【外伝開始】メソポタミアの冥界でエレちゃんに仕えたいだけの人生だった…。 作:土ノ子
「新たな王の出迎え、大儀である! 冥府の古き臣どもよ!」
ネルガル神を
大神ネルガルはそんな俺達を威風堂々と、余裕すら漂わせて
背の高さではなく、気位の高さ。
当たり前のように俺達ガルラ霊を下僕のように扱う傲慢さ。
よしんば反抗してきても圧倒的な高みから押しつぶせばいい。あとは逆らう者がいなくなるまでそれを繰り返せばいい。
そういう類の傲慢さだ。
「天にて輝くべきネルガル神におかれましては、このような地の底でありながらまことにご機嫌麗しゅう。此度、わざわざ天界から冥府まで足を運んだ御用の向きをお伺いしても? ああいや、察してはいるのですが、念のため」
……いいね、テンション上がってきた。
元から大人しく従う気など一欠けらたりともありはしなかったが、戦意にくべる材料が多いに越したことは無い。
叶う限りの慇懃無礼を前面に押し出して用向きを聞く。
もちろん聞くだけ聞いて大人しく聞き入れるつもりなど全くない。
「無論、
フハハと笑いながら、むしろ機嫌が良さそうにネルガル神は告げた。
「価値ある領土、価値ある姫、価値ある民を蹂躙し、征服し、己が手に収める。男としてこれに勝る快なし! 冥府は此度、我が手に収まることとなる!」
それは正しく強者の傲慢。
これまで冥府に無かったもの、冥府に不要なもの、そしてこれから冥府に幾度となく伸ばされるだろう魔手そのものだ。
「抵抗を許すぞ、古き臣よ。一度我が神威に触れてこそ、我が偉大さに首を垂れることも出来よう」
ああ、元から一戦交える気だったのはそちらも同じか。
エレちゃん様と一戦交えたのなら、この成り行きを予測するのはむしろ当然だな。
背後に蠢く云十万という数える気にもなれない数の眷属集団もそれを裏付けている。
「ならばネルガル神よ、冥府に属する者達の代表として、御身の宣言に返答申し上げる」
「聞こう。好きなように囀るが良い、光り無き者」
ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべ、ネルガル神は俺の言葉を待った。
俺達の反逆の意志を儚い抵抗と笑うように。
それならそれでいい。
是非ともこちらを侮ってくれ。その足を引っかけて散々にやり返してやろう。
冥府のガルラ霊は執念深いのだ。なにせ主がエレちゃん様だからな!!
「その傲慢、幾重にも
中指を立てて「
もちろん古代シュメルで意味が通じるはずもないが、俺が向ける敵意だけはしっかりと伝わったらしい。
「良いぞ、そうでなければ蹂躙のし甲斐も無いと言うもの! 我が宣戦布告の答えとしては満点をくれてやろう、最も新しき神性よ!」
余裕綽々、こちらの抵抗の意志を子犬が戯れているかのように扱うネルガル神。
忌々しいが、確かに冥界とネルガル神の間には小さくない戦力差がある。
俺という神性がいるが、あくまで人間から成りあがった下位の存在。
個我持つガルラ霊も十数万と数は多いが、強力な神性は数の差を易々と覆せる。
頼りの冥府の法と律はエレちゃん様不在ゆえに機能しない。
神さえも縛り上げ、イナゴよりも小さな存在に貶める力は彼女のものだからだ。
「ならば当方がまず一手御身のお相手仕る。この挑戦、受けて頂けましょうや?」
冥府に残る唯一の神性であり、継承躯体を持つ俺こそが不本意ながら冥府の最高戦力。
裏技・奇策の類を封印した上で全力でネルガル神にぶつかり、戦力差を測る物差しとしたい。
果たしてこの企み、伸るか反るか…?
「フハハ、その意気やよし。来るが良い、だがすぐにその蛮勇を後悔するととなろう!」
善し、受けた。
この傲慢で自尊心が強い神性ならば受けると読んだが、その読みが当たった。
「ならば遠慮なく!」
言うが早いか、心身に充溢する冥府の魔力を轟々と燃やし始める。
普段は使う宛もなく封印している身体能力が劇的に向上し、受肉した神性相手でも真っ向から相手取れる頑強さが備わった。
(とはいえどう工夫してもエルキドゥの劣化品以上にはなれんわな…!)
