戦艦<武蔵>艦長 知名もえか(High School Fleet & Red Sun Black Cross)   作:キルロイさん

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第二一話

キューバ島西岸沖五浬、キューバ島近海、カリブ海

同日 午後三時

 

 

 

 英独両軍の交戦地域に火柱を立ち昇らせ、パンテルⅡを横転させるような爆風を吹かせたのは、トリダニー沖合を浮遊する戦艦<武蔵>による艦砲射撃だった。

 

 海岸線からの<武蔵>の現在位置は五浬(九〇〇〇メートル強)、この地点から目標までの砲戦距離は一一五〇〇メートルだ。

 

 この条件で零式弾(時限信管付榴弾)と七式弾(対空用近接信管付焼霰弾)を交互に射撃している。

 

 この一方的ともいえる対地砲撃は、<武蔵>において大所帯である砲術科の頂点に立つ砲術長が指揮を執っている。

 

 彼は、前檣楼頂部にある主砲射撃指揮所で、それを実行していた。<武蔵>の主砲射撃指揮所は前檣楼頂部にある円筒形の構造物のうち上層段にあたる。

 

 なお、下層段は巨人(ゴリアテ)の槍を串刺しにしたような、独特な形状をした主砲測距測的所だ。槍のような部品の実態は一五メートル測距儀であり、当時の光学技術を結集した光学照準装置である。

 

 直径六〇サンチもある円筒には、同一性能である三本の測距儀が収められ、外見上は一本の測距儀に見える。これで<武蔵>から水平線彼方に見え隠れする、敵艦船の距離を測定していく。

 

 これらの測距儀に多数のレンズが組み込まれていて、四〇〇〇メートルから五〇〇〇〇メートルまで測定できた。

 

 この装置は測距データ三つを同時に測定できるので、回収したデータの平均値で射撃距離を設定していくのだ。ただし、電探射撃を実施するときは光学照準より、電探照準による測距データを優先して活用する。

 

 その測距儀によって割り出された射撃距離データとは別に、各主砲塔の旋回角や俯仰角の数値を指示するデータが必要である。これが無ければ、四六サンチ砲は目標を指向出来ない。

 

 このための装置が、主砲射撃指揮所に配置されている九八式方位盤照準装置である。砲術長たちは、これを操作していたのだ。

 

 大雑把に説明すれば、測距儀は目標までの正確な距離を測るだけである。それに対して、方位盤照準装置はそれ以外のデータを回収していく。

 

 それは、<武蔵>から目標への方向角、<武蔵>の針路と速力、<武蔵>から測定した目標の未来針路と速力、<武蔵>の左右動揺(ローリング)と上下動揺(ピッチング)だ。

 

 それらのデータは、主砲射撃指揮所の頂部に突き出ている潜望鏡で回収していく。

 

 なお、実際に射撃する場合には、気温、気圧、風速、風向、砲身の使用回数(砲齢)、砲弾や炸薬の種類、さらに<武蔵>がいる地域の地球自転速度といったデータまで必要である。

 

 それらのデータは、第一砲塔と第二砲塔の間にある第一発令所に収められた、アナログ式計算機である九八式射撃盤改一に集約される。この計算機によって射撃データが生成されるのだ。

 

 そして、海面から各砲塔の距離や方位盤射撃装置からの距離による係数を計算したデータが、電気信号によって各砲塔に伝達されていく。

 

 こうして、主砲射撃指揮所から管制された射撃が実現するのであった。

 

 今回の対地砲撃では光学照準による測距データ以外に、観測機による弾着観測報告も活用していた。その任務のために<火竜>が交戦地域の上空を飛行し、弾着結果を<武蔵>に報告してくる。

 

「観測機より入電。第五射、遠近良し。苗頭(びょうとう)を右へ二つ寄せられたし」

 

「おし、ご注文通りに射弾修正しますよ。遠近は変更無し、苗頭(びょうとう)は右へ二ミル。修正後、撃て」

 

