【外伝開始】メソポタミアの冥界でエレちゃんに仕えたいだけの人生だった…。   作:土ノ子

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 推奨BGM:一番の宝物




 

 彼女は彼と出会い、旅をした。絆を育み、力を合わせ、居場所を得た。かけがえのない宝物を彼女は得た。

 そして今、別れの時。二度と再会を望めぬ別離が訪れ……。彼女の胸に秘めた恋の花は咲く機会すらなく枯れ落ちようとしていた。

 

「うそ、うそよね。全部マーリンの嘘……嘘って言ってよ、アーチャー!?」

「……全て、事実です」

 

 ()()()、と強烈な音が鳴った。

 力なく肯定したアーチャーの頬を痛烈に張ったのはエレシュキガル。平時と変わらぬ静かな(カオ)がかえって奥底に秘める怒りを思わせた。

 

「エレシュキガル様……」

「……貴方を愛しているけど、そういうところは本当に嫌い。大っ嫌い。女の涙を踏み付けて、自分一人だけいい格好して! 遺された方の気持ちは考えもしない!」

 

 ”女”の叫びが冥府に陰々と響く。それ程に許しがたい決断を”男”は下したのだ。よりにもよってその決断が一番傷つける者の知らないところで!

 

「この子はね、この子はあなたに――!」

 

 そこまで言葉にし、悔し気に口ごもる。

 乙女の秘密を他人が明かすなど無粋の極み。エレシュキガルとて一人の乙女。その一線を弁えていた。

 もちろん怒りが収まった訳ではない。エレシュキガルの手がもう一度振りかぶられ、

 

「いいんです。ありがとう、エレシュキガル。私のために怒ってくれて」

 

 更なる痛打を加えようとしたその手をそっと誰かの両手が包み込んだ。

 その手の持ち主を見れば、悲しい程に透き通った笑みと何も写さない()()()()な目があった。

 

「オルガマリー、あなた……」

「それが人理存続に必要なら、全てを捨てて為すのがカルデアの責務。所長の私がそこに背を向ける訳にはいかないから」

「――ッ! 畜生、なんでこんな……なんでこうなるの!」

 

 儚く微笑(わら)うオルガマリーを見てそれ以上何もできず、渾身の力で地を蹴りつけ口汚い罵声が吐いた。絶無に等しいエレシュキガルの醜態に何か言える者はこの場にただ一人もいない。

 エレシュキガルは悔しさと切なさに涙を滲ませながら一歩身を引き、オルガマリーに場を譲った。

 

「……アーチャー」

「はい」

 

 そして再び主従が向かい合う。きっと最後になる別れを済ませるために。

 オルガマリーは残骸のような笑みを浮かべ、アーチャーはただ唇を引き結んで彼女を見詰めていた。

 

「必要なのね」

「はい」

「どうしても?」

「はい」

「そのために私を傷つけても?」

「はい」

「私のこと、どう思ってる?」

「愛しています。だから守りたい」

「……女ったらし」

「申し訳ありません」

 

 きっとその愛はアガペーや無償の愛と呼ぶのだろう。オルガマリーが焦がれる程に求める感情(モノ)はちっとも含まれていないに違いない。

 言葉通り申し訳なさそうに頭を下げるアーチャーを見て、オルガマリーは何故か笑ってしまった。

 

「令呪は要る?」

「はい」

「オーダーはあるかしら?」

「為すべきを為せ、と」

 

 そう、とだけオルガマリーは答えた。

 否、それ以上何も言えなかっただけだ。ただ目を伏せ、唇を嚙みしめることしかできなかった。

 

(私はいつも気付くのが遅すぎる――)

 

 こんなにも大事だったのに。

 こんなにも隣にいる彼が愛おしいのに。

 彼に恋している、他の誰でもない彼に――ようやく、そのことに気付けたというのに。

 居心地のいいぬるま湯に浸り、現実から目を逸らし、その報いが来た。

 たとえ報われない想いだったとしても、たとえ破れてしまう想いだったとしても、直接口にしていればなにか変わったかもしれない、なんて。

 

