戦艦<武蔵>艦長 知名もえか(High School Fleet & Red Sun Black Cross)   作:キルロイさん

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「最も偉大な将軍は過失のもっとも少ない者だ。」
          -----ナポレオン・ボナパルト



第一章 <蒼龍>撤退援護戦
第一話


キューバ島東岸沖六八浬、キューバ島近海、カリブ海

一九五〇年四月二一日 午前九時

 

 

 

 彼女(もえか)が見上げる青空は、横須賀を出港する時に見上げた空より遥かに青く澄んでいた。

 

 まるで、染料によって染め上げられた布地のように(むら)がなく、海面との境界が識別出来ないくらい大きく広がっている。

 

 そして、そこに浮かぶ白い雲は風の流れに乗って、ちぎられたり別の雲に取り込まれたりしていた。

 

 その青空へ唐突に現れる黒い点。

 

 突然降りだした雨の(しずく)のような黒点は、ポツリポツリと増えていく。

 

 予期していた光景であったが、待ち望んでいた光景ではない。彼女(もえか)にとって、それは互いの敵意が衝突したストレスによる天空のニキビだ。

 

 間もなく、彼女の耳に左舷側見張員の報告が流れ込む。

 

「艦長、左舷より敵機接近、中型機約五〇機」

 

 彼女(もえか)が操艦する艦艇を含めた艦隊は、艦対空戦闘に有利な輪陣形を組み、敵の航空基地があるキューバ島を左舷側にして航海している。

 

 敵機が航行する艦隊に対して、飛行場から最短距離で接近できる左舷側から攻撃を仕掛けるのは当然のことである。

 

 その艦隊で一番目立つ存在である()()に攻撃を仕掛けてくるのも当然のことであった。

 

 だから、彼女(もえか)は躊躇することなく命令を発した。

 

「全火器使用許可します。対空戦闘、打方始め」

 

 彼女の凛とした声による命令は直ちに艦内全域に伝達され、間もなく艦橋に電子警告音が鳴り響く。

 

 短音三回、長音1回。

 

 時報のように鳴り響く警告音が途切れたその瞬間、時代遅れの遺物とまで酷評される事もあるこの軍艦が、現在でも海上の覇者として君臨する理由を示した。

 

 それは大和型戦艦二番艦として建造された、彼女(むさし)に搭載された四六サンチ艦載砲が発砲した瞬間でもあった。

 

 閃光。砲口から飛び出る黒い影を追うように噴出する砲煙。そして、轟音と振動。

 

 発砲エネルギーは主砲塔だけでは吸収しきれず、僅かながら艦全体を揺らす。それによって、天井にある配管や電路に積もった埃が振り落とされる。

 

 艦長である「知名(ちな)もえか」は双眼鏡を手に取り、初弾の行方を追っていく。

 

 発砲による熱によって輝きながら飛翔する砲弾は、放物線を描きながら一五キロ先にいる敵機の編隊正面に向けて突き進み、焼夷弾子による華を次々に咲かせた。

 

 その数は六輪、三基ある三連装主砲塔のうち左右の砲だけ発砲したからだ。それでも敵機に対して十分な戦果を挙げた。……筈だった。

 

「撃墜は二機だけか……」

 

 双眼鏡を覗きながら呟く彼女(もえか)の表情に落胆が現れた。

 

 枢軸陣営に属する海軍のうち日本海軍のみが制式採用している対空戦闘用焼霰弾は、時限信管によって起爆する三式弾から近接信管によって起爆する七式弾に更新されている。

 

 だが、同時に発砲できる弾数に制約があるため、期待された戦果を挙げていない。

 

 敵機を撃墜するためには砲弾をピンポイントで命中させるか、その弾片によって敵機を損傷させなければならない。だが、残念ながら<武蔵>の主砲弾ではどちらも十分な効果を発揮させられないのだ。

 

 初弾の戦果を確認した砲術長は射角を修正すると第二弾を発砲する。

 

 艦橋最上部にある防空指揮所で任務に就いている将兵は、今度こそと期待を込めるが先程と同じように落胆に変わっていく。初弾の戦果に驚いた敵機編隊が散開してしまい、焼霰弾の威力を無力化してしまったからだ。

 

 主砲による戦果を目撃した者は彼女(もえか)に限らず誰もが同じ感想を抱いたが、戦闘は継続中である。

 

