天界の僕、冥界の犬 作:きまぐれ投稿の人
人の好みなど千差万別であろうけれど、優しくて、包容力があるというのは大きなキーポイントとなるだろう。
例え間違いを犯しても、一度受け入れ、正しき道へと諭し導いてくれるような、そんな器の大きさ……も大事であるが、とりあえず今は俺の話を最後まで聞いてくれるヒトが良い。
そしてなにがとは言わないけれど、大きくて柔らかいヒトが良い。
これらのイメージを具現化した存在、そう―――聖女様だ。
俺は慈母アマテラス大神に聖女様を望んだ……筈であった。
「きゃんっ!」
「……情けない声を出すな。
まだまだ序の口だぞ」
「そ、……そんなこと言ったって」
「ふん。このスカサハが、お前の柔い牙を研いでやろうと言っているのだ。
例え首を捥がれようとも、噛み付いてみせよ」
「わわっ」
何で俺は今、不気味な赤い色をした槍の先を向けられているのだろう。
事の発端は……と語りに入りたいところだが、発端も何も、何故か勝手に名付けられ、主となったスカサハ様に首根っこを掴まれて、とある部屋に放り込まれたのだ。
丁度遊び相手が欲しかった。とのことだが、俺の知っている幼女の遊びとは違う。これは戦闘民族の子どもの遊びだ。いや、戦闘民族の子どもがどうやって遊んでいるのか知らないけれど。
横殴りの雨の如く繰り出される突きを、目を回しながらもなんとか回避“できるわけがない”。槍先が皮膚を掠り、白い毛に血が滲む。
「避けることしか出来んのか、獣として無能だな」
ぜえぜえと息を荒げながら、くるりと槍を回して遊ばせるスカサハ様を見る。
背筋を伸ばし乱れなく立つ姿は、一輪の花のようだ。
じいと俺を見下げたスカサハ様は、はあと息を吐くと槍をしまう。
「―――飽いた。所詮はこんなものか」
勝手に連れて来られて、勝手に槍を向けられて、勝手にそんなことを言われても、困る。
そう言いたかったけれど、何故かずくりと胸が痛んだ。
言葉を聞くに、失望されるほど期待はされていなかったようだが、俺にはもう興味が失せたらしい。凍てついた眼差しが、俺を見下げる。
「お前の牙も、爪も、飾りだったというわけだな」
まるで槍で心臓を貫かれでもしたような、鋭い痛みと鈍い重さが俺の胸を抉る。
重い重い威圧感に気圧されたのか、それともその言葉が致命的だったのか、折角話せるようになった言葉が、出てこない。
わかってはいた。スカサハ様が、何を望んでいるのかを。
此処で奮起し、立ち上がり、牙を剥き爪を立て襲い掛かる気概を、見たかったのだろう。
だけれども俺は、牙や爪だけではなく、言葉すら出せなかった。
ただただ視線を下げることしか、出来なかったのだ。
「……去れ。
戦わぬものに、名は不要だ」
そんな俺を見る目は、どんな色をしていたのだろう。
感じたことのない胸の痛みに、俺は蹲るだけであったのだ。
***
神々の庇護のもとに育ち、王の守りを受けて成長したその男の持つ爪牙は、あまりにも柔く、脆かった。太陽神の力は持たない分、その性質を一段と濃く受け継いだ子どもは、守られることに長け、“殺し合い”を知らない。
ウルクでは兵士として戦場に出ていたが、王の采配により前線には立っていなかったのだ。
一対一の戦いも知らなければ、本気の殺気も知らない。
彼は、この時はじめて味わう“恐怖”に打ちひしがれていたのだ。
スカサハの氷の眼差しもまた、彼に追い打ちを掛ける。
「……なんで、こうなったんだろ」
ぺたりと床に顎を付けた体勢で、ルグは呟いた。
彼は、聖女云々を除けば、今まで何一つ望んではいなかった。
ずっとあのウルクで、王の傍に仕えられれば良いと思っていたからだ。
「……」
ふと、気付く。それは“何故だろう”と。
―――ギルガメッシュ王に、忠誠心はあった。
しかし、この身を全て懸けられるほどのものであっただろうか。
―――ウルクという国が、とても好きだった。
しかし、この身の全て捨てられるほどのものであっただろうか。
そしてそれは、冥界の女主人エレシュキガルの眷属となった時も同じである。
ただ“つくられた居場所”に座っていただけなのだと、彼は気付いてしまったのだ。
「……これじゃ、俺」
―――
今までそのようなことは言われてきたが、ちっとも気にもしていなかった。
