戦艦<武蔵>艦長 知名もえか(High School Fleet & Red Sun Black Cross) 作:キルロイさん
枢軸海軍部隊総司令部、オアフ島、布哇諸島
同日 午後八時三五分
航空参謀は三時間少々という僅かな時間で、兄部の概略案を作戦案として書類にまとめた。彼にとってお椀に盛られたご飯に、溶いた生卵を掛けるくらいに簡単な仕事だったからである。
兄部はそれを受け取ると、山口に説明するためにGF司令長官室に向かう。どのように話を切り出すか考えながら。
なぜなら、この作戦案には重大な欠陥があるからだ。その事実を、航空参謀は困惑した表情と言葉で説明した。
内容のお粗末さでは無い。
大きな間違いがある訳でも無い。
だが、根本的に何かがおかしい作戦案なのである。
そんな欠陥があるのを承知したうえで、兄部は山口へ渡そうとしていた。だから、彼の心中は穏やかでは無い。
兄部の上官である山口大将は、こんな時間でも執務室にいた。彼は便せんに何かを書き込んでいた。
この執務室は大型艦艇の艦長室と同様に、長官専用の風呂や寝室へ通じる扉がある部屋である。つまり、部屋から一歩も外に出なくても、一日中快適に過ごせる部屋なのだ。
山口や兄部にとっては監獄同然だが。
なぜなら、彼らはこの部屋にいる以上、公私の区別が無い一日を過ごすことになるからだ。
忘れてはならないことだが、山口はGF司令長官を拝命している。彼は戦況に異変があれば、適切に判断して命令しなければならない立場なのだ。たとえ、それが入浴中だろうが睡眠時間中だろうが関係無い。
戦争は世界中で起きている。そして、ドイツ軍を主力とする大欧州連合軍は侮れない強敵だからだ。
そんな山口を補佐するのが、GF参謀長を拝命した兄部である。この二人が任務を果たせなくなれば、枢軸軍の軍事行動に影響してしまう。それぐらい、重要な立場なのだ。
さて、山口はペンを机に置くと書類を受け取り、彼の説明に耳を傾けながら目を通していく。それを読み終えた時、山口は困惑した表情を隠そうとせずに兄部へ尋ねた。
「参謀長、計算が間違っていないか? 第一機動艦隊から艦攻を四七〇機飛ばしても、大破させるのが精一杯で撃沈困難。艦攻の半数以上が未帰還。これでは、第一機動艦隊の航空戦力が全滅するぞ」
「航空戦力の消耗率は推定なので何ともいえません。ですが、<ヒンデンブルグ>を大破させるために必要な打撃力は、ほぼ正確だと考えています」
「そもそも、<ヒンデンブルグ>を大破させるためには、五〇番が三五発以上も必要なのか? この根拠を教えてくれ」
「数日前に<武蔵>が、ドイツ空軍と交戦した時の戦闘詳報を元にしました」
「その詳報は数値を盛っていないか? いい加減な艦長が責任を免れるために、でたらめな報告していたら根拠が無価値になるぞ」
「武蔵屋旅館の女将が報告しているので、信憑性は高いです。そもそも、無能な士官は戦艦の艦長を任せられません」
「……そうだな」
<武蔵>艦長にとって、戦闘詳報はチリ紙交換にも出せない紙を作り出す仕事だと思っていた。だが、彼女の知らぬところで大いに活用されていたのだ。カリブ艦隊司令部の某参謀の仕業だが。
この戦闘詳報による<武蔵>の最終被害は、通常爆弾と対艦誘導弾ヘンシェルHs293の合計被弾数が一二発、小型ロケット弾の被弾数が三〇発以上だ。至近弾を含めて回避した爆弾は六八発になる。
これほどの爆弾を受けているにもかかわらず、<武蔵>の被害は中破で済んでいた。
中破とは沈没以外の状態における艦艇の損傷具合を指し、戦闘能力を「ほぼ」失っているが、自力で航行できる状態と定義されている。
