戦艦<武蔵>艦長 知名もえか(High School Fleet & Red Sun Black Cross)   作:キルロイさん

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第二六話

枢軸海軍部隊カリブ海・大西洋方面総司令部、グアンタナモ市、キューバ島

一九五〇年四月二六日 午後三時三〇分

 

 

 

 わたしは、<武蔵>まで迎えに来た回転翼機に乗り、ホテルの中庭に降り立つ。

 

 副官は連れてこなかった。<武蔵>に帰るのは明日の朝になるだろう。それまでの間、控室で彼を待たしていくのは可哀そうだからだ。

 

 <武蔵>の指揮は内務長が引き継いでいる。艦長室への入室も許可しているから、何かあったら対応してくれる筈だ。砲術長や航海長といった幹部は特別半舷上陸に入っているので、少ない人数だが適切に対処してくれるだろう。

 

 どのみち、<武蔵>は燃料切れ寸前なので、狭い泊地を低速で航行することしか出来ない。そんな状況で、<武蔵>が沈むような事態ならば何もかも諦めるしかない。グアンタナモもお終いだからだ。

 

 連合軍は広島や長崎と同様に、この街に反応弾を撃ち込んでくる可能性を否定できないからである。

 

 わたしは、件の大尉の部屋に直行せずに航海参謀が執務する部屋に向かう。先日の戦闘状況を書き記した戦闘詳報を渡すためだ。

 

 わたしにとって、これが日本海軍が続ける奇妙な業務の一つだが、これを正確に書いても誰も読まないのだ。参謀たちは詳報ではなく本人からの報告で戦況を把握するし、詳報と報告が食い違っても誰も気づかない。

 

 ならば、詳報を書く意味が無いと思うが、今度は任務を放棄していないことを証明するものとして必要だという。各戦隊の司令部どころか人事局さえ読み返さないのに。

 

 おまけに、詳報には戦訓に繋がる重要な記述もあるが、それらは顧みられることなく主計課の倉庫に積まれていく。帳簿や補給物資の在庫記録と一緒である。

 

 その状況に憂慮しているごく一部の艦長たちは、自らの経験や人脈を駆使して情報を収集している。それを教材とした戦術講義を新米艦長たちに向けて開いていた。それに対して、軍令部は何の動きもない。

 

 このような現状を見ると、戦闘詳報とは何だろうかと首をかしげてしまう。そんな事を考えても業務として定められている以上、正確に書かなければならない。

 

 巡り合わせの縁だが、わたしに代わって詳報をまとめる主計科中尉が優秀なので、わたしは手が掛からなくて助かっている。

 

 航海参謀は電話で誰かと話していたが、受話器を置くと戦闘詳報を受け取る。そして、わたしの姿を頭からつま先まで眺めると、意味深な笑みを浮かべながら話し掛けてきた。

 

「第一機動艦隊の奮戦は知っているかね?」

 

「はい、今朝からハリファックスへ攻撃を始めたそうですね。戦果は聞いていませんが」

 

「ああ、かなりの打撃を与えたらしい。第三次攻撃隊まで出撃したから、敵機や敵飛行場だけではなく、欧州から到着したばかりの輸送船団や港湾周辺の倉庫まで爆撃しているそうだ。第一機動艦隊は、本気で一九一七年の大爆発事件を再現するつもりかもな」

 

「中々の戦果を挙げていますね」

 

「第一機動艦隊の一員として一緒に行きたかったかい?」

 

「わたしはカリブ艦隊の一員ですよ。そんな事を考えたことすら、ありません」

 

「典型的な模範解答例を聞いているようだ。面白味が無い」

 

 命令とあらば、何処にでも行く。ただ、それだけだ。

 

 第一機動艦隊の一隻として北大西洋に向かっていたら、<蒼龍><瑞鶴>の直衛艦として敵機と戦っていただろう。それについて、何の感想も浮かばない。

 

 だから、本心によって素直に答えた。

 しかし、それが不満だとおっしゃるのであれば、ご期待に応えましょう。

 

 そんな思いを込めて、わたしなりに捻った答え方をしていく。

 

「わたしは、こう見えても日本海軍の士官であり、軍隊のあるべき姿を学んできました。国民に対して威圧感を与えなければ存在価値を失うと信じていたり、問題発生の責任回避方法を熟知しなければ、生き残れなかったりするという点も含めてです」

 

「ほほう、貴様が反軍的な発言をするとは思わんかった」

 

「海軍は所詮、官僚機構の一つですよ」

 

「海軍をそんな冷めた目で見ているとはねえ。入隊した時に宣誓した言葉を忘れていないだろうな」

 

「しっかりと覚えています。『念願の制服が着れて嬉しいです』って言いました」

 

「へっ?」

 

「学生時代はセーラー服だったので、詰襟の士官服を着てみたかったのです。だって、かっこいいじゃないですか」

 

「おい、いつまで学生気分が抜けないのだ?」

 

