…少女が口を閉じた瞬間、ぴしり、と床に亀裂が走り、周りの空気がぐにゃぐにゃとねじ曲がっていく。外界への気の放出は最大限に抑えつつも、それでもわずかにもれ出るエネルギーが、陽炎のように少女の周りを覆う。
そして改めてマーリンがヤムチャに目を向けた。男はというと、先ほどから変わらず、凍った笑みを顔に貼り付けたまま、マーリンの様子を伺っているようだった。
「…………っ……」
もはや何も語るまい、と少女は思った。少なくとも今のヤムチャは正常とは言いがたい。そして、もしそれを招いたのが、己の力不足によるものだったとしたら、それは悲しい事ではある。だが。
「そらそら、どうした? やっぱりお前は口だけかよ! どうせ今までだって、自分より弱いヤツを叩きのめして満足してたんだろ? ん? 今なら許してやらない事もな……」
…ズ…ギャァッッ…ッ!!
ヤムチャの言葉は最後まで語られる事は無かった。凄まじい速度で一瞬にして間合いを詰めたマーリンの拳が、ヤムチャの顔面を打ち抜いていた。しかし。
「…へっ…効かねぇな…。…そんな程度のパンチじゃよっ!!」
そう言って、男が何事も無かったかのように、いまだ頬に張り付いたままのマーリンの拳をつかみ、そのまま、ぶんっ!、と少女の身体を投げ捨てた。
「くっ………っ!!」
空中に放り投げられ、とっさに体勢を整える。そしてすかさず下のヤムチャの姿を捉えようとするが、その場所にはすでに男は居なかった。
「どこ見てんだ? あぁ?」
不意に少女の後ろから声がかけられる。しかし、気づいた時にはすでに手遅れだった。
ドズッ……!!
「あぉ……ぉぉぐっ……!」
ヤムチャのパンチが、振り向きざまのマーリンの腹にめり込む。
たまらず口から息と胃液が零れ落ちる。いまだかつて味わった事のない巨大な衝撃が少女を襲った。それでも必死に意識をつなぎとめ、よろよろと後ろに飛びずさる。
「…ふん…、確かにずいぶんと頑丈にはなったみたいだけどな…。…俺がまだまるで本気じゃ無いのも判ってんだろ? じたばたせずにあきらめた方がお前のためだぞ」
……ズズズ………ッッ…!
そう言いながらヤムチャが徐々にパワーを上げ始めた。スカウターなど無くても今のマーリンには十分過ぎるほど判る、恐ろしい程の気の高まり…。
「……界王拳…、…8…倍……だ…ッッ!!!」
「……わたしを…どうするつもりだ…ヤムチャ……」
先程の腹へのダメージで、息も絶え絶えにマーリンが必死に声を絞り出す。
「……お前には地球から出て行ってもらう。おとなしく従うなら手荒な事はしないでも無いが、どうせ抵抗するんだろ……。ま、気絶してる間に宇宙船に放り込んで、そのまま宇宙に返してやるよ……」
そう冷たくヤムチャが言い放ち、改めてマーリンに向けて構えを取る。
…マーリンはヤムチャの変貌に驚き、戸惑っていた。確かにここしばらくヤムチャはイライラしていたように見えたし、その原因が自分の伸び悩みにある事も、口には出されなかったものの理解していた。
しかし、それが判っていたとしても、少女にはどうする事も出来なかったのだ。なのに勝手にストレスを溜め込んで、勝手にそれを爆発させて、挙句に地球から出て行け、などと言うのは余りに身勝手で横暴に過ぎる。さすがにマーリンにも怒りの色が浮かぶ。
「へっ…そうだ。かかってこいよ。せめて悔いが残らないように、思いっきり叩きのめしてやる!」
そう言うヤムチャだったが、どこかその表情は悲しそうだった。
……ボゥッ…!
