呼び止める。
「え…、で、でも…お前…、…触られるのは嫌なんじゃないのか?」
「…確かにそうだ。でも、これも訓練の一環と思えばいい…。…いいと…思う…」
「………? ……??」
何だか狐につままれたような気のするヤムチャだったが、ま、いいかと気持ちを切り替えたのだった、
そして少女の腕や足に怪しい何かをぺたぺたと塗り、後は身体を残すだけとなったのだが、さすがにそれはヤムチャも遠慮しようとした。しかし、背中には腕が届かない事もあって、止むを得ず背中だけはヤムチャの手に委ねられる事になってしまった。
…ゆらゆらと揺れる焚き火の炎が、マーリンの白い肌を赤く染める。それを直視しまいと、こちらも顔が赤く染まったヤムチャが必死で薄目で作業を続ける。もちろんヤムチャの顔が赤いのは、焚き火に照らされただけで無いのは言うまでも無い。
『…あぁもう!! 何考えてるんだよ俺は! こんなガキにドキドキなんかしてるんじゃねーーっ!! ていうかドキドキなんかしてないっ!! だいたいブルマに比べたら、こんなメリハリのないお子様ボディなんか魅力ゼロじゃねーか…! あ…でも、最初のころよりはずいぶんと身体つきは女らしくはなってきたよな…、前はほんとに鉛筆みたいな身体だったけど、今はこう、それなりに出るトコも出てきたし…って!! 違う違う!! 俺は断じてロリコンじゃないぞーーーーーーっ!!!!』
「…………?……」
何やら得体の知れない事をぶつぶつとつぶやきながら薬を塗るヤムチャに、少し薄気味悪さを感じつつも、それでも肌に触れる男の手から、妙な高揚感と安心を感じるマーリンだった…。
「よしっ!! これで終わりっ!!」
そう言って、ぱんっと背中を叩く。照れ隠しのつもりなのか、ヤムチャのその攻撃は案外効いたようで、思わず涙目になったマーリンは無言で睨むのだった。
「んじゃ後は自分で出来るだろ。さっさと塗ってさっさと寝ちまえ。明日もまた早いんだからな」
言うなり、男は寝床に戻って毛布を被り、マーリンに背中を向けたかと思うと、すぐにいびきをかき出した。もちろん狸寝入りなのだが、こうでもしないとまたマーリンに何かしら付き纏われると思っての事だ。
もっとも、ヤムチャは別にマーリンのことが嫌いでも鬱陶しい訳でもない。多少問題はあるが弟子としては優秀で、人間的にもマーリンは決して悪い人間ではない。だが、やはりマーリンは女の子なのだと、ああいう時につい感じてしまう。そしてそれは、ヤムチャにとってはどうにも平常心をかき乱される事なのだった。
「ヤムチャ…? もう寝てしまったのか…?」
自分を放ってさっさと寝てしまったヤムチャに、そう小さく声を掛ける。だが返ってくるのはいびきだけ。つまらなさそうに手渡された薬に手をやり、仕方なく自分で残った場所に塗り込んでいく。
わき腹や胸の辺りに薄くついた青あざを見ながら、それでもやはり相当にヤムチャは手加減してくれていたのだと、少女は気づいた。もしもヤムチャが本気だったのなら、この程度の色では済まなかっただろう、と
「………ありがとう、ヤムチャ…」
そして、それと同時に気づいた事もあった。前々から何となく感じてはいたが、地球に来てから、というか、ここでヤムチャと修行し始めてから、確実に自分の身体が変化していることを改めて認識したのだ。
連日のハードな特訓のせいもあるのだろう、以前より体つきが、ぐっと大きくなっている。腕も足も、枯れ木のようだった以前とは比べ物にならないほどの力強さを感じさせるようになっているのだが、何より身体が全体的に丸みを帯びてきているのだ。
「…やっかいだな。…パワーが上がったのはいいけど、体重が増えては今までのようなスピードが維持できないかも…」
そう少女が、ぽつりとため息混じりにつぶやく。特に胸の肉が問題だ。ここにこれだけの重量物があっては、ボディバランスに問題が生じて、戦闘に支障をきたしかねない。
「…明日、ヤムチャに聞いてみよう。パワーを落とさずに脂肪を落とす方法ぐらい、ヤムチャなら知ってるはず…」
膏薬を塗り終わり、手を洗ってマーリンも床に就く。横になるとすぐに睡魔がやってきた。まどろむ意識の中で、なぜかふと…昔見た母の姿が頭をよぎった。
…その記憶の中の母の姿は、不思議なほど今の自分によく似ていた。
胸の肉を落とす方法は、結局聞きそびれたようです。