(都合のいい夢想(ユメ)、ね……)

 

 自嘲するオルガマリーがそっと視線を地に落とす。

 だがまだ納得していない者もいる。管制室のロマニはその筆頭だ。

 

『聞いてないぞ、アーチャー! 僕はこんな話を聞いてない。まだ他に手が――』

「ロマン、友よ。……スマン、見逃してくれ。知っての通り、時間がない」

『君って奴はぁ……()()()()()()()()()()()()! せめて僕と所長にくらい伝えてくれよ! そんなに僕らは頼りなかったか!? 友達と思ってたのは僕だけか!?』

「……済まない」

 

 友。

 アーチャーが口にしたその一文字の重みを知らぬロマニではない。そしてだからこそ怒った。非の打ち所がない真摯な、瞋恚の怒りだった。

 

『大体、君が退去したら所長の躯体(カラダ)はどうするつもりだ!?』

「心配無用。『継承躯体』は完全にオルガに適合した。もう俺から離れても支障がないことはお前も知っているだろう? 後はロマン(ドクター)に任せるさ」

 

 オルガマリーの躯体を構成するのはアーチャーの『継承躯体』。故に初期は彼の退去とともにオルガマリーも消滅してしまう危険性があった。

 無論そのまま放置するはずもなく、少しずつ時間をかけて処置を進めた。元々『継承躯体』は無類の適合率を誇る万態の泥だ。時間をかけてアーチャーとの繋がりを薄れさせ、オルガマリーの肉体として世界に誤認させる程に少しずつ存在を置換させた。*1

 その機能の大半を封印することを条件に、最早アーチャーが退去してもオルガマリーが道連れになることはない。

 

『だからって――』

『ロマン、そこまでだ』

『レオナルド! 僕は、僕は……!?』

『全員が同じ気持ちだ。だからこそ、弁えたまえ』

『ッ! ……………………済まない、取り乱した。ああ、そうだな。これ以上はただの未練だ』

 

 辛いのはロマニ一人ではない。全員が、人一倍情の深い藤丸やマシュですら唇を噛んで耐えている。全ては勝利し、未来を繋げるために。アーチャーが望んだ未来のために。

 

『全員、聞いてくれ。僕達の旅路は常に出会いと別れの連続だった。そうだろう? それでも僕らは前に進んだ。諦められないもののために』

 

 この場面に至るまでカルデアは長い旅路を歩いた。多くの出会いがあり、別れがあった。その全てが素晴らしいものとはけして言えない。言葉にできない辛い別れもたくさんあった。

 だから平気、という話ではない。むしろ逆だ。

 

『……だからこそ僕らは別れがただ辛いだけのものではないと知っている。今日、そんな別れがまた一つ生まれた。それは悲しいことだけど、決して忌むべきものじゃない』

 

 辛く物悲しいだけではなく、去っていく者が別れを告げながら何かを託していく別離もある。カルデアはそれを知っている。

 その言葉にこれまでの旅路を思い返したカルデアはやっと別れを受け入れた。

 

『アーチャー、キガル・メスラムタエア。ここに至るまで君には何度も助けられた。カルデア管制室を代表し、心からの感謝を……さよならだ、友よ』

 

 友と呼び合った男が別れを告げる。

 

『君は意外と友達が少ないからね。寂しさは一入だろう、ロマン?』

『レオナルド、僕はねぇ……!』

『おっと、アーチャー。怒られる前に私からも言っておく。君は間違いなくカルデアが最も頼りにしたサーヴァントだ。天才たる私が保証しよう』

 

 万能の天才が称賛を向ける。

 

