戦艦<武蔵>艦長 知名もえか(High School Fleet & Red Sun Black Cross)   作:キルロイさん

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第二〇話

トリニダー市北方、サンクティ・スピリトゥス州、キューバ島

同日 午後三時

 

 

 

 爆発音。悲鳴。そして、ドイツ軍擲弾兵が駆ける軍靴の足音。

 

 あらゆる騒音が随所から聞こえる小さな戦場に、トマス中尉の喉を潰しそうな大声と銃声が加わった。

 

 ブレン軽機関銃が、地面を舐めるように射撃を始める。すぐに、ドイツ軍擲弾兵は地面にへばりつくかのように伏せて、無慈悲な銃弾を避けていく。

 

 攻撃を受けたドイツ軍も前進中の擲弾兵を援護するために、英軍将兵から「ヒトラーの電動のこぎり」との渾名がついたMG42機関銃で援護射撃を始めた。

 

 擲弾兵の頭上では英独両軍の銃弾が飛び交っていくが、それに臆することなく匍匐前進を続けていく。

 

 その状況を待ち望んでいたのは、迫撃砲を任された歩兵たちである。彼らは密集して匍匐前進を続けているドイツ軍擲弾兵へ、狙いを定めるとML 3インチ迫撃砲を発射した。

 

 サイダーの栓を抜いた時のような音と共に榴弾が撃ち出された。それは、大きく湾曲した曲射弾道を描きながら、ドイツ軍擲弾兵の背中に目掛けて降下する。

 

 そして、着弾すると榴弾の破片によって彼らを殺傷していく。

 

 常に戦意不足や技量未熟といった批評に晒されているアスカリたちにとって、この初弾命中は名誉挽回となる戦果だった。

 

 だが、それに賛同する者は少ない。他のアスカリたちにとっては当然の戦果であり、命中させなければならない状況だからだ。

 

 そして、ドイツ軍にとっては制圧すべき火点だからである。

 

 砲塔を旋回したパンテルⅡが榴弾を射撃。迫撃砲操作員が籠る蛸壷の外縁に命中し、弾片と土砂で操作員たちを埋めてしまった。

 

 さらに、パンテルⅡは機銃操作員が籠る蛸壷も制圧すべく主砲を向ける。

 

 その瞬間だった。パンテルⅡの砲塔に何かが高速で激突したのだ。

 

 それは砲塔側面を貫通すると車内の乗員が驚く余裕もなく、砲塔内部にある照準器や主砲の尾栓を破壊していく。そして、乗員も負傷してしまい、パンテルⅡは射撃不可能になってしまった。

 

 パンテルⅡに起きた異変は、蛸壷で指揮を取るトマス中尉も目撃していた。天空から降り注いだ砲弾が、吸い寄せられるようにパンテルⅡの砲塔に命中していったのだ。

 

 その後に聞こえてくるレシプロエンジン特有の駆動音で、その正体を理解した。

 

 この戦域において、戦車の砲塔を貫通可能な三〇ミリ以上の機銃を搭載したレシプロ機といえば、あの航空機しかない。

 

 それは、日本統合航空軍が運用している、地上襲撃機<火竜>である。

 

 統合航空軍が発足する前に日本陸軍が計画した軍用機だった。

 

 これは、対ソ戦に備えて開発した九九式襲撃機の後継であり、日本海軍が運用している<流星>を襲撃機として改造した。

 

 翼内に二〇ミリ機銃を二門されている。さらに、本機の特徴である五七ミリ機銃一門を、航空魚雷を吊り下げるように装備していた。

 

 五七ミリ機銃は、砲弾でプロペラを損傷させそうな位置に装備されているので、プロペラ同調装置も装備されている。この装置によって、砲弾はプロペラ同士の隙間を通過していく。だから、プロペラが損傷するようなことは無い。 

 

 この襲撃機は、カリブ海で活動するドイツ海軍の<Sボート>や<Uボート(潜水艦)>を襲撃するために投入された。これが、パンテルⅡの戦車を掃射していたのだ。

 

 面白いことに、陸軍航空隊から九九式襲撃機を引き継いだ統合航空軍は、この機種に興味を示さず退役させようとした。だが、陸軍からの強い要望によって、襲撃機という分類を維持することになったのだ。

 

