天界の僕、冥界の犬   作:きまぐれ投稿の人

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彼岸のものへ

―――ギルガメシュ叙事詩

古代オリエント最大の文学作品であり、この時代によく見られた神が主体となり描かれる神話とは異なり、物語の主人公は1人の半神である。これを英雄譚とするか否かは賛否両論があるようだが、半分神の血が入っているとはいえ半分人間である彼を主人公として描いたそれは、最も古い物語の1つであることには変わりはないだろう。

 

十といくつもの粘土板に刻まれた物語の中に、1つだけ他とは違う話が存在した。

話の筋が他のものとは大きく異なるが為に、贋作かもしくはオマージュ作品か、それとも気紛れに書いた短編か、あるいは何者かが書き足したものか、などと世界中で散々議論が繰り広げられたようだが、結局謎のままである。

 

さて、突然ではあるが問題の粘土板に綴られた物語に目を通してもらいたい。

そうして、ぜひ知ってもらいたいのだ。とある男の、悲劇を―――。

 

 

 

 

 

愛と美の女神イシュタルは、戦・豊穣・金星・王権など多くの神性を司る、最上位の神々に匹敵するほどの信仰と権限を得た特異な存在である。そのために、神々は彼女を制御することができず、天界のみならず地上でも女神として、自分自身の思いのままに君臨していた。

 

しかし、そんな彼女の我儘極まりない振る舞いも、とある日からぱたりと姿を消した。

 

「あ、あー!! い、イシュタル様っ! あーっ!困ります!

わ、私は……っ、今、王に仰せつかった仕事をっ!!」

 

「黙りなさいっ! 良いかしら?

アンタはアタシの下僕なのっ! あんな奴のことなんか放っておきなさい!」

 

「え、ええ……。で、でも、王に知られたら、私の首が」

 

「はあ? なによ、アタシよりアイツの方が大事ってこと?

安心しなさい。アイツに取られるくらいなら、アタシがアンタの首もらってあげるわよ!」

 

豪華絢爛の文字を具現化したような城の長い長い廊下に、甲高い女の声と、戸惑った男の声が響いていた。

女神イシュタルは、男の腕を掴むとじっとりとした目で見上げる。

うっと言葉を詰まらせた男は、視線を彷徨わせるとがっくりと項垂れた。

 

男はこの国の王に仕える兵士であったのだが、王に付添ってこの女神に謁見をした際に大層気に入られてしまい、以来こうして付き纏われる日々が続いている。

 

「あ、あの……い、イシュタル様」

 

「なによ」

 

「そ、そのですね。どうか、どうかあと10分ほど待っていただきたいのです」

 

「はあ? アンタ、自分の立場をわかっているの?」

 

「も、申し訳ありません! ですが、あともう少しでお茶の時間になります。

以前イシュタル様がお気に召されていたお菓子も、焼き上がるかと」

 

「……」

 

「い、如何でしょうか……」

 

「……もよ」

 

「へ?」

 

「あ、アンタが焼いたものなら、特別に許すって言ってんのっ!

その代わり、紅茶も淹れなさい。寛容なこの女神の慈悲に平伏しながらね」

 

「あ、はい。あ、アリガトウゴザイマス……」

 

ふいと顔を背けたイシュタルに、たらたらと冷や汗を流した男がほっと胸を撫で下ろす。

以前王のためにつくったおやつを、イシュタルが勝手に摘まみ食いをしてこれまた気に入ってしまったことがあった。それからというもの、おやつの時間に現れてはそれを強請るので、予め用意していたのである。男が10分ほどの時間が欲しいといったのは、せめて手元の書類だけでも王に渡しに行かねばならなかったのだ。

 

「……アタシが呼んだら、すぐに来なさい」

 

「お、仰せのままに……イシュタル様」

 

深々と首を垂れた男に、満足げに笑ったイシュタルはこれまでに感じたことのない喜びを噛み締めていた―――。

 

 

 

 

 

 

「ねえ、……ねえってば……」

 

天界の一角、彼女に与えられた輝かしい宮殿の玉座の前で、女神イシュタルは蹲っていた。

華奢な体に包まれるようにして、男の体が力なく横たわっている。

 

「う、……うう、なんで、……なんで返事、してくれないのよ、」

 

息絶えた男の体を、イシュタルは自分の領域へと連れ去った。

そうしなければ、あの憎き王によって埋葬されてしまう。

この男がいた証が雑踏に消えていってしまうことを、彼女は恐れたのだ。

自分の眷属として蘇らせるにも、魂が必要だ。

冥界へと下ってしまった魂を、再び引き戻すことができれば後は女神の力でどうとでもなる。しかし冥界はイシュタルと対をなす女神の領域であった。そして、その女神と犬猿の仲であるイシュタルには、冥界に関与することが出来ない。

 

「ぐすっ、ねえ……そろそろお茶の時間でしょ?

