戦艦<武蔵>艦長 知名もえか(High School Fleet & Red Sun Black Cross) 作:キルロイさん
グアンタナモ市郊外、キューバ島
一九五〇年四月二七日 午前八時七分
<武蔵>へ帰る手段は、平田大尉が運転する
合衆国軍が開発した軍用自動車なので、当然ながら合衆国将兵の体格に合わせて座席が作られている。だから、日本人であるわたしにとって、座り心地は良いけれど座面が少々高い。
路面状態は相変わらずなので、お尻だけではなく身体も揺れる。しっかり摑まっていないと座席から振り落とされそうだ。それは、隣の席で運転する平田大尉も同じらしい。
大地に流れる風は妙に湿っぽく、午後から雨が降りそうだ。黙って流れていく風景を見ているのもいいけれど、昨夜のことが気になったので聞いてみた。
「なぜ、急に歩けなくなったか覚えている?」
「あなたの前に置かれていた飲み水を飲んでから、急に身体がおかしくなった。だから、あのコップには薬が入っていたんだろう」
「薬を盛ったのは誰だと思う?」
「……見当がつかない」
「嘘だ。誰か予想ついているでしょ」
「何で分かるの?」
「顔に書いてある」
「まったく、あなたは恐ろしい人だよ……。誰にも言わない条件を飲んでくれるなら話すけどね」
「分かりました。職業柄なので口は堅いですわ」
「参謀長の飲み友達だよ。合衆国海軍のマックス少佐だ」
平田大尉の頬を冷やしていた時に近づいてきたのは、カリブ艦隊司令部の参謀長と一人の合衆国海軍士官だった。彼は、マックス少佐と名乗った。面白いことに、昨夜はマックスという苗字の士官と立て続けに出会えたのである。
彼の目的はわたしの身体だろう。どこかに連れ込むために薬で酔わせ、目的を果たすつもりだったのかもしれない。軍役に就いている高官がそのようなことを企むなんて、油断も隙もあったもんじゃない。今までの経験を思い出せば、あり得ないことでは無いが。
間違えてはいけないが、このマックス少佐が薬を混ぜた瞬間は見ていない。あくまでも推測だ。もし、彼がそのようなことをしていないのなら、わたしたちが誹謗中傷していることになる。
もちろん、信頼が置けるミケちゃんでさえ話してはならない内容だ。
だから、「まったく、昨日のわたしは油断や隙だらけだわ」と言うだけに留める。それは、自分への反省を込めたつもりだった。しかし、相手はわたしの予想すらしない言葉で返してきたのだ。
「いや、ターゲットは僕だったかもしれない」
「な、なんで?」
驚くべきことに、わたしは男が男の身体を求めようとする一部終始を見ていたのだ。
違う、邪魔してしまったのだ。
いや、邪魔しなきゃいけない状況だよね?
あれ、分かんなくなってきた。
どっちが矛で、どっちが盾なのかな?
違う、そうじゃない。
でもね、ベッドであんな事やこんな事をするんでしょ。それで、最後にちくわの穴へ、皮付きのきゅうりを挿しこむようなことをするんでしょ?
これはミケちゃんに、前後関係も含めて話さないと!
車が大きく揺れたので我に返るが、顔が火照って鼻息まで荒くなっている。
これでは、学生時代に毛布に包まりながら恋愛小説を読んで、変な気分に浸っていた知名もえかだ。
<武蔵>艦長の知名もえかよ。
仕事しろ!
