【外伝開始】メソポタミアの冥界でエレちゃんに仕えたいだけの人生だった…。 作:土ノ子
忠義の眷属に冥界を任せ、エレシュキガルは神々の座す天へ足を踏み入れた。
ここに来たのは果たしてどれほどぶりか…あるいは、自分はここへ来たことがあったのだろうか。
少なくともこの光景を思い出せないくらいに昔であることは確かだ。
「来たか、エレシュキガル」
「来たわ、ネルガル」
傲岸に、玉座に座ったまま尊大な姿勢を崩さず、太陽神ネルガルは冥府の女神エレシュキガルを出迎えた。
仮にも自分が誘った相手に対し、立って迎える素振りも無い様子に眉を顰める。
風の噂にネルガルは力ある大神だが、その分傲慢さも激しい神と聞いていたが、どうやら噂は真実であったらしい。
「お招きありがとう、と言っておくべきかしら」
「ならば呼びかけに応じ感謝する、と答えるべきだろうな」
互いに交わし合う言葉はどこか冷たく、刺々しい。
第一声から既に冷ややかな空気が漂っていた。
「私がここに来た要件をまず済ませましょう。イシュタルはどこかしら?」
「うむ、彼奴ならばここにはいない。天の座所で、その神力の殆どを失いながらも囚われの身である。いや、突然の乱心……天の座所へ攻め上って来た時には気が狂ったかと思ったぞ。対処には余を以てして中々に手を焼いた。
ハハ、我が手で奴を押さえねば、他の神どもに押されその命を奪っていたやも知れぬな」
「あの愚妹には相応しい待遇ね。全く、考えなしなんだから…。どうせ貴方達神々もアレには手を焼いているのではなくて?」
「御明察、と言っておこう。中々のじゃじゃ馬よな。大神としての力を失い落ちぶれながら、いまだ意気軒昂よ」
「そういう性質なのよ。イシュタルも…私もね」
「そのようだ。しかし、解せぬな」
「何がかしら? ネルガル」
ネルガル神が言葉通り訝しむように視線を向けると、エレシュキガルはむしろ余裕をもって見返した。
その余裕もまたネルガル神には不可解だった。
「貴様の瞳を見るに、既に余の企みは見抜いていよう?」
「あら? 随分あっさりと白状するのね?」
互いに隠す気も無い剣呑な気配が、この後到来する荒事の予兆を告げていた。
「見抜かれている隠し事を隠すほど無様な真似はあるまい、今更よ。それよりも、だ。何故余の元へわざわざ出向いた?」
楽し気に問うネルガル神に向けて、エレシュキガルは叶う限り堂々と胸を張って不敵に宣言した。
「そんなの決まってるじゃない?
その大胆不敵な略奪宣言に、ネルガル神はむしろ楽し気に笑った。
「フハハ、やはり我が太陽の力を欲していたか! 地上に有り、冥府に無いモノ。それこそが『太陽』。偉大なる我が権能である! 貴様が冥府のためにそれを欲していると、余は気付いていたぞ!」
「ええ、本当に、自分を殺したくなるくらいに、狂おしいほど私は太陽が欲しいと思ってしまった。あんなにも頑張ってくれている
太陽の無い冥府のため、地上から採光するために作り上げた《玻璃の天梯》と《宝石樹》。
素晴らしき発明であり、素晴らしき成果だ。
だが
自分には過ぎたるものと自覚しながら、それでも自分に嘘を吐けず、こうして賭けに出ている。
太陽なぞ不要と嘘を吐いても、あの誓約がある限り意味はないのだから。
「それは違うな、エレシュキガルよ。汝の眷属の幸せとは即ち汝が幸せを掴むこと。であれば貴様がすべきは悔いて下を向くのではなく、傲岸不遜に欲したモノへと手を伸ばすべし! それこそ貴様が女神として果たすべき義務である!」
「あんた、そういうところはマトモなのね…」
「何を言う。余は自分に正直なだけだ。欲しいものに手を伸ばし、良き女を妻に迎え、素晴らしき領土を自らの手に収めん。それこそが一人の男子としての本懐である! その過程に詰まらぬ虚飾を用いることこそ唾棄すべきと心得ているだけよ!」
ある意味でどこまでも裏表のないネルガル。
個人的にはそこまで嫌いではないが、あまりご近所付き合いしたいとは思えないキャラクターだ。
