「…ふぅ…。…ただいま……」
「………!!」
おかあさまが帰ってきた。わたしはおおいそぎでげんかんにむかう。
「おかえりなさい、おかあさま!」
「…ただいま、マーリン。いい子にしてたかしら?」
「うん! マーリンはいつもいいこだよ!」
おかあさまはいつもつかれたお顔をしてる。だからわたしはおかあさまの分までげんきな顔をするの。
「…そう、それじゃご飯にしましょうね。手を洗っていらっしゃい」
「いただきまーーす!」
「ほら…マーリン、そんな風に音を立てて食べてはだめよ。…あぁ、こんなにこぼして…」
ためいきをつきながら、おかあさまがぶつぶつお小言をいってくる。おかあさまはお作法にはすごくうるさい。だからご飯のじかんはあんまりすきじゃない。
それで、いつもこのあとに「あなたはわくせいマリーンのこうじょなのですよ」とか「おうぞくとしてのふさわしいふるまいを」とかって言うの。
どれもよくわかんないけど、おかあさまの悲しそうなお顔はきらいだから、お作法もがんばるよ。わたし。
ぱりんっ……
「………ッッ!!」
「…あ…、ご…ごめんなさい……」
……まただ。またやっちゃった。
どうしてかわからないけど、わたしは昔からよくコップとかお皿を割っちゃうくせがある。スプーンもきがついたら曲がってたなんてしょっちゅう。わたしはふつうのひとより少しちからがつよいのかな。
ちからもちなのはいいことだと思うけど、おかあさまはあんまりそう思ってないみたい。まえにわたしがコップをうっかりにぎりつぶしたとき、おかあさまがものすごくこわいお顔でわたしをにらんだことがあった。
…おかあさまはたまにすごくこわいお顔でわたしをにらむ。いつもはすごくやさしいおかあさまなのに、ときどきすごくこわい。
コンコン……
「…あら。…こんな時間に誰かしら…。…大家さんには家賃の事は言ってあるはずだけど…」
…だれかきたのかな?
げんかんからきこえてきた音に、おかあさまがいすからたちあがった。ゆっくりとひらいたドアのむこうには、わたしのしらないひとが立っていた。
「くく…、久しぶりだな…アローワナ……。そのガキは……俺の子か?」
「トレ……ヴィス…。どうしてここが……」
呆然とするアローワナを無視して、無遠慮にずかずかと男が部屋に入る。
「ふん…思ったとおり、しけた所に住んでやがる…。かつてのお姫様も堕ちたもんだなァ? えぇ?」
にやにやと相変わらずの下卑た笑みを浮かべながら、値踏みするかのようにトレヴィスがじろじろと室内を見て回る。
「……何しに…来たの…」
アローワナが絞り出すように、ようやくそれだけを口にした。が、トレヴィスはその言葉に目を丸くして驚いた。
「…はぁ? 何しにだと? お前を連れ帰るために決まってるじゃねぇか!」
「………ぇ……?!」
その言葉に、今度はアローワナが目を丸くして驚いた。
いつか自分たちが見つかってしまう事を、彼女も薄々は覚悟していた。だが、見つかった時には殺されるとばかり考えていたのだ。
ゆえにトレヴィスの言葉はまったくの想定外、予想外のものだった。そして、にわかには信じられない事ではあるが、もしかしたらこの男は、本当に自分に好意を持っているのかもしれない、とアローワナは思った。
人を愛する事も愛される事も、サイヤ人という種族…戦闘民族には不要な感情だ。例えそれを持っていても、どう表現すればいいのかが、彼らの文化には存在していないだけなのかもしれない、とも。
……そう考えれば、男のあの暴力的なまでの行為も、ただ不器用な愛情の表現だったのかもしれないと思えなくもない。
「…トレ……ヴィス…、あなた……」
そう言いかけて、しかしアローワナは慌てて首を振った。もし仮に。本当にそうだったとしても、この男が自分の故郷を滅ぼした一味である事に変わりはないのだ。一族を皆殺しにし、さらには目の前で愛する人を惨殺したあげくに、その骸の前で自分は辱められたのだ。その恨みが消える事などありえなかった。
「…………ッッ……ッ」
思わずアローワナが唇を噛んだ。ほんの一瞬でもサイヤ人などに心を許しかけた自分に腹が立った。
それにもし仮にトレヴィスの気持ちが本物だとしても、それがいつまで続くかも判らない。気まぐれなサイヤ人の事だ、5年後10年後まで気持ちが変わらない保障などないのだから。
