天界の僕、冥界の犬   作:きまぐれ投稿の人

9 / 14
授けられし天命

―――冥界が割れた日

後の書にそう記されたこの日は……。

 

あるものにとって別離を、

 

あるものにとって悲愴を、

 

あるものにとって喪失を、

 

あるものにとってはじまりを、もたらした―――

 

 

 

 

 

冥界を統べる女主人は激怒した。

そりの合わない妹が自分の領域に踏み込んで来たことよりも、何よりも彼女の怒りをかったのは、妹の目的にあった。———幼い頃よりずっと一緒にいた彼女の太陽(あいぼう)を、奪おうというのだ。これをどうして許せよう。口にするだけでも罪に当たるそれを、あろうことを妹イシュタルは、この冥界で宣言したのだ。

 

もはや、マグマの如く沸き立つ憤怒を堪える理由はない。

エレシュキガルの怒りは地鳴りとなり、エレシュキガルの叫びは地震となる。

冥界の住人たちは女神の怒りに畏怖し、こぞって(いえ)に閉じ籠った。

 

己が領域を犯し己が宝へと手を伸ばさんとする、略奪者に突き付けたるは“冥界の槍”。

 

 

 

天界より下りし女神は荒れ狂った。

そりが合わない姉が、己を歓迎することはないことは知っていた。

イシュタルとて“落とし物”を拾いに来たのであって、ちょっかいを出しに来たわけではない。

しかし彼女もまた気付いてしまった。彼女らは姉妹であり、1つを分た身ではないかといわれるくらいに近しい存在であったのだから。―――落としたばかりの宝石(コイン)を素直に返してくれれば良かったのに、この姉はそれを大切に胸にしまっていたのだ。

 

冥界の主の膝元(りょういき)で、彼女に牙を剥くことはどれだけ愚かなことかとは頭ではわかっていた。しかし、決壊したダムでは感情の濁流を抑えることは出来ない。むしろ、自分の領域で殺されるという“屈辱”を与えてやろうと、突き付けられた槍の切っ先を睨み付けた。

 

 

エレシュキガルは、残った理性で結界を展開する。

理性を削って睨み合う2人は、このままでは冥界諸共吹っ飛ばしてしまうだろう。

死者の静謐(ねむり)を守る冥界の女主人として、それは許されることではなかった。

 

「なんで。なんでなのよ、……アタシは、ただ、1つ欲しいだけ。

もっと価値のあるものだって、今までたくさん手に入れて来た。

なんで、……アンタなんかに邪魔されないといけないのよ」

 

「……。私だって同じです。

ただ1つを欲して、そのただ1つ以外与えられなかった。

だからそれをずっと、離さないようにこの胸に抱き締めて来た。

欲しいものを何でも手に入れて、最も残酷な手段で捨ててしまうアナタとは違う。

私ははじめて、花を見た、光を見た、ぬくもりを知った。全部全部、あの子から与えられたもの。大切なものを無くさないように、守るのは当然のことでしょう」

 

「いやよ、いやっ、絶対に嫌!!

アタシは認めない。……例えお父様から罰を受けようとも、アタシは取り戻す。

だって、だって、アレはアタシのものなんだから!!」

 

黒髪を振り乱して冥界の神気を打ち払い、真直ぐにエレシュキガルを睨み付けるイシュタルの言葉は、女神としてのものではなかった。

エレシュキガルはイシュタルを冷たく見据えた。しかしそれは決して彼女を嘲笑するものではない。“もしも逆の立場であれば、自分も同じことをして同じ顔をしているのだろう”。だからこそ、拒まねばならない。そして暫く冥界の門を閉ざしてしまおう。そう思ったイシュタルは、槍を掴む手に力を入れる。

エレシュキガルにとって太陽を奪われることは、何よりも恐ろしいことであった。

 

「度胸だけは一人前ね。いいわ、少しだけ遊んであげる」

 

「戦うからには手加減はできないわ。覚悟なさい!」

 

冥界への道を阻みし7つの門のうち、6つの門は開かれてしまった。よって残るはエレシュキガルの後ろにある1つだけ。万が一にでも最後の門を突破されてしまえば、中への侵入を許してしまうだろう。このイシュタルの目的は、エレシュキガルではない。

今もイシュタルの目は、エレシュキガルの隙を探している。攻撃の隙ではなく、冥界に入るための隙を伺っているのだ。

 

「……仕方ないわねっ、一気に決めるわよ……!」

 