 陸軍だけは、この機種の重要性を痛感している。何故なら、英軍がエジプトからの撤退を援護をするために中東地方に展開した時、ドイツ空軍による襲撃によって手痛い被害を受けていたからだ。

 

 ドイツ軍も襲撃機に撃たれ続けるつもりはない。パンテルⅡの後方で待機していた対空戦車<オストヴィント>が反撃開始した。

 

 パンテルⅡの量産によって二線級の兵器となったⅣ号戦車の車体を転用し、口径三七ミリの3.7 cm FlaK 43を一門だけ搭載した対空戦闘専門の戦車だ。

 

 パンテルⅡと比較して砲塔は大きいのに主砲は小さいので、外観からは貧相な戦車としか見えない。だが、この主砲は対空戦闘に適した主砲である。

 

 それらを軽量にして素早く旋回や仰角を取れなければ、俊敏に飛翔する敵機の機動に追従出来ないからだ。

 

 オストヴェントの餌食になったのは、二機編隊で飛行する火竜の二番機だった。パンテルⅡへの襲撃を終えて上昇中だったが、突然エンジンから火を噴いてしまう。

 

 エンジンに被弾してしまったからだ。二番機は飛行姿勢を崩すと、珊瑚礁が繁殖する海上へ落水する。

 

 列機が撃墜された一番機は遁走することなく反転して、ドイツ軍機甲大隊への襲撃を継続しようとしていた。

 

 オストヴィントも一番機に向けて砲塔を旋回する。そして、火竜が有効射程範囲に侵入すると、一分間で一五〇発以上の砲弾を撃ち上げられる主砲で射撃を始めた。

 

 この対空戦闘は電探による管制が無いことを除けば、オストヴェントの乗員たちにとって理想的な条件による戦闘である。だから、火竜一番機の撃墜は確実であった。

 

 その砲弾は一気に火竜へ迫っていく。その時、異変が生じた。

 

 それまで、曳光弾が混ざる砲弾は火竜の前方に軌跡を残していた。だが、それらが突然のように敵機前方から遠ざかってしまったのだ。

 

 それを目視していたオストヴェントの車長は、対空砲の射撃を継続させつつ照準を修正させた。そして、彼は砲弾の軌跡が逸れていった原因が突き止めるため、双眼鏡で敵機を注視する。

 

 その時になって気づき、呻くように言葉を発した。

 

「日本人め、フラップを全開にして速度を落としやがった!」

 

 それは、彼にとって常識外れの回避方法だった。

 

 航空機のような移動目標への射撃は、目標の未来位置を予測して行わなければならない。それには二つの要素が必要だ。目標が未来位置に到達するまでの距離と速度、銃弾や砲弾がその位置に到達する時間だ。

 

 それらを考慮して適宜修正しなければ、単に無駄弾をばら撒くだけになる。

 

 そして、予測される未来位置は目標の速度が一定であるとの仮定で算出される。大雑把に言うと、あの速度で進んでいるから、ちょい前を撃てば当たるだろうという思考だ。

 

 火竜一番機はその思考を逆手に取った。フラップを操作して減速することで、ドイツ兵たちが予想した未来位置を狂わせたのだ。

 

 これでは、火竜の「ちょい前」ではなく「だいぶん前」である。火竜一番機は文字通り無駄弾をばら撒かせたのだ。

 

 ただちにオストヴェントは照準を修正するが、今度は敵機の後方に砲弾の軌跡が残ってしまう。火竜一番機はフラップを全開にしたままではなく、すぐに引き上げて増速したからだ。

 

 彼らは火竜一番機に翻弄されている。そして、遂に爆撃を受けた。

 

 Uボート攻撃用に用意された三〇キロ爆弾が四発投下され、そのうち一発が砲室に直撃したのだ。砲身はへし折られ、爆風と共に戦車の部品か乗員か区別出来ない物が四散していく。

 

 こうして、対空戦車オストヴェントは永遠の沈黙を迎えた。

 

 そして、火竜一番機も戦闘を打ち切らざるを得ない状況になった。他の擲弾兵が携帯用対空ロケット砲であるフリーガーファウストを撃ち上げ、それによって方向舵を損傷してしまったからだ。

 

 この航空機は友軍支配地域に機首を向けたが、野戦飛行場に到達出来ずに不時着することになる。

 

