【外伝開始】メソポタミアの冥界でエレちゃんに仕えたいだけの人生だった…。   作:土ノ子

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推奨BGM:DAYBREAK FRONTLINE




「是、蒼天陽炎む災禍の轍(ニルガル・エラ・メスラムタエア)

 

 其は《災禍の太陽》ネルガル神そのものと呼ぶに相応しい一矢。

 死せる者も生ける者も尽く絶滅させるフレアハザード。

 回避も防御も眼前に迫る必殺の一矢の前に意味をなさない。

 ならば、諦めるのか?

 

 否、否だ!

 

 敢えて言おう。

 この程度の苦難、何度となく乗り越えたからこそ今の冥界があるのだと。

 

「ハデスの兜よ―――」

 

 宝具には宝具を。

 神秘には神秘を。

 理不尽にはそれ以上の理不尽を。

 互いが歩んだ道の重さをぶつけ合う意地の張り合い。

 それこそが神霊と英霊の戦である。

 

「―――夜を纏え。汝、如何なる者も捉えること能わず」

 

 行使するのはギリシャの冥府神ハデスより剽窃した《姿隠しの兜》。

 眼前に迫る死の具現。

 最早一刻の猶予もなく、刹那でも早く行使出来るように努める。

 間に合うか、否か。

 そして迷いが脳裏を過ぎった一瞬後、どす黒い汚濁が入り混じる大炎が俺を丸ごと呑み込み、視界が赤黒く染まった。

 

 ◆

 

 大神として生きた長い時間においても稀な大敵が太陽神の繰り出す劫火に飲まれた。

 その光景をしっかりと目に映し、己が勝利を確信するネルガル神。

 それほどに己が宝具に信頼を置いていた。

 むべなるかな、あれこそは死生問わずあらゆる存在を絶滅させる《災禍の太陽》そのもの。

 大神の位に相応しい文字通りの『必殺』である。

 宝具が撃ち放たれた後には冥府の大地を赤黒く傷つけた災禍の(わだち)が地平線の先まで延々と続いている。

 もちろん《名も亡きガルラ霊》の姿は影すら残っていない。

 太陽そのものを具現した超熱量によって霊基ごと蒸発したのだろう。

 

「我が宝具に討たれたことを誇れ。目にした者は貴様を含めて片手の指で数えられる故な。貴様はいずれの大敵にも劣らぬ強敵(トモ)であった」

 

 強敵であった。 

 喰らい甲斐のある大敵であった。

 

 (オレ)は! 奴に! 勝った!

 

 そう快哉を叫びたくなるほどに、勝利を誇りたくなるほどに。

 ネルガル神にとっても久々に()()()()に足る戦であった。

 ほとんどの場合、ネルガル神が出陣する戦は一方的な蹂躙に終わる。

 戦いと呼べるものはほんの一握りだ。

 だからこそネルガル神は思い一つで己と競り合う領域にまで至った《名も亡きガルラ霊》に賞賛を惜しまない。

 

「さらば。冥界とエレシュキガルは悪いようにはせぬ。安心して逝くがいい」

 

 最早この世の何処にもいない強敵へ最後の別れとせめてもの慰めを送る。

 それだけの価値はある戦だった。

 だのにあの男が無為に消え去ったとしか後の世に伝わらないのは余りに哀しい。

 あの男と仲間達の奮闘があったからこそネルガル神は譲歩した。その事実は多少なり死出の旅路を彩る誉れとなろう。

 己が下すべき沙汰を吟味したネルガル神は一つ頷き、地獄の最下層に等しい煉獄と化した大地に背を向けた。

 そして冥界中に己が勝利を宣言するために再び魔力を集中し、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――機、なり」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ありえざる呟きがゾクリとした寒気とともにネルガル神の耳朶に入り込む。

 それはついさっきネルガル神が繰り出す《災禍の太陽》に魂魄までも焼き尽くされたはずの、死したはずの《名も亡きガルラ霊》の声だった。

 

「黄泉路から彷徨い出たか、亡霊!?」

 

 呵々々(カカカ)…、と冥府の闇に陰々と響く嘲笑がネルガル神の神経を削った。

 神でありながら理解しがたい現実にネルガル神は怯えていた。

 神々ですら『死』は避け得ぬ終焉なれば、その『死』を覆す魔性に怯まないはずが無いのだ。

 

「恐怖に眩む瞳が闇に浮かぶ灯火(ともしび)の如くよく見える…。御首級(みしるし)、頂戴」

 

 何処からともなく響き渡る囁き声。

 囁き声の源に視線を向けたその先、暗闇に浮かび上がるは髑髏(ドクロ)を象る戦兜。

 死神の如き『死』の気配を纏う冥府の代行者が前触れなくネルガル神の眼前に現れ、剣を振りかぶっている。

 その一振りは既にネルガル神の急所を射程に捉えていた。

 

「な、めるな―――!!」

 

 だが敵もさるもの。

 戦神の相持つネルガル神は直感に従い、敢えて迫る剣戟に向けて一歩踏みこんだ。

 スマートさの欠片も無い無骨な体当たりに近い突進。

 その突進が死神が振るう剣が最速に至るために必要な距離を潰し、剣戟の威力を抑え込んだ。

 死神の剣が右の脇腹から左の肩口まで(したた)かに斬り裂く。

 斬り裂かれたネルガル神の肉体から大量の鮮血が噴き出した。

 その上半身にちょうど『/』の字となる切創を深々と刻んだ形となった。

 鮮血とともに大量の魔力が噴き出し、失われていく。

 だが致命傷までは至らない。

 

