戦艦<武蔵>艦長 知名もえか(High School Fleet & Red Sun Black Cross)   作:キルロイさん

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第四章 戦争を利用する男、戦争と踊る女
第二三話


キューバ島西岸沖二六浬、カリブ海

一九五〇年四月二四日 午後九時

 

 

 

 わたしは戦場にいる。

 

 そこは、常に危険と死を背中合わせにしている場所。油断すれば、不意に死の世界に引き込む荒波にさらわれてしまう場所だ。

 

 どのような波が襲ってくるのか、私にも想像つかない。何しろ、戦場での死に方は八百万通りもあるからだ。

 

 これは、第一艦隊の藤堂参謀長の言葉だ。

 

 それを聞いた時、歴史上の偉人や賢人の言葉だと思ったので尋ねたが、彼は笑っただけで答えなかった。あの参謀長は真剣な顔つきのまま冗談を言う人だから、「八百万の神」か「嘘八〇〇」をもじっただけだろう。

 

 だから、わたしは大雑把に三つへ分類している。

 天災、本人の油断、そして、他人による殺意だ。

 

 間違えてはいけないが、殺意に基づいて実行するのは人間である。

 神の使いでも邪神の化身でもない。人間の意思だ。

 

 誰もが実感していることだが、人間は衝動的に殺意を芽生えさせる。平和で安定している銃後の世界であれば、それを世間的体裁や法律といった様々な理由で抑えられる。

 

 しかしながら、戦場ではそのような抑止策が無い。さらに、敵愾心まで煽られる。こうして、殺意という花が開花していく。

 

 それは、どす黒い色をした花びらと、友軍や敵軍の将兵が流した鮮血を求める()()()がある花だ。その花から漂う香りによって、手から血を滴らせつつも、新たな血を求める者が引き寄せられていく。そんな花でもある。

 

 わたしでさえ目を背けたくなるような花。誰も開花を喜ばない花。しかし、人類が抱える諸問題を解決するために必要悪な花だ。

 

 その花は、鮮血を浴びると萎れ、怨念と敵意を含んだ種を大地に蒔いていく。その後、種は発芽し、花を開き、種を増やし……。その繰り返しである。

 

 そして、人類には増殖する種を根絶やしする手段を持たない。

 

 その理由は明確だ。人類最初の夫婦(アダムとイブ)が、子供たち同士による殺人事件を防げなかったからだ。

 

 人類の祖先による過ちは、忌むべき遺伝情報のように人類史に刻まれ、永遠に繰り返されるだろう。わたしの胸に刻印された南十字星のように。

 

 そんな花が次々に開花していく凄惨な戦場は、世界中に広がっていく。この地球上で戦場の対義語であり、銃弾が飛び交わずに心が落ち着く銃後は、どこにもなかった。

 

 勘違いしてはいけない。現時点では安全な場所がある。

 だが、そこは将来の戦場に過ぎない。

 

 わたしは、それを身をもって実感している。

 

 朧気ながら理解したのは、大神工廠を襲撃してきたドイツ軍特殊任務隊と交戦した時だ。そして、わたしを女学校に進学させてくれた養父と養母が、反応弾によって広島市街と一緒に蒸発した時に、それを確信した。

 

 この世界に、わたしが心安らかに生きていける場所は無くなったのだと。

 だから、わたしは常に戦場に居なければならなかった。

 

 だけど、わたしは一人の人間でしかない。

 女神になれず、堕天使にもなれない、ただの人間だ。

 

 邪神のように災厄を起こすことは出来ない。瀕死の重傷を負った友軍や敵軍の将兵を目撃しても、涙を流すだけで何も出来ない無力な人間だ。

 

 そして、彼らの身体に一生治らない傷跡を残し、身体のどこかを失ってしまう命令を下すのはわたしだ。それだけではなく、彼らが名誉の戦死に至る命令を下すのもわたしだ。

 

 ()()()()()()()()()()

 

 わたしは、自分自身を普通の女だと信じていた。

 

 東京の繁華街で買い物を楽しみ、友達とお喋りしながら散歩する女。宴会の席で歌謡曲や「酋長の娘」を歌い、参加者を喜ばせる女。仕事である任務には積極的に取り組む女。

 

 自分で言うのもどうかと思うが、顔立ちは童顔なので可愛く見られる女。おっちょこちょいな面もあるが、人間としての芯を保ち続ける女。鋭くなっている眼つき以外は、ごく普通の大和撫子だ。

 

 そう、ごく普通だ……。普通だと思うよ。うん。

 そんなわたしが、戦艦<武蔵>の艦長として戦場で指揮を執っている。

 

 事情を知らない者ならば、誰もが嘲り笑うだろう。

 なぜ、貴様がそこにいるのだと。

 

 わたしも笑いたくなる。ついでに自分自身で莫迦にするだろう。

 なぜ、こんな所にいるのだと。

 

 なぜなら、日本海軍に奉職してからも、精神面では未だに弱き女のままだからだ。肉体面では海と共に生きる男たちに勝てない。そんな女だ。

 

 だからといって、わたしが普通の女として振る舞うことは出来ない。

 ここでは、士官として、艦長としての演技を続けなければならないからだ。

 

 戦争という史劇に幕が下りるまで。

 

 艦長職にある者が不安な表情を晒すだけで、指揮下にいる将兵たちの勇気が削がれていく。「ダンケルク」作戦の最終段階で北太平洋に沈んだ<三隈>の艦橋で、その時の雰囲気の変化を身をもって経験しているからだ。

 