 こうして、地上襲撃機<火竜>による戦闘も終了した。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 一方、トマス中尉にとって戦況は悪化する一方だった。ドイツ軍擲弾兵は匍匐前進して接近していたからだ。

 

 それを迎撃するためにアスカリたちは、小銃だけではなく使用可能なすべての火器でドイツ軍を迎え撃つ。

 

 しかし、その迎撃は不完全であり、徐々に被害が拡大していく。接近中の擲弾兵を殺傷する前に、パンテルⅡが撃った榴弾の直撃を受けたり、車載機銃の掃射を受けてしまうからだ。

 

 戦車からの攻撃を受けても、生存し続ける歩兵はいない。

 

 既に携帯式対戦車噴進砲、迫撃砲、機関銃といった火器は、破壊されるか操作員が死傷して使用不可になっている。もし、火器と操作員の両方が健在だったとしても、パンテルⅡが居座っている現状では迎撃戦闘が不可能だ。

 

 トマス中尉たちにとって残された火器はリー・エンフィールドNo.4小銃と、トマス中尉だけが腰に差すエンフィールド・リボルバー拳銃しかない。

 

 トマス中尉は、今更ながらドイツ軍擲弾兵が囮だったのではと訝しむが、それは後の祭りであった。

 

 擲弾兵の指揮官が挙げた「ウェアフェン!」という大声。その号令を受けた擲弾兵は、腰にぶら下げたM39卵型手榴弾を手に取ると、蛸壷へ次々に投げ込んでいく。

 

 いつの間にか、彼らは蛸壷から三〇メートル前後の位置まで接近していたのだ。

 

 彼らは伏せた姿勢のままなので、彼らの視点からでは蛸壷の正確な位置を把握していない。なので、大半は蛸壷から外れる。しかし、一部は蛸壷に落ちて炸裂した。

 

 運悪く手榴弾によって傷ついたアスカリたちの悲鳴が上がると、その指揮官は突撃命令を下す。

 

「アタッケ!」

 

 その号令で擲弾兵が一斉に立ち上がり、小銃で乱射しながら突撃を始める。

 

 それに呼応するかのように、トマス中尉は命令を下した。

 

「ファイヤ!」

 

 遂にアスカリたちは、その命令によって一斉に小銃で射撃する。そして、小さな戦場は乾いた破裂音だけしか聞こえなくなった。

 

 アスカリたちは無骨な小銃で、擲弾兵を倒していく。

 

 ある擲弾兵は肩を撃たれ、身体を半回転させながら倒れ込む。別の兵は胸部や腹部を撃たれ、前のめりに倒れていく。さらに、別の兵は脛を撃たれ、悲鳴を挙げながら地面を転がっていった。

 

 アスカリたちの奮戦は目覚ましいものであったが、次第にドイツ軍擲弾兵の火力に圧倒されていく。もちろん、アスカリたちも撃ち負けるつもりはない。

 

 しかし、ホースで水を掛けられるかのように腰だめ式に撃つ、突撃銃の銃弾に敵わなかった。

 

 英軍のリー・エンフィールドNo.4小銃はボルトアクションライフルであり、一発撃つたびに手動で排莢しなければならない。それを機関銃並みの速さで繰り返せるのは、熟練した歩兵だけである。

 

 それに対して、ドイツ軍のMP47突撃銃はアサルトライフルである。短機関銃と小銃を兼用できるコプセントで開発され、命中精度より速射性能を重視した新世代の銃なのだ。

 

 単発と連発を押しボタンで切り替えられるこの銃は、連発設定で一分間に五〇〇発以上の銃弾を射撃する性能がある。

 

 実際には一度に装弾できる弾数が最大三〇発に限られているし、連射すれば銃身が過熱して手で掴めなくなるので、そのような連射は出来ない。

 

 とはいえ、機関銃並みの速射能力があり擲弾兵が一人で携帯できるMP47は、英連邦将兵にとっては十分に脅威的だ。

 

 もし、両軍の擲弾兵にどちらの銃が欲しいかと質問すれば、誰もが同じ解答をするであろう。それだけ、MP47は擲弾兵にとって理想的な銃なのだ。

 

 擲弾兵は蛸壷に接近すると再び伏せ、手榴弾を投げ込でいく。

 

 彼らは立ち上がったおかげで、視野が広がり蛸壷の位置を把握している。だから、殆どの手榴弾が蛸壷に落ちていく。

 