「やってくれる……っ!」

 

 これまで常に不敵な笑みを浮かべ続けてきたネルガル神が遂に痛苦に顔を歪めた。

 この戦で初めてネルガル神が負った深手だった。

 いや、その記憶を紐解いてもここまでの深手を負った経験は少ない。前回傷を負ったのが何時だったか思い出せない程に。

 

「この一刀、我が太刀にあらず。天牛の意地が繋ぎし一振りと思い、知れ」

 

 いまや互いが吐く息を感じ取れる程の至近から囁かれる天牛の一念。

 ああ、確かにあの策を見破り、その上を行ったと確信したからこそそれが油断となった。奇しくも《名も亡きガルラ霊》の油断を衝いたと思ったネルガル神が同じことをそっくりそのまま返されたのだ。

 

「天牛の意地、しかとこの身に刻み込んだぞ…!」

 

 既に天牛の後継は最後の咆哮を放つと同時に黒き炎に焼き尽くされ、一握りの灰となって消え失せた。

 だがネルガル神の耳に、グガランナが挙げる勝利の雄たけびが確かに聞こえた。

 

「だが()()()()で倒れてなるものか!?」

 

 ネルガル神をして痛苦に喘ぐ深手である。

 しかし敵手達はこれ以上の痛苦、リスクを背負い戦っているのだ。

 この程度の負傷で尻尾を巻いて帰るなど、敵手達の勇姿を思い返せば脳裏に浮かぶだけで廉恥で死にたくなるというもの。

 故に吼える、負けてなるものかと意地を叫んだ。

 そして咆哮を上げたネルガル神の傷口から鮮血の代わりに赤々と輝く炎が噴き出し、瞬く間に傷を癒していく。

 『死と復活』の権能だ。

 幾度倒そうが復活する太陽神を正攻法で殺すのは不可能に近い。

 

「ならば倒れ伏すまで我が剣を振るうのみ。偉大なる神へ暗き『死』を馳走仕る」

「良いぞ、弑逆を許す! やれるものならな!」

 

 そして当然冥府の代行者もまた手を緩める理由が無い。

 与えた深手を瞬く間に治癒されたのを見れば猶更。

 まして尊大なれど尊敬に値する大敵へ情けをかけることそれ自体が侮辱となろう。

 二人は互いに互いが考えていることを何ともなしに感じ取り、全く同じタイミングで同じ笑みを刻んだ。

 

「「――――」」

 

 無言のうちに交わされる戦意が臨界点を突破する。

 剣を、王笏を振るい、死闘が再開された。

 

「ク、ハハハー――! クハハハハハハッ!!」

 

 半ば狂ったように哄笑するネルガル神。

 《名も亡きガルラ霊》のフッ…、フッ…、と消えたり現れたり幽霊の如く振る舞うその姿に向けて苛烈な攻勢を仕掛けた。

 静寂に満ちた冥界を焦土燻る煉獄に塗り替える無数無量の物量攻勢。

 黒き炎の大津波が、無数のレーザーライトの如き収束熱線砲が冥界の闇夜を追い散らしていく。

 比喩ではなく冥府の全土をその光輝で照らし尽くすほどに圧倒的な絨毯爆撃。

 なんと暴力的なまでに眩しい光輝だろうか。

 追い詰められたネルガル神は後先を考えない潔さで出し惜しみなくその強大な神威と権能を振るう。

 

「冥府そのものを焦土と化すつもりか」

 

 と、呟く《名も亡きガルラ霊》。

 眼前で皆と協力してた整え続けた美しい冥府が一秒ごとに消滅していく。

 哀しいかな、その暴威(ヒカリ)を防ぐ術は《名も亡きガルラ霊》の手に無い。

 

(『兜』のお陰で今のところ一発も貰ってはいないが…。アレを相手に根競べに挑むのはゴメンだな)

 

 押し寄せる炎熱と病魔の脅威は、そのことごとくが()()()()()

 要所要所で行使する権能はハデスより剽窃した《姿隠しの兜》。

 その権能はただの透明化や気配遮断などという人智に収まる代物ではない。

 その真髄こそ『存在確率操作』。

 自らがここにあるという事実の濃淡を自在に操る権能。

 即ち、この兜を被る者は()()()()()()()()()()()()()

 身も蓋もなく言えば条件付きで当たり判定そのものを無くすチートモードだ。更に特効の宝具や権能をもってしかその姿を捉えられなくなるという強力な隠蔽機能も併せ持つ。

 だが同時にあまり長時間存在を希釈し続けると、今度は自らそのものが有と無の狭間に消失するリスクがある。また強力な分魔力の消費も激しい。

 強力だが無敵ではない権能の使用制限と間断なく続く物量攻撃に押され、《名も亡きガルラ霊》は遂に虚空から現世へと強制的にその姿を露わにした。

 

「そこかっ!?」

 

 即座にその好機を嗅ぎ付け、一層苛烈な瞋恚の炎を向けるネルガル神。

 

()ッ!」

 

 気合いとともに応じるは大斬撃。

 迫る灼熱の大火球を一刀で斬り破り、続く猛攻も少なからぬ魔力を消費してどうにか凌ぐ。

 そして時間制限を終えるとまたその姿がフッ…と前触れもなく掻き消える。

 さながら風に巻かれて消える煙の如く、一瞬にしてネルガル神の視界から消失した。

 

「ならば―――」

 

 例え見えずとも姿が消えただけならば()()()()超熱量で燃やし尽くせばいい。

 凄まじい力技による解を見出だした大神ネルガルは即座に実行した。

 瞬時に視界全てを神力で満たし、太陽の表面温度に匹敵する超熱量を爆裂させる。

 

 冥界の一画に鮮やかな紅蓮の華が咲く。

 

 視界全てに爆炎が充満する煉獄があまりにもあっさりと産み出された。

 だが…。

 

「忌々しいわ!」

 

 手ごたえ無し!