長期戦になればなるほど不利であるのは明白であった。

だから、イシュタルは天界から持ってきた“秘蔵品(きりふだ)”をはじめからぶちかまそうとしたのだ。冥界を覆さんほどのイシュタルの神気が、満ちていく―――。

 

「っ、させない……!」

 

イシュタルが何をしようとしているのかを察したエレシュキガルは、それを阻止しようと地を蹴った……が。その爪先が地を離れることはなかった。

 

―――ぱきん、と脳に1つの音が響く。

それは何かが割れた音というより、金属が外れたような音であった。

エレシュキガルは、その音にぴたりと動きを止めた。その女神の顔は蒼白に染まり、赤い瞳が大きく見開かれる。

 

「え、えっ、う、……うそ」

 

「あら、随分と余裕じゃない。じゃあ遠慮なくいかせてもらうわ!!」

 

「あっ、しま……!」

 

目前に迫った、天界の鉄槌。

慌てて受け止めようとするも、間に合わない。

 

 

 

 

 

―――2神の間に、ぱあっと閃光が散った。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

手足を地面に付ける度に……じゃなかった。

前足と後ろ足を地面に付ける度に、様々な色の花が咲き誇る。

 

白一色であった花は、俺の涙ぐましい努力により色を付けることに成功した。

花を知らないエレさまに、沢山の花を見てもらいたくて必死に頑張った成果である。

 

驚いたことにこの花の色は、俺の想いや感情を表すものであるらしい。

簡単にいうと、俺の感性が豊かになれば、それだけ多くの色の花を咲かせることが可能ということである。

春を思い描けば淡い色、夏を思い描けば涼しげな、という具合に調整出来る。

四季という言葉すら知らない俺が、何故それらを知っていたかというと、冥界の住人の話を聞いているうちにイメージできるようになったから。勝手にその情景が脳に浮かぶのだ。まるで見たことでもあるように。

 

「冥界とは思えない感じになっているけど……、

エレさまも喜んでくれてるし、良いか」

 

エレさまは可愛らしい色を好んだ。特にピンク系統の花を出すと、頬を赤らめて喜んでくれる。だから俺も頑張った。何を頑張ったかって?

 

ピンクという色には、その一言では表せない様々な色味がある。

濃淡によって全然違うのだ。その調整をするために、俺は夜な夜な妄想に耽った。

何故かって? ピンク色を生み出す為である。察して欲しい。

イシュタル様の私室に散らばっていた、ぱん……じゃなかったお召し物を想像すると、淡い色のピンクになり、ギルガメッシュ王のもとを訪れるうつくしい女性たちのことを思い出すと、少し濃くなる。そうしているうちに気付いたのだが、俺は胸の大きい女性の方が……あっ、なんか寒気がするのでこの話はやめておこう。

 

そうしてありとあらゆる妄想を繰り広げているうちに、俺はピンクを極めた。

代わりになにか大切なものを失った気がするので、ついに俺は一皮剥けたということにしよう。これで晴れて俺は童貞ではなくなった。ずっとひた隠しにしていたが、今まで新品であったことは、潔く認めよう。でも、俺はもう、迷わない。

 

「なんてこと、考えてる場合じゃない……!」

 

頭を振ると、おどろおどろしい冥界の道をひたすらに駆ける。

はじめは迷いに迷った道であるが、もうすっかり慣れてしまった。

走って、走って、走って―――そして、エレさまの宮殿“ガンズィル”の方向へと向かった。

現在は仕事場として使用している宮殿は、イシュタル様の神殿よりは小ぶりであるが、エレさまらしいこだわりが散らばっている。俺が来てからは、花を飾ってあるので暗くてじめじめしていることを除けば、冥界の宮殿とは思えないほどだ。

 

門の内側の冥界の入り口近くに聳える宮殿に近付くにつれて、体にびりびりとした電流のようなものが流れる。ええと、神気というのだっけか。魔術師が持つ魔力と同じようなものらしい。

 

そういうのも全て一介の兵士には縁遠いものであった筈なのに、どうしてこんなことになったのだろう。……その原因を考えることを、脳が拒否した。

 

「……ん?」

 

じめじめした地面に、何かが落ちているのを遠くに見つけて目を凝らす。

暗闇でもわかるその“白い”なにか。もぞりと芋虫のように動いている。

なんだろう。少し警戒しながら近付いてみる。

恐る恐る近付いて行くにつれて、それが何であるか……わかってしまった。

 