 そのうち、一部のアスカリたちは蛸壷に落ちた手榴弾を掴むと投げ返す。そして、炸裂した。

 

 蛸壷で、空中で、擲弾兵の正面で。

 

 意外にも双方の死傷者は少ない。

 

 アスカリたちが掘った蛸壷には、手榴弾を放り込む穴を開けていたからである。弾片混じりの爆風を浴びなければ、負傷を避けられるからだ。

 

 同様に擲弾兵の正面で炸裂しても、顔や手といった重要な部位さえ守れば致命傷は避けられる。蛸壷と異なって爆風が拡散してしまうし、その殺傷有効半径は一〇メートル程度しかない。

 

 手榴弾の炸裂が落ち着くと、トマス中尉と無線兵が射撃を再開する。その目標は立ち上がって突撃しようとしている擲弾兵だ。信じられないことに、その距離は二〇メートルもなかった。拳銃ですら確実に命中する距離だ。

 

 擲弾兵には銃弾が次々に命中していく。肩へ、腹へ、太腿へ。

 

 だが、擲弾兵は突撃を続ける。

 

 致命傷を受けていないからなのか、死の世界へ一人でも多く道連れにしようと執念を燃やしているか、理由は分からない。

 

 確実に言えることはただ一つ。

 

 擲弾兵はゾンビではなく、軍人としての責務を最期まで果たそうとしているのだ。

 

 その擲弾兵は塹壕の淵に辿り着くと、鈍く光る銃剣を無線兵へ振り下ろした。同時に無線兵も銃剣を突き上げる。それは、双方の兵にとって致命傷となる一撃になった。

 

 擲弾兵は腹から鮮血を流しながら、ぐらりと揺れて倒れていく。無線兵は肺を切り裂かれ、口から唾液と血液が混じる体液をこぼしていく。

 

 この有様では無線兵を助ける術は無い。無線兵は激痛に耐えながら失血し続けるしかなかった。

 

 だから、トマス中尉は拳銃を構えて無線兵に語った。

 

「許せ」

 

 その一言だけを伝えると引金を引いた。苦悩を表情に浮かべながら。

 

 彼は無線兵の戦死による衝撃から立ち直ると、奮戦するアスカリたちを鼓舞するために蛸壷から顔を出す。だが、それを見た途端に彼は表情を引きつらせてしまう。

 

 ある蛸壷には、擲弾兵が銃で掃射している。ある蛸壷からアスカリが退避しようとしたが、その背中に向けて擲弾兵が銃を撃っていた。

 

 それだけではなく、英軍将兵にとって忌まわしきパンテルⅡまで前進しているのだ。

 

 あるアスカリは、その戦車に向けて果敢にもバズーカー砲を発射した。だが、ロケット弾は砲塔の周囲に巻かれた金網に絡まり、推進剤を燃焼し尽くすと大地に落下してしまう。

 

 その反撃をするかのように、パンテルⅡは車体前面に装備している機銃で蛸壷を掃射していく。運悪く蛸壷から顔を出していたアスカリは、顔を粉砕されてしまう。

 

 その惨状を見て蛸壷に身を潜めたアスカリは、蛸壷の直上で履帯を空転させたパンテルⅡによって、生き埋めにされてしまった。

 

 この戦闘を俯瞰的に眺められる者がいれば、誰もが同様の判定を下すであろう。

 

 英連邦王立アフリカ小銃隊師団第1タンザニア連隊は、防衛戦闘に失敗した。そこで戦う将兵は、書類上にしか存在しない運命から逃れられないだろうと。

 

 当然ながらトマス中尉にとって、そのような運命に好んで巻き込まれるつもりはない。

 

 だから、彼は奮戦する。拳銃で擲弾兵の脇腹を抉り、蛸壷に投げ込まれた手榴弾を投げ返していく。

 

 ちょうどその時、無線機が彼を呼び出した。

 

「ウィケットキーパー、こちらはボウラー03だ。応答せよ」

 

「ウィケットキーパーだ。こちらは戦闘中の真っ最中だ。手短に頼む」

 

「日本陸軍の増援戦車隊と合流した。残念だが、すぐには戦闘に参加出来ない」

 

「何故だ? 冗談ではなく、これ以上は持ちこたえられない。至急、戦闘加入を要請する」

 