 言葉の通り、忌々しげに吼えるネルガル神。

 自らが生み出した炎を手足の如く扱えるネルガル神だからこその超感覚でそのことを悟っていた。

 

(奴はどこだ…!?)

 

 この手妻、どう考えても不可視となるだけの底の浅い代物ではない。

 先ほどから後先考えない攻勢によって幾度も《名も亡きガルラ霊》へ有効打を当てているはずだ。

 だが現実にはただの一度の手ごたえも無い。

 何かがある。

 それも早急に暴き、打破しなければならない何かが。

 ネルガル神は強大故に傲慢だが、阿呆ではない。

 いま自身が置かれている状況の重大さをしっかりと認識していた。

 焦るネルガル神。

 

「その隙を衝く―――」

 

 その背後に前触れなく黒の戦装束に身を包んだ敵手が()()()と出現した。

 

「ぬ、う…っ! 厄介な!?」

 

 死神の誘いに等しい斬撃を一閃。

 黒き死神はネルガル神の素っ首を狙って致命の一振りを振るうも、対するネルガル神は超光速的な反射神経によって地を蹴って前方へ身を投げ出した。

 見栄えを捨てた泥臭い回避により、剣は背中を薄皮一枚裂いたに留まった。

 

「チッ…」

 

 黒き死神は舌打ちを一つ残し、再び虚空へ溶けるように姿を消した。

 ネルガル神はそのままゴロゴロと前転を繰り返しながら素早く立ち上がる。

 そして黒き死神が姿を消した地点を起点に再び探査を実行。

 だがやはり一切の反応なし。

 

「随分とけったいな手妻を使う…。大概の神格では攻めあぐねる厄介な代物よな」

 

 視えず、嗅げず、聞こえず、触れず、辿れず。

 五感の全てを駆使しても探知不可能な絶対隠蔽。

 普通ならば襲撃を仕掛けるために存在確率を実存に()()()瞬間に紙一重の反撃(カウンター)を食らわせるくらいしか有効打を得ることが難しい強力な権能。

 ()()()()()()()()()()()()()()。冥府の天敵とも言うべき太陽神の最上位格なのだ。

 

「太陽とは! 天に在りて遍く照らし見晴るかす! 故に余もまた偽り暴く心眼の持ち主と心得よ!」

 

 太陽はしばしば月と並んで神が地上を覗き込むための『眼』と見做される。

 それ故に太陽神は地上の全ての物事を見通す霊眼の持ち主とされることも多い。

 ネルガル神の背に現れるのは『眼』を模した炎の紋章。

 古代エジプトの《ウジャトの眼》に似たソレがまるで生きているかのように()()()()と動き回り、冥府を睥睨する。

 まるで探し物をしているかのように忙しなく動き回っていたソレがある時一点に向けて凝視するかのように静止する。

 

「視えた!」

 

 『兜』の力で事象の不確定領域へ身を隠した《名も亡きガルラ霊》の存在を、太陽の霊眼が看破する。

 ただ看破しただけではない。

 『兜』の弱点の一つが、その隠蔽機能すら貫通する霊視力で観測されること。

 存在するかしないか。有と無の間であやふやに揺れる存在は()()()()()()()()()()()()()()()

 要するに一度看破された瞬間に『兜』の権能はその効力を失う。

 続く一撃は『兜』によって回避することは出来ないのだ。

 その好機をネルガル神は当然見逃さない。

 

「勝機っ!」

 

 ここが伸るか反るかの大一番と戦神の直感で悟ったネルガル神。

 宝具の使用に加え、冥府を煉獄へと変える勢いで湯水のごとく莫大な魔力を使い続け、流石の大神も底力が尽きつつある。

 だが最後の切り札はまだ切っていない。

 それを、ここで、使い切る!

 

「余、『死』へ誘う太陽たるネルガルが告げる! 我が元へいま一度集え、《十四の病魔》! 汝ら病魔の化身、おぞましき『死』の遣いたる者どもよ!」

 

 冥府の各所で打倒された《十四の病魔》へネルガル神がいま一度声を呼びかける。

 冥府の軍勢と戦い、敗れ、躯を晒した《十四の病魔》から次々と神核が飛び出し、宙を舞ってネルガル神の下へ集っていく。

 仮初なれど《十四の病魔》の主人であるからこそ出来る業だった。

 集う神核には『稲妻』『追跡者』『悪霊』『風を吹かす者』『癇癪』『熱病』『悪寒』『失神』『高熱』といった恐るべき病魔の権能が宿っていた。

 それらおぞましき病魔と呪詛の権能を神核から抽出・凝縮。

 あらゆる光を飲み込む漆黒の()()()から成る矢を作り出す。

 より純粋に『病魔』の属性に特化させた一矢だが、その脅威は宝具『蒼天陽炎む災禍の轍(ニルガル・エラ・メスラムタエア)』にも勝るとも劣らない。

 

