【外伝開始】メソポタミアの冥界でエレちゃんに仕えたいだけの人生だった…。 作:土ノ子
夜。ガリア遠征軍の野営地にて。
「うう……」
真っ暗な夜の森をオルガマリーは一人、小動物のように震えながら歩いていた。
オルガマリーの肉体はキガル・メスラムタエアから与えられた泥の躯体からなる代物だ。そして『継承躯体』の魂の像を映し出す特性から、本人が必要あるいは当然と感じる機能を自動で反映する。
故に人間にとっての生理現象、つまり物を食べれば出すという機能も当然有効である。
「トイレ、トイレ……」
つまりはそういうことだ。彼女はアーチャーを置いたまま人目に付かない場所を探して夜の森に分け入ったのである。
もちろん夜の森はレイシフトやはぐれサーヴァントとは関係なく危険ではある。とはいえここは軍の野営地の内部で、アーチャーも彼女の所用について把握しており、何かあればすぐ駆け付ける体勢は整えている。後は乙女の尊厳との兼ね合いを何処に置くかであろう。
「よる、まっくら、ひとり……こわい」
が、そんな理屈はとうに忘れ、一人で来たことを後悔しつつあるオルガマリー
見るからにビクビクと体を強張らせ、落ち着きなくあたりを見渡している。なんというか幼児退行云々とは関係なく彼女はビビりなのだ。
アーチャーが護衛兼ランプ代わりに付けた
「あ……!」
とはいえ何とか適した場所を見つけ、わざわざ暗い森に来た用を済ませた。
ホッと一息、といったところか。
が、
「あ、あれ……わたし、どっちから来たのかしら」
悲報。オルガマリー、夜の森で迷子になる。
とはいえ別段問題はないのだ。パスを通じてアーチャーに呼びかければすぐにでも解決する話に過ぎない。
(でもアーチャーに迷子とおもわれるのも恥ずかしいし……)
思われるも何もしっかり迷子なのだが、そこはそれ。気の持ちようという奴だ。
しばらくうろうろと周囲を歩き回るが、夜に包まれた真っ暗な森の中は一切の目印になるようなものはない。
(どうしよう)
途方に暮れたオルガマリーは半分涙目になりながらマスターの尊厳と引き換えに
「おや、
「ひゃわっっっ!?」
ヌウッと夜の闇から現れた朗らか抱擁系マゾヒストに内臓がひっくり返ったと思うくらいのショックを受けた。
幽霊が出るより百倍くらい怖かった、と後にオルガマリーは語った。
◇
夜の森を巨漢がのし歩く。その肩に小さな少女を乗せて。
「あの、あの、ありがとう。スパルタクス」
「なぁに、気にすることはない。私は弱者の味方であり盾。
そして意外というべきか、はたまた自然と言うべきか。
オルガマリーと出会ったスパルタクスは夜の森にいる理由を問うこともなく、ただ危ないから野営地までエスコートすると申し出たのである。あくまで彼独特の言い方であったが。
第一印象を裏切り、意外なほどスパルタクスは紳士であった。
(剣闘士スパルタクス。第三次奴隷戦争のリーダー、よね?)
オルガマリー・ア二ムスフィアは博識である。メンタル面に爆弾を抱えているが、魔術師としての腕前と知識は超一流。それは『
スパルタクスのことも一通り知っていた。
強大なるローマに敢然と反旗を翻し、ほぼ烏合の衆に過ぎない反乱軍をよくまとめ、強力なローマ軍に連戦して連勝した、偉大なる叛逆者。
(……なんでネロへいかにしたがっているのかしら???)
オルガマリーは思いきり首を傾げた。
来歴的にも性格的にもこの場にいるのが不思議でならない英霊である。
「連合ローマ王国なる輩、まさに圧制の極みぃ。同胞と手を携え、スパルタクスが叛逆の剣を振り下ろすのにいささかの遠慮も要らぬ輩である」
(こころを読まれた!? まじゅつ? まじゅつなの!?)
と、いうよりも狂戦士のクラスに反し、スパルタクスが極めて理知的かつ優れた洞察力を持つためであった。ただちょっと思考が固定化され、変わる余地がないというだけで。
「故に
「あの、いっしょにたたかおうってこと?」
「我らは既に手を携えた。あとはただ圧制者へ反撃の鉄槌を振り下ろすのみぃ」
妙に詩的な言葉を返すスパルタクスだが、おそらくイエスということだろう。
共闘の要請にカルデアの一員として否やはない、ないのだが……、
「でもわたし、これまでぜんぜん役にたってないわ……」
情けなさに俯くオルガマリー。
悲しいが、事実であった。
幼くともオルガマリーは魔術師である。自衛手段の一つも身に着けているし、カルデアでの訓練も標準以上の成績を収めた。
だがいざ実践の場に出ると腰砕けになってしまうのだ。技量ではなくメンタルがダメダメなのだった。
「よいのだ、少女よ。出来ぬのならば出来るようになればいい。ゆっくりとな。かの竜と竜殺しの戦いを見届けたように」
「……聞いてたの?」
恥ずかし気に俯くオルガマリー。
お祭り好きなネロから武勇伝をねだられたカルデア一行は第一特異点の一部始終を映像付きで紹介し、大好評を博した。その場にスパルタクスも同席していたのだ。
「戦場に踏み止まり、見届けた。それもまた勇気ある行為である。幼き少女よ、君は恥じる余地などなく強かったとも」
「わ、わたし、こどもじゃないわ! ……それに、強くもない」
「ならば強くなればよい。私とて、童の頃は小さく、弱き幼子であった。鍛え、積み重ね、この筋肉を手に入れたのだ」
「わっ、わっ! すごい!」
オルガマリーを乗せる肩とは逆の腕を立て、力強さをアピールするようにムキリと力こぶを隆起させるスパルタクス。
逞しさの極致、ある種の肉体美にオルガマリーは幼い驚嘆の声を漏らした。その無邪気な驚きにスパルタクスが一層朗らかに笑う。
「生まれた時より強い人間などいない。人はみな、時間と経験を得て強くなっていくのだ。案ずるな、少女よ。汝が強く、大きくなるための未来はこのスパルタクスが守ってみせよう」
ニコリと、静謐でさえあるアルカイックスマイルを浮かべるスパルタクス。爛々と輝く眼力はそのままに、驚くほど穏やかな視線をオルガマリーに向けていた。
反逆の剣闘士スパルタクス。彼はいつだって虐げられ、圧し潰される弱者の味方だった。故にオルガマリーを彼なりの慈愛と志を以て接していた。
「……わたしでも、つよくなれるのかしら」
その筋肉ではなく、魂の輝きに惹かれ、おずおずと問うオルガマリーにスパルタクスはこれ以上なく優しい笑みを浮かべ、力強く頷いた。
「なれるとも。スパルタクスは誰にでもなれる。魂を輝かすは逆境への反逆、すなわち人生を善く生きることなのだから!」
その問いかけこそ小さな叛逆。自らの人生を生きるという決意、新たな叛逆者の萌芽にスパルタクスは莞爾と微笑んだ。