それを心の声で叫んでしまうくらい、本来の自分を見失ってしまう。そんな無様なわたしに気づかないフリをしてくれたのか、彼は車の針路を見つめたまま順々に教えてくれた。
疑惑人物であるマックス少佐は、合衆国の海軍士官でありグアンタナモ補給基地で勤務しているという。グアンタナモ湾を囲む丘陵の頂上には大型無線塔があり、その付近にある通信指揮所で働いている通信科の将校だ。
そんな所で働いているマックス少佐が、どのような経緯で参謀長の飲み友達になったかというと、航空参謀が紹介したからである。航空参謀にとってマックス少佐は、重要な情報源を拾い上げてくる人物なのだ。だから、上官である参謀長に引き合わせたという。
彼は暗号通信の送受信以外に、連合軍の通信傍受や暗号解読まで担当している。それだけではなく、キューバ島や北米大陸に展開する連合軍の動向を予測するようなことまで関わっていた。驚くべきことに、それが次々に的中しているのだ。
特に、キューバ島に展開する連合軍の航空兵力の分析は、精度が高いらしい。ある時は、敵機の出撃機数や攻撃目標まで予測したそうだ。それに基づいて統合航空軍が待ち構えていたら、本当に敵機がやって来た。
そのおかげで、防空戦は日本軍の圧勝だった。実態は、敵機が日本軍の迎撃機に気づいた途端、爆弾を捨てて全速力で逃げてしまったそうだが。それでも、敵機による爆撃を阻止したのだから、防空戦が成功した事実は揺るがない。
それに比べ、平田大尉がいる軍政監部対中南米工作班とは相性が悪いという。
マックス少佐は、現地の情報提供者とのパイプも握っている。だから、平田大尉たちはキューバ島の治安維持活動のために、それを使わせて欲しいと要望したそうだ。
しかしながら、軍事機密が漏洩する可能性があるとの理由で断られた。さらに、日本陸軍も同じようなことを計画していたが、同様に断られたという。つまり、文官か軍人という線引きではなく、一律に合衆国軍以外には公開しない方針なのだ。
そのため、平田大尉たちは独自で情報提供者を見つけ出そうとしていく。それを続けていたら、いつの間にか少佐のテリトリーを荒らすようになってしまったらしい。
そのような経緯から導き出される動機は、工作班の中心人物である彼への警告もしくは妨害となる。これが、平田大尉の推測だった。
しかしながら、頼りないとはいえ同盟関係を結んでいる両軍の担当者が、相手の身体に危害を与えるような手段を取るとは思えなかった。本当の理由は別にありそうな気がするけれど……。
最後に、彼はわたしに注意を促すように会話を締めた。
「最初に言ったけれど、あくまで推測だよ。あの水を持ってきたバーテンダーかもしれないし、参謀長かもしれない」
わたしは、その言葉に返事をせずに後方へ流れていく景色を眺めることにする。うわさ話や推測だけを元にして他人の弱点を話し続けるのは、苦手だからだ。
◇◆◇◆◇
ジープはグアンタナモ湾の西岸に沿って南下していく。グアンタナモ湾の最奥部には貨物船や駆逐艦の姿がない。未だにパナマかホーン岬を経由した輸送船団が到着していないらしい。
代わりに、地元の漁師が小さな漁船に乗って漁をしていた。
そんな、のどかな光景を眺めていると春崎長官から教えていただいた話を思い出す。数日前に<武蔵>で長官と会食した時の話題だ。
その話題とは、新鮮な魚貝類を手に入れる方法だった。
日本人は魚介類を好む民族だが、この島の現地住人は一部を除いて魚を食べる習慣が無い。その理由は熱帯地方なので食材の痛みが早く進み、釣った魚をすぐに処理しないと食べられなくなってしまうからだという。
日本人は干物や乾物、なれ寿司という加工方法で魚貝類を日持ちできるようにした。しかし、キューバ人は魚介類に対して日本人のように執着しなかった。代わりに鶏や豚を飼育して、卵や肉を食べている。
だから、日本軍が最初に現地人へ教えたことは、日本語ではなく魚の釣り方と血抜きの方法だったそうだ。それぐらい、日本人は魚貝類が大好きなのだ。
そんな日本軍の士気に繋がる大問題に、現地に到着してから間もない担当者たちは挑んでいく。それを見た英米将兵たちは好き勝手に言っていたが、この担当者たちが作ったフィッシュアンドチップスを口にした途端に、手のひらを返した。
「素晴らしい。君たちはいい仕事をしているね」と賞賛の言葉まで添えて。
これを聞いたのが、春崎長官の料理を作っている女性主計兵だった。
彼女も現地人へ魚の捌き方を教えていたが、反応に困ってしまったという。彼らに認められたことを素直に喜ぶべきなのか。それとも、好き勝手に言われたことへ怒るべきなのか。そんなことを悩んでいたそうだ。
この担当者の気持ちは同情できる。もし、わたしに相談されたら、こう答えるだろう。
適当なことばかり言う連中の鼻に、ワサビの茎をねじ込みましょう。もちろん、微笑みは絶やさずに、最後の一人までやり遂げるのですと。
そんな強烈な手段で訴える前に、彼らが白身フライを食べられないようにするだけで、十分な反撃になるのだが。
そんな事を考えながら風景を眺めていた時、ふと思い出した事がある。あの時の大尉の証言だ。
「ねえ、舞踏会で『わたしの別名の提案者だ』って言っていたわよね。あれ、どういう意味なのよ」