「是は矢に見えて矢にあらず…。余が遣わす『死』への誘い、恐るべき『死』そのものである! 空を翔けよ、我が仇敵の心臓を強かに射抜くべし!」

 

 再び弓形に撓ませた太陽の王笏と炎の弦に、純粋な漆黒に染まった矢をつがえる。

 当たれ、と一心に念じたネルガルの指が矢を放した。

 恐ろしく正確に《名も亡きガルラ霊》の心臓目掛けて漆黒の矢が空を翔ける。

 だが幸いと言うべきか、その速度は素早くはあっても速すぎるということはない。

 

「児戯」

 

 躱すのはさして難しくない。

 機を測り、飛来する矢をしっかりと視認しながら身を躱し、回避する。

 無傷、のはずだが。

 

「生憎だがそやつはしつこいぞ!?」

 

 哄笑するネルガル神。

 その言葉通り、躱したはずの矢の行く先を見れば、まともな矢ではあり得ないUターン飛行をこなして再び《名も亡きガルラ霊》の元へ襲いかかってきていた。

 しかも一本では躱され続けるだけと悟ったか一瞬その姿がブレ、きっかり十四本の矢へと分身までしてのける。

 これは矢に見えるが矢にあらず。《十四の病魔》を矢の形に作り直し、その意志を宿した飛び道具なのだろう。自動追尾や分身など機能の一つに過ぎないに違いない。

 そして頼りの『兜』もアテに出来ない。

 つまりは正面から受け止める他ないのだろう、ネルガル神のもう一つの切り札であるアレを。

 

(考えただけで吐きそうなくらいに腹一杯だが…やるしかない!)

 

 重い代償を糧にひと時だけ最上位神性相当の戦力を得た《名も亡きガルラ霊》だが、その力を振るうのは全て初めて。全てがぶっつけ本番。

 果たしてどこまで己の『力』は無理を押し通せるのか…。

 そんな弱気の虫が騒ぎ出そうとするが、

 

(負けて、たまるか!)

 

 《名も亡きガルラ霊》はその全てを胸の内で踏み潰した。

 負けられない。

 否、負けたくない!

 冥府の代表として、何よりも男として!

 そうと腹を括ったガルラ霊は抗うための宝具を起動すべく、全身の魔力を充溢させた。

 

「始まりに闇ありき―――」

 

 ラーを讃える聖句を唱える。

 エジプト神話の主神ラーは太陽そのものを神格化した神だ。

 彼こそ太陽そのものであり、故に彼が生まれる前に光は存在せず、彼は《闇より生まれし光》とも呼ばれる。

 

太陽(ラー)は闇から現れ、闇を払う大いなる天の主!」

 

 そして彼は日々太陽そのものとして天空に君臨し、夕暮れに西の地平の果て……冥府に沈む。

 夜の時間、ラーは太陽の船で冥府を巡り、闇の眷属にして恐るべき死の遣いである蛇アポピスと争い合う関係であった。

 即ち冥府の太陽であり、闇の眷属を払う光であるラーの権能はこの場面における最適解!

 

「天の東に太陽(ラー)が昇る時、之を奉るべし!」

 

 この宝具は《死者の書》と呼ばれる古代エジプトで最も有名な魔導書を象徴化した守護宝具だ。

 《死者の書》の正式な名は《日の下に出づるための書》であり、夜明けとともに復活する太陽のように魂も復活するようにとの願いを込められている。

 肉体から離れた霊魂が冥府における正しい道筋を歩むためのガイドブックであり、その序章には太陽(ラー)の賛歌が謳われている。

 それ故にこの宝具は冥府の霊魂を太陽の霊威によって守護するのだ。

 

謳え、太陽の賛歌を(ペレト・エム・ヘルゥ)!!」

 

 真名解放とともに大いなる炎の翼が《名も亡きガルラ霊》を取り囲むように幾つも幾つも展開され、その姿を覆い隠していく。

 黄金に輝く翼の数は奇しくも《十四の病魔》と等しい七対十四枚。

 さながら繭のような、要塞のような絶対防御が展開された。

 それを見て望むところだとばかりにネルガル神は獰猛に笑う。

 

「我が渾身と貴様の全霊、いざ男子(おのこ)同士正々堂々の力比べと参ろうか!」

 

 ネルガル神もまた勝利の天秤を己に傾けるため、ありったけの魔力を十四本の黒き矢に送り込む。

 十四の黒矢、その内側からどす黒い光としか呼べない不吉なエネルギーが螺旋状に噴出し、絡まり、一つとなって巨大な突撃槍(ランス)と化した。

 その威力、その威容、後代にて名を馳せる最強の聖槍《最果てにて輝ける槍(ロンゴミニアド)》と比しても一切の遜色なし。

 

 太陽神ラーが顕す守護の炎翼が、十四の災禍を集束・純化させた漆黒の突撃槍(ランス)と激突する!