 はっきり言えば、逃げたい。全てを捨てて逃げたい。<武蔵>からではなく戦場そのものから。だけど、そんなことをすれば、わたしは一生孤独に生きることになる。

 

 それだけは絶対に嫌だ。

 一人きりは寂しい。悲しい。そして、辛い。

 

 父親を見殺しにしたからこそ、それが実感できる。わたしの過ちによって、母親を()()()()()()()からこそ、嫌というくらい実感している。

 

 あの時から、わたしの周りに広がる世界が、わたしの敵になった。

 こんな経験は二度としたくない。

 

 普通の女としてのわたし。

 <武蔵>艦長としてのわたし。

 そして、犯罪者としてのわたし。

 

 それぞれが相反するのに、全てが知名もえかという一人の女に集約されている。それは、矛盾でしかない。

 

 真剣に考えれば考えるほど、わたしという存在が分からなくなる。それを、夜な夜な悩むが答えを求められず、次第に精神が蝕まれていく。

 

 どうすれば悩まないようになるのか? 

 酒に溺れれば忘れるのか? 

 薬物を大量に注射すれば消えるのか? 

 

 悲しいことに、わたしの知能指数は平均値より優れているらしい。だから、真剣に悩み抜くより楽になれる方法を考えついてしまう。

 

 それは、事実を忘れるために任務に専念すること。具体的には、敵軍の将兵を一人でも多く傷つけたり殺したりすることである。

 

 つまり、ごく普通の女は、最低な極悪人である女に成り下がったのだ。

 

 それでも、戦闘を終えると再び悩んでしまう。

 逃げる方法は無い。

 

 だが、それを和らげる方法を知っている。

 問題の先送りとも言えるが、それを実行する。

 

 わたしは司令室にいる当直士官へ、移動先を連絡した。それから、艦長休憩室を抜け出して階段を昇り、第一艦橋に到着する。

 

 <武蔵>はシエンフエーゴス近郊にある野戦飛行場を砲撃し、グアンタナモ泊地へ航行中だ。艦内は戦闘配置から哨戒配置に移行しているので、各部署は当直員のみ配置に就いている。

 

 そして、艦橋要員は夜戦用の第二艦橋で任務に就いていた。だから、ここは無人なのだ。

 

 わたしは左舷側前方にある、わたし専用の丸椅子に座った。

 

 空は晴れ渡り、西方の海面に沈もうとしている上弦の半月。月光を浴びて伝声管や従羅針儀が淡く輝いている艦橋で、わたしは大きく息を吸う。

 

 そして、あの歌を歌い始めた。

 

 ハリファックスで、セイロン島のコロンボで、参列した英軍将兵と一緒に歌った歌である。

 

 曲名は"I vow to thee, my country"(我は汝に誓う、我が祖国よ)。

 

 英国の外交官が作詞し、管弦楽「木星」の旋律を組み合わせた聖歌。

 未だに神を信じられないわたしが、懺悔と赦しを求めるために歌う歌。

 

 北大西洋で、紅海で、印度洋で、カリブ海で。散華した戦友と、命を奪った敵軍将兵を思い浮かべながら。

 

 歌詞一番を歌い、二番を歌うにつれ、自然に涙が溢れてくる。

 艦長の立場である以上、部下たちへ見せることが出来ない涙。

 だけど、人間として、一人の女としての感情によって溢れる涙。

 

 次第に、視界が涙によって霞んでいく。

 歌声にも嗚咽が混じっていく。

 

 決して赦されないわたし。

 だけど、誰かに赦しを求めるわたし。

 

 もう、頭の中はぐちゃぐちゃだ。

 それでも、必死になって三番を歌い始める。

 

 

 

 And there's another country, I've heard of long ago,

(そしてもう一つの祖国があると、はるか昔に伝え聞かされた)

 

 Most dear to them that love her, most great to them that know;

(かの国を愛する者には最も愛しく、かの国を知るものには最も偉大であり)

 

 We may not count her armies, we may not see her King;

(かの国には軍隊が無く、王も存在せず)

 

 Her fortress is a faithful heart, her pride is …….

(人々の敬虔な心が砦となり、誇りと ……)

 

 ………………

 

 …………

 

 ……

 

 

 

 

 駄目だ。最後まで歌えない。

 

 わたしは、いつの間にか涙を流し、顔を覆う両手から涙を零している。

 わたしは、誰もいない第一艦橋で、嗚咽を漏らしていく。

 

 淡い月光の下で、わたしは一人で泣いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 以前に「侵攻作戦 パシフィック・ストーム」で、無線妨害に使用された曲名を質問させていただきました。

 図書館まで行って調べていただいた読者様、誠にありがとうございました。

 実は、この小説で登場した"Amazing Grace"(アメイジング・グレイス)を本作で使おうと考えていたのです。ところが、この追悼曲は合衆国で盛んに歌われており、英国では一般的ではないようです。

 代わりに、英国の戦没者追悼式で歌われる"I vow to thee, my country"(我は汝に誓う、我が祖国よ)を本作で採用しました。

 RSBCにおいて、日英同盟の歴史は長いですが、合衆国との同盟条約締結はごく最近のことです。このため、日本海軍の士官は合衆国より、英国の聖歌に慣れ親しんでいることにして、もかちゃんに歌ってもらいました。



 今後も本作で楽しんでいただければ幸いです。よろしくどうぞ。




使用楽曲コード:0I199918,1N564886,1N452751,1I236522,1G643473,0U721241,0R389482,0P513691,0I682023,7A628886


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