 それに、敵機の突入を阻止する手段はまだ残されている。

 

 <武蔵>に搭載されている一二・七サンチ(センチ)連装両用砲、四〇ミリ機関銃、二十五ミリ機関銃があるからだ。それでも阻止出来ずに敵機の投弾を受けた場合、彼女(もえか)の操艦技術で回避すればいい。

 

 これから起こる事に備えて深呼吸をした知名は、彼女が立つ防空指揮所を見渡す。

 

 海面から三九メートルの高さにある防空指揮所は、彼女の胸元から上側に遮る物が全くない露天の指揮所である。そこでは、彼女以外に数名の見張員が任務に就き、高角双眼鏡で海上や上空の捜索に全神経を集中させていた。

 

 その見張り員たちの背中から、緊張感がひしひしと彼女にも伝わってくる。彼らが異様に緊張するのは仕方が無いことだった。

 

 何しろ、これから<武蔵>が受ける空襲が、過酷になる事が明らかだからだ。その理由は、この戦闘が軍事的常識の一つであり常に過酷な戦闘を強いられる撤退戦だからである。

 

 正直にいえば知名も緊張している。昨日から続く戦闘の最終かつ重要な局面であり、艦長の立場となって久しぶりに経験する大規模な戦闘でもあるからだ。

 

 部下となる将兵に勇気を与え続けるには艦長の表情や態度も重要である。

 

 彼女は艦長職にある者が、不安な表情を晒すだけで将兵に動揺が走り、気遅れした態度を示せば勇気が削がれていく事態を、身をもって経験している。

 

 だから、彼女は自信に満ちた表情をし続け、敵機による掃射を恐れずに防空指揮所で平然とした態度で、戦闘指揮を取り続けなければならない。

 

 とはいえ、彼女にとって荷が重く、正直に言えば艦内の安全な区画まで逃げ出したくなる。

 

 そんな彼女の脳裏に、ふと妙案が浮かんだ。

 

 そうだ、「人人人」と書いて舐めれば緊張が収まるかな。やってみよう。

 

 誰も彼女を見ていない事を確認し、素早く指先で書いてから舌で舐める。結果は妙な塩味を味わえただけだ。

 

 だが、そんな簡単な動作で無意識に不安感も拭い去った彼女は、双眼鏡で敵機を注視ししつつ小声で呟く。

 

「ドイツ軍、あなたたちには負けない」

 

 彼女がそれを終えた瞬間、両用砲が対空射撃を開始する。次いで機関銃が射撃を始め、瞬く間に<武蔵>は発砲による騒音と砲煙に包まれていった。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 一九四八年五月一三日、第二次世界大戦の勝者となったドイツ第三帝国は、その支配地域を拡大するために英領カナダと合衆国に侵攻した。第三次世界大戦が勃発したのだ。

 

 その戦争の主役となる筈だった合衆国は開戦一年後の段階で、ドイツ軍の猛攻を受け瀕死の重傷患者のように悶え苦しんでいた。

 

 開戦劈頭に史上初の反応兵器による攻撃を受けてしまい、政府と軍の指揮系統を破壊されてしまったからだ。人体に例えれば神経を切断されたのと同じである。

 

 この攻撃を免れた者たちが全力を尽くし、病魔のように侵攻するドイツ軍主力の大欧州連合軍を阻止しようとした。しかしながら、様々な理由で敗北と退却を続けてしまう。

 

 そして、開戦一年後には東海岸側を始め七割程度の領土をドイツ軍によって奪われていた。

 

 それには経済と金融の中心都市ニューヨーク、ホワイトハウスを始め合衆国政府の中枢が置かれているワシントンDC、五大湖工業地帯の中心都市であり自動車の一大生産地でもあるシカゴが含まれている。

 

 それだけではなく、航空機産業の一大拠点であるウィチタ、ジャズ発祥の地であり合衆国の音楽文化の発信地でもあるニューオリンズ、これらの都市と周辺地域も含まれていた。

 

 更に、西海岸の都市であるサンフランシスコ、ロサンゼルス、サンディエゴにも止めの一撃として反応兵器を撃ちこまれてしまい、都市機能を破壊されている。

 

 合衆国の運命は誰の目でも明らかであった。

 

 一七七六年七月四日の独立宣言によって世界史に颯爽と登場したこの国は、建国以来初めて亡国の危機に直面し瀕死状態になっていたのだ。

 