 

 その衝突の余波のほんの一片。

 幾億の硝子(ガラス)片を千々に砕いたかのような、甲高い轟音が冥界に轟き渡った。

 その中心で黒き突撃槍(ランス)と黄金の守護翼が闇と光を撒き散らしながら鬩ぎあう。

 互いが誇る最強の矛と最強の盾。

 だが此度は矛盾の故事は適用されない。

 一方が他方を蹴散らすのみだ。

 

「ガ、ア…ッ! アアアアァァ……ッ!」

 

 負けてたまるか、と《名も亡きガルラ霊》が吼えた。

 

「オオオオォォ―――ッ!!」

 

 余が勝つ、とネルガルが叫んだ。

 

 此処が分水嶺。

 その確信故に両者は魂魄の底から力を絞り出して一滴残らずこの刹那に捧げていく。

 果たしてどれほどの時間拮抗したのだろうか。

 客観的に測れば短く、当事者にとっては永遠に等しい時間であったことは間違いない。

 その均衡を崩した要素は何だったのだろう。

 大神の恐るべき底力か。

 黒き死神が慣れない『力』の扱いに苦慮していたからか。

 真相はもう分からない。

 だがある時、何の前触れもなくその均衡は崩れ去り―――

 

 漆黒の波濤が、黄金の守りを千々に蹴散らし、蹂躙した。

 

 その余波が《名も亡きガルラ霊》を吹き飛ばし、体勢を崩した其処に逃がさないとばかりに黒き死が追撃を掛ける。

 流石の黒き突撃槍(ランス)も黄金の翼の突破に魔力の大半を使い果たし、細く弱い一矢に成り下がっていた。

 だがそれでも一騎の霊基を殺し尽くすに余りある災禍の矢が肩口に深々突き立ち、霊基(カラダ)の内側から()()()と肉を腐らせる。

 

「ガッ…ァァッ!」

 

 まず衝撃が肺に貯め込んだ空気を吐き出させた。

 次いで肩口に突き立った漆黒の矢は砕け散り、不定形の影となっておぞましき悪霊の如く《名も亡きガルラ霊》に纏わりついた。

 其れは夜よりもなお黒く暗き漆黒の影。

 その深すぎる暗黒は否応なく『死』を連想させた。

 

「グ、オオオオォォ……ッ! ォォォ……!!」

 

 凄まじい激痛、吐き気、高熱、寒気が《名も亡きガルラ霊》に痛苦に喘がせた。

 慟哭とも断末魔ともつかない絶叫。

 霊基(カラダ)の内側へ入り込んだとびきり凶悪な悪性呪詛が霊基を蝕み、ごっそりと魔力を奪っていく。

 体中の力が萎え、いまにも力尽きそうな弱々しい姿をさらす。

 大地に膝を付き、髑髏の兜から覗く鬼火は弱々しく明滅した。まるで風に吹かれて消える蝋燭の火のように。

 

 勝った、とネルガル神は今度こそ勝利を確信する。

 

 この確信を油断と呼ぶのはいささか酷だろう。

 事実として矢の形をした死への誘いは、確かに《名も亡きガルラ霊》の霊基に致命傷を負わせていたのだから。

 その痛苦は《名も亡きガルラ霊》をして死による安息が脳裏にちらつくほど。

 まるで凍死寸前のような寒さと、釜茹でにされているかのような狂熱が交互に襲いかかるのだ。

 今この瞬間にでも膝を屈し、許しを乞うてもおかしくはなかった。

 

「―――()()()

 

 だがその全てをねじ伏せ、冥府の代行者はささやかな意地と()()()()()でほんのひと時だけ終わりを先延ばしにした。 

 

「まだ、終わらぬ!」

 

 病魔と瘴気に霊基を侵され、本来ならば激痛に発狂死するだろう《名も亡きガルラ霊》はいまだに意地を叫ぶことが出来ていた。

 この奇跡を紡いだのは権能でも何でもない。

 ただ一つ《名も亡きガルラ霊》自身の功績によって獲得したありふれたスキル。

 《名も亡きガルラ霊》自身の霊基(カラダ)に宿った、ささやかな力。

 潜った修羅場の中で何度となく死にかけながらも生き延び続けた往生際の悪さが形となったソレ。

 

 即ち、()()()()

 

 決定的な致命傷を受けない限り生き延び、瀕死の傷を負ってなお戦闘可能とするスキルである。

 《名も亡きガルラ霊》の消滅まで最早幾ばくの猶予もない。

 だが瀕死となってもこのスキルがある限り《名も亡きガルラ霊》は動き続ける。

 死に絶えるまでのほんのひと時、その『終わり』を先延ばしに出来るのだ。

 

「あと、一太刀…」

 

 それだけでいい、もってくれと己が女神に祈る《名も亡きガルラ霊》。

 その右手に握った剣へ最後の魔力を流し込む。

 幸いと言うべきか、最後に発動する宝具はさして魔力を必要としない。

 

「罪業を照らせ、ヤマの剣」

 

 インドにおける《最初の人》ヤマ。

 最初の死すべき人間として冥府へ至る道を見つけ、そして死者の王となった神格。

 その権能は冥府における司法、即ち『裁定』。

 罪に対する罰、悪行に対する報いを受けさせる因果応報の権能である。

 つまりヤマの剣に照らし出されたネルガルの悪行、その全てを叩き返すことが出来るのだ。

 そのために時間を稼ぎながらネルガルが繰り出す暴威が蓄積されるのを待っていた。

 いかに『死と復活』の権能の持ち主といえど、十分に致命傷となるだろう。

 