そう考えると、確かに今の生活は苦しいものがあるが、今ここでトレヴィスの口車に乗って、あの小惑星に戻るのは得策ではない。いろいろと思考がアローワナの頭の中で駆け巡るが、ふと自分のそばで怯えているマーリンを、じっと見つめるトレヴィスに気がついた。
「…ほぉ…。戦闘力…158か…。まだガキのくせに、なかなかたいしたモンじゃねぇか…。くっくっく…。さすがは俺の子……って事か?」
耳につけた機械を操作しながら、じろじろと我が子を見る男。しかしそれは、父親としての情愛のこもった目ではなかった。まるで品定めするかのような冷たい視線だった。
「……っ!!」
それを見て改めてアローワナはサイヤ人という人種に改めて戦慄を覚えた。あるいはトレヴィスは自分に愛情を持っているかもしれないが、その愛は決してマーリンには向けられる事は無いのだと直感する。
…やはりこの男の元にはいられない。彼女がそう判断するのに、時間はそうはかからなかった。
とりあえずアローワナは、トレヴィスの元に戻る事を約束した。ただ、戻るにしても、この星での仕事や部屋の事もあり、整理する時間が欲しいと訴えた。
それになかなか同意しなかったトレヴィスだったが、ついには根負けしたのか、渋々一週間の猶予をアローワナに与えたのだった。
だが、帰り際にトレヴィスはこう言っていた。
「言っとくが…もうお前は逃げられないぜ…。そのガキを連れている限り、俺はどこまで逃げてもお前を見つけられるんだからな…くくく」
「…え…?」
その言葉の意味をアローワナは理解できなかった。しかし、猶予の一週間を待たずしてこの星から脱出し、別の星に居を移して半年ほど経ったある日、再び現れたトレヴィスの存在が、彼の言葉が真実だったとアローワナは思い知る事になった。
…答えは簡単だった。スカウターである。
アローワナ母子が逃げる先々の星は、戦乱とは無縁の平和な星だった。そんな星に100を超える戦闘力の持つ人間がいれば嫌でも目立つ。ましてマーリンはまだほんの子供なのだ。あとはその噂をたどって星に着きさえすれば、正確な場所さえもスカウターが教えてくれる。そうしてトレヴィスは、ことごとく正確に彼女らの足取りを掴んでいたのだった。
だが、アローワナはそんな事など知る由も無かった。理由など判らないまま、何故か正確に自分たちを見つける事の出来るトレヴィスに、より一層の恐怖を感じるようになっただけだった。
いくら星を転々としても、僅か数ヶ月でトレヴィスは姿を現す。意外な事に、それでも彼は強引に連れて帰る事はせず、むしろそんな追いかけっこを楽しんでいるようでもあった。あるいはいくら逃げても無駄だと言う事を、完全に彼女が理解するまで待っていたのかもしれない。
星から逃れる際に、わずかに身に着けていた貴金属や宝石も底を尽きかけ、財政的にも行き詰まりを見せ始めた生活も、彼女の精神をすり減らしていく。
そしてアローワナの空しい逃避行が始まって数年が経ったある日、ついに事件が起きた。
……その日は月も星も出ていない、真っ暗な夜だった。トレヴィスから身を隠すために、アローワナたちは街から遠い田舎の村の、さらにその離れのような山の中の小屋に仮住まいをしていた。
ここならばそうそう見つかることはない。そう確信していた矢先に、いつものように何の前触れも無くトレヴィスは現れた。
「…わざわざ休暇まで使って探しに来てやったんだぜ? もういい加減あきらめて、俺と一緒に来るんだな。もちろんそのガキはどっかの星に捨てていくけどな…。…俺のガキなら、さぞ立派なサイヤ人の戦士として働けるだろうよ…くっくっくっ…!」
「っ…! 触らないで! 無礼な…っ!」
アローワナの前に姿を現したトレヴィスが、まるで変わらない下卑た笑みを浮かべながら迫る。もはや逃れようの無い現実を突きつけられ、アローワナの精神はさらに不安定になっていく。
「…おいおい…、無礼な、だと? お前まだ自分の事をお姫様と思ってんのかぁ? まったくおめでたい女だが……そうでなくちゃ面白くねぇ!! 久しぶりにたっぷり可愛がってやるとするか!! ひゃははははっ!!」
まだ幼いマーリンの目の前で、両親の痴態が繰り広げられようとしていた。いつもそうしてきたように、マーリンは目を閉じ、耳を塞いでそれをやり過ごそうとしていた。しかし現実は何も変わらない。
外と同じ、真っ暗な世界に埋没し、少女はこの恐ろしい時間が一刻も早く過ぎる事だけを考えていた。