人の体だ。だが、それは人のものではない。

黒っぽい地面を濡らす―――赤いもの。

その中心に、倒れこむそれは―――。

 

「いっ、イシュタルさま……!?」

 

慌てて駆け寄ると、ぴちゃりと足元の赤が跳ねた。

白い毛が赤く染まることも厭わず、鼻先を近付ける。

鉄の、匂いだ。あまりに濃すぎて鼻の利くこの体にはキツい。

反射的にこみ上げてくる“酸っぱい”唾を強引に飲み込み、そっとその体に触れる。

 

「い、イシュタル様……!! イシュタルさま!」

 

返ってくるのは、冥界の沈黙のみ。

普段が普段(にぎやか)である分、この方の沈黙は恐ろしい。

まさか、女神であるイシュタル様が……死んでしまった?

 

頭がその可能性を理解すると、途端に心臓が煩く跳ねる。

 

 

 

「う、うそ……だ、イシュタルさま……!

お、起きてください、……イシュタルさまあああああ!!」

 

 

 

泣きつくように、その細い体を揺さぶる。

体に残るあたたかな感触が、とても冷たく感じられた―――。

 

 

 

「……う、っさい、……わねえ……!

耳元で、喚かないで頂戴……!!」

 

 

 

ぎらり、と飛んで来た鋭い眼光。普段であれば怯えて縮まるところだが、今だけは俺を安堵させるものでしかない。良かった、……死んでいない。

だがか細い吐息や、威勢は良いが途切れ途切れの言葉に、胸を撫で下ろす余裕はなさそうだ。

早く治療をと思ったが、女神様の場合はどうすれば良いのだろうと慌てふためいていると、その目が一等大きく見開かれた。

 

「っ!? な……っ、な、な……な、」

 

「い、イシュタル、……さ、さま……?」

 

「な、……なにやっちゃってんのよお―!!」

 

「ひえっ」

 

まん丸な瞳に、俺の姿が映る。

痛みすら忘れた様子で突然そう叫んだイシュタル様に、びくりと体が揺れた。

 

「確かにアタシ言ったわよ? ええ、言いましたとも!

“アタシの犬におなりなさい”ってね!!

でも、違う……。そーじゃない!!」

 

「あ、あの……イシュタル、さま、お、おち、落ち着いてください……!

お体に、さわり」

 

「大丈夫よ、このくらい!! アタシを誰だと思っているの!」

 

「め、女神様です……。あ、あのイシュタル様、そもそもどうしてここに?」

 

「っ……!! べっ、べつにっ!!

アンタを、探しに来たんじゃないんだからっ!!」

 

「あっ、は、はい」

 

「大体ね、アンタがあんな馬鹿な真似しなければ今頃っ……!

こんな良い毛並みした犬に成り下がってんじゃないわよっ!!

このっ、もふもふの毛……! 剥いでやるっ」

 

「いっ、いたたたたたたた、や、やめてください。やめて……禿げる、禿げちゃう……!」

 

「うっさい!! 良いじゃない、アンタにお似合いよ!!」

 

「ひっ、ひどい……」

 

うつ伏せに倒れたイシュタル様は、その腕を伸ばすと俺の胸の毛を容赦なく掴んだ。

ぶちぶちぶちっ、と無慈悲な音が聞こえ、相変わらずの横暴さに涙目になる反面、いつものイシュタル様であることにどうしようもなく安心する。体は無事ではなさそうだが、死ぬほどのものではないらしい。

 

イシュタル様のお顔を最後に見たのはもう幾千幾万も前のことなのに、ちっともご無沙汰な気分はしないのは、俺の夢に毎晩のように出演してくれたからであろう。

 

「……はあ、まあ良いわ。

言いたいことは山ほどあるけれど、とりあえずさっさとこの陰気臭い場所出るわよ」

 

「え……?」

 

「何よその間抜け面。ただでさえ間抜けだったのにもっと間抜けになったわね」

 

イシュタル様は、いつにも増して刺々しい言葉を針の如く飛ばしながら、半身を這いずり起こす。そうして、あろうことか俺の胸に顔を埋めた。と表現すると、非常にロマンチックが止まらなくなるけれど、もっふりと沈んだその姿は非常に……、何とも言えない気分になる。

 