「いま罪を()ちて罰を定めるべし―――応報の剣を此処に」

 

 天に在りて輝くべき太陽が地の底を支配する天地の理に逆らうその蛮行。

 冥府の支配者エレシュキガルの主権を蔑ろにし、本来その資格を持たない者が地の底の玉座に座らんとする傲慢と罪過。

 冥府に現れ、冥府の全てを蹂躙した非道悪行の数々。

 

 その全て、許し難し。

 

 ヤマの剣が内側から煌めき、その刀身にネルガル神が繰り返した全ての罪業を照魔鏡の如く照らし出す。

 ボロボロに刃毀れた剣は蒼く冷たい銀光を宿し、無慈悲な神罰の霊威を顕した。

 己が欲心に従い、(ほしいまま)に振る舞ったネルガル神。

 その罪は『裁定』を司るヤマの剣がその真価を発揮するのに十分だ。

 

「ネルガル神、欲心によって天地星辰の理を乱さんとした神よ―――その報いを受けよ!!

 

 ヤマの剣は振るわれるべき時、自らに因果逆転・因果応報の理を宿す。

 即ち()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その理に従い、剣をひたすら真っ直ぐに斬り下ろす。

 

 届かないはずの、如何なる権能の前兆も見えなかったはずのただの一振り。

 勝利を確信していたはずのネルガル神。

 《名も亡きガルラ霊》の振るう一太刀を見て何の真似かと訝し気にした一瞬後。

 

 ―――(ザン)!

 

 虚空に鮮やかな剣閃の光が走り、ネルガル神の顔が苦悶に歪んだ。

 その逞しい肉体へ縦に一筋の軌跡が走り、次いで真紅の鮮血が勢いよく噴き出したのだ。

 

「こ、れ…は?」

「報いを受けよ、ネルガル。その痛苦こそお前が贖うべき罪の一欠けらである」

 

 刀身の空間跳躍(ジャンプ)

 因果逆転の一撃はあらゆる道理を無視して確かにネルガル神の霊基を両断し、その心臓部である神核もまた斬り裂いていた。

 それだけではない。

 ネルガル神の内側からどす黒く燃える炎が噴き出す。

 

「グ、オオッ…! この、程度…この…ガ、ア…グアァァ!!」

 

 戦意を以て苦痛を耐えようとするネルガル。

 だが皮肉なことに彼を襲うのは彼自身が振るった瞋恚にして災禍の炎、その全てだ。

 ただ意志だけで耐えきれるほど、()()()()()()()()()()()()()

 遂には人型の松明のようにネルガル神が黒き炎に呑まれる。

 その炎がネルガル神の意思によるものでないことは、激痛に歪めた顔を見れば明らかだった。

 斬撃が神核を切り裂いた刹那、ネルガルが繰り出した破壊の業全てに等しい誅罰が叩き込まれ、霊基と神核をズタズタに破壊しつくしたのだ。

 まさか、と驚愕の表情を浮かべたまま無尽蔵とすら思えた地力を誇ったネルガル神は、炎を纏ったまま遂に大地に倒れ伏したのだ。

 もはや立ち上がる余力はどこにもない、そう確信するに足る深手だった。

 

「―――余の、敗北か」

「ああ、そして我()の勝利だ」

 

 肩口からまっすぐに斬り裂かれ、両断された状態のまま倒れ伏したネルガル神。

 その霊基を焼いた黒き炎はすぐに鎮火したが、十分すぎるほどの痛手を太陽神に与えていた。言葉を紡ぐ程度の余力は残っているようだが…。

 総身を焼かれ、神核を両断された癖にやけに穏やかな顔で自らの敗北を告げた。

 神代の最上位神格としてほぼ敵なしを誇り、比例する傲慢さを滲ませていたネルガル神だと言うのにやけに潔い。

 

「カカッ…。最早立ち上がることすら苦痛よな…。認めよう、貴様()が…勝者だ」

「ならば敗者として勝者の言に従うべし。さもなければ―――」

 

 と、右手に握りしめたヤマの剣に力を籠め、倒れ伏したネルガル神の首に付きつける。

 否と言えば今度こそ冥府の深淵へその魂を叩き込んでやると威圧を込めて。

 

「この期に及んで下らん真似はせん! エレシュキガルを縛る魔力も尽きた…。今頃は冥府へ一目散に翔けているところか」

「真実か?」

「我が真名に誓って」

「善し」

 

 神格にとって自らの名と権能という己のアイデンティティに誓ったことを虚言とするのはその存在にかなりのダメージが入る。

 それを抜きにしてもネルガル神の傲慢と紙一重の誇り高さは戦闘中に幾度となく見届けている。

 今更下らない嘘を吐くことは無いだろう。

 

嗚呼(ああ)、安心した…)

 

 これで冥界は大丈夫だと、()()()()()()()()()()と。

 そう、安堵に虚脱したことがキッカケとなったのだろう。

 

 ()()()と、嫌に生々しい音とともにヤマの剣を握る右腕が崩れ落ちる。

 

 比喩ではなく文字通り右腕の半ばから崩れて落ちたのだ。

 絶え間なく注ぎ込まれていた魔力によってギリギリで形を保っていた《名も亡きガルラ霊》の霊基(カラダ)が限界を迎えつつあるからだった。

 『冥府開拓く原初の星(キガル・エリシュ)』を使った時に背負ったリスク、避けられない霊基崩壊(オーバーロード)の前兆である。

 

