戦艦<武蔵>艦長 知名もえか(High School Fleet & Red Sun Black Cross)   作:キルロイさん

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第二七話

枢軸海軍部隊カリブ海・大西洋方面総司令部、グアンタナモ市、キューバ島

同日 午後四時

 

 

 

 この男が不愉快な表情をしていた理由を聞いた時、わたしは愚か者であることを悟った。

 

 新品少尉時代に遣欧艦隊司令部付になった頃から、「ダンケルク」作戦を初陣として幾多の戦果を潜り抜けている。それ以降、国家間の戦争、陸海空の各軍における主導権争い、司令部内部や各艦における人間関係、その他にも色々と目撃したり経験したりしてきた。

 

 この世界は常にどこかで戦争が行われている。だから、この島でも何かと戦うするのが当たり前だと考えていた。だが、わたしは先入観に囚われていたらしい。

 

 この男の話を聞いた時、痩せた老馬に跨って風車に突撃した男に代わり、わたし自ら突撃したくなった。わたしの固い頭を風車の羽根で引っ叩き、固定概念を砕こうかと考えたからである。そのくらいの衝撃だった。

 

 この男は本人にとって重要だが、他人からは見過ごされる問題に直面していたのだ。それはあまりにも日常的であり、顧みられることが無いものでもある。

 

 それを、この男は簡潔に説明した。

 

「僕は昼飯を食べずに仕事をしていたので腹ペコなんだ。デブは一食でも抜くと餓死するのさ」と。

 

 改めてこの男の外見を頭からつま先まで眺めるが、控え目に言っても太り気味だ。通称デブと区分される体型であり、標準的な日本人と相撲力士の中間に位置する体形となる。

 

 間違いなくデブであり、眼鏡を掛けて知的な雰囲気を醸し出そうとしているが、外見で台無しにしている男だ。

 

 重ねて言うが、この男はデブ以上もデブ以下もない貧弱なデブである。

 

 そんな男に連れられて、わたしは一緒に軽食を摂っていた。グアンタナモの旧市街地にある、地元住民が集まる小さな食堂で。

 

 ここは、軍港都市や地方の港町に必ずある立ち飲み屋と同じように、カウンターと厨房しかない。この食堂に限らず旧市街の小さな食堂は似た造りになっているそうだ。だから、わたしたちは立ったまま食事をしている。

 

 今は夕食には早い時間帯なので店内は空いている。混雑する時間帯だと他の客に煽られるように口へ詰め込むだけになり、味わいながら食事することすら出来ないだろう。そんなお店だ。

 

 噂だが、デブには独特の嗅覚があるらしい。料理が美味しい飲食店を探し出す能力が優れていると聞く。だから、この店の料理はわたしにとって美味しかった。

 

 わたしの隣にいる男は、アロス・コングリと言うキューバ風の赤飯を選んだ。

 

 一枚の大皿にそれが盛られ、マサ・フリータという豚肉の角切りのフライ、フライドポテト、キュウリを添えられている。これとは別にサラダや果物が盛られた小皿もあり、この店の定食だという。

 

 フライされた料理ばかりなので、適度に運動しないとすぐに太りそうだ。この男がデブになった理由が分かる気がする。

 

 そして、わたしの料理はこの男が選んでくれた。それは、アヒアコと呼ばれるキューバ風のシチューだ。別名で余った食材のごった煮と言うらしく、豚肉と季節の野菜を煮込んでスパイスで味を調えた料理である。

 

 これが具材と一緒に深皿に注がれて、わたしの前に置かれる。これをスプーンで掬って食べるそうだ。この店は日本のスープカレーに似た味わいであり、小腹をすかせたわたしにとっては十分な量だった。そして、本当に美味しいのだ。

 

 ついでに、店員がアロス・コン・レチェと紹介してくれた料理を、食後のデザートとして頂く。米を牛乳で煮た甘いお粥で、シナモンが振りかかっている料理だ。

 

 一般的に南国の料理は、食材の痛みを誤魔化すために味付けを濃くしている。だから、そのデザートの甘さは<間宮>や<伊良湖>特製の羊羹よりも甘く、わたしの脳髄が痺れてしまうくらいに甘かった。

 

 キューバ料理は初めて食べたが、ほかにも種類があると言う。機会があれば、空いている時間帯を狙って食べてみたい。

 

 わたしの言葉をこの男が通訳してくれると、店員たちは笑みを浮かべる。

 

「美味しかった。また、食べに来たい」という言葉は料理人への最高の賛辞なのだ。

 

 わたしたちは食事を終えると、司令部が置かれているホテルへ歩いていく。その時に湧いた疑問を聞いてみたのだ。

 

 この食堂は料金が前払い制であり、わたしは軍票で支払おうとした。だが、店員たちはそれを見た途端に表情を曇らせる。

 

 代わりにこの男が支払ってくれたが、腑に落ちない。貨幣価値は同じなのに。

 