それよりも“ここを出る”とは、どういうことなのだろう。

眷属である俺は、エレさまがお許しにならない限り外の世界へ出ることは出来ない。

もしかして、エレさまに捨てられてイシュタル様に拾われたということだろうか。

もしそうであるならば原因は、いくら何をしても怒られないからといって、調子に乗ってのんびり緩々とし過ぎたことだろうきっと。

 

何にせよお役御免というのならば、仕方ないとイシュタル様の顔を見下ろした。

 

「え」

 

「な、なによ」

 

「い、イシュタル様……。

なっ、ななな、なんで……。

なんで、裸なんですか―――!?」

 

「うっるさいわねえ。くれてやっただけよ。

裸ぐらいで一々騒がないで頂戴」

 

「は、は、裸ぐらいって……! だ、だめですよ、め、め、女神様なんですから……!!

ちょ、ちょっと、まってください。た、確か此処に布が……!」

 

ギルガメッシュ王から授かった、金の刺繍のうつくしい布を“掘り出す”。

これは唯一俺が外の世界から持ち込んだものだ。エレさまに捨てられそうになったところを回収して、こっそり埋めて隠しておいた。まさか、こんな風に役立つとは思ってもいなかったが。

 

背が高い部類に入る俺が頭から被っても、地面に着く程に長く大きい布だ。

細身で、俺からすれば背の低いイシュタル様が身に着ければ、無事に体を隠すことが出来る。

確かに隠す体ではないかもしれないが、此処は俺に免じて大人しくしておいて欲しい。そう、俺はさっき成し遂げたばかりなのだ。

 

良く見るといつも綺麗に結われている……。いや俺がその御髪を毎朝丁寧に結い上げているのだが……。とにかく、艶やかな黒髪は解けてしまっている。

そして何よりも衝撃的なものを、目の当たりにしてしまい俺は一瞬正気を失った。

 

 

 

だって、イシュタル様の―――右腕と、左足の関節から先が……なくなっていたのだから。

 

「……い、いしゅ」

 

「叫ばないで頂戴。言ったでしょ? くれてやったのよ。

それよりもさっさとその布、巻くなら巻きなさいよ。

まあ、アンタがそんなに他の誰にもアタシの体を見せたくないって言うなら、協力してあげるわ」

 

「いや、そんなこといって」

 

「さっさとしなさい!!」

 

「あっ、はい」

 

無理やり引き千切られたような、ひどい断面であった。

あまり具体的に表現するとさっき引っ込んだ“酸っぱい”唾が、再びせり上げて来るのでそれ以上は言わないけれど。四足歩行のこの体に無茶を言うイシュタル様に、なんとか頑張って布を巻く。そしてそっと、そっと、イシュタル様を背中に乗せた。

 

「ちょ、ちょっと……!」

 

「戻りましょう、イシュタル様!

このままだと不味いです。非常に、不味いです」

 

主に俺が。という言葉は情けなさすぎるので、“酸っぱい”唾と一緒に飲み込んでおく。

そうして片腕と片足を無くしたイシュタル様が、背中から落ちないように気を付けながら、冥界の門の外へと駆け出した。

 

 

 

 

 

「―――シャマ?」

 

 

 

 

 

ばちばちばちと、黒い雷のようなものが地を走った。

ばちん!!と大きな音を立てて弾けたそれは、イシュタル様と俺に一直線に向かって来る。

間一髪で大きく跳躍することで何とか避けられたが、よりにもよって―――。

 

エレさまと、対峙することになってしまうとは……。

 

「わわっ! え、エレ……さま、」

 

「シャマ。何処に行くの? ねえ、何処に?

あなたの居場所は此処でしょう。だって、あなたは私のシャマシュキガルなのだから」

 

「え、エレさま……? ど、どうし」

 

揺れる金色の髪、そして虚ろな赤い瞳は真直ぐに俺を見つめている。

その様子は明らかに……。いつものエレさまではない。

まさか、俺が言い付けを破ったから物凄く怒っているんじゃ……。

どうしようと、身を強張らせていると、上から高らかな笑い声が聞こえてきた。

 

「べーっだ。この下僕はアタシのものよ。

アンタみたいな根暗なオンナ、御免だわ。そうよねアタシの下僕?」

 

「えっ、ええ……」

 

「まさかアンタ、このアタシを袖にするなんて馬鹿なことしないわよねえ?