「愚か、よな…、名も亡き者。戦士としての貴様は敬すべき大敵。だが仕える者として、そして男としての貴様は侮蔑の的よ…」

 

 その様を見たネルガル神はどこか空虚さを帯びた声音で嘲った。

 その嘲りに反論するよりも早く、霊基(カラダ)の限界の方が先に来た。

 魔力を使い果たし、黒き戦装束は維持できずに急速に薄れ始めていた。

 核となっていた聖遺物も次々に《名も亡きガルラ霊》の霊基から脱落していく。

 

「最早貴様の消滅は確定した。ただの死ではない、()()だ。最早冥府の影から貴様が再誕することはないのだ…」

 

 違うか、との問いかけを否定する力はもう霊基に残っていない。

 ドサリと力なく冥府の大地に倒れ込んだ。

 その隣には同じようにネルガル神の霊基(カラダ)が横たわっている。

 凄まじい脱力感に襲われた《名も亡きガルラ霊》。

 苦痛を感じないのは最早痛みを感じる機能すら死んでいるからか。

 

「断言しよう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その有様を横目に見て憐憫を僅かに滲ませ、ネルガル神はそう語った。

 何故なら、と続ける。

 

()()()()()()()()()()()()()()()。故に、一度死しても時間を置けば冥府の暗がりからまた現れる…。それこそがガルラ霊有する不死性なり」

 

 ネルガル神の言葉は正しい。

 魂魄すら焼き尽くす『死』の太陽、不死殺しの宝具など一部の例外を除けば、その不死性を破るのはかなり難しい。

 だからこそ葛藤こそあれ、《名も亡きガルラ霊》は冥府のほぼ全軍に玉砕を命じることが出来たのだ。

 

「だが今の貴様は例外…。数多の無理と無茶を重ね自らを全く新しい最上位神性へとその霊基を改竄した。貴様の消滅を引き換えとした、ハリボテの奇跡だ」

 

 ここで《名も亡きガルラ霊》は気付いた。

 いまにも消滅を迎えようとしているガルラ霊を愚かと嗤おうとし、失敗しているネルガル神。その横顔に宿る感情の正体に。

 それは侮蔑でも、嘲笑でもない。

 負け惜しみですらなかった。

 敢えて言うならば友との永の別離(わかれ)を哀しんでいるような…()()だった、

 

「エレシュキガルは…貴様らの勝利を信じながら、同時に敗北を想定したはずだ。だがその過程で貴様の消滅は果たして勘定に入れていたか?」

 

 再びネルガル神は断言した、ここまでやるとは思っていなかったはずだと。

 

「つくづく、愚かな(惜しい)…ことよ。余の下でエレシュキガルに仕える道も、お前にはあったのだ…」

 

 ありえない未来を語るネルガル神の声音は、少しだけ寂しげに聞こえた。

 それはきっと《名も亡きガルラ霊》がネルガル神の中で小さくない存在へと昇華したからなのだろう。

 《名も亡きガルラ霊》にとってもネルガル神をただの暴君と見ることはもう出来なかった。

 だからこそ、

 

()()()()()

 

 そう、ネルガル神の言葉を否定する。

 応じるように顔を向けたネルガル神に向けて《名も亡きガルラ霊》は静かに語り始めた。

 消滅寸前だからこそか、穏やかで達観とした語り口だ。

 ほんの少し前まで互いの命を全力で奪い合っていた間柄だというのに、交わされる言葉は不思議なほど穏やかだった。

 

「例え最終宝具(キガル・エリシュ)を使わずに永らえたとしても、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 誰かのために頑張れるあの子にどうか救い有れ。

 それこそが《名も亡きガルラ霊》のスタートライン、彼が彼自身に誓った願いだ。

 全霊を尽くしても叶わないのであれば諦められる。

 だがここで死んでも次があるからと、投げ遣りに力を尽くした果てにあるのは避けられない変質だ。

 

「それはもう、俺じゃない。俺は人だ…。神様ほど強く、変わらずにいられないんだ」

 

 それはいわば魂の死に等しい。

 故にそれだけは絶対に許容できなかったのだと語った。

 神性へと変生し、最上位神性相当の霊基を得たとしてもどこまでも《名も亡きガルラ霊》は()だったのだ。

 

「そうか…貴様は()か」

 

 ネルガル神はもう一度そうかと呟き、静かにその瞼を閉じる。

 ガルラ霊の言葉を噛みしめながら。

 

「ならば、この結末は必然か…」

 

 その問いかけに《名も亡きガルラ霊》は、

 

「ああ」

 

 と、穏やかに頷く。

 《名も亡きガルラ霊》は人ゆえに強く、人ゆえにいまその命を散らそうとしている。

 命は流転し、移ろっていく。

 その当たり前の無常さに、何故かネルガル神はひどく打ちのめされたようだった。

 

「人とは、儚いな…」

 

 人という存在(モノ)に思い入れでもあったのか。

 ポツリ、と哀し気に漏らすネルガル神の横顔が余りにも弱々しくて。

 偉大にして尊大な太陽神らしくない虚脱した姿。

 その姿に《名も亡きガルラ霊》は気落ちすることなど何もないのだと言ってやりたくて…。

 つい、()()()()()言葉を使ってしまった。

 