「アーチャー」

「アーチャーさん」

「お二方、どうか壮健で。いつまでもともに在れかしと、座より祈っております」

「……俺達、頑張るから! アーチャーがいない分も埋められるように。アーチャーが安心できるように!」

「はい! マシュ・キリエライト、マスターとともにそのために力を尽くします!」

「ハハ、私などに勿体ない。ですが、嗚呼(ああ)……お二方ならば心置きなく任せられます。どうか、どうかカルデアを――」

「うん、任せて!」

「お任せください!」

 

 後進たる二人に笑顔で後を託し、託された二人も涙を滲ませた笑顔で別れを済ませた。

 

「キングゥ。面識の浅いお前に頼むのもなんだが……頼む、オルガを守ってくれ」

「……さっさと行け。お前が何を言おうが僕のやることは変わらない」

 

 友の裔に露骨な軽蔑と敵意の籠った悪態を吐かれ、それでも否と言われなかったことに安堵する。

 己への悪態はオルガを思う心の裏返し。ならばアーチャーに不満はない。

 

「そら、忘れ物だ。この後に必要だろう?」

「マーリン……貴様だけは許さん。機会があったら覚えておけ」

「済まないね、なにせ人でなしだ。だがそれでも黙って消えるよりいいと私は思った。それだけさ」

 

 マーリンが放り投げた小瓶を受け取るとチャプチャプと音がする。正体を察したアーチャーは黙って受け取り、それ以上の会話を打ち切った。

 そして、

 

「おさらばです、オルガ。あなたに仕えた旅路は私が同胞と冥府のため力を尽くした日々に負けぬ輝きがあった。カルデアとオルガマリー・アニムスフィアの名を座に帰ってもけして忘れないでしょう」

 

 今生の主の前で膝を折り、暇を請う口上を告げる。その決意は誰も揺るがすことができないのだと、オルガマリーにも痛い程伝わった。

 

「……本当に、私を置いていくのね。あの日、私の手を引いたのはあなたなのに」

「申し訳ありません」

 

 どこまでも実直に、誠実に頭を下げるアーチャーへ最後に何を伝えればいいのか。

 ああ、だが。離れても、どんなに遠くなっても変わらないものはきっとある。

 

「あなたがいなくなっても、たとえ私一人になっても行くわ」

 

 生きることは立ち向かうことなら、一歩を踏み出す勇気もまた()()なのだろう。

 アーチャーの別れを乗り越えて、それでも生きなければならないのだ。

 

「私、寂しがり屋だし、泣き虫だし、面倒くさいし、たまに死にたくなるけど……あなたから貰った一番の宝物はここにあるから」

 

 目を閉じれば不思議とみんなの笑い声ばかりを思い出す。

 アーチャーとともに歩んだ旅路は、皆と同じ時を過ごしたカルデアは彼女とともにあるのだから。

 

嗚呼(ああ)

 

 せめて最後に笑おうとして失敗し、とめどなく涙があふれ続けるその顔はとても見れたものではないだろうなとオルガマリーはどこか他人事のように思う。

 だがアーチャーはそんなオルガマリーを見て何故かホッとした顔で微笑んだ。

 

「安心しました」

 

 アーチャーは笑った。清々しく、肩の荷が下りた気持ちだった。

 きっと義兄殿もこんな気持ちだったのだろう、と。

 託される側から託す側に回った。本当の意味で己の役割が終わったことを理解し、それが嬉しいのだ。

 

「さよなら。私の……一番頼りにしたサーヴァント」

「はい、さようなら。我がマスター、幸せになるべき人よ」

 

 最後に迷い、()()()()()言葉でオルガマリーは別れを告げる。

 そして無理やり迷いを振り切って背を向けようとし、

 

「待って、アーチャー! 私、――私はッ」

 

 我慢しきれず、振り向く。そして言い淀み、口籠る。

 そこがオルガマリーの限界だった。それ以上言葉が出なかったのだ。

 そして、

 

 

 

『A――――Aaaaaa、aaaaaaaaaaaaaaaa――――――!!!!』

 

 