アンタはアタシにその尻尾振ってりゃ良いのよ。さ、還りましょ。

こんなとこ二度とごめんだわ」

 

腕と足から血を滴らせながらも、いつもの調子でそう言い放ったイシュタル様は、エレさまに向けて舌を出した。すると、微かに震え続けていた地面がどん!とまた音を上げる。

 

「シャマ、シャマシュキガル……」

 

「はっ、はい。エレさま」

 

「あなたの主はだあれ?」

 

「は、はい……。エレさまです」

 

「うっわあ……。そこまでするう?

強制的に首輪付けて飼い慣らそうなんて、ひっどい女!」

 

「……いやそれは、イシュタル様もかわら」

 

「ねえ! 」

 

「はいっ!」

 

「アンタ、どっちが良いの?」

 

「へ?」

 

「この暗いじめじめとした女神と、このアタシどっちが良いって聞いてんのよ」

 

「な、な、なんで……?」

 

「シャマ……」

 

「ちょ、エレさま……! そ、そんな目で見ないで……」

 

たださえ、いつものおどおどとした感じを払拭したエレさまに恐怖を感じているのに、さらにイシュタル様が煽るから、2人に挟まれている俺の心臓と胃が悲鳴を上げている。

 

「ちょ、ちょっと、待ってください……!

俺、何がなんだか……」

 

「理解しなくて良いのだわ、シャマ。

あら、いやだわ。何故そんな“汚らわしい”ものを背負っているのです?

さっさと捨てて、そうだ、お茶の時間にしましょう?」

 

「……え、エレさま、さっきから様子が」

 

「あーあ。“振り切れちゃった”みたいね。

このままじゃアタシだけじゃなくて、アンタもやばいわよ」

 

「ふり、きれた……?」

 

「よっぽど、アンタに執着していたってことよ。

全く。下僕の癖に次々と……!」

 

「いった、いたたたたっ!! だ、だから、背中の毛を、掴まないで……!」

 

イシュタル様の様子には変わりはないが、その声に滲む焦りは隠せていない。

このままだと冥界は崩壊するかもしれないわ。そう言ってイシュタル様は、黙ってしまった。

というかこの状況、もしかしてイシュタル様が余計なことを言って、エレさまがブチ切れてしまったのでは? それなら俺はとんだとばっちりということになるが……。

 

「―――逃がしません。

此処は私の領域、逃げられると思うな……!!」

 

「わっ、わ……!」

 

飛んで来る無差別な攻撃を何とかして回避する。

今まで無傷でいられているのは、ひとえにこの体のおかげであろう。

しかし、当然ながら、そんな付け焼き刃で太刀打ち出来る相手ではなかった。

不意を打って放たれた黒い雷が、俺の腹に直撃する。

きゃん!!と情けない声を上げて、地面に転がった俺の背中からイシュタル様が落ちた。

 

慌ててイシュタル様に駆け寄ると、迫って来たエレさまの前に立ちはだかる体勢となる。

 

「どいて、シャマ。殺せないじゃない」

 

「正気に戻ってください、エレさま……!

此処はあなたの領域、此処であなたに敵うものはおりません……!」

 

「ええ。ええ、そう。此処は我が領域……。

だからこそ“のこのこ”とやって来た、そこの女神に罰を与えねばならないのです」

 

「ばっ、罰なら、もう……充分です!」

 

「いいえ、シャマ。それはあなたが判断することではありません。

良いですか? その女神イシュタルは、このわたしからあなたを奪おうとした重罪人。

冥界の女主人エレシュキガル自ら、裁かねばならない」

 

「お……、俺は、エレさまの眷属です……。

何処にもいきません。ですから、どうかイシュタル様を外へ……!」

 

「……。良いでしょう。

ただしその女神の罰を、あなたが代わりに受けなさい」

 

「……う、……わ、わかり」

 

目の前に佇む、冥界の女主人に俺は必死に頭を垂れて懇願する。

イシュタル様が何をしたかわからないけれど、俺のしていることも勝るとも劣らない重罪なのだろう。主人に逆らい、主人の言う罪人を庇うなど、あってはならないことだ。

だけれども、このままイシュタル様を見捨てておくことは出来なかった。

そんな俺に、エレさまはそう吐き捨てる。永い間一緒にいたけれど、聞いたこともない、冷たい声であった。

 

 

 

「―――ほお、随分と愉快な恰好をしているではないか……我が下僕よ。

どれその顔、(おれ)に良く見せてみよ」

 

 

 