「素敵な衣服を着るチャンスを逃してしまうと、女は人生の敗者へまっしぐらですよ。まあ、わたしにとって一番難易度が高い素敵な服はウエディングドレスですが、縁が無さそうですわ。つまり、敗者決定ですね……。泣いていいですか?」

 

「泣くな。自虐するな。お前には彼氏の一人や二人が、いるんじゃなかったのか?」

 

 また、この方面の話かと思うとげんなりする。実際に彼氏がいないことではなく、わたしの交際情報を誰もが知り得るから状況に関してだ。

 

 軍隊や警察では、借金の有無と交際状況を自己申告しなければならない。敵対国の情報機関が接近してくるのを防ぐためだ。

 

 情報機関は、これらの人物を探し当てるのが上手であり、その不安定な心理に付け込むのも巧みだ。借金の額が高ければ、借金の返済を立て替える代わりに戦闘部隊の最新情報を要求するだろう。

 

 交際相手がおらずに寂しい思いをしている人物ならば、男女の仲まで発展して後戻り出来なくなった頃に終わりが始まる。司令部に勤務する士官たちの名簿や、司令長官室へ盗聴器を設置することを求めるかもしれない。

 

 いずれにせよ、軍隊としては憂慮すべき事態につながる。

 だから、自己申告を求めるのだ。

 

 この時に正確な状況を報告せずに怪しい行動をするならば、疑われても仕方が無い。例え、交際相手が怖い上官の愛娘であり、父親から交際を反対されているから、隠れて本気の恋愛をしている間柄だとしてもだ。

 

 その自己申告情報は海軍省の人事局が管理している、各自の考課表に記録される。当然ながら、わたしの書類にも記録され、赤裸々な情報が正確に書かれていた。

 

 借金や賭博の記入欄は空白だ。胸を張って言える。

 

 しかしながら、交際欄だけは文字がぎっしりと書き込まれている。それだけで済まず、記入欄が不足したので別紙にも書かれている始末だ。

 

 後で知ったことだが一緒に食事や映画を、二回か三回楽しんだだけの付き合いで申告したのは、過剰だったらしい。結果として、男性遍歴の凄まじさだけが記録として残ってしまった。

 

 遊女、売女、浮気癖がある女、近寄ってくる男たちから最適の男を選ぼうとしているうちに、絶好の機会を失った喪女。そんな誹謗中傷を受けるが、どれも当てはまる。

 

 そして、悲しいことに人間の記憶は薄れていくが、ペンで力強く書かれた記述は薄れない。

 

 航海参謀の質問は、わたしにとって心の日記帳を読まれている様なものであり、気分が非常に宜しくない。だからと言って、誤魔化そうとしても印象が悪化するだけなので、素直に答える。

 

「そうです。いました。そして、みぃ~んな振られました!」

 

 嘘は言っていない。

 

 振られた理由は、ある事実を打ち明けたからだ。二人の仲が深くなった頃を見計らって話したのだが、彼らはそれを聞くと交際終了を通告してきた。

 

 わたしが彼らににとって理想の妻どころか、愛人さえ成れないことを悟ったからである。結果として、心だけは百戦錬磨な恋愛経験をしてきた大人なのに、身体は……。まあ、そういうことだ。

 

 こんな話をしているうちに、先方との待ち合わせ時間が近づいてきたので、要件を済ませて退室する。

 

 そして、外務省の大臣直属機関のなんちゃら班の班長だと自称する、妙に態度がでかい外務省の役人がいる執務室に向けて、歩き始めたのだった。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 絨毯が敷き詰められた廊下を歩く、わたしの足取りは重かった。

 

 はっきり言って、あの男は苦手だ。外交官とはこんな連中ばかりなのだろうかと疑ってしまいたくなる。何しろ、外務省のトップに立つ吉田外相は個性的な性格だと聞くからだ。あの男も個性的だし。

 

 そもそも、カリブ艦隊司令部が外務省に協力する事情も摩訶不思議だ。東京であれば省庁の利害関係がぶつかり合うので、共闘するのは稀だからだ。いや、奇跡的だ。

 

 一方は自尊心だけは立派だが、理不尽を先頭にして行軍すれば無理が通ると信じている職業軍人。もう一方は、条約や協定さえ結べば相手も順守すると信じている外務省の外交官。水と油のように思考ロジックが異なるのだ。

 

 それは、脳筋莫迦の男子学生と初恋に心をときめかす女子生徒が、下校中にデートすることに例えられるだろう。

 

 共通点はただ一つ。その結末は黒く塗りつぶしたくなるが、思い出話だけは鮮やかに彩られていくことだ。

 

 わたしは、以前に夏服と呼ばれた白色の第二種軍装で身を整えている。白色で仕立てられた士官用の被服は、官給品ではなく士官が棒給で調達する物なので、わたしなりの意匠を盛り込んでいた。

 