例によって俺の宝具は非戦闘用。というか冥府にあっては使う意味が無い仕様。
よって戦闘用に使えそうなのは継承躯体に付随するスキルくらい。
万態の泥である性質を駆使した手足の武器化、気配感知や変容による能力値の振り直しなどが今のところ切れる手札だろうか。
諸々を総合した俺の戦闘イメージは徒手空拳だけで戦う劣化エルキドゥと言ったところ。
(劣化と言えどエルキドゥのソレなら普通は十分すぎるんだが…)
相手は大神ネルガル。
天の太陽、その破壊的な側面を司る太陽神だ。
ここは前哨戦、その自覚をもって…しかし同時に全力でなければその前哨戦すらこなせないだろうと言う予感の元に初手から全力で仕掛ける。
「―――!」
ただ、速く。一心に疾走する。
音を置き去りにする速度で踏み込み、ネルガル神に向けて真っ向から殴りかかった。
俺自身は戦うための鍛錬などしたことがないが、継承躯体から受け継いだ戦闘経験がある。
継承躯体は十全に俺の意志に応え、完璧なフォーム、完璧なタイミングに補正してくれた。
並みの魔獣ならば瞬きの間に撲殺しうる威力の拳は―――、
「クハハ、遅い」
両手で構えられた王錫に似た杖で俺の拳が悠々と防がれる。相当な衝撃がネルガル神を襲ったはずだが、小動ぎもしていない。
それだけではない。
俺とネルガル神が至近距離で睨みあうその中間点に眩い光が収束し―――爆裂する!
「チッ!」
俺を襲うよう指向性を調整された炎と熱量がジリジリと俺の
咄嗟に後方へ跳躍したのが功を奏し、損傷は大したものではない。魔力を回復に回せば、焼けた肉はすぐに滑らかな肌を取り戻した。
睨みあい、間合いを測るような沈黙が下りる。
「これで終わりか? いささか食い足りぬな」
余裕綽々な笑みが腹立たしい。
事実としてこちらの最速に対し、余裕を持って対応された。
分かってはいたが、単純なスペックにおいて大神であるネルガル神と比べてこちらは劣っている。
そして特段戦術や戦闘技能に優れているわけではない俺では対応が厳しいと言わざるを得ない。
「…………」
俺は無言のまま、対抗策に頭を回す。
とりあえずあの強烈な炎熱に備え、簡易の防具となる外套を躯体の一部から生成する。
デザインはネルガル神が纏う大きな切れ込みが入ったマントに似た外套をそのまま真似ることにした。
ただし色は白ではなく、僅かに藍色を含んだ黒。
夜の色、冥界の色だ。
「フハハ、余の猿真似か。いや、悪くは無いぞ。その平凡な面構えも多少はまともに見れると言うもの」
実利優先だというのにドやかましいわ。
ちょっと自慢げなドヤ顔が心の底から腹が立つ。
無邪気に見える分余計にだ。
「では今度は余から行こう。早々に斃れてくれるなよ? まだまだ余の遊戯に付き合ってもらわねばならぬのだからな」
ネルガル神が口を閉ざすよりも早く、閃光の雨が降り注ぐ。
視界の端に光と認めるや否や、継承躯体の導きに従って咄嗟に身を捩り、閃光の雨を躱す。
さらに夜色の衣で躯体を覆い、熱と光を防ぐ覆いとする。
幸運も手伝い、被害は俺の躯体に線状の赤い火傷が幾つか刻まれるに留まった。
そのまま躱すために地を蹴った勢いに従って外套に包まった黒い塊としてゴロゴロと地を転がり…。
「む…?」
当然、困惑の声を漏らすネルガル神。
傍から見ればまるで手品のように衣だけを残して俺が消え去ったかのように見えるだろう。
もちろん消えた訳でも手品を用いた訳でもない。
俺はとある手管を用いて密やかにネルガル神の足元にまで忍び寄っており…。
「―――っ! 下か!?」
地中から生えた両腕ががっしりととその足首を掴んだ。
ネルガル神も地を蹴って跳び退こうとするが、既に遅い。
「その通り」
そのまま満身の膂力を込めて足首を握り潰し、地の底に沈め落とさんとする。
継承躯体は毒竜バシュムの肉体を鱗の上から千切り取るだけの握力を秘める。
あと一秒あればネルガル神のアキレス腱をそのまま抉っただろう握撃を。
「小癪っ! あまりに小癪っ!」
ネルガル神は憤怒とともに足元から強烈な熱波を大地に向けて吹き込み、無理やりに外しにかかる。
大概の熱波ならば耐えうる継承躯体だが、流石に大地が融解してドロドロの溶岩となるほどの熱量は許容範囲外だ。
「
今この時、大地を焼け焦がすということは、俺の肉体を焼け焦がすのに等しい。
思わず力が緩んだ隙にネルガル神は地を蹴って離脱することに成功した。
とはいえその顔に笑みは無い。
「チィ…こそこそと。その身に神たる誇りは無いのか、貴様」
「元は単なるありふれた人の果てこそ我が身なれば。御身を相手に誇りを守る余裕などあるはずもなし」
「ハ。まさに必死、という訳か」
俺の言葉に、僅かに苛立たし気な気配が薄れる。
むしろどこか感心したような気配が漏れた。
「―――その方の手練手管、特別に余に向けることを差し許す! 全く持って気に食わん姑息なやり口よ。だが偉大なる余に挑む卑小なる身では致し方なし。あらゆる手を用いて余を打倒せんとする気概、評価してやらんでもない」
うむ、と心得たように頷くネルガル神。
そんな余は分かっているぞとばかりにドヤ顔されても対応に困るんだが…?