強敵(トモ)よ」

 

 その呼びかけにネルガル神が鳩が豆鉄砲を食ったような驚きを見せた。

 思わずガルラ霊の頬が笑みの形に緩む程度には、それは面白みのある光景だったのだろう。

 だがガルラ霊にとっても悪い気分ではなかった。

 最後くらいは格好付けた物言いも許されるだろうと思えるくらいには。

 

「俺の時間はもう残されていない。だけど後悔はない。暗がりで魂が腐ったまま死んだように続いていくよりもずっといい」

 

 《名も亡きガルラ霊》は己が歩んだ軌跡/奇跡を振り返る。

 死後、メソポタミアの冥界に辿り着き、一秒先も分からずとも精一杯今を生きた。

 前を向いてただ走り続けた。

 足を止めることなく、光差す方へと駆け続けたのだ。

 

「太陽に比べれば人の命は火花みたいな一瞬だ。だけど人間は火花に許された刹那を全力で駆け抜ける。その輝きはきっと捨てたものじゃない」

 

 人間はただ燃え尽きるのを待つ命ではない。

 自らの意志で命を()()()()()()()のが人間なのだ。

 その刹那の輝きは小さく、弱く、儚くとも―――鮮烈で、眩く、尊い。

 

「たとえ瞬きの後に消える命だとしても、最後の一瞬まで足掻く姿を―――貴方は嘆くのか」

 

 人は儚いと、ネルガル神は言った。

 それを否定する言葉を《名も亡きガルラ霊》は持たない。

 だが決してそれだけではないのだと、儚さの中にある輝きを見逃すなと。

 都合のいい救いは無くとも、確かな報いは有るのだとネルガル神に伝えたかった。

 

「―――誰が嘆くものか…。その輝きにこそ、余は敗れたのだから」

 

 まるでその言葉の眩しさに耐えかねたように、ネルガル神は片手で瞼を覆い、呟く。

 その言葉こそがネルガル神の答えだった。

 今度こそ終わったのだ、と《名も亡きガルラ霊》は思った。

 もし力を取り戻したとしても、ネルガル神が冥府に攻め入ってくることは二度とあるまい。

 

(俺にしては悪くはない終わりか…)

 

 仇敵とすら呼んだ相手と和解とはいかずとも互いの力を認め合うことが出来た。

 己が死に際を看取られる相手としては悪くない部類だろう。

 そう思ってしまったのがキッカケとなったか、急速に《名も亡きガルラ霊》の霊基崩壊(オーバーロード)が加速する。

 ()けていく。

 (くず)れていく。

 (ほど)けていく。

 最終宝具の負荷に耐えかねた霊基が()()()()と崩れ落ちていくのが自覚できる。

 《名も亡きガルラ霊》は溶け崩れたバターのように輪郭を失いつつあった。

 

「さよう、なら…だ、ネルガル。最後に戦えたのが…あんたで、良かっ…た…」

 

 その途切れ途切れに語り掛ける末期の呼びかけに。

 

「ああ、やはり、ダメだ…な」

 

 不穏な呟きがネルガル神の唇から返される。

 

「敗北者の身故、大人しく結末を受け入れようかと思ったが―――()()()()()()()()

 

 吐き出す声音に力が籠る。

 執念、憤怒とすら呼べそうな感情の爆発。

 

「なに、を…」

 

 問いかけようとして、崩れ去る霊基の限界に阻まれる。

 だがその言葉をネルガル神はしっかりと聞き取り、憤怒の炎を燃やす。

 

「何を、だと…? 決まっているだろう!」

 

 その顔に浮かぶ感情は憤怒の一色に染まっているはずなのに。

 

()()()()()()()()()()!!」

 

 何故だろうか。

 その怒りはまるで太陽のように暖く、《名も亡きガルラ霊》を包み込んだ。

 

 




「たとえ瞬きの後に消える命だとしても、最後の一瞬まで足掻く姿を―――貴方は嘆くのか」

 個人的には本作屈指のお気に入りの台詞。
 アンリ・マシュ(誤字にあらず)をリスペクトしつつ組み合わせて物語に組み込んでみた。



 アンリ・マユは生きることが苦しいと吐露する契約者の背中を押すためにかく語った。

「……バゼット、世界は続いている。
 瀕死寸前であろうが断末魔にのたうちまわろうが、今もこうして生きている。
 それを―――希望がないと、おまえは笑うのか」

 マシュ・キリエライトは自身の短命を受け入れながら、命が尽きる最後の一瞬まで全力で生きることを望んだ。

「……たとえ、わたしの命が、瞬きの後に終わるとしても。
 それでもわたしは、一秒でも長く、この未来を視ていたいのです。」
 

 特に映画『終局特異点 冠位時間神殿ソロモン』のPVでマシュの台詞を聞くと今でも涙腺が緩みます。私の一部クリアはもう4年以上前の話なのになぁ…。映画も絶対に見に行くぞ…!

 一分先に確実な死が待っていたとしても、それまでの一秒一秒を懸命に生きることはきっと価値がある。
 Fateシリーズは一貫してこういうテーマを語りかけてくる作品なので、私もそこに倣って今回のお話を書いてみました。
 この試みがどれだけ上手く行ったかは読者の皆さんだけが知っている。

 アレだな、やっぱりFateは良いゾ!!

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