 その理由は、軍票では高額にならないと換金出来ず手間が掛かるからだそうだ。すぐに使えない紙幣を渡されたら困るのは当然だろう。そんな事をわたしが呟くのはおかしいのだが。

 

 ちなみに、彼の通訳が必要な理由は、この島がスペイン語の言語圏だからだ。

 

 わたしは、英軍将兵と打ち合わせできるくらいにイギリス英語は話せる。仏語と独語は学校で習ったので、日常会話程度なら何とかできる筈だ。しかし、スペイン語は作戦開始前に一夜漬け程度の勉強をしただけなので、日常会話さえ怪しい。

 

 わたしは、この時間を活用して舞踏会の役回りについて聞くことにした。

 

 <武蔵>の艦長室では、この男と一緒に参加しないと息巻いている。とはいえ、任務の性質上不可能だ。この男も、そんな事を忘れたかのように、わたしに()()していく。

 

「今回の調略対象はキューバ島南部の地元事業者たちと、ハバナから逃げてきた政治家たちだ。戦争に巻き込まれてから溜まりに溜まった不満を、舞踏会場でガス抜きさせる。そして、奴らを懐柔させつつ、こちらの要求を飲ませる。それが目的だ。手段と目的を取り違えないで欲しい」

 

「わたしは相手とダンスしたり、愛想よくお話すればいいのでしょ。相手が何か提案してきたら平田大尉に紹介するわ。取り違えていないから大丈夫よ」

 

「まあ、それだけは忘れんでくれ」

 

「政治家との人脈はキューバ島の統治に欠かせないけれど、そこに参加する地元事業者とは何者なの」

 

「戦前に合衆国へ砂糖や柑橘類、ラム酒、キューバ葉巻、ニッケル鉱石を輸出していた経営者たちだ。彼らは、産出物が売れなくて困っているそうだ。

 

「お金持ちが貧乏人になっちゃったのね。同情するわ。地元の実業家たちに」

 

「連中に同情するのは止めて欲しいな。奴ら、国家国民の一員としての認識が薄すぎるから、目の前に大金を積まれたら敵味方関係なく商品を売り捌く。我が軍の配備情報を、少年誌の付録のような感覚で出荷しかねないぞ」

 

「それを防ぐために、我が軍や枢軸軍で買い取れないのかしら」

 

「ここの司令部で必要な量は買い取っているが、連中が求める量はそれより遥かに多い。特に開戦前までに一大消費地である合衆国東部へ送っていた農産物は、余るくらい採れたから連中の要求には応えきれない」

 

「でも、平田大尉なら別の方法を考えていたのでは」

 

「日本行きの輸送船は空船なので農産物を積むことも考えた。しかし、砂糖きびは沖縄産とフィリピン産だけで十分だし、柑橘類は長期間の航海中に痛んでしまう。葉巻は元から大した量ではない」

 

「我が海軍も輸送船に民生品を積んで、合衆国東海岸へ送るようなお人好しではありませんから、仕方ないわね。だとしても、彼らは地元の政治家に任せておけないの?」

 

「政治家連中は我々とドイツを天秤に掛けている。だから、戦争の勝敗が明確にならないと動かない。嫌々ながらでも肩入れした陣営が負けた時、非国民として糾弾されたくないからな。下手すれば国外へ亡命しなければならないかも」

 

 これも戦争の一面なのかと改めて考えさせられる。兵学校では戦って勝利することしか教えていない。それに対して、この男はそれ以外の面倒事に関わっている。

 

 この島では、わたしの知らない戦争が行われていた。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 わたしたちが進む道路では、子供の手を引く母親や、荷物を満載したリヤカーを引く馬と騎手、学校帰りの生徒たちが行き来している。

 

 戦争の渦中に巻き込まれているキューバ島だが、この街は空襲の危険に晒されつつも平穏な日常を取り戻していた。それだけではなく、誰もが浮足立った足取りで歩いている様子である。

 

 この男の説明によると、軍司令部がグアンタナモ市に施行している、遊興産業営業停止命令を一部解除する初日という。この市内とその周辺地域で生活する現地住人にとって、この日は待ちに待った日なのだ。

 

 制限解除時間は午後五時。

 

 その時間を過ぎると酒場は堂々と営業を始め、幾つかの道路は封鎖されて現地住人が集う広場に様変わりする。そこでは、数組の楽団がキューバ音楽を奏で、その曲に合わせて踊る空間となるだろう。

 

 南国特有の陽気な性格だが日本人と比較して忍耐力が弱い現地住人が、この日までに辛抱してくれたのは奇跡だという。実際には枢軸軍憲兵隊の眼に付かないところで、密かに楽しんでいただろうが。

 

 灯火管制と夜間の外出禁止令は継続されている。だから、陽が沈めば外は暗闇に包まれるし、司令部の許可書が無いのに夜に外出すると拘束されてしまう。

 

 だが、厚地のカーテンを捲って室内に入れば、明るい照明の下で老若男女がキューバ音楽に耳を傾けながら談笑して食事をする。そのような光景が、市内の至る所で見受けられるだろう。