 たが、この国に手を差し伸べた国家勢力があった。大日本帝国と大英帝国である。

 

 日英同盟という固い絆で結ばれている両国は、合衆国を支援するために行動を起こし手を差し出したのだ。決して表には出せない思惑を秘めていたが。

 

 その誘いに乗った合衆国は手を繋ぐと日英米枢軸軍を結成し、未だに強大な戦力を持つ連合軍へ戦いを挑んでいる。

 

 彼女がキューバー島沖合でドイツ軍空軍機と戦っているのは、そのような世界情勢によるものであった。

 

 <武蔵>は大分県にある大神海軍工廠で昨年九月に改装工事を完了し、新艦長となった知名もえかの指揮下で慣熟訓練を行なった。そして、昨年一二月に戦場へ復帰しスエズ運河侵攻作戦「モーゼの道」に参加した。

 

 その作戦では、印度洋や紅海でドイツ空軍による空母への猛攻を阻止し、スエズ運河に沿って北上する地上軍の進撃を支援し、運河北端にある市街地ポートサイドへ艦砲射撃を行う戦歴を挙げている。

 

 そして、現在はカリブ海で第一機動部艦隊に参加する一隻の軍艦として、随伴する四隻の駆逐艦と共にドイツ空軍と戦闘していた。

 

 <武蔵>の目的は<蒼龍>の撤退援護だ。

 

 <蒼龍>は昨日の戦闘でドイツ空軍の空襲によって被弾してしまい、最大速力が一二ノットまで低下している。

 

 この速力では空母から艦載機を発艦出来ないので戦場にとどまる意味が無いし、敵機にとって格好の餌食でもある。

 

 キューバ島南部にあるグアンタナモ基地へ向けて避退するには、<蒼龍>と数隻の駆逐艦だけで十分だった。だが、第一機動艦隊司令部は別の思惑があって、それに<武蔵>も参加させている。

 

 知名は<蒼龍>の撤退を援護するため、キューバ島北部にある大都市ハバナへ進路を向けていた。白昼堂々と市街地へ艦砲射撃を掛けるような威嚇行動を取っていたのだ。

 

 当然ながら敵機は損傷した<蒼龍>より、新たな脅威として接近中の<武蔵>へ攻撃を集中する。これが彼女の狙いだった。

 

 彼女にとって気がかりだったのは、敵機の猛攻がいつまで続くか分からないことだ。

 

 もしかしたら、キューバ島だけではなく合衆国に展開する航空兵力まで引き寄せてしまうかもしれない。

 

 それでも敵機の猛攻を凌いでみせるつもりだった。そんな彼女の実力が試される時が始まろうとしている。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 優れた艦長の指揮による操艦は一切の無駄が無い。それは、芸術講演会場の舞台で一切の隙が無く華麗に踊り、観客を魅了する踊り子のようだった。

 

 艦艇の回避運動は、敵機が投弾するタイミングさえ見極めれば的確に回避できる。

 

 舞踏も背景音楽に合わせて身体を動かすタイミングが重要だ。異なる点は只一つ、失敗すれば誰かの命が奪われてしまう。

 

 敵機は両用砲や機関銃による弾幕に怖じ気る素振りを見せず、<武蔵>へ接近し続けている。

 

 彼女は彼女はこの敵機がドイツ空軍所属の双発爆撃機であり、急降下爆撃か水平爆撃のどちらかによる攻撃だと予想していた。

 

 海軍機ではないと判断した根拠は、ドイツ海軍の空母を主力として編成した第一航空戦隊の動向を把握しているからだ。

 

 この戦隊は、一昨日の時点で北米大陸東海岸にあるノーフォーク軍港に停泊中だった。これは潜水艦の偵察によって確認している。

 

 この航空戦隊は<戦隊>と呼称されているが、実際には複数の空母、軽巡、駆逐艦を合わせて三〇隻近くの艦艇で編成された艦隊規模の戦隊である。日本海軍の機動艦隊と対等に戦える恐るべき艦隊なのだ。

 

 昨日の黎明時に、第一機動艦隊はフロリダ半島やバハマ諸島へ空襲をした。

 

 その時から現時刻まで、この戦隊が出撃したという情報は届いていない。そのため、距離と時間の関係から海軍機ではないと推測出来た。

 