<武蔵>の場合、水上砲戦能力は無傷に近い。しかし、至近弾被弾による浸水によって最大戦速は出せなくなっているし、対空戦闘能力は左舷側に限りほぼ壊滅しているからだ。
未だに戦えるが、大規模な空襲を受ければ撃沈されるのは免れない状況である。このような損傷だと中破と判定される。
これより損傷が酷くなる場合には、大破と判定されるのだ。消火や艦内の排水だけで精一杯になり、海上に漂う鋼鉄製の箱のようになった<蒼龍>が、それに該当した。
<武蔵>が大破を免れたのは、煙突や主舵室といった艦艇の重要区画が被弾していないからだ。それだけではなく、航空魚雷による被雷すら受けていなかった。
この対空戦では、<武蔵><蒼龍>および随伴する駆逐艦六隻へ、延べ二二〇機前後の敵攻撃機が襲来していた。この攻撃隊に戦闘機は含まれていない。
基地で補給を受けて何度も飛び立った機体も含まれるから、実際の稼働機数は少なくなる。確実に言えるのは、ドイツ空軍はキューバ島に展開する航空兵力の総力を、<武蔵>や<蒼龍>にぶつけてきたのだ。
そのうち、<武蔵>隊へ攻撃してきたのは一六〇機前後だという。他の敵機は<蒼龍>への攻撃に向かったり、統合航空軍による迎撃が間に合ったりしたからである。
それらの敵機のうち、<武蔵>は四隻の駆逐艦と共同で八一機を撃墜している。来襲した敵機のうち五一パーセントを撃墜しているのは中々の戦果だ。
さて、<武蔵>の戦績を元にして<ヒンデンブルグ>への攻撃を検討していく。最初に手を付けるべきことは、この戦艦を大破させるために何発の爆弾が必要かという計算だ。
<武蔵>は爆弾を一二発も被弾したが中破で済んでいる。この条件を元にして基準排水量の比だけで簡易的に計算すると、<ヒンデンブルグ>を中破させるために二五発以上を命中させなければならない。<武蔵>より二・三倍も大きいからだ。
大破させるには、命中数を増やすか、煙突・艦橋・機関室・操舵機室といった艦艇の重要区画を破壊しなければならない。
では、<ヒンデンブルグ>に爆弾を三五発命中させれば大破させられると仮定して、この攻撃に必要な攻撃機の機数を求めていく。これも<武蔵>隊の戦況報告による来襲した敵機数と、その戦果から計算するのだ。
◇◆◇◆◇
簡易的な計算式で求められた結果は、作戦案を策定した航空参謀を絶句させた。彼は何度も計算をやり直したが答えは一緒である。
そして、その計算結果を見た山口や兄部も、目を疑ってしまうくらい衝撃を受けてしまった。
何と四七〇機も必要なのだ。これは、戦闘機や他用途の機体を除いた攻撃機の機体数である。一隻の戦艦を大破させるために多数の攻撃機を投入するのは、戦果の割に合わない。
このような計算結果になったのは、この時のドイツ空軍による爆撃命中率を採用したからである。ロケット弾を除いたドイツ空軍の爆撃命中率が七・五パーセントだったからだ。
あまりにも爆撃命中率が低いように思えるが、日本海軍第一機動艦隊だって僅かに優れている程度である。事実、メキシコ湾海戦では一二パーセントだった。なお、雷撃命中率は一・五パーセント、雷撃任務に就いた艦攻隊は全機未帰還になっている。
かつて、第一機動艦隊の爆撃命中率は九〇パーセント、雷撃命中率が三五パーセントを記録した時期もあった。実戦ではなく演習で達成したとはいえ、好成績を叩き出したのは事実である。
それを達成するために、航空艦隊司令部は各搭乗員を猛訓練で技量向上させ、裂帛の気合を持たせた。そうすれば、対空火器が編み上げた弾幕を突破して敵艦艇に打撃を与えられる。そんな、戦術思想で成り立っていた。
