しん、とした静寂が闇を包み込んでいた。マーリンの発した問いかけが、それをより一層に強く感じさせていた。
しばらくしてからようやくヤムチャが口を開いた。ゆっくりと選ぶように。
「…その戦士の事は…最初の印象は最悪だったな…はは。でも、今は…俺にとって…かけがえのない…大切な…大好きな人だ…。たぶん…これからもずっと…。…ま、向こうがどう思ってるかは判らんけどな! あっはっは!」
そう言って。まるで他人事のように笑うヤムチャだったが、その表情は言葉ほどに明るくは無い。むしろ悲痛さを必死に押し殺しているようにも見えた。
「…ふ…そんな心配などいらない…。きっとその戦士は……おまえの事を嫌いになど思ってはいない。それどころか…おまえのことを何十倍も大事に……、いや、好きに思っているだろう…」
……あの夜の事は一夜限りの夢、幻だと、ずっと少女は自分に言い聞かせてきた。だが、ヤムチャにとってはどうなのか。
あの夜に自分を抱いたヤムチャは、どういうつもりだったのか。ただ自分を慰めるためだったのか。師匠としての責任感によるものだったのか。あるいは…ただの気まぐれだったのか。それがずっとマーリンの心には強く、重く圧し掛かっていた。そして…それはヤムチャも同じだった。こんな男に何を思って少女は身体を許したのか、と。
だが、想いは重なっていた。それはきっと、ずっとずっと以前から。
「……ふ……ふふ…。そうか……」
ようやく顔を上げ、ずずっ、とすすり上げながらマーリンがヤムチャから身体を離す。もう涙は止まっていた。そして一歩、また一歩ずつ後ろ向きで後ずさる。開いたままのハッチが少女を呼ぶ。急げ、早くしろ、と。
その声に押されながらも、しかし、しっかりと視線だけはヤムチャから離さずに、少女が宇宙船に滑り込む。
「……………」
マーリンが未練を断ち切るように無言で乗り込み、手早く準備を進める。
これが今生の別れとまでは言わないまでも、次に会えるのがいつになるかはまるで判らない。ぼかしたカタチではあったがお互いの気持ちを告白しあったふたり…特に知りたかったヤムチャの本当の想いを知ったマーリンにとって、それはあまりに辛い現実だった。しかし、もうヤムチャの決心は翻る事はないのだ。
準備はすべて終わった。あとはハッチを閉じ、エンジンを始動するだけで自動的に目的の星にたどり着く。大気圏を離れればコールドスリープも始まる。次に目が覚める時、それは新たな戦いの始まりだ。
だがどうしてもその最後のスイッチが押せない。今や宇宙でも屈指の力を誇る少女の指であっても、それは途轍もなく重く、固く感じられた。その時、月明かりに照らされた宇宙船の中に影が差し込んだ。
「………?」
思わず顔を上げたすぐその先に、ヤムチャの顔があった。
「……ャ…ヤム…」
驚いて名を呼ぼうとするくちびるを、そっとヤムチャの口が塞ぐ。ぽろり、ともう一度だけ涙が頬を伝う。そして男の大きな掌が、スイッチにかかったマーリンの手に重なった。
カチッ……
小さな音をたててスイッチが入った。同時に、宇宙船から聞こえる低い唸り声のような音が徐々に大きくなっていく。わずかな間の後、顔を離したふたりの、お互いを見つめる視線が絡まる。
「…俺は死なないよ。…何があっても生き残る。そして約束する…。…もし地球が本当に平和になったら…もう地球で戦う必要がなくなったら…連絡する。絶対にな」
「…そんな事は不可能だ。…でも…うれしい…。ありがとう、ヤムチャ…」
首を振りながらも冷酷な事実を口にするマーリンだったが、ふと心に何かが引っかかった。なにせヤムチャにはいつも驚くような発想で、自分の想像を何度もいい意味で裏切ってきたのだ。そのヤムチャが何の確証もないことを言うはずがない。
「…………? ……!」
ふと少女はあることに思い至った。そういえばヤムチャから聞かされた物語に登場する数々の奇跡と、それをかなえる魔法のごとき玉の存在が無かったか…?
「「ドラゴン…ボール……!」」
二人の声がきれいに重なる。にやっと笑うヤムチャに、マーリンも精一杯の笑顔で応えた。無論それで全ての不安が無くなる訳ではないが、生きてさえいれば可能性はある。それは細い細い、蜘蛛の糸ほどの可能性ではあるが。
そして、ゆっくりとハッチが閉じようとしていた。一瞬、このままヤムチャを拘束してしまえば…とも考えたマーリンだったが、すかさず男はするりと滑るように身体を離して、あっという間に外に出た。
そして。
プシュッ……
ハッチが完全に閉まった。
「……ヤムチャ!! 絶対だぞ!! わたしも…必ずもう一度……地球に来る!! どんな事をしても!! いつか…必ず!!!」
再びマーリンの目からは大粒の涙が溢れだしていた。小さな窓に張り付き、どんどんと叩きながら必死に叫ぶ。その声が届いているかは疑問だったが、それでも叫ぶ。そうする事が、今の少女に出来る全てだったのだから。
赤い窓越しに見えるヤムチャの口も、何事かを叫んでいるようだった。そして、やはりそれはマーリンには聞こえない。だが感じていた。ヤムチャの想いの全てを。
ふわり、とゆっくり宇宙船が地を離れる。それを涙に塗れながらヤムチャが見送る。ギリギリまでついていく事も出来たが、それはしたくなかった。
代わりに少しづつ小さくなっていく宇宙船に向かって声を張り上げる。完全に見えなくなるまで。必死に。声を枯らして。
「マーーーリーーンーっ!!! がんばれよーーーっ!!! 俺も…がんばるからなーーーーーっ!!!」
ぐんぐんと宇宙船は高度を上げていき、早くも大気圏を突破しようとしていた。中にいるマーリンもようやく少し落ち着きを取り戻していた。ぺたんとシートに身体を預けると、うっすらと眠気を感じ始めた。コールドスリープの準備が始まったのだろう。
「……ヤムチャ…絶対に…もう一度……わた…しは……」
段々とその眠気が激しくなってくる。意識が深い深い底を沈み込んでいくのを感じながら、遠ざかる地球を目に焼き付ける。必ず再びそれを目にする事を誓いながら。
「ありがとう…ヤムチャ……」
あっという間に地球が、その他の星と同じ点となっていく。そして宇宙船もまた、小さな光の点となって星々の海へと帰っていった……。
最終回じゃないぞよ。あと一回だけ続くんじゃ