起きなさいよお……。ばかっ、ばかばかばかっ!

なんで女神庇って死んじゃうのよっ!ばかっ!

軟弱な人間の癖にっ、格好つけて……!

結局アタシを1人にしてどうすんのよっ!!」

 

男が息絶えてからというもの、自分の神域に引き籠ったイシュタルはただひたすら泣き叫びながらその亡骸をずっと胸に抱いていた。

彼女の神域に囚われた男の体は、腐敗することもなく、まるでただ眠っているだけのように綺麗であった。ただ1つ、イシュタルを庇ってできた“心臓の穴”はそのままとなっているが、これは彼女にとって男が捧げた“忠誠の証”のようなものだ。どうして消すことが出来ようか。

 

「なに?……誰か、来るわ。え、……これはっ……!?」

 

顔を上げたイシュタルは、涙に濡れた瞳をそちらに向ける。

何かが自分の神域を守る結界を引き裂いたのだ。

力ずく、という言葉が似合いのそれは、まるで怒りを叩きつけるような強引な力であったのだ。

イシュタルの嗚咽だけが唯一の音であった玉座の間に、一瞬にして戦慄が走る。

びりびりと宮殿の壁が揺れて、至る所に飾られた金ぴかの調度品が次々と床に落ちて砕けていく。

 

非常にゆっくりとした足取りで、それはやってきた。

感情を叩きつけるように、宮殿の破壊を繰り返しながら。

 

「う、うそ……。なんで? だって、此処はこのアタシの……」

 

その足音が、玉座の間に通じる扉の前で一度消える。

扉一枚を挟んで感じる気配に、イシュタルは目を丸めた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

「―――シャマっ、シャマ!

どこにいるのだわ!」

 

死んでからも奉仕を強いられることになろうとは。とんだ人生だと肩を落としたのは一瞬であった。なんと素晴らしいことに、今度の主人は無茶ぶりをしないし、私用で俺の仕事を邪魔したりもしない。むしろ俺のことを気遣って、こうして散歩にも連れ出してくれるのだ。

日々人間としての尊厳を失いつつあること以外、問題はない。

今までの主と比較してしまうと、随分と可愛げがあるように見えて、俺が開き直るまでにそう時間は掛からなかった。

 

「はいはい、ここですよー」

 

しゃかしゃかとした足音を立てながら、呼ばれた方へと走る。

王の城で飼われてた犬が、大理石の床を走る時に立てていたのと同じ音だ。

自分の足音を聞く度に、本当に獣の体になってしまったことを実感する。

 

“シャマシュキガル”なんて大層な名前を与えられてから、俺はこの幼女と会話をすることが出来るようになった。

この幼女は、冥界の女神“エレシュキガル”で、なんとあの女神イシュタルと姉妹関係にあるという。これを聞いた瞬間、発狂しかけた俺の気持ちを察して欲しい。またあの悪夢の日々が繰り返されるのかと、頭を抱えて叫びたくなった。

 

「シャマっ」

 

ぴょん、と小さな体が飛び付いてくる。

人間に例えると5,6歳のサイズであろうか?

生涯童貞(どくしん)を貫いた俺には子どもがいなかったので、その辺は曖昧だがとにかく小さい。俺の体も子犬くらいの大きさだが、今のエレシュキガルなら乗せて走ることは問題ないだろう。いや、諸々の理由から上に乗せるのは避けたいものだ。幼女とはいえ、その、感覚がこう……。なんでもない、これは聞かなかったことにしてくれお願いします何でもしますから!

 

「やっぱり、あなたの傍は、あ、あったかいのだわ」

 

「……う、ううん、俺からすれば、此処が寒すぎるだけかと」

 

「そんなこと思ったこと、なかったの。

外の世界を知らない私にとって普通のことだったから」

 

エレシュキガルの部屋にあった鏡を覗いたが、今の俺は犬とも狼ともつかない生き物の姿をしていた。冥界を歩き回っても汚れ1つ付かない純白の毛に、不思議な赤い隈取がある以外は、特におかしいところはない……?

いやいや違う、そもそも人間から獣の体になっていること自体がおかしい。段々とこの体に慣れてきている自分がいることは否定しないが、果たして本当に良いのだろうか?