しかし、それが通用したのは僅かな期間だけだった。いや、そんな期間も幻想だったのかもしれない。
なぜなら、被攻撃側の戦闘機による迎撃戦が進化したり、艦艇の対空火器が強化されたりしていったからだ。だから、現在では爆撃位置や雷撃位置まで到達すら出来ない攻撃機が続出している。
なお、開戦前に空母艦載機が対艦攻撃した時の戦果が検証されたことがある。その時は攻撃機の九五パーセントが目標上空に到達する前に撃墜されてしまい、その攻撃に成果が無いだろうと予想されていたのだ。
空母艦載機による攻撃が無力であれば、それに代わって敵艦艇を攻撃する兵器を用意しなければならない。だから、<武蔵>を始めとする戦艦が戦闘海域で活躍している。
一時期は戦艦不要論によって廃艦リストに書かれた艦艇が、空母艦載機に代わる攻撃力として期待されているのは皮肉でもある。
ちなみに、第一機動艦隊の爆撃及び雷撃命中率が最高値まで達したのは、山口が第二航空戦隊の司令官や第一機動艦隊の長官を務めた時期でもあった。母艦航空隊の将兵から「人殺し多聞丸」や「気〇い多聞丸」と、陰口を叩かれた時期と重なる。
山口は、そんな経歴を積んでからGF司令長官に着任している。だからこそ、山口は第一機動艦隊の攻撃力に期待していたのだのだ。言葉にはしないが、兄部より航空戦に詳しいと自負さえしていた。
それに対して、兄部は魚雷や機雷を扱う水雷畑出身である。日本海軍では雷装廃止によって肩身が狭くなる兵科だが、その立場だからこそ第一機動艦隊の実力を冷静に掴んでいるつもりである。山口でさえ第一機動艦隊の実力を過大評価していると捉えていた。
だから、兄部は山口との現状認識と方向性の違いを、荒波立てずに合わせていく必要がある。最終的に、どの方向に流れていくのか彼でさえ分からないが。
しばらく続いた沈黙の時間を打ち切るかのように、山口は言葉を発した。
「なあ、兄部君。この作戦案によると、通常の五〇番(対艦攻撃用の五〇〇キロ爆弾)しか使わないようだが、他の爆弾や魚雷は考えていないのか?」
「空対艦無線噴進弾は炸薬量が二五番以下なので省いています。航空魚雷も考慮していません。九一式航空魚雷では目標に一キロまで近づかないと命中しませんし、音響追尾式の五式航空魚雷でも四キロまで迫る必要があります。いずれも、両方砲の射程内なので、敵が間抜けでない限り撃墜されてしまうからです」
彼の熱弁に痛い所を突かれたのか、山口は黙って聞いている。だが、不敵に微笑むと隠し持っていた最強のカードを突きつけるのように、第一機動艦隊の切り札を言葉にした。
「第一機動艦隊には最新型の魚雷が積んである。これならドイツ海軍の両用砲射程外から発射しても命中する」
「どこからの情報ですか?」
「城島がここに立ち寄った時に教えてくれた」
山口は手帳を開き、城島第一機動艦隊長官と打ち合わせした時のメモを兄部に見せた。
この時、第一機動艦隊には城島司令長官直率の第一航空戦隊に、試作兵器の実機試験を兼ねて最新型の魚雷が積まれていた。
この魚雷は、後に正式採用されて一〇式航空魚雷と呼ばれるようになる。大きな特徴は魚雷後部にある推進器の、さらに後部にロケット・ブースターが装着されていることだ。
目標への雷撃方法は以前に比べて楽になっている。攻撃機は目標の二〇キロ前まで近づいてから、その方向へ発射するだけだ。
後は、ロケット・ブースターが目標の近くまで魚雷を運んでくれる。燃料が尽きれば魚雷は海中に投下され、その頭部に収められた音響追尾装置が目標を捜索し、追尾して攻撃するのだ。