居心地の良いぬるま湯の中で、飼い主からの寵愛を受けて生きてそして死ぬ。
その生き方を否定はしないが、本当にそれで良いのだろうかと、はじめて自分の生き方に疑問を抱く。
その疑問のままに“今までの自分”を思い返すと、それがとても恥ずかしいもののように思えて。
あまりの自己嫌悪に、ルグは頭を抱えた。
次々に頭に甦る記憶は、負の連鎖となり自分を責めるものでしかなくなっていく。
そうして蹲ったままルグは、いつの間にか眠りに落ちていったのであった―――。
―――ルグは夢を見た。
赤い隈取のある大きな大きな白い狼の夢だ。
狼は、大きな黒い手のようなものと、戦っていた。
手のようなものは、とてつもない禍々しい気を纏っていて、“よくないもの”“倒すべき敵”であるとルグにもわかった。
狼は背中に太陽そのもののような鏡を背負い、剣を振るい、勾玉を飛ばす。
目に追えない速さで攻撃を繰り出して、何やら筆のようなもので何かを描きながら、狼は敵を追い詰めていく。
―――かみさまだ。とルグは呟いた。
今まで色々な神に触れる機会はあったが、これほどまでに胸にこみ上げる熱い衝動を感じたことはなかった。その姿を目にすること自体が、尊いことのような、感動とはまた違う、言葉では言い表せない感情がどんどんと溢れてくる。自然と息が零れ、ぽかぽかとしたぬくもりに、そっと目を閉じた。
『さァさァ 皆さん! ちょいとこいつを見てくんなァ!
天の國からやってきた、お天道サマの御尊神 大神アマテラスさまの御尊容だィ!』
「わっ」
『なァーんてな! ひっさしぶりの口上だ、忘れちまったかと思ったが、案外憶えてんじゃねェか!』
「だ、だれ……?」
砂粒のような大きさをした緑色の何かが、ぴょんとルグの鼻先に降り立った。
そうして驚いたルグの顔を見て、にやりと笑って胸を張る。
『よっ、お前さんがあのお調子モンの子ども―――チビ公かァ。
オイラは全国行脚の旅絵師……じゃなかった。
“天道太子”イッスンさまだィ!』
「て、てんどう……?」
『なんでェ、チビ公喋れんのかァ!?
あのアマ公は口を開きゃ、“わん”だの“くうん”だのしか言わなかったのによォ。
ちったァ賢い頭してんじゃねエか!
顔はアマ公にそっくりな阿保面だけどなァ』
「え、アマ公って、もしかして」
『あそこで戦ってんのが見えんだろォ?
お前の親、アマテラス大神のことでィ。
オイラは、天道太子―――神サマに付いて回って、こうして絵にその活躍を写し取るのさァ。人間サマから忘れられちまうとな、神サマってのは弱っちまうんだ。
だからオイラのような名のある絵師が面倒見てやってんだィ』
「……」
聞けば、このイッスンという人間の爪くらいの大きさの“子ども”は、アマテラス大神と共に旅をした仲だという。神の眷属でも配下でもなく、相棒として、旅路を絵に記録し、人へとその貴き行いを伝える橋渡し役であった。
そうして神の信仰を守り支えていくのが、イッスンの一族“コロボックル”の使命だという。
『なンだ、なンだァ? しっけた面しやがって。
もっとこう、ポアっとした顔しろってんだ。
その方がお前にゃお似合いだぜェ?』
顔を曇らせたルグに、イッスンがそう声を掛けるとルグの黒い瞳から、ぽろりと涙が一粒零れ落ちた。イッスンはぎょっとして、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。
『……なっ、なんでェ!! 泣くんじゃねえよィ!!
お天道サマが泣いちまったら、世の中真っ暗になっちまう。
ったく、仕方ねェ! 親子揃って世話が焼けるぜ。
話してみろィ! このイッスンさまが聞いてやらァ!』
「……俺、……突然、……太陽神の子って、言われて、でも、何がなんだかわからなくて……」
『あー、そりゃそうだろなァ。
神サマっつーのは人間の道理に置き換えられるもんじゃあねェ。
神サマとして生まれ、人間サマとして育ったお前さんにゃ、複雑な話だろうよォ』
「知って、いるの……?」
『当然だろォ! オイラは、最後の最後までアマ公に付き合った天道太子サマだ!
アマ公について知らねえコトはねえよォ』
「……俺……どうすれば良いの、かな」
『どうすれば良いの、だァ?