自信と余裕に満ち溢れた声は、いつだってブレることを知らない。

これまた久しぶりに聞いた声であるのに、全然懐かしさは感じなかった。

開かれた7つ目の扉の前で、腕を組んで堂々と立つ―――ギルガメッシュ王は、俺を見てにやりと笑う。王の言葉に、悲しいかな永年の習慣が反応した。脊髄反射的な速度でその言葉に従うと、機嫌良さそうに赤い瞳は細められた。

 

「お……おう、さま……!? あ、あなた様まで、な、なぜ、此処に……?」

 

「なに、ちょっとした散歩よ。

ふむ。……間抜けな顔だと思っておったが、さらに間抜けになりよって。

だがまあ、そうさな。お前らしい顔である。故に我は許そう」

 

「は、……はあ、」

 

「……。目覚めてしまったものは、仕方あるまい。

お前が我の下僕であることに、変わりはないのだからな。

精々犬の如き忠誠をこの我に向け、今後とも我に仕えるが良い」

 

至極当然だというように、俺を犬扱いし、間抜け扱いした王に、腹が立つより先に言い知れぬ安堵がこみ上げてくる。何だかんだ言って、俺は王のことを信頼しているらしい。

そしてイシュタル様といい、王様といい、なんで冥界入りしているのだろう。

 

「ああ、なんてこと……!

罪深きものが、また冥界に……!」

 

「ふむ。貴様、地の底の女神か。

我の下僕が世話になったな」

 

「……誰のですって? あなたも私から、その子を奪おうとでも?」

 

「ふん。貴様が我から、下僕を奪ったのだろう。

―――疾く失せよ。今の我は機嫌が良い。

それで貴様の罪を特別に許してやろうではないか」

 

「何を言っているのかしら。

この冥界を統べるのは、この女神エレシュキガルです。

出て行くのはあなたたちの方……!」

 

ぱきり、ぱきりと……地面が泣いている。

虚ろな目は、もはや何処も見ていない。

時折俺を見ては、シャマと呼び掛けて、手招きするエレさまは狂人のようにも見えた。

 

「……愚かなものよな。

この我が寛大な許しをやろうと言っているのだ。

頭を垂れるのは、貴様の方であるが……。

貴様がその気なら、それも良かろう」

 

「人間の王如きがっ、ふざけないで!!

冥界の審判者(かみ)は、このわたしだと言っているでしょう!!

さあ……冥界の赤雷(さばき)を受けよ!」

 

地の底の女主人が手を掲げると、冥界の雷が“招かざる者”へ降り注ぐ。

ギルガメッシュ王はやれやれと首を振ると、腰に差した剣を引き抜く。

天界の女神であるイシュタルですら敵わなかった女神を相手に、どうしてそんなに余裕でいられるのだろう。王は、半神であるが人間の王だ。少なくともこの場所で、勝算などありはしない。

 

「地の女神、エレシュキガルが命じます。

あなた方はこの冥界に不必要だわ。

さっさと去りなさい……!!」

 

「フハハハハハッ!! 冥界見物のついでだ。

どれ、我の城でも建てるか。なあ、我が下僕よ」

 

「え、……ええ、お、王様もうちょっとこう、緊張感大事にしましょうよ」

 

道理で静かだと思ったら、後ろのイシュタル様は気を失ってしまったようだ。

再びその体を背負うと、冥界の雷を薙ぎ払った王様が不敵に笑う。

自分で言った通り非常に機嫌が良いようだ。だが、俺を見ないで欲しい。笑顔の王様とか逆に怖い。そして、無表情のエレさまもとても怖い。

 

「そう、そうなのね。みんな、みんな私から……。

良いでしょう。ならば、教えてあげる。わたしの本気思い知りなさいっ!!」

 

「……ぐっ、」

 

ぱきり、ぴきりと、さらに地面が震える。

エレさまの怒りに呼応するように、その力が高まっていく。

それは暴発という表現がぴったりと当て嵌まるだろう。

膨れ上がる力に、流石の王も呻いた。神の力に中てられたのかもしれない。

 

 

 

「こうなったら、みんな……消してやるのだわ―――!!」

 

「え、エレさま―!?」

 

 

 

叩き付けるような叫び声と共に、煮詰まったエレさまの感情が吐き出される。

その瞬間―――ばきばきばきっ、と嫌な音が聞こえた。

慌てて周囲を見ると、エレさまの丁度背後に地割れのような罅が出来ていた。

雷のようにジグザグに走るそれに、誰も気付いていない。

やはりこの体は、人間の時よりも聴覚や嗅覚に長けているらしい。

 

 

 

「何よ何よ何よ、なんで、あなたのような存在が、背に庇われているのよ。おかしいじゃない。だって、だって、私が、私が先に見つけたんですもの。私、そう私だけの―――!!」

 

 

 

ぶつぶつと紡がれる言葉はまるで呪詛のようだ。

沸々と煮えたぎっていくそれは、やがて爆発の時を迎える。

 

「え……?」

 

「な!?」

 

「む、これは……!?」

 

だが、その力が放たれることはなかった。

 

―――ばきっ!!