 

 軍司令部がこれらの産業の営業停止命令を下したのは、連合軍の破壊工作活動による現地住人の保護と、その工作員を炙り出すことである。

 

 それ以外の目的もあった。空襲警報が発令された時、千鳥足で避難されたら通行の妨げになる。酒臭い息を吐きながら防空壕に入ったら、他の避難民まで酔ってしまう。

 

 それだけではなく、吞兵衛がたむろする大衆酒場で、反乱の決起集会をされたら大迷惑だ。反乱分子を逮捕しなければならないが、客や店員との区別できないので全員を拘束しなければならないからだという。

 

 しかし、現在は連合軍と対峙する戦線が約六〇〇キロも離れた地点で固定化し、不完全ながらグアンタナモ市の安全が確保している。だから、この解除が実現できたのだ。

 

 天皇陛下の誕生日に近いこの日に解除するのは、意図的にしたという。こうすれば、現地住人が天皇陛下の誕生日である天元節を覚えるだろうという計算だそうだ。

 

 ここまで、この男の話を聞いていたが軍司令部の裏事情を、すらすらと説明するのが奇妙に思えてくる。外務省の役人なのに、情報を知り過ぎているそうな気がしたからだ。

 

 それについて、この男は素直に答えた。

 

「僕らの『対中南米工作班』は、春崎司令長官直属の『軍政監部』の一員として活動している。だから、軍事機密以外は僕も触れることができるのさ」

 

「外務省だけ?」

 

「外務省からは僕以外にも何名か来ている。外務省以外には、鉄道省、逓信省、商工省、農林省、厚生省、他からも出向者が来ているぜ。ここに居ないのは内務省だけ。後方治安は陸軍憲兵隊が担当しているし、土木工事は工兵隊が担当している。存在自体が邪魔だから呼んでいない」

 

「その軍政監部の役割と目的は?」

 

「この島だけではなく、カリブ地方にある島々の統治と戦災復興のためさ」

 

「あら、治安維持と風紀の乱れを指導する担当かと思っていたわ」

 

「おいおい、それは陸軍憲兵隊の所轄だよ。僕らの仕事は、大きく分けて三つある。一つ目が、各部署から届いた情報や自分の足で歩いて掴んだ情報を元にして、計画を策定する。二つ目は、現地住人の扱いについて枢軸軍の将兵たちへの教育を行う。最後に、この島とカリブ地方を豊かにしていく。そんなところかな」

 

 この男が仕事をしていることに感心した。仕事をさぼっていないからという意味では無い。昨日の言動と態度からは想像出来ない、裏方の仕事へ積極的に関わっているからだ。

 

 この男にとって失礼なことだが、それまで外務省の出世街道から外れた甲斐性のない男だと、勝手に思い込んでいたのだ。

 

 事実、この男がこの島に来た経緯は、わたしの想像とは全く異なる。

 

 この男はくじ引きで選ばれたのではなく、自ら志願したそうだ。それだけではなく春崎司令長官の親戚なので、将官級の軍人の扱いにも慣れているといった理由で選ばれたという。

 

 それは軍政監部における立場にも影響を与えた。この部員たちのうち、この男が司令長官からの信頼が厚いので、副部長という肩書もあるのだとか。

 

 その副部長の言葉によると、春崎司令長官が司令部に着任した時に三本の矢を放ったそうだ。

 

 一本目がカリブ海とメキシコ湾における船舶の安全な自由航行の実現、二本目がキューバ島奪還、三本目がキューバ島とカリブ地方の親日地域化だ。

 

 この男は三本目の矢を担当している。つまり、軍事作戦以外によるキューバ島統治計画は、この男が握っているようなものだ。意外と偉い立場だったのである。

 

 道理で太々しいというか……。まあ、これは立場によって形作られたものではなく、元からの性格なのだろう。

 

 そんな男から様々な話を聞かされるが、わたしにとって重要ではない内容も含まれていた。次第に、相槌を打ちながら聞き流してしまうが、ふと聞き捨てならない言葉が耳に残った。

 

 この男の話が一区切りついた時、その言葉が気になっていたので尋ねる。

 

「さっき、この戦争の将来について何か言いませんでしたか?」

 

「ああ、言ったよ。日本は戦争の主導権を失いつつあると」

 

「ドイツ軍に勝てないから?」

 

 以前に艦隊参謀がぼやいたように、未だに我が海軍を含めた枢軸海軍は大欧州連合軍から決定的勝利を奪えていない。海戦で引き分けになるのが関の山、僅差で勝利すれば御の字と言えるような戦況なのだ。

 

 だから、不甲斐ない我が海軍の惨めな戦闘結果を嘆いていると思った。

 

 だが、この男はわたしの予想を大きく裏切る言葉を放つ。

 

「違うよ。合衆国だ。日本は戦争の主導権を合衆国に奪われようとしている。これは事実だ」

 

 そのように言い切る男の眼には、大通りの旗竿に翻る星条旗(スター・スパングルド・バナー)が映っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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