 さらに、知名は印度洋でドイツ海軍の新鋭戦艦<フリードリヒ・デァ・グロッセ>を、撃沈に追い込む過程を書き記した戦闘詳報を何度も読み返している。

 

 だから、どんな攻撃が<フリードリヒ・デァ・グロッセ>に致命傷を与えたのか、彼女なりに分析していた。

 

 そして、彼女はその分析結果をこの戦闘に生かそうとしている。<フリードリヒ・デァ・グロッセ>と同じ結末になるのは何としても避けたかったからだ。

 

 彼女は接近中の敵機を動揺させるために新たな指示を下す。

 

「航海、特殊蛇行運動のA法」

 

 敵機が接近しているに漫然と直進していれば、敵機にとって良い的でしかない。

 

 しばらく直進が続くが、舵が効きだすと転舵による遠心力によって傾きながら右側へ四五度変針する。

 

 感覚的だが知名が手を伸ばせば左舷側の海面に触れそうな程に傾斜し、四五度まで変針すると直進に戻る。そして、一分後には新たな針路へ変針する。これを繰り返すのだ。

 

 敵機編隊は<武蔵>が変針するタイミングや針路を、把握していないので今後の針路が分からない。そのため、新たな行動を取り始めた。

 

「敵機は八機づつの編隊に分裂、先頭の編隊は艦尾方向から本艦の中心線上に占位しつつあり」

 

「航海、面舵(おもかじ)

 

 どうやら、精強なドイツ空軍といえども艦首側から攻撃を仕掛ける、頭のねじが抜けているような操縦士はいないように見受けられた。

 

 艦首側から爆撃をする場合、敵機と<武蔵>の相対速度によって時間的な余裕が少なくなり、投弾のタイミングが難しくなる。そのため、技量優秀な者でないと務まらない。

 

 それだけではなく、赤く輝く対空砲弾を打ち上げながら接近する<武蔵>の威容を目の当たりにして、平常心を保ち続けるのは強固な気迫が必要だからだ。

 

 もし、それを克服して攻撃しても、戦果は艦尾側から攻撃した場合と同じなのだ。合理的に考えれば、無駄な個人的勇気の発露であり無意味な努力でしかない。

 

 日本人と比較して何事にも合理的に思考して行動するドイツ人が、無駄で無意味な事をする訳が無い。彼女はそのように判断していた。

 

 その敵機が遂に行動を起こした。

 

「敵機、急降下!」

 

「面舵一杯!」

 

 間髪入れずに叫ぶ彼女の指示により<武蔵>は再び傾斜し、今度は駆逐艦並みの反応速度で右変針を始める。

 

 排水量六〇〇〇〇トンを超える巨体であり、洗濯桶と揶揄されるように全長に対して横幅が広い船型では、俊敏な操舵に反応が出来ない。

 

 だが、舵が効き出せば駆逐艦並みの小さな半径で変針できる。大型貨物船では真似出来ない戦艦ならではの性能であった。

 

 <武蔵>の性能を熟知している知名は前もって右側へ変針し易くなるように舵を入れて、敵機が爆弾投下するタイミングを計っていたのだ。

 

 敵機は降下による速度上昇で急激な進路変更が出来ず、変針した<武蔵>が爆撃進路から遠ざかっていく姿を座視することしか出来ない。

 

 敵機は攻撃に失敗した。

 

 敵機が基地に帰還するためには機首を上げなければならないが、急降下中は機体の揚力だけでは機首上げ出来ない。

 

 機体下部に吊るした爆弾を投棄して軽くしなければ海面に激突するのだ。

 

 敵機の操縦士は聞くに堪えない言葉を連発しながら、機体から爆弾を切り離した。そして、投棄された爆弾は海面で爆発し、空しく海水の柱を八本立ち上げる。

 

 <武蔵>の被害は海水の飛沫を浴びただけ。知名が小さな勝利を掴んだ瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




先日から公開されているハイスクール・フリート劇場版を作者が視聴したら、いつの間にか「もか」ちゃんの魅力に惚れてしまいました。

そこで踏み止まればよかったのですが、何故か彼女を「レッドサン・ブラッククロス」の世界にぶち込みたくなってしまいました。「混ぜたら危険」な作品です。どうなることやら……。

尚、「レッドサン・ブラッククロス」において、日本海軍がカリブ海で喪失するのは<大和>ですが、本作では原作に合わせて<武蔵>にしています。

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