…だが。
バシィッッ……!!
その究極の拳も、「戦闘民族」という壁の前には何の意味ももたらさなかった。
「…はぁ…? これ…もしかしてパンチのつもりかぁ?」
にやにやとした相変わらず下卑た顔のまま、衛士が渾身の力を込めて放った拳を、『闇』が掌で軽々と受け止めた。
「……は…? え……は……は…っ…?」
拳を受け止められた衛士の顔にも、笑いのような表情が張り付いていた。全く理解も想像も及ばないモノに出食わすと、人は時として笑うしかないのだろう。
「くっくっ…。パンチってのはな…こう打つもんだぜ?」
ブン、と『闇』が、サイヤ人が腕を軽く振るった。明らかに本気では無いと思える、ジャブのような軽いパンチだった。同時に『闇』からの声に衛士が我に返る。しかし。
「ひ…ぃっ!」
この星最強の一角たる衛士が、その誇りを見失ったかのような無様な声をあげつつ、かろうじてガードが間に合った。しかし次の瞬間。
「……ひ…ぎゃ……っあああぁッ!!!!!!!」
ぼとり、と衛士の腕が二本とも落ちた。二の腕の中ほどから、今のパンチを受け止めた衝撃に耐え切れず、引き千切れた。
「あがっ…はわわ……ぁぁ…!!」
痛みと絶望に打ちのめされ、芋虫のように地面を転げまわる最強の衛士。もはやその姿に、この星のかつての英雄の面影を見る事はかなわなかった。
「おいおい…もろいなァ…。…せっかくなんだから少しは楽しませてくれよ…!」
などと言いながら、サイヤ人が衛士の頭を掴み、無理やりに立たせ、再び軽く腕を振る。衛士の腹に何度も何度も拳がめり込むたび、血反吐を撒き散らしながら、『最強』が悶絶する。
「あ……ぁあ…ッ! ああ………ッッ……!!」
その様を凝視しながらも、皇女は動けなかった。圧倒的な恐怖と絶望に支配され、その場に立ちすくんでいた。目の前の光景を現実のものだと、認識することさえ拒否していた。命を懸けた衛士の行動は、むしろ逆効果に過ぎなかった。
頭は逃げろと警鐘を鳴らし続けている。だが、人の姿をまとった「力」そのものが放つ濃密な死の匂いに、アローワナは身じろぎ一つ出来ないまま、ただ立ち尽くしていた。
「……はぁ…。もう終わっちまったか…。ったくこの星の連中は、どいつもこいつも張り合いがねぇなぁ…」
やがて、そうサイヤ人がつまらなさそうに呟いた後、どさり、と音を立てて、先ほどまで衛士だった物体が、冷たい石の回廊に投げ捨てられた。
「いっ………ぃゃあ……ッ……、……いやぁーーーーーーッ!!」
ピクリとも動かない「それ」を目にし、ようやく皇女に感情が戻った。
…皇女の心には、この衛士に対しての密かな想いがあった。ずっとずっと心に秘めてきた、平和なままの世界であれば、きっと誰にも知られずに終わってしまうと思っていた秘めた想いが。
それがこんな形であっても、あるいは二人でどこかの星に逃げ延び、身を隠して暮したとしても、例え貧しくとも夫婦として、あるいは子供も生まれて家族として慎ましく、しかし幸せに暮らしていく未来を想像した時、不謹慎ではあるが嬉しさを…喜びを覚えずにはいられなかった。
しかし、その幼い『夢』はあっけなく潰え去った。目の前の悪鬼によって。
「…ちっ…。…まったく暇つぶしにもなりゃしねぇ」
心底つまらなさそうに、かつて衛士だったモノを一瞥すると、男が立ち尽くしたまま固まっている皇女に目をやる。
「…ん…? …おまえ…もしかして王族か? 若い皇女がいるって話は聞いてたが…、くくっ…、なかなかの上玉じゃねぇか…!」
下卑な男の口元がますますゲスに吊り上った。そう言ってから近づき、固まって動かない皇女の胸元に手をやり、動きやすく、それでいて皇女にふさわしい装飾を加えられた、さぞ名のある職人の手による服を、惜しげもなく一気に引き裂いた。
「………ッ……!!」
「せっかくだからな…殺す前に楽しませてもらおうか! 何せあのクズのおかげで、逆にストレスが溜まっちまったんでな……!」
そう言って男が皇女を壁に押し当てた。わずかに残った布切れをさらに奪い、今まで誰にもさらした事の無い場所が露になっていく。
「ひっ……いゃあぁっ……!!」
性知識などほとんど持ち合わせていないアローワナであるが、それでもこれから自分の身に何が降りかかろうとしているかは理解できた。
『愛する人を殺したサイヤ人に犯され、そしてその後に自分も殺される』のだと。
「………ッッ!!!」
あまりの屈辱にアローワナの身が震えた。こんな所でこんな男に……と、怒りと憎しみと悲しみがごっちゃになり、頭がどうにかなってしまいそうだった。
そして先程まで恐怖に支配されていた心を、怒りの感情が塗り潰していく。それならば。どうせ死ぬのなら、せめて王家の名に恥じぬ、誇り高い死を選ぶべきだ。瞬時にそう覚悟し、アローワナは隠し持っていた短剣を抜いた。だが。
…ぼきっ……!
「あ…ぎぃっ……ぁぁぁっ……!!」
「…じたばたするんじゃねぇよ。次に暴れたら、今度はまとめて折るぞ」
まるで小枝でも手折るように。何のためらいも見せずにアローワナの指をへし折り、男が言った。
「あ………あぁ……っっっ!!」
痛みと屈辱で涙が止まらない。何よりも……折られた指よりも心が痛かった。その痛みに一瞬、怒りを忘れて心までもが折れそうになってしまったことが、だ。
だが、圧倒的な力の前に、さらに『死』が異様なリアルさをもって迫る。その恐怖が再び彼女の身体を縛る。己の覚悟が霧散していくのを、皇女はただ呆然と見送るのだった。
「へへっ…そうそう…。そうやって大人しくしてりゃあ、後でちょっとは考えてやってもいいんだぜ?」
…これ以上無い、と言うほどの下卑たセリフを、無遠慮に身体を舐めまわしながらサイヤ人が吐いた。その男の声が息と共にアローワナの顔に掛かる。人と言うよりは獣に近い臭いが鼻をつく。思わずこみ上げる吐き気を抑えるのが精一杯だった。
「うぅぅっ………くっ………」
…もはや彼女に許されたのは、己のために涙を流す事だけだった。