「……へっへっへ…。…思った以上に楽しませてくれたじゃねぇか…」
「……っ……っ…」
うっすらと汗をかきながらも、にやにやと薄ら笑いを浮かべたまま、ようやくサイヤ人がアローワナから身体を離した。
そしてしばらく何事かをぶつぶつと一人でつぶやき、何かを思案している素振りを見せていたかと思うと、突然アローワナに向き直り、言い放った。
「くく…お前を殺すのは止めだ…。今日からお前は俺の女だ…!」
突然の…信じがたい男の言葉だった。しかしこれは皇女にとっては僥倖と言っていいだろう。どのような形であれ、もはや死以外は有り得ない運命だった彼女にとって、男の言葉は降ってわいた奇跡に近い。
「……………」
だが、せっかく生き延びられそうなチャンスが思いがけず巡ってきたと言うのに、アローワナに反応はなかった。しかしそれも当然のことで、今の彼女はもはや「生」そのものに対する執着を失っていた。
「………ぅ……ぁ…ぅ……」
うわ言のような声をかすかに上げながら、のろのろと汗と体液まみれの身体を起こし、感情のこもらない視線でサイヤ人を見上げる。その視線の訳を勝手に判断し、男が再び口を開いた。
「…ふん…。どういう風の吹き回しかって言いたそうなツラだな…。…まぁ命令では王家の連中は皆殺しって事になってるから、こいつは確かに明らかな命令違反だなァ…」
そう言うと少し真剣な表情になったサイヤ人だったが、すぐまた下卑た薄ら笑いを浮かべながら、言葉を続ける。
「へへっ…でもどうせ俺たち下級戦士のやる事なんざ、いちいち誰もチェックしやしねぇ。炭になった死体でも身代わりに転がしておけば、まさか俺がお前を連れて逃がしたなんて、誰も気が付かないだろうさ」
「………っ……」
少しづつ先程までのショック状態から回復したのか、アローワナの心に理性と感情が徐々に戻り始め、男の言葉もようやく耳に届くようになった。だが、そのサイヤ人の言葉の意味など、もはや皇女にとってはどうでもいいものだった。星を滅ぼし、愛する人をも奪った張本人であるサイヤ人に命を救われるなどという、あまりにも滑稽な己の運命に、我が事ながらアローワナは失笑さえ禁じえなかった。気が狂いそうなほど滑稽で哀れで、とてつもなく残酷なこの喜劇に。
「あ…は……ふ…、…ふっ……ぐっうぅぅぅ……!」
再びアローワナの頬を涙が伝う。半笑いの顔のまま、大粒の涙をこぼしながら、くぐもった嗚咽が皇女の口から低く漏れる。
「…さーて、それじゃ行くぞ。今日からお前は皇女でも何でもねぇ…俺の奴隷だって事を忘れるんじゃねぇぞ。バレたら俺もお前も命は無ェんだ。おかしなことは考えない方が身のためだからな…くく…」
そう言い置いて、サイヤ人がアローワナの腕を取って強引に立たせる。そして光差す出口にゆっくりと引きずられるように歩いていく。先ほどまではあれほど辿り着くのを待ち望んでいた、新しい世界への入り口だったはずのものが、今の彼女には地獄への入り口にも見えた。
「……おっと、その前に…こいつに身代わりになってもらうとするか。クソの役にも立たなかったクズだが、最後にお姫様の身代わりになれりゃあ本望だろ? ひゃははははっ!!」
何がそんなにおかしいのか、狂ったように笑うと同時に男の腕から光が溢れ出す。そして衛士の死体に向けてその光を放つ。
ボゥッッ……!