兄部にとって、そのような魚雷が実戦投入されていたことは初耳だった。艦艇に大穴を開けて海水を流し込む魚雷は、対艦攻撃に最適な兵器である。
それが、両用砲の有効射程である一〇キロ圏内の外側から発射出来れば、非常に魅力ある兵器となるのだ。これなら、対空火器による火網に捕らわれないように、海面すれすれで低空飛行して目標に肉薄しなくてもよいのである。
兄部は、山口の手帳を読むうちに目に留まったことが何点かあるが、そのうちの一点を質問した。
「これくらい複雑な機構だと、命中率は低そうですが」
「発射さえ出来れば、命中率は五〇パーセント以上になるそうだ」
「それだけの命中率があれば、期待出来そうですね」
この後に生起した海戦における使用実績により、命中率は三〇パーセント以下まで下方修正される。たが、この時点では誰もが期待する試作兵器だった。
それでも、兄部は腑に落ちなかった。雷撃命中率がカタログ値どおりなら、四〇〇機の艦上攻撃機で大破させられるだろう。撃沈さえ可能かもしれない。だが……。
彼は、とうとう疑問を言葉にした。
「長官、第一機動艦隊の攻撃目標は敵航空戦隊です。それを中止して<ヒンデンブルグ>を攻撃すべきでしょうか? ご判断
思い返せば、<ヒンデンブルグ>への攻撃を進言したのは兄部である。山口ではない。だから、山口が却下すれば作戦案はゴミ箱に放り込まれるだけだ。
思案する山口と、決断を待つ兄部。
二人の男は身動きすら忘れたかのように微動しなくなる。いつの間にか、GF司令長官室で聞こえる音は時計の秒針音だけになった。
何秒経過したのか、二人とも把握していない。三〇秒経ったのか、一分過ぎたのか、二人にとっては大したことではない。
秒針は正確に刻み続け、時間だけが海流のように流れていく。
そして、遂に沈黙を破るように山口は決断した。
「第一目標は<ヒンデンブルグ>だ。第二目標を第一航空戦隊にするぞ」
「分かりました。出来れば理由をお聞かせいただけますか」
「空母より戦艦のほうが、沈め甲斐がある。それだけの理由だ」
山口はあっさりと答えた。
言葉に詰まる兄部に向けて、彼はさらに言葉を放つ。
「参謀長、敵の空母航空戦隊はメキシコ湾に引きこもったままだ。下手したら、戦争が終わるまで出てこないかもしれない。だったら、<ヒンデンブルグ>を攻撃すべきだと考えたのさ。今後の方針に悩むくらいなら突撃すべきだよ。ネルソンもそんなことを言っていたらしい」
この発言を聞いて、兄部は思い出した。目の前のいる上官は、「超突猛進」という四字熟語が人間に化けているような男だと。
山口に対する評価が面白いのは、実戦経験が殆ど無いのに有能な軍人と見なされてることだ。
そもそも、彼の戦歴は第一次世界大戦で英軍の輸送船団護衛任務と、戦利品のUボート回航任務に就いた程度だ。第二次世界大戦でも、第一機動艦隊の長官として合衆国を牽制するために、太平洋から動いていない。
それでも、この男が高評価されてGF司令長官に任命されたのは、文章や写真では伝わらない独特な雰囲気を醸し出しているからだ。それは、自己鍛錬して築き上げた武人としての威圧感だ。
学業の成績も優秀で、兵学校から卒業した一四四人の生徒のうち次席の成績で卒業している。多数の海軍士官と比べて頭一つ抜き出ているような実力を持つ男は中々いない。
だからこそ、彼はGF司令長官に選ばれた。そんな男が下した決断に、兄部は素直に従い電文を作成していく。
山口たちは第一機動艦隊長官が布哇に来た時に、攻撃すべき第一目標はドイツ海軍の空母だと念押ししていた。それを撤回するのだから、反発されることが予想されたからだ。