生ぬるいこと言ってんじゃねえよォ!!
それでもアマ公の子どもかァ!?
違ェだろ!? お前は、どうしたいんだィ?』
「俺……?」
『そりゃあそうだろォ?
神サンだからって、何かしねえといけねエ決まりはねえ!
アマ公を見な! ありゃ、とんでもねえお人好しで、お調子もんだがな……。
守りてえモンの為なら、あんな馬鹿でかい“妖怪”にだって、たった1人で喰らい付くのさァ!!
たとえ、みんなの心が離れても、ずっとずっとああやって1人で戦い続けて来たんだィ!』
「……っ」
『はあ……。なァ、チビ公。
お前の守りたいモンって、何だ?』
「……守りたいもの」
『神サンたちは、力のねえお前が“守られる”ようにって、そりゃもう過保護なほど力をやった。
でも、違ェだろ? アマ公の子であるお前が、そんな大人しくしてる筈がねェ!
今だって、疼いてる筈だぜェ!
お前の中の、親譲りの“好奇心”っつー厄介なモンがよォ!』
「……!」
『何うじうじしてんだ。そんなんじゃお国が湿気っちまうぜ。
あのなァ、とにかく噛み付いてみりゃ良いだろォ!
問題ねェよ、太陽神アマテラス大神の子なら、体も丈夫に出来てやがるし、腹だって壊すことはねェ!』
「……う、うん」
『ったく、
ぼろぼろになるまで噛み付いてみろって。
そうすりゃ、神サンも根を上げてお前に力を返すだろうよォ」
「え?』
『いいや、何でもねェよ。さあさあ。さっさと行きなァ!
オイラたちの旅は終わっちまったが、お前の旅はこれからだろォ』
「旅……。旅なのかな、これ。
俺何もしてないけど」
『これからすりゃあ良い話じゃねエか。
チビ公、お前はまだ“チビ”だ。
いろんなモンを見て、聞いて、感じりゃ、お前の心も決まるだろうよォ。
それに、お前はオイラたちより広い世界を見れるンだ。良いねエ、幸せモンさ!
ま、何だかんだ言って、ポカポカ陽気の呑気な神サンが守る国が一等良いけどなァ!』
「……そう、か。そう。わかった気がする」
イッスンの言葉を聴きながら、ルグはたった1人で戦い続ける狼の背中を見る。
“守りたいもの”は何かという問いに、すぐに答えを出すことは出来なかったが、1つだけ心の奥から湧き上がって来た想いがあった。
それと同時に、ぱっと目の前が開けた。
視界が鮮明となり、世界が輝いて見えたのだ。
『おお、一丁前にいい目しやがって!
ったく、あんま心配かけんじゃねエぞ、なあ……アマ公?』
『―――わんっ!』
最後に聞こえたそれは、聞くヒトによってはただの犬の鳴き声に聞こえるだろう。
ルグには、その声がとても優しく柔らかいものに聞こえて、また1粒ぽたりと落ちた。
***
ぱっと目を開けると、いつもよりもクリアな世界が飛び込んで来る。
勢い良く体を起こした俺はまず、自分の体に驚いた。
此処に来て薄くなっていた“赤い隈取”が、濃くはっきりとしている。
それは今まで俺自身が、あの方を信じていなかった証拠でもあった。
「……。信じるものにしか見えない、この模様……。
やっぱり、俺は馬鹿だったんだな」
―――“なんで?”、“どうして?”、“わからない”……。
今までそう聞けば誰かが答えてくれた。
俺はただ頭を空っぽにして、返された答えを呑み込めば良い。
―――“俺の言葉を誰も聞いてくれない”
それは当然だ。だって、聞く意味がないのだから。
俺はただ口を開けて、下された命令を素直に咀嚼すれば良い。
脳内で、あの気高き白い背中が甦る。
とくり、と心臓が音を立てた。
俺もあんな風になれるのだろうか。
今は、まだ守りたいものとかわからないけれど……。
でも、わかりたいと思う。
生まれてはじめて、俺は自分の足で歩き出した気がした。
一皮剥けてしまった主人公の話でした。
頂いたコメントのあたたかさに号泣した。
あなた方がアマテラス大神だ……!
改めて前回のあとがきを見返すと、やだ…こいつ重病人なの?死ぬの? みたいな感じですが、全然元気です。外傷的なものなのでめっちゃ元気。
ただ、そう“不運”と“踊”っちまったんだよ…。