 主砲射撃指揮所の担当員たちは、砲術長の独り言と指示が混ざった言葉から必要な情報のみ拾い上げ、操作していく。

 

 砲術長でさえ一目置く存在である方位盤射手は、各主砲塔が方位盤照準装置に同調していることを示すランプが点灯していることを素早く確認する。それから、発射前の警告ブザーを鳴らした。

 

 短音三回と長音一回の警告音が終わる頃、彼は拳銃のような形状をしている金属製発射稈の引金を引く。

 

 その操作によって、轟音と共に四六サンチ三連装主砲のうち中央の主砲が火を噴き、零式弾が発射された。

 

 発砲と同時に<武蔵>も僅かに傾くが、それはすぐに水平に復帰する。さすが、四六サンチ艦載砲のプラットホームとして建造されただけのことがある、抜群の安定感だ。

 

 この時は、数日前にドイツ空軍による空襲を迎撃した時と同じように、左右砲と中央砲を交互に射撃する「交互打方」を実施していた。

 

 なお、各砲塔の三門を同時に射撃する際には「一斉打方」と指示する。

 

 ただし、一斉打方は主砲塔のバーベットリングに大きな負担が掛かるので、水上砲戦以外の局面では発令しないようにしている。それだけ、四六サンチ砲弾発砲時のエネルギーは強大なのだ。

 

 間もなく、観測機から弾着結果が届く。

 

「観測機より入電。第六射、目標撃破。新たな目標を指定。下げ五。苗頭(びょうとう)、左へ七つ」

 

「えらく細かい指示だなあ。まあ、俺たちの手に掛かれば屁の河童だ。下げ五。苗頭(びょうとう)を左へ七ミル」

 

 砲術長は知らなかったが<火竜>の後部座席には、普段は様々な理由で搭乗しない航空隊司令官が乗り込み、弾着観測を行っていた。

 

 彼は海軍在籍時代に、<穂高><高千穂>で弾着観測任務に就いた経験がある。キューバ島に展開する統合航空軍には、飛行隊長以外に弾着観測任務に就いた搭乗員が居ない。そのため、彼が率先して乗り込んだのだ。

 

「砲術長、照準完了。撃ち方宜しいでしょうか」

 

「宜しい。ジャンジャン撃てぃ」

 

 その砲術長の許可を受けた方位盤射手は、先程と同様の手順を素早く済ませると、七式弾を射撃する。弾着と同時に燃焼する焼夷弾子が周囲に拡散し、火柱を立ち昇らせたかのように火焔を上げていく。

 

 その攻撃に、大ドイツ帝国陸軍の主力戦車であるパンテルⅡも巻き込まれている。零式弾による爆風で横転したパンテルⅡは燃料を漏らし、七式弾の焼夷弾子によって炎上していったのだ。

 

 この日の砲術長は機嫌が良かった。指示とは関係ない独り言がポロポロ零れていくことから分かる。何しろ、<武蔵>は攻撃されることなく砲撃に専念できるからだ。

 

 そこには笑顔は無いが、砲術士官たちにとって理想的な職場環境であった。

 

 その職場環境に水を挿すかのように鳴る高声電話機。砲術長は口許をへの字に曲げると受話器を掴む。砲撃中の電話は碌な要件ではないからだ。

 

 当然ながら、通話の相手は司令室で指揮を執る知名艦長である。

 

「主砲射撃指揮所、砲術長。現在、順調に砲撃中です。何でしょうか」

 

「トリニダーへの砲撃は残り四射で打ち切り、残弾数を報告してください」

 

 彼は無意識に舌打ちしそうになるが、それを思い留める。

 

 誰しも上官への反感を抱くことがあるが、彼があからさまに態度で示すのは許されない。もちろん、気心を掴めていない部下の前では、言語道断だ。

 

 それは、長年に渡り海軍士官として奉職してきた彼にとって、海軍という戦闘組織に挑戦することと同等である。

 