あっという間に光は衛士の体を包み込み、見る見るうちにそれは黒い塊となっていった。もはや男なのか女なのかすら判別出来ないほどに。
「………………」
その様をアローワナはただ見つめていた。すでに涙さえも枯れ果てたのか、一言も発せず、ただ見つめるだけだった。
……そこからどうやって星を脱出したのか、元皇女…今はサイヤ人の情婦と成り果てたアローワナは覚えていない。何度かのチェックをごまかし、すり抜け、時には男が裏金を掴ませて、くぐり抜けてたどり着いた場所は惑星マリーンから数十光年離れた、小さな小さな星だった。
そこは中を改造され、一見小惑星に見えるが、実際は大規模なコロニーとでもいうべき代物で、フリーザがサイヤ人たちのためにあてがった、生活のための空間として作られていたものだった。
その中の一室が、このサイヤ人…トレヴィスという名の男の部屋だった。下級戦士がこうした個室を持つのはあまり一般的ではない。ずいぶんと恵まれているのか、あるいは逆に疎まれているのかは定かではないが。
そして、アローワナの絶望に満ちた新生活もここで始まった。満足に部屋の外にも出られない毎日、たまに出られても周囲はほとんどがサイヤ人でじろじろと奇異の目に晒される生活。女性のサイヤ人もわずかにはいたが、友人になどなれるはずも無かった。
だが、何より彼女を苦しめたのは、やはりトレヴィスの存在そのものだった。荒々しく身体を求められる度に、おぞましい最初の記憶が蘇ってくる。必死に抗っても、涙を浮かべての懇願もまったくの無駄だった。この男はそんな相手の気持ちなど気にした事など無いのだろう。と言うより、そんな事を気にしていてはサイヤ人など務まらないのだろうと、アローワナは諦め、心を殺すことでしかここで生きられないことを悟った。
…そうして半年ほどが経ったある日、とうとうアローワナは精神に変調をきたしてしまった。まだ幼さすら残る彼女に取って、これだけの惨劇が降りかかってなお、精神を正常に保つ事など不可能だったのだ。
だが、秘密を口走る事を恐れたトレヴィスは、彼女を医者に見せる事もせず、部屋に閉じ込めるだけだった。そしてちょうどその頃、トレヴィスは大規模な侵攻作戦に参加する事が決まり、アローワナは一人、部屋に放置される事になった。
トレヴィスがこの小惑星を後にしてから数ヶ月が過ぎてなお、アローワナは依然として精神を病んでいた。毎日のレイプまがいのセックスからは解放されたとは言え、その行為は彼女の心に想像を絶する爪あとを残していたのだった。
生活全般に関しては、もともとサイヤ人の身の回りの世話をするためのロボットが甲斐甲斐しく働いているので不都合は無かったが、アローワナはただそこで命を繋がれているだけに過ぎなかった。だが、ある日を境にそれが一変する。
アローワナが、自身が妊娠していることに気づいたのだ。
しかし、自身の妊娠にアローワナが気が付いたのは、臨月に入るほんの一月前の事だった。と言うより、それまでは精神が異常をきたしていたので、その事に意識が向かなかったのだ。出産を目前にして、突然意識が正気に戻ったかにすら思える現象だった。
無論、彼女にしてみれば余りに唐突なこの事態に、混乱し、パニックに陥りかけた。ましてやこの子供は、間違いなくあの男、トレヴィスの子供なのだ。そんなものが自分の腹の中にいると思うと、怒りと憎しみで今すぐ自ら腹を切り裂いて、引きずり出したい衝動にすら駆られた。
…だが一方で、お腹の子は自分の子供である事も確かなのだ。世が世ならば惑星マリーンの第一王位継承者だ。一族の復興を託されたこの身を思えば、例え父親が誰であれ、そんな事は瑣末に過ぎない、とも。
……相反する感情がアローワナの心をかき乱していく。
そして悩んだ末の彼女の結論は、この小惑星から脱出し、人知れずこの子供を産む事だった。あの男…トレヴィスに知られれば、間違いなく子供は堕胎させられるだろう…と。
今はトレヴィスもここを留守にしているが、いつ帰ってくるか判らない以上、ぐずぐずはしていられないとアローワナは考え、腹をくくった。
わずか数日の間に彼女は計画を練り、全く躊躇することなくそれを実行に移した。この小惑星からの脱出計画を。
脱出は思いのほか簡単だった。もともと大規模な作戦中だった事もあり、小惑星内のサイヤ人の多くは出払っており、上手い具合に警備は極めて手薄だったのだ。
それでもわずかに残っていたサイヤ人や、他の異星人の目を盗んでの移動や宇宙船への侵入には骨が折れたが、これが通常時ならばこの比では無かっただろう。何とか皇女は球形のポッド型宇宙船に乗り込み、機械が示した適当な惑星へ、進路をセットする。
そしてついにアローワナは自由を手にしたのだった。
「……はははははっ!! 今帰ったぞッ! ちったぁ良くなったかぁアローワナ? ……ん? アロー……ワナ…?」
作戦に駆り出されてから約1年が経ち、久しぶりに自分の部屋に戻ったトレヴィスが目にしたのは…、誰もいない、もぬけの殻の部屋だった。
トレヴィスが戻ってきた時には、すでにアローワナがここを後にしてから半月以上が過ぎていた。すぐさま、あらゆる方法で探してはみたが、まるで足取りは掴めなかった。
あちこちの星で直接探す事もしたが、もともと命じられれば宇宙のどこへでも行かねばならない身である。情報が入ってもすぐに行ける訳ではない。トレヴィスにとって空虚な時間がただ流れていく。
そしてあっという間に数年が過ぎていったある日、彼の耳に久しぶりに有力な情報が飛び込んできた。今いる星からわずか2光年ほどの惑星に、女の子とふたりで暮らすアローワナと思しき人物がいるというのだ。
すでにこの星での仕事は終わっている。上のサイヤ人に許可をもらうと、すぐさまトレヴィスは星を飛び立った。
ちなみにですが、トレヴィスはヤムチャたちが神様の神殿で修行していた際に、『時の旅の部屋』で戦ったサイヤ人とそっくりです。ハゲじゃない方です。名前の由来は紫キャベツに似た野菜の『トレビス』です。
本人なのか、それとも別人(下級戦士はタイプが少ないという話もありますしね)なのかは…さて、どうなのでしょうか。