 普段であれば士官らしく、劣勢な戦況でも余裕しゃくしゃくな態度で会話する。それが、兵士たちに求められる士官の姿だからだ。

 

 しかしながら、このような戦況では士官としての演技する余裕すら失っていた。だから、切羽詰まった状況を隠さずに説明して救援を求めたのだ。

 

 だが、彼にとってアンブッシュ3号車の返答は意外なものだった。

 

「落ち着け。これから、『女神(ベリサマ)の業火』が降ってくるそうだ」

 

「何?」

 

「ベリサマの業火だ」

 

「……意味が分からない」

 

「とにかく、絶対に蛸壷から頭を出すな。いいな。終わり」

 

 通信が切られるとトマス中尉は困惑する。まったく意味が分からないからだ。

 

 彼にとって、ベリサマという名前は聞いたことがある。現在は連合軍に支配されている北部イングランド地方で、伝承に登場する神である。

 

 それは、湖、川、炎や工芸品を司る女神だ。「夏の輝き」という名前であり、炎を司る神としてふさわしい名前である。

 

 だが、その名前を無線で伝える意図が掴めないのだ。そもそも、ベリサマなんて無線符牒は設定していない。

 

 一体、何を伝えたいのだ? 何が起きようとしているのだ? 

 

 トマス中尉は、戦争勃発前までに在籍していた大学の講義室で、真剣に学んでいた時のように脳細胞を活性化させていく。

 

 だが、それに集中するあまり周囲への警戒が疎かになってしまう。結果として、新たな擲弾兵が蛸壷の淵に現れたのに、気付くのが遅れてしまった。

 

 不意に現れたので、中尉は拳銃ではなく無線機の送受話器を握っている。対して、擲弾兵は銃口を中尉に向けていた。

 

 咄嗟に中尉は行動を起こすが、それより素早く擲弾兵は小銃を撃つ。

 

 銃弾は何発も撃たれ、無線機だけではなく中尉の身体を突き抜ける。それは、暖炉で熱せられた火掻き棒を刺されたかのような激痛だった。彼は、それに耐えられずに蛸壷の底へ座り込んでしまう。

 

 偶然にも重要な臓器や血管には命中しなかったが、中尉が圧倒的劣勢である事実は覆せそうもない。

 

 終わったな……。

 

 中尉は言葉にしなかったが敗北を受け入れた。

 

 彼は、英軍が正式採用している洗面器を被せたような鉄兜(ブロディヘルメット)を脱ぐと、額を指す。最期を迎える時まで、英軍士官としての誇りを保ちたかったからだ。

 

 それに応えた擲弾兵は、銃を構え直すと銃口を向ける。

 

 

 

 その瞬間、空気が震えた。

 

 

 

 そこでは、これまで彼が見たことが無い大きな火柱が立ち昇る。それだけではなく、爆発音によって大地は震え、爆風が吹き荒れた。

 

 中尉を狙っていた擲弾兵はなぎ倒され、パンテルⅡが横転してしまう。それだけではなく、装甲兵員輸送車は炎上し、埋設地雷は誘爆していった。

 

 まるで、英独両軍が戦闘した痕跡を消し去ろうとするかのように空気や大地は騒ぎ、激しく炎上していく。

 

 それは、女神が与えた業火そのものだった。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

枢軸海軍部隊カリブ海・大西洋方面総司令部、グアンタナモ市、キューバ島

一九五〇年四月二四日 午後三時

 

 

 

 その電文を作戦指揮所で読み上げた通信員にとって、その時の様子は強く印象に残るものだった。

 

 彼が電文内容を報告した瞬間、指揮所にいる将兵たちが一斉にどよめいたからである。それだけではなく、誰もがまったく同じ感情を発露したからだ。

 

 悲嘆したり批判したりする者はいない。相手に感情を読まれないように冷静さを保つ者もいない。そこには、歓声を叫ぶ者や身振りで歓喜を表す者、控え目に安堵の息をつく者だけで溢れかえった。

 

 何故なら、その電文には戦況の行方を決定的にする一文が書かれていたからだ。

 

 ─― 我、コレヨリ目標ヘ砲撃セントス。我ラ、豹ノ獲物デ有ラズ。狩人ナリ。─―

 

 発信元は臨時編成された第六三四戦隊の旗艦<武蔵>だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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