 軍隊という組織では、個人の感情より上官の命令が絶対的優先権を持つ。それだけではなく、無能な者が上官であったとしても常に敬意を示さなければならない。砲術長はそれを忘れていなかったからだ。

 

 とはいえ、理想の職場環境が失われそうなのは事実である。せめて残弾を撃ち尽くすまで砲撃を続けたかったので、艦長に尋ねた。

 

 なお、世間一般では彼の行動を悪あがきという。

 

「まだ日は高いので、砲撃を続けられます。敵に背中を見せて帰ろうとするなんて艦長らしくありませんな」

 

「帰るのではありません。この後にシエンフエーゴス近郊にある野戦飛行場を砲撃します」

 

 それは、砲術長にとって予想していなかった返答だった。現状で敵支配地域にある野戦飛行場へ砲撃するのは、野心的な作戦だからだ。

 

 何しろ、夕刻が近づいている時間帯とはいえ、<武蔵>上空では未だに友軍機と敵機が上空で空戦を繰り広げている。制空権が敵味方の間で揺れ動いている証拠だ。

 

 そんな状況で敵地に向けて航行すれば、空襲を受けるのは必至である。先日の空襲で対空火器の火力が大幅に減少しているので、<武蔵>は撃沈されてしまうかもしれない。

 

「そいつは凄いですな。敵さんに盛大な打ち上げ花火を見せようとするなんて。艦隊司令部からの指示ですか?」

 

「花火大会の実行委員長は大変ですよ。花火師を送り届ける航路が危険だらけですから。ああ、私の判断です。今なら、敵機が飛行場から出払っているので、<武蔵>で行けるかなって」

 

「では、ただちに残弾数を計算します。それより、気になっていることが一つあります」

 

「何でしょうか?」

 

「<武蔵>は直進していますかな?」

 

 彼の質問は、今朝になって艦橋で発覚した問題についてだった。それは、<武蔵>が正常に直進出来なくなったという事実である。

 

 <武蔵>は前衛を務める駆逐艦の航跡を、なぞるように直進で航行していた。なのに、それから徐々に逸れてしまうのだ。

 

 その原因を追及しようとして、航海科の将兵たちが議論していく。すると、右舷側にある錨が、悪影響を与えているのではないかという推測が現れてきた。

 

 先日の空襲で<武蔵>は左舷側の錨を海中に落としているので、現在は右舷側しかない。

 

 そのため、一基で一五トンもある錨によって、艦首が右舷側に捻られているのではないか。だから、艦橋側では直進しているつもりでも、実際には大きな弧を描きながら左舷側に旋回しているのではないか。そのような推測である。

 

 それを補正するために注排水装置を作動させたが、却って直進性が鈍ってしまう。そのため、直進中は当て舵として、面舵を入れるようにしていた。

 

 砲術長は、それが適切に行われているか確認したかったのだ。

 

 <武蔵>が直進していなければ、目標へ正確に弾着出来ない。それは、彼にとって見過ごせない状況だからである。

 

 だが、彼は忘れていた。相手は彼に対して時折嫌味や皮肉をぶつける女性士官であったことを。

 

「誰かさんのようにへそ曲がりではないので、<武蔵>は直進しています。ご心配なく」

 

「ほお。その誰かさんとは俺のことですかな?」

 

「お隣さんが回覧板を持ってきたので電話を切りま~す」

 

 そして、彼女が宣言したとおりに電話は切られてしまう。

 

 呆れた砲術長は気を取り直し、熟練した砲術士官らしく砲撃再開とその他の指示を伝えていった。

 

 心の奥底で、冗談が通じない女は面倒くせえと悪態をつきながら。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

トリニダー市北方、サンクティ・スピリトゥス州、キューバ島

一九五〇年四月二四日 午後三時

 

 

 

 キューバ葉巻の原材料となるタバコ畑で生い茂る、瑞々しい緑の葉。その葉のうち大半が赤や黒に変色している。

 