 

 タイムリミットが訪れた。

 流石のグガランナも無尽蔵の魔力と膂力を誇るティアマトに押され始めた。溢れ出す黒き津波は今にもここに届かんとしている。最早悠長にしている猶予はない。

 ついに天牛が限界を迎え、崩れ落ちるのが視界の端に映った。

 

「いい加減天牛の相手は飽きたか、豪勢な。だが安心しろ、とびきりの馳走をくれてやる――オルガ」

「……ええ。分かってる。分かってるわ」

 

 涙が一筋、眦から零れ落ちた。迷いはまだ胸に巣食っている。だけど迷いに流される贅沢は許されない――だってオルガマリーはカルデアの長なのだから。

 

「令呪を以て命じる――我がサーヴァントたる責務を果たせ、キガル・メスラムタエア!!」

「獣の女神、原初の女、生命を産み出す母よ。死の大家たる冥府の副王がその慈愛に諫言仕る」

 

 獣に墜ちた女神なれど全ての母であれば敬意を示さねばならぬ。

 マーリンから渡された小瓶の中身――反転の泥、ケイオスタイドを一息に飲み干す。霊基を犯す塩基契約(アミノギアス)の支配力をほんの数十秒だけ保てばいいと無理やり弾きながら反転(オルタ)化の原動力として利用する。

 人型の霊基が急速に崩れ、ただ黒々とした不定形の闇が現れ、膨張する。極寒の冷気が肌を突き刺し、人型だった名残りはただ闇の中で炯々と輝く眼光。そして朗々と語られる言葉のみ。

 

「生なくして死はあらず。死あってこそ生は輝く。何時か終わりに辿り着くと知りながらその生を走り抜ける生命の輝きをあなたは知らず、あるいは忘れた。あなたの望む永劫は歩みではなく眠りそのもの。

 いずれ巣立つ子を押し留めんとした母の愛こそあなたを排した根底と知るがいい」

 

 小さく、弱く、儚くとも。鮮烈で、眩く、尊い輝きがあった。

 それは母の懐で抱かれ、微睡むだけではけして辿り着けぬ人類が刻み込んだ轍。轍はやがて道となり、次から次へ人はその道を駆け抜けていった。

 そして今カルデアは、最新の人類はここにいる。人類史を焼却し尽くした絶望にまだ抗っている。終わっていないと叫んでいる。

 彼らは眩しい程に人間だった。

 

「御身の盲いた両目に真なる冥府の暗闇を馳走して進ぜる。黒闇の帳にあってこそ光は輝くと知るがいい――黒闇呑干す霊性の轍(エディンム・クル・ガルラ)

 

 その光を示すため、今敢えて極黒の闇をぶつけよう。

 母よ。人類(ヒト)を見よ。どうか我らを知ってくれ。貴女の下より巣立った者達へ思いを馳せてくれ。

 さあ、幼年期の終わり(Childhood's End)を始めよう。

 

*1
オルガマリーが初期に自身の躯体について自覚していなかったのもその一環




 黒闇呑干す霊性の轍(エディンム・クル・ガルラ)
 くらやみのみほすこころのわだち

 宝具の真名であり、霊基の真名。というよりもこの英霊にとって霊基と宝具は等しい。名も亡きガルラ霊〔オルタ〕そのもの。
 令呪の後押しとケイオスタイドの反転により顕現した『災厄』のアヴェンジャー。
 人類が古代シュメルの神性へ抱いた憎悪と憤怒、失望を束ね上げた人類史でも稀な大悪霊。
 人類の悪性を呑み干し平らげて急速に肥大化し、あと一歩のところで王によって討たれながらもその存在を人理に刻み込んだ神性弑殺概念。一つの世界(テクスチャ)を滅ぼすに足る大災厄。
 その姿は不定形の闇であり光すら飲み込むブラックホールのよう。人のカタチすら保てぬ程に成り果てた呪詛の化身である。

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