岩が砕け散るような、何か固いものが割れたような轟音が響く。

度重なる地鳴りで、悲鳴を上げていた地面がついに限界を迎えた瞬間であった。

 

ぱかりと割れた地面。

傾いていく、その体。

気が付けば、俺は駆け出していた。

 

「っ、待て……!! 行くなっ!!」

 

目を見開いた王の、驚愕の顔を見たのはこの日が初めてであった。

常に“余裕綽綽”を浮かべるその顔が歪み、その手が伸ばされる。

 

俺はこの日初めて―――王に背いた。

伸ばされた王の手に、イシュタル様を預けると、エレさまの方へと走る。

 

そこからは、全て無意識のことであった。

しかし、エレさまを“助けなければ”と一心に願ったことだけは憶えている。

 

気が付けば、そう、俺は口に“大きな筆”を咥えていて、筆先を(くう)に付けると“左上から右下へと2回波打たせた”。すると、突如太い蔦が出現し、割れた地面に落ちていくエレさまの体に巻き付いた。反対方向の蔦の先を咥えると力いっぱい引き上げた。

 

不敬な表現だが、魚釣りの要領で蔦を引くと上手いこと反動で、エレさまの体が浮き上がる。

ぽーんと弧を描いて、ギルガメッシュ王の傍に落ちたエレさまは、目を白黒させている。

その目は、先ほどのような虚ろなものではなく、いつもの穏やかで優しい光を宿していた。

 

「シャマっ!!」

 

ぱきり、と後ろでまた音がした。

エレさまを釣り上げた反動は、俺にもやって来る。

引っ張り上げて前のめりになった俺の体は、踏ん張りが利かず、広がったその穴に呆気なく落ちて行ったのである。

 

「っ!!」

 

伸ばされた2本の手を、短い俺の手は掴むことは出来ない。

最後に見たのは―――涙を溢すエレさまと、ひどく動揺を浮かべた王の顔であった―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――落ちる。

 

 

 

 

――落ちる。

 

 

 

 

―落ちる。

 

 

 

 

落ちる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冥界のその奥の世界は、どんな世界なのだろうか。

内臓が浮き立つ気持ち悪さと、まるで空を飛んでいるかのような不思議な爽快感を感じながら、ただそう思った。

 

ただの一介の兵士であった筈だったのに。

ただの王の召使であった筈であったのに。

どうして、こんなことになってしまったのか。

 

だが―――悪くはなかった。

王にも女神様方にも、散々振り回された気はするけれど、嫌ではなかった。

 

ただ心残りがあるとすれば、そう……ただ1つ。

俺も、……“仲間”になりたかった。

 

もしも、太陽神アマテラス大神が……本当に、いるのならば……。

どうか、どうか―――“話を聞いてくれて”、“慈愛に溢れ”、“無茶ぶりをしない”―――そう、聖女のような女性と出会わせて欲しいものだ。そうすれば、どんな運命であっても乗り越えられるであろう。

 

完全に闇に包まれた世界で、俺はただ一心にそう祈りを捧げたのであった。

 

 

 

 

 

耳の奥で“ワン!”という鳴き声が、聞こえた気がした―――。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

闇が、ふと晴れた。僅かに明るくなったことで視界が戻る。

目の前には―――冥界の空よりも少しばかり明るいが、やはり淀んだ空が広がっていた。

冥界を闇と表現するならば、此処は……なんだろう。

薄暗く、おどろおどろしい世界であることには変わりないが、あの静けさはない。

それどころか、何か良からぬものが蠢いているような……。落ち着かない感じがした。

 

体の下には固い地面を感じたが、じめじめとしたものではなく“良く乾いている”。

 

「わん! わふ……?」

 