 英独両軍の将兵から迸った鮮血や火災の煤によって、汚染されたからだ。それは、降雨によって洗い流せる程度の汚れであり、いずれ接近するであろう雨雲を待ち続ければいい。

 

 しかし、それを洗い流せる機会は永遠に来なかった。タバコの葉は爆風によって毟られ、炎によって焼き焦がされていく。その範囲は赤や黒に変色した範囲より拡大していった。

 

 先程まで英軍を殲滅しようとしていたドイツ軍機甲大隊は、<武蔵>による艦砲射撃を境にして立場が逆転し、急速に被害を増やしていく。

 

 避退行動中のパンテルⅡの至近で爆発が起きると、天地を反転させて大地に転がる。車両質量が四六トンもあるのに、軽々と横転させたのだ。

 

 火柱や爆発はパンテルⅡだけではなく、他の車両にも被害を与えていく。オストヴェントは原型をとどめない鉄屑と化した。装甲兵員輸送車は燃料タンクに穴が空き、漏れたガソリンが引火して炎上している。

 

 擲弾兵たちは、さらに悲惨な状況に遭遇している。女神の気まぐれのように降り注ぐ火柱や爆発によって、空中に吹き飛ばされたり炎上したりしていくからだ。

 

 間もなく火柱や爆発が収まり誰もが安堵の溜息をつく。それは、新たな脅威が接近するまでの僅かなひと時であった。

 

 饅頭のような丸みを帯びた鋳造性の砲塔を載せた、日本陸軍の七式中戦車改が攻撃してきたからだ。

 

 その戦車戦では、零距離射撃をするくらいに両軍の戦車が入り乱れていく。その結果、七式中戦車改は十両近くを失う代わりに、残存していたパンテルⅡ全車両を行動不能に追い込んだ。

 

 こうして、戦闘能力を失ったドイツ陸軍の機甲大隊は、殿軍として擱座した一両のパンテルⅡと擲弾兵小隊を残し、それ以外の兵力は攻撃発起点へ帰ることを決断する。

 

 それは、事実上の敗走だった。

 

 残余兵力は仮設橋に向かうが、それは砲撃によってへし折られている。これでは、車両の通行は不可能だ。

 

 橋を渡ることが出来なければ泳いて渡るしかない。小舟を用意していないからだ。

 

 彼らは身軽になるために鉄兜や背嚢といった個人装備を放棄する。そして、蟻の行列のように連なると、折れた橋を伝って対岸に渡っていく。海中に沈みこんでいる所は泳いで渡った。

 

 そのようにして対岸に到達すると、誰もが脚に力が入らなくなるくらいに疲労を感じて座り込んでしまう。緊張を強いる戦闘から解放されて気楽になり、身体が正直に悲鳴を上げたからだ。

 

 だが、ここで座り続ける訳にはいかなかった。彼らは仲間同士で鼓舞しあうと街道を北上していく。友軍がいる攻撃発起点に向けて。

 

 しかし、彼らは街道を歩いていくうちに、あり得ない状況に遭遇して絶望感を抱くことになる。

 

 彼らの目の前には一両のトラックが、道を塞ぐように停止していたからだ。どこから来たのか分からないが、それには合衆国軍の識別マークがくっきりと描かれた。

 

 それだけではなく、英米の将兵がトラックを盾にして小銃を構えたり、大口径のロケット砲の筒先を向けていたりしていた。

 

 彼らが救いの手を求めるように海上に目を向けると、そこには一隻の駆逐艦に先導された一隻の戦艦が低速で航行していた。西日に照らされた戦艦のマストには軍艦旗がはためき、三基ある三連装の砲塔を彼らに向けている。

 

 その光景を見たドイツ軍将兵は、たかが数名の枢軸軍将兵が築いた防衛線を突破する気概を失ってしまった。

 

 この時点で、彼らがドイツ陸軍としての名誉を保ちつつ生存するために選択できるのは一つしかない。

 

 こうして、ドイツ軍機甲大隊の残余兵力は降伏した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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