「無論余は貴様の流儀になぞ付き合わんぞ。余は天に輝くべき太陽、ネルガルである! 余の歩むべきは王道、正道、覇道にほかならぬ! 前進、粉砕、制圧こそが余の真骨頂よ!」
ある意味では強者の傲慢、ある意味ではフェアな宣言だった。
強者だからこそ俺のように姑息でみみっちい手には頼らず、そしてそれが向けられた時に卑怯だなどと詰まらないことは言わないという宣言だ。
「故に貴様も存分にその
「……」
その物言いに見抜かれたか、と舌打ちするのを何とかこらえる。
俺の継承躯体は一件ただの肉の身に見えて、さにあらず。
その本質は変形する粘土細工。
あらゆる性質、形状を再現する万態の泥である。
故に冥府の大地と一体化し、密やかに地の下に潜り、忍び寄るのも難しいことではない。
だが二度目は通じまい。ネルガル神、ただの力押し一辺倒ではない。こちらの手管を見抜く眼力にも優れた戦上手だ。
「中々に優れた
その宣言、聖句とともに地の底たる冥府に、あるはずもない光が燦燦と降り注ぐ。
その正体は言うまでもない。
「ッ…!? 太陽の―――」
「然様。余の偉大なる神威、太陽である! 我が分身が照らすは地上のみにあらず。地の底の深き闇すら例外ではないと知れ!」
誇らしげに語る言葉通り、ネルガル神の頭上にギラギラと凶暴に輝く小さな太陽が出現していた。
本来天に輝くべき太陽が、地の底の冥府に…。
これこそが神の権能。
理由も過程も必要とせず、ただ神が斯くあれかしと望めばそうなる、神代の法則そのものである。
(なるほど…)
頷く。
一つ、腑に落ちた気がした。
「エレシュキガル様が求めたのはその権能か」
「なんだ、主に聞いておらなんだか? その通り。あの女神は余の権能を欲し、天上へ昇った。余の思惑を見透かしながら、敢えて余の誘いに乗ってな。見上げた強欲ぶりである。
まあ、如何なる思惑があったにせよ、エレシュキガル自身が我が手に堕ちた以上全ては後の祭りよ」
「それはどうかな」
もう一つ、頷いた。
エレちゃん様の思惑が読めた気がした。
イシュタル様と、冥界と、太陽の権能。
その全てを諦めないために、エレちゃん様は敢えてネルガル神の誘いに乗ったのだ。
確かにエレちゃん様は囚われの身だ―――だが代わりにイシュタル様の身の安全は保障された。
現状の冥府を相手にイシュタル様を人質に取る意味はないし、もし実行すれば今度はネルガル神の名は地に墜ちるだろう。格下の眷属を相手に何を無様な真似を…と。
ネルガル神の侵攻を受けた冥府が危機に陥っているのも確かだが、逆に言えば
エレちゃん様とイシュタル様を囚われの身から救い出すことも叶うだろうし、ネルガル神から太陽の権能をかっぱぐことも出来るだろう。
(善し…)
僅か数手の差し合いだが、ひとまず互いの力を物差しに力量は測った。
現状このまま正面からネルガル神にぶつかっても勝率はゼロだ。
かと言って互いの眷属をぶつけ合っても、明確に決着を付けるのは難しいだろう。
相手は大雑把な概算だが数十万、こちらは《個我持たぬガルラ霊》まで含めれば百万騎に届くかといったところ。
これだけ大軍同士のぶつかり合いで果たして明確な決着が着くか…。
さらに言えばネルガル神という大軍を蹂躙できる個がある以上、やはりネルガル神の打倒は必須だ。
となれば、
(裏技、インチキの出番だな)
認めよう、今のまま馬鹿正直に殴り掛かっても勝ち目はない。
それを認めるのが冥界が勝ち目を見出だすためのスタートラインだ。
「……此度の戯れ、ここまでとしましょう。いまこの場では御身には勝てない。それが分かりましたので」
「ほう、中々殊勝な。潔く負けを認める準備は出来たか?」
「まさか。私は勝つためにここを退くのです」
戯れのような問いかけに首を振って答える。
「故にこの場は退かせて頂く。私と私の仲間は冥府の奥底で準備万端整えて御身とその眷属を迎え撃つとしましょう」
勝機は薄い。
だがそれでも勝負を投げ出すつもりはない。
勝ち目はある…細い細い道筋だろうと、確かにあるのだ。
「良かろう。此度の戦、攻め手は余だからな。面倒ではあるが、一つ一つ守りを崩していくのも悪くはない。女の衣を剝ぐのに似た愉悦がある」
邪悪な欲心を浮かべた笑み。
その笑みに冷ややかな視線を向け、周囲の仲間たちと共に冥府の最奥へと転移する。
エレちゃん様から冥府神としての権限を少なからず預けられている。俺が持てる分は全てだ。
その権限を使えば、冥府の領域内ならば空間転移すら可能だった。
「皆、頼む」
冥府の門それぞれに戦力は配置してある。
まずはそこでどれほど向こうの戦力を削れるのか、だな…。