『此処はどこだろう』と呟こうとしたのだが、実際に口から出たのは犬のような鳴き声だけであった。人の言葉を話せないということは、此処は冥界ではないことは確かだ。

俺が今まで言葉を交わせていたのは、エレさまの力があってこそなのだから。

 

「……くうん、」

 

仰向けとなっていた体をごろりと地面に横たえ、顔を上げると―――。

冥界の門よりも、さらに巨大な黒い門が聳え立っていた。

もしかしてまた別の場所に、と思い自分の体を見る。

 

純白の白い毛に覆われた体は、再び小さくなっていた。

エレさまにはじめて出会った時よりもまた、一回り小さい。

 

「……」

 

あまりのことに呆然として固まっていると、ふと影が差した。

小さな影であった。ぱっと顔をそちらに向けると、“赤紫”と目が合う。

 

「……」

 

じっと、ただじっと俺を見て来るその瞳は、ガラス玉のようだ。

イシュタル様とエレさまがどちらかというと可憐な顔立ちであったのに対して、それは美麗な顔立ちである。だが、女神様方とは違い、その表情は一切変わることはない。

 

じわりと、汗が浮かぶ。ここは逃げるべきなのだろうか。

そう思って体を持ち上げようとしたが、ぽふりと体に走った軽い感触にぴたりと動きを止める。そちらを見ると、なんとその小さな手が俺の体に触れていた。

 

淡々と触れているように見えるが、その手付きはどこかぎこちない。

慣れない手付きで、恐る恐るといった様子で撫でるその―――幼女に、俺はそれ以上動くことは出来なかった。

 

 

 

 

ひたすら背中や、頭、腹を撫でられながら、ふと思う。

―――彼女こそが、俺の聖女なのだろうか。

 

 

 

 

もし、もしもそうだとするのならば、この話はハッピーエンドが約束されるだろう。

この将来有望な子どもの成長を楽しみにしつつ、のんびりと余生を楽しめるのだから―――。そしていつか、俺の願望は果たされることになるだろう。

 

 

眠気に包まれていく意識の中で、ぼんやりとそんなことを考えたのである。

 

 

 

 

 

 




以下、あとがき(ネタバレ含む)





おつかれさまでした!

改めまして、当作品『天界の僕、冥界の犬』をお読み頂きありがとうございました!評価や、コメント、誤字脱字報告をして下さった方々、本当に感謝しております。



【続きを書くかわからないので、以下に脳内設定をぶちまけておきます】



*この話でイシュタルが倒れていたのは、主人公を探す途中で力尽きたからです。
片腕と片足で、必死に探し回っておりました。イシュタルの視点から見ると、主人公の登場はお日様の如きものであったかと思います。


*王様の出番が少ないのは、最終的に王様の話に戻って来ることを想定してのことです。エルキドゥやシドゥリとの話も、おそらく此処に入るかと。なのでだいぶ控え目にしてあります。唯一ちゃんと真相を知る存在なので、気軽に出せないのもある……。


*此処までの話は、まだ“人間であった主人公”を中心に書いたものです。
アマテラス大神を継ぐ力は持ち得なかった主人公ですが、その代わり神々に愛されやすい特性を持っております。裏ステータスという感じで。
その特性が裏目に出て、イシュタルやエレシュキガルに気に入られ、半神であるギルガメッシュも気に掛ける存在となってしまい、結果神として目覚めることになります。

ただ歴史上“神に愛された”とされる一部の人間たちが、あまり碌な目にあっていないのと同様に、主人公も神に巻き込まれていきます。
人間として生きる予定であった主人公にとって、突然神となることはあまりに重いこと。だから、これから天命により“神となる為の試練”が課されていくことになるでしょう。

その試練とは、ありとあらゆる時代の世界を渡り歩き、様々な縁を紡ぎ、人々に幸せをもたらすこと。そして、時が満ちた時、主人公は太陽神として完全なる目醒めを迎える。といった感じです。

“愛され、守られる立場”から、“愛し、守る立場”へと成長していく、主人公の軌跡はちょっとした英雄譚にもなるのではないかと思います。
ただし、これらは世に出ることはありません。何故ならば、それはあくまでも“写しの世界”であるから。とにかく、史実にはなり得ないとだけ思って頂ければ幸いです。



最後となりますが……。
コメントを募集しておきながら、個別返信が出来ず申し訳ありません。
1つ1つ大切に目を通させて頂いております。次の参考にさせて頂きますので、本当に本当にありがとうございます!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。