「…まずはこれだ。今日からは寝る時もずっと外すんじゃないぞ」
「…………?」
ヤムチャがそう言って手足に巻く、バンドのようなものをマーリンに渡す。が、それを受け取った瞬間、さっと少女の表情が変わる。
「なっ…、こ…こんなものをずっと着けているだと……っ!」
「そうだ。そいつは一つで10キロは優にある。4つでだいたい…今のお前の体重と同じぐらいだろ」
「…う……く……ッ…」
マーリンが焦るのも無理は無かった。いくら以前よりも格段に肉体が強化されたとは言え、ここの重力は外界とは比べ物にならない。元々のマーリンの体重が40kgだとしても、これらを全て身に着けた状態では1トン近くにもなるのだ。ただ歩いたりする程度ならば問題はないが、しかし修行となれば話は違う。
「…早くしろ。時間が惜しいって言っただろ」
「う……、わ…判った……」
こんなものを計4つも身に着けて修行など、マーリンには正気の沙汰とは思えなかった。ゆえに一瞬、躊躇した少女だったが、ヤムチャの指示には逆らえない。仕方なく両手両足に恐る恐る装着する。
案の定、何とか立ち上がれたものの、予想以上にこれはキツいと少女は感じていた。
「ん。じゃあ、まずはいつもの通り、基礎鍛錬からだ。そこで突きと蹴りのコンビネーション500回な。気はいくらでも使っていいから」
「……よ、よし………!」
男の言葉に、ほんの少しだけ少女は安心した。それなら不可能なレベルの課題ではない。改めて全身に気を開放して巡らせ、いつも通り構えて呼吸を整える。
「よーし、いーち…!…」
「…っふっ! は……ッ!!」
男の掛け声とともに左拳を放ち、すかさず右拳を繰り出す。ボクシングで言うところのワンツーである。そして最後に蹴りが放たれ、またパンチに戻る。そしてそれを何度か繰り返す。
…これならば何とかなりそうだ…。そう思ったマーリンだったが、しばらくしてそれが間違いであった事に気づかされた。
「269…270…どうしたぁ!! まだ半分近くあるんだぞ!!」
「んぐっくっ…っっ………!!」
…すぐに少女は自分の認識が甘かったと気づいた。単に腕や足がキツイのではなく、気で全身を強化すること、そしてそれを維持し続ける事こそがキツイのだ、と。
この修業を始めてから、およそ10分にも満たない時間。それなのにフルパワーを維持し続ける事は簡単な事ではなかった。しかし、それも当然の事である。エネルギーとは無限に身体から出るものではないのだ。
「……う…ぅ……ッ…!」
マーリンの顔に、かすかに恐怖の色が浮かんだ。もしこの状態で気が空っぽになれば、取り付けたバンドの重量が全て、彼女の生身の身体を襲うのだ。しかも重力の大きいこの場所で。
想像するのも恐ろしい現実にうろたえはじめたマーリンに、静かにヤムチャがアドバイスを送る。
「もうお疲れか? そんな風に気を垂れ流してるんじゃ無理も無いけどな。必要な分を必要な場所にだけ回せ。無駄な放出は抑えるんだ!」
「………!!」
言われて少女がはっとした。確かにフルパワーを維持する事に必死で、がむしゃらに、ただむやみに気を全開にしていた事に気づく。
「……ふぅぅ………、ふ…ッ……!」
大きな深呼吸の音とともに、すぅ……っ、と少女の身体の回りからオーラが薄れる。大気中に無意味にばら撒かれていたエネルギーの放出が収まり、それと同時にマーリンの身体が少し力を取り戻す。
「はぁ…、…はぁ………、よ…よし……」
「…まったく、それぐらい言われる前に気づけよ。今のお前には別に何でもない事のはずだぞ」
わずかに回復した少女に、呆れたような声をヤムチャがかけるが、少し余裕が出来たのか、きっ、とマーリンが男を睨む。
「…そうは言っても…、急にこんな…こんな訳の判らない場所に…異常なところに連れてこられて、おまけにいきなりこんなものを付けられて…いつも通りの力なんか出せっこないだろう…!」
少女の反論は至極もっともだった。しかし男はその『正論』にまったく動じず、薄く笑った。
「…そいつは確かにその通りだけどな。正しい事が良い事とは限らないんだぜ? それにそもそもお前が、俺たちがやろうとしてる事は間違いだらけだ。違うか?」
そう言ってヤムチャが薄く笑う。
「………ふ……ふっ……」
その笑みを見て、マーリンも釣られて軽く笑ってしまった。
…そして改めて少女は思う。このヤムチャという男は本当にすごいと。自分の抱えていた悩みを、あっと驚く手段で解決してみせた。自分の感傷や葛藤を軽々と飛び越えてしまったのだから。
…いつか自分がヤムチャよりも強くなっても、この男には一生頭が上がらないかも…と少女は一瞬思ってしまった。
だが、それは決して不快な考えではなかった。
そして、この部屋に入っての初日が終わった。マーリンにしてみれば二日目なのだが、修行としての初日がこれで終わった事になる。むろん、終わったと言ってもバンドは付けっぱなしだ。寝る時でも外しては駄目だと、ヤムチャははっきりと言った。常に身体に限界近い負荷をかけ続けることで、更なるパワーを引き出せるようにするための修行なのだ、と。
その説明に、マーリンが完全に理解も納得もした訳ではなかった。しかし今までヤムチャが間違った方針を立てた事は無い。少女からしてみればムチャだとは思うが、逆に今まで「やれ」と言われた事で、出来なかった事もない。ヤムチャが自分に課す事は、自分が必死になれば、必ず出来る要求なのだ。
だからマーリンは当然のように受け入れた。ヤムチャ自身にも確証のない、この狂気の修行を。
得体の知れない粉のような食事を取り、そして堅いベッドに横になる。気は抜かず、それでいて眠りにつくように身体をリラックスさせる。やがて睡魔がそろそろと忍び寄ってきたことをマーリンが感知した。
…全身のフルパワーは維持できている。このままこのまま…、そう思いながら、ゆっくりと少女は眠りに落ちていった。