ふいにヤムチャの右手から光の玉が生じた。彼の得意技「繰気弾」だ。マーリンの脳裏に、初めてヤムチャと出会ったときの事が思い出される。
あの時は一方的だったのは自分だったが、今度はヤムチャが一方的だ。自分もそうだったからよく判るが、こうなってしまうとなかなか人の話などは耳に入らないものである。一度気でも失なって、意識をリセットでもしない限りは。
だから。今はヤムチャも興奮しているが、落ち着いてくれれば、またいつものヤムチャに戻って、話を聞いてくれるかもしれない。そう信じる事しか、今のマーリンには残されていなかった。
…ガシャッ……
…ズンッ!!
「…いいだろう…。今のお前は明らかに異常だ…。わたしが頭を冷やさせてやる…!」
先ほどのダメージは抜けてはいない。それでもマーリンはそうはっきりと言い放ち、手足のバンドを解き放った。そして。
ダンッッ……!!!
少し距離を置いたところから、一直線にヤムチャに突っ込む。繰気弾はあくまで離れた間合いでこそ効果のある技だ。格闘戦ではむしろ邪魔にすらなり得る。この技を見るのは2度目で、しかも正面から向き合うのは初めてだったが、瞬時に技の特性を見切るマーリン。懐に入ってしまえば恐るるに足らずと読んだ上での踏み込みだった。
「ちっ……!!」
ヤムチャは軽く舌を打ち、繰気弾でそれを迎撃しようとする。右手から白い光弾が弾かれたようにマーリンに向かっていく。だが、それは彼にとって、信じられないものを見る結果となるのだった。
マーリンに向かって一直線に繰気弾が飛ぶ。しかし、彼女はそれを避けるでもなく突っ込む。
ガッッ……!!!
案の定、マーリンの顔面に繰気弾がヒットした。が、驚くべき事に、少女はそれを意に介さず、なおも真っ直ぐにヤムチャに迫る。
「っっ……!!??」
コンマ数秒の世界でヤムチャに驚きが走る。バカな、あり得ない、力の差を考えれば、今のは気絶して当然の威力だったはず、と。
そのヤムチャの混乱を表すように、コントロールを失った光弾が、そのままあさっての方向に飛んでいく。そして、その一瞬の隙をマーリンが突く。
「は…ァァっっ…!!」
ヤムチャの手前1メートルほどで着地し、そこからスピードを殺さずに、いや、むしろ加速さえ加えてヤムチャに迫る。唸りを上げたマーリンのヒザがお返しとばかりにヤムチャの顔面に迫る。
「……ッ!!」
ズガッ……!!
とっさに我に返り、かろうじてガードが間に合ったヤムチャだったが、衝撃を完全に受け止めきれず、よろよろと後ずさる。だが、今の攻撃はそれ自体よりも、はるかに大きなショックを男にもたらしていた。
「ば……バカな……! 今の俺は8倍界王拳を使ってるんだぞ…! それでなんで力負けする……!? 繰気弾も直撃だったのに……!」
目の前の現実が理解出来ず、ますます深い混乱に陥りそうになりながら、ヤムチャが視線をマーリンを戻した。そして男は突然に気づいた。
予想も、想像もしていなかった少女の異変に……。
「な……んだ…こりゃ……」
マーリンの身体からは、あり得ないほどの力が溢れていた。スカウターで計測すれば40万以上は確実であろう戦闘力。8倍界王拳でも35万ほどのヤムチャでは力負けしても、いや、今のがまともに当たっていたら、それだけで倒されていてもおかしくなかったほどの「力」だ。
……あまりにあり得ない目の前の事実に、ヤムチャの背に、つつ、と冷たい汗が走る。
だがしかし、マーリンにこれだけの戦闘力があるはずがない。いかに修行したとは言え、これほどの戦闘力のコントロールなど不可能なはず。不可解さに首を捻るヤムチャだったが、注意深く少女の気を探ると、さらに驚くべき事に気がついた。
「…まさか……、こいつは……ッッ…?!」