 

「ねえ、シャマ」

 

「はいはい、なんでしょう」

 

そんな緩々な口調でも、睨まれたり怒られたりしない幸せを噛み締める。

生前はという表現が正しいのかはわからないが、王だけではなく女神に対して毎日毎日最上級の敬意と気を遣っていたので本当に苦労したものだ。

何度も言うが、小さな粗相が胴体と首の離婚原因となる世界だ。

必死で所作を憶えたのだが、所詮俺は庶民あがりの兵士だ。彼らの無茶ぶりにすべて応えろというのは無理がある。

 

「あ、あの……ね。そ、そろそろお昼寝の時間なのだわ」

 

「時間、ああ、そういえば……」

 

死者にはもう時間という概念は存在しない。

あるのは静かな眠りだけ、それだけが冥界の全てである。

何故だが良くわからないが、俺は眠りには就かなくて良いようだ。

 

女神エレシュキガル曰く、俺は彼女の眷属のような存在となったらしい。

だから彼女の神域といえるこの冥界でのみ、俺は自由に喋ることができる仕組みだ。

彼女は俺に“傍にいるように”命じた。それだけだ。

 

ついさっきまで人間だった俺にとって、昼夜もない冥界は正直気が滅入る。

慣れてしまえば感じなくなるのかもしれないが、風呂も、食事も、睡眠も取らない生活は死んでいるのと同じだ。だからこそ、俺は恐れ多くも“とある提案”をこの女神様にぶつけたのだ。

 

『あのー、エレシュキガル様』

 

『……」

 

『え、エレシュキガル……さ、さま?』

 

『……なのだわ』

 

『へ?』

 

『その呼び方、……嫌なのだわ』

 

『え、えっと』

 

『た、確かにあなたは私の眷属だけど……。でも、その、……』

 

『う、ううん……』

 

『ご、ごめん、……なさい、私、……。あなたと、も、もっと仲良くなりたいっ』

 

頬を赤らめながら両手の人差し指をくっ付けて、チラチラと見上げられた挙句にそんなことを言われて、NOと言える男がこの世にいるだろうか。もしこの体が人間であれば、胸を押さえてしゃがみ込んでいたところである。胸だけではないかもしれないが。

 

こういう時すぐに言葉が出てこないのが、悲しいかな経験のない男の末路である。

黙り込んでしまった俺に、小さな女神が泣き出すまで時間は掛からなかった。

 

『う、うあ、……うわあああんっ! ご、ごめんなさいい……!』

 

『なっ! ちょ、ちょっ、』

 

『わたし、わたし、あなたを困らせたいわけじゃくて……う、うう』

 

『わ、わかった! わかりました!

じゃ、じゃあ、こうしましょう!!』

 

もっふもふの俺の胸に顔を埋めて泣き出した女神に、慌てふためくことしかできない。

情けないということなかれ。幼女とはいえ、女性の泣き止ませ方など知るわけがなかった。

毛に染み込むその涙が何故かとても悲しいものに感じて、必死に頭を回す。

女神が望んでいることが、何となくわかった気がした。

きっと、おそらく友のような“対等な関係”が欲しいのだ。

 

『貴方は俺の願いを叶える。俺は貴女の願いを叶える。

それで、えーと、貴方と俺は同じです!』

 

同じってなんだ、同じって。

もっとこう格好の良い言い方がある筈なのに、こういう時に限って出て来ない。

頭を抱えたくなる衝動を堪えて、恐る恐る女神を見下す。

 

『同じ、……』

 

『も、申し訳っ! め、女神である、貴女にこの言い方は……!』

 

『いいえ、いいえ!

私は、……それを望みます。だってずっと、』

 

―――欲しいものだったから。

そう呟いた女神エレシュキガルは、濡れた瞳のまま笑った―――。

 

 

 

 

 

「それじゃあ、お昼寝しましょうか“エレさま”」

 

冥界のものとなった俺は、絶対的な存在である女神の名を気軽に呼ぶことは許されない。

例え彼女が許したとしても、その制約は変わらなかったようで、他の呼び方をしてもそれが言葉になることはなかったのだ。彼女自身もそれを知らなかったようで、目を丸くした後また泣き出してしまった。

 

ぼたぼたと落ちていく涙を見ていると、なんかこういたたまれなくなるので、何か手はないかと考えた果てに出てきた言葉が『エレさま』であった。我ながら単純なネーミングセンスであることは自覚している。

 

それでも、ぱっと顔を輝かせたエレさまがあまりに嬉しそうに笑うから、これで良かったのかもしれない。

 

「行くのだわ、シャマっ!」

 

『さっさと行くわよ、―――!』

 

一瞬だけ浮かんだ“違う顔”は今、どうしているのだろう。

いやどうもしていないだろう。

彼女にとっては、雑兵1人命を落としただけのこと。

またあの城に入り浸って、次のお気に入りにちょっかいを出しているのかもしれない。

 

何はともあれ、次なる犠牲者に心の中で合掌しつつ、次なる主と共に歩き出したのであった。

 

 

 

 

 




今回はシリアスめな感じでした。
次から視点が変わる予定です。
なぜ一介の兵士である主人公が王や女神のお気に入りとなったのか、少しずつ明かされていくかと。そして個人的にもっとギャグを入れたい。
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