 腰部に帯を巻いて腰回しを絞り、背中にプリーツを設けている。それだけではなく、胸の双丘を収めるために膨らみを設けていた。

 

 年配の士官から「軍服を勝手に改造するのはけしからん。軍靴に足を合わせるように、被服に身体を合わせろ」という声も頂くが、聞き流すしかない。

 

 未だに女性用軍装が制式登録されていないし、男性用の体型で縫製された軍装では女性の体形に合わないからだ。だから、現状では各自が好き勝手に改造しており、それが黙認されている。

 

 軍装は被服だけではなく、他にもアイテムがある。軍帽は濃紺の第一種軍装の軍帽に、白色の日覆いを被せた物を被っている。靴は汚れやすいので滅多に履かない、白革の靴を選んだ。

 

 さらに、腰には短刀を吊り下げて、胸にリボン型の勲章を括り付けば、海軍士官として威厳ある姿になる。

 

 最後に、時計を忘れずに持ち歩くことだ。これは、軍人と言うより大人としての常識です。

 

 何しろ、わたしの愛用懐中時計には、蓋の裏側にミケちゃんと一緒に撮った写真を貼り付けている。わたしにとって絶対に無くしてはいけない大切なアイテムだ。

 

 これらのアイテムで海軍士官としての箔は付いたが、他にもイヤリングやブローチといったアクセサリーを身に付けたかった。

 

 これは、女としての箔を付けるためだ。だが、同時に戦闘によって壊れたり失ったりする華奢なアイテムでもある。これでは、軍装としてふさわしくないので諦めた。

 

 しかしながら、女性用の小道具である手鏡や化粧品は外出時の必須品であり、これを私物の小さなショルダーバッグに詰めている。これだけが、女性らしさを表現していた。男どもには分からないと思うが。

 

 間もなく、例の男の執務室に到着しようとする頃、タイミングよく一人の東洋人の男が部屋から出てきて廊下ですれ違う。

 

 軍服だらけの司令部には珍しい背広姿だ。わたしと視線が合った途端に、相手が微笑みながら会釈する。あの男の部下とは思えないくらい爽やかな笑顔なので、思わず頬をほんのりと赤く染めてしまう。

 

 だが、その程度で心を浮つかせるような初心な女ではない。百戦錬磨とは言わないが、悪い奴らに何度も騙されかけた経験だけは、両手の指を折っても足りないからだ。

 

 それだけではない。この男からは発散する独特の空気を嗅いでしまうと、すべてが胡散臭い存在になってしまう。どうやら、この男はそれに気づいていないらしい。

 

 その男は、わたしの視線に気づいて怪訝な表情をする。その視線から逃れられそうにも無いので、素直に白状した。

 

「歩き方に特徴があるので、つい……」

 

「ほう、どんな特徴ですか?」

 

「軍人特有の歩き方ですわ。背筋をきちんと伸ばし、一定の歩幅で歩く。それだけですが、綺麗に整い過ぎています。その様子では数日前まで軍服を着ていた士官が、背広に着替えて歩いているとしか受け取れません」

 

「なるほど。ご忠告ありがとうございます、大佐殿」

 

「情報工作機関の方が、ここにいるとは驚きましたわ。統合軍令本部ですか? それとも陸軍独自で動いているのかしら?」

 

「機密事項です。というより、本官にも分かりかねます。後ほど、会場で会いましょう。では失礼」

 

 そう言うと、わたしに背中を見せて去っていく。

 

 その背中に向けて、わたしは心の悲鳴をぶつけた。冗談じゃない。こんな場所で、あなたたちと争うのは御免だと。

 

 わたしにとって、この街で情報工作機関が活動していることに驚いた。この機関員が活動するのは後方地域や敵支配地域であり、こんな前線に近い戦域では活動しないと思っていたからだ。

 

 統合軍令本部にある情報工作機関は、陸海空から選ばれた精鋭たちで編成されていると聞く。陸軍にも少人数ながら独自の機関を持っているらしい。

 

 彼がどこから来たのか、彼以外にも来たのか分からないが、どちらにせよ厄介な相手なのは変わらない。

 

 日本人特有のジャパニーズスマイルの裏側には、彼らの本当の素顔が隠れている。それは、日本人であるわたしでさえ易々と判別出来ないからだ。

 

 そんな不安を心に押し込んで、わたしは例の男の執務室の前に立つ。扉をノックすると、あの男はわたしを室内に迎え入れた。

 

 情報機関員と外交官の間で、どのような話をしたのか知らない。しかしながら、お互いの主張がまとまらなかったのは明らかである。

 

 彼は日本人特有の掴みどころが無い微笑みをしているが、不愉快感を隠しきれていないからだ。先程の話し合いが円満に終わっていれば、彼がそんな表情をする訳が無い。

 

 舞踏会という小さな海で、お互いの高波が衝突して発生した三角波。その波に、わたしという小舟が翻弄されるのは避けられそうにもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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