現にこうしてエレシュキガルの領分である冥界に欲心の手を伸ばしてきている。
「故に余は宣言するぞ! 汝、エレシュキガル。美しき冥府の女神よ、余はお前が欲しい。お前が統べる冥府が欲しい。汝を打ち倒し、必ずや汝を妻へと迎えよう!」
「お生憎さま。その申し出、心の底からお断りなのだわ! 妻だのなんだの身勝手な欲望ばかりの求婚など、断じて御免!」
ネルガルの欲心に満ちた申し出をキッパリと拒絶する。
このような男の征服欲に満ちた求婚など受け入れる余地があるはずもない。
「冥府のためにとっとと太陽の権能を差し出しなさい! いまならまだ身ぐるみはがすのは許してあげるのだわ!!」
明快な拒絶に、ネルガルは莞爾として笑う。
「良いぞ! 良き胆力である! 敵とするにせよ、味方とするにせよ、余の前でその程度の啖呵を吐けねば相手にする価値も無いと言うものよ!!」
「あら、そっちも中々いい度胸ね。私は冥府の女神エレシュキガル。死を司る地の底の女王! 甘く見ていては大火傷をしてよ?」
「その価値はあろうよ。余が認める、汝は良き
勝利の確信があるからこその余裕をもって、ネルガル神は対峙する女神を賛美した。
「しかし、解せぬな。何故あのガルラ霊めを供とせなんだ? 冥府でならばいざ知らず、我が領域で汝に勝ち目無し! 唯一勝ち筋があるとすればあのガルラ霊のみよ。それ故アレを速やかに誅する手筈を幾重にも整えていたのだがな」
「―――へえ?」
絶対零度の相槌。
それは神としての格は関係の無い、
「あの子には私が不在の間、冥界を任せてあるの。
信頼を込めてそう断ずるも、ネルガル神を睨みつける目には殺気が満ちている。
「フ、ハハハッ! 良いぞ! 良い殺気だ。それでこそ我が妻に迎える甲斐がある」
だがネルガル神はむしろ高らかに笑った。
それでこそ、との言葉通りに歓喜すら滲ませて。
「では始めようか。結末の定まった戦いを」
「それは違うのだわ、ネルガル。この戦いの行く末はまだ誰の手にも渡っていない。私は、
たとえそれが全てを賭けて一本の綱の上を渡り切るような、危うい賭けであろうとも。
いま出来る全てを為すために、エレシュキガルは全力を以てネルガルに相対した。
◇
「……………………」
エレちゃん様が天界のネルガル神を訪ねて幾日か経ち。
『――――――――』
眼前にはネルガル神の従者、『十四の病魔』が一柱『
全身に雷電を纏う悪しき亡霊が無言のまま、要件が刻まれた粘土板を俺に差し出していた。
(やはり、か…)
粘土板には既にエレちゃん様はイシュタル様ともども囚われの身となっていること、近々エレちゃん様を妃に迎え、冥府の王として戴冠するため先んじて準備を整えておくようにとの身勝手極まりない言葉が刻まれていた。
もう冥府の王様気取りか、ネルガル神め。
「ネルガル神からのお言葉、確かに受け取った。この返答はネルガル神が冥府へ参られた時に、私が冥府を代表して答えよう。それでは御身がいるべき場所へ戻られよ」
本来なら使者に労い、歓待の宴を催すのもやぶさかではないが、こんなふざけた言伝を寄越す輩に礼儀を示す必要など一欠けらたりとも感じない。
勝つにせよ、負けるにせよ徹底抗戦しかないことは既にエレちゃん様と打ち合わせ済みだ。
『――――――――』
雷電纏う悪霊は、最後まで無言のまま、機嫌を悪くした様子もなく引き下がっていった。
残念だな、これで怒り出すようなら冥府の防衛機構がアレ目掛けて火を吹いたのだが。
「予想出来ていた、ことではあるが…」
分が悪い賭けとなったな。
ネルガル神が自覚しているかは分からないが、あちらはルビコン川を渡った。
回帰不能点という奴だ。
故にここから先、結果は二つに一つだ。
冥府の全てを以てネルガル神を打ち破るか、ネルガル神が冥府の全てを平らげるか。
勝率は大分こちらに不利だがな。
「良いだろう、そちらがその気ならこちらも相応に力を尽くすだけだ」
だからまあ、力を貸してくれ、皆の衆。
そして頼むから暴走はしてくれるな、なにせ止める者が俺を含めて誰一人いないだろうからな。