「そのままのとおりさ。僕が考えて統合軍令本部にいる知人に提案した。採用された経緯は知らないけれど、他に案が無かったからじゃないかな」
「恥ずかしいから、別名を付けるのは他の人にしてよ」
「いいじゃないか。『ポートサイドのヴァルキューレ』って渾名は似合っているよ」
「だけど……」
「忘れちゃいけないが、あなたはドイツ政府から公共建築物破壊罪で指名手配されている。ヒトラーの自信作を砲撃して壊したから、そうなるのは必然さ。面白いことに、その手配書には別名と嘘の変名が書かれているそうだ。この意味が分かるかい?」
「はい。分かりません」
「あなたの本名がバレたら、ヒトラーの刺客に狙われるってことさ。日本でも数少ない特徴的な苗字だから探しやすい。それとも、殺されてみたいかい?」
「そんなの、嫌だぁ」
「だったら、文句は言わない。いいね」
「はい……」
彼の理路整然とした説明に反論できず、素直に別名だけではなく変名を受け入れることしか出来なかった。だからといって、怒りたくなるような気分にもならない。
初めて出会った時は太々しい態度だったから毛嫌いしていたけれど、色々な方面から考え抜かれていることに驚いている。
そもそも、日露戦争後の日本人男子にとって憧れの職業は、海軍士官か外交官だった。だから、成績優秀な学生が殺到するので狭き門になっている。彼は、それを潜り抜けてきたから、頭脳明晰なのだ。
彼は時々、その能力の使い方を間違えているが、それはわたしも同じだ。案外、似た者同士かもしれない。
それにしても、少し前の会話で出てきた嘘の変名が気になる。わたしは知らなかったけれど連合軍向け無線放送では、わたしの氏名を勝手に変えて放送していたのだ。
そこまでやるのかと呆れてしまうが、理由はわたしの苗字だった。
「僕はあなたが日本人だと信じている。だけど、世界中にいる人間は中国人だと誤解する。間違いなく誤解する。だから、苗字を変えたのさ」
「確かに、知名をローマ字に変換したら'China'になるし、それを英語に翻訳したら中国になるけれど……。そこまでする必要があるの?」
「ある。北米大陸でドイツ人と戦っているのは、中国人だと思い込んでいる奴らがいる。中国人やアフリカ人じゃない。合衆国の国民がだ。だから、中国を連想させる苗字ではダメだ。なので、新たな苗字を選ばせてもらった」
「その苗字は?」
「'Reis'(ライス)だ。ライス・モエカ。いい名前でしょ。'Reis'はお米という意味だから日本人を連想させる。ついでに、ドイツ軍にいる有名な女性ヘリコプター操縦士の名前にも似せてみた。彼女の名前はハンナ・ライチュ、単語の綴りは'Hanna Reitsch'だ。だから、苗字はRから始まるようにしたのさ。どお?」
「……もうちょっと、可愛い苗字がいいなぁ。ネーミングセンスが絶望的に足りていませんね」
「'Ratte'(ラッテ)か'Reich'(ライヒ)が良かったかい? 大型ねずみと帝国って意味だけど」
「ライスって素敵な苗字だよね!」
わたしの手のひら返しも上手でしょ!
勢いで、余計な一言まで話してしまいそうだった。危ない。危ない。
これでは、ワサビの茎を鼻に挿し込まれても文句は言えない。
それはともかく、彼の説明を聞き終えると昨夜の舞踏会の出来事を思い出した。
わたしを「モエカ・ライス」と呼んだ人物がいたのだ。
日本海軍ではわたしのことを、階級である
なお、あの忌まわしき別名で呼んだのはマックス少佐だけだ。そして、本当の名前は知らなかった。
問題は、その変名を呼んだのは誰かということである。それが思い出せないのだ。
しばらく走ると、カイマレナ港の桟橋が見えてきた。
港の桟橋から続く道は、<武蔵>から上がってきた乗組員たちで混み合っている。昨日から許可した特別半舷上陸は、今日も続けるからだ。ちなみに、昨日は左舷側、今日は右舷側だ。
誰もが嬉々満々しているのに、わたしに気づいた途端に生真面目に敬礼していく。それが頼もしく思えるし、妙にきまりが悪い。彼らは、通常の挨拶程度にしか思っていないだろうが。
司令部を出発してから一時間弱走り続けたジープは、ブレーキ音を立てながら目的地である桟橋前に到着した。ここから先は通船に乗り換えなければならない。
わたしは、ここまで運転してくれた礼を伝えるために彼へ顔を向ける。その時、相手は何か言いたげな表情をしていた。気になったので何だろうと思いながら待っていたが、それは答え方に悩む質問だった。
「今度会えるのは、いつになりますか?」
「はい!?」
「いつ会えるのかと聞いたのです。あなたと一緒に話していると楽しいから、仕事以外の時以外にも会いたいと思ったので」
おい、照れながら言うんじゃない。
これはどう解釈しても口説き文句じゃないか!
ついでに、場所を弁えろ。
食事ぐらいならいいけれど、周りにいる乗組員たちが変な噂を立てそうだ。だから、誰もが誤解しないように言葉を選びながら話していく。
「ごめんなさい。わたしは軍服を着ている時に誘われても、私的な用事はすべてお断りしています。平民服を着ている時なら考えますけど」
「じゃあ、司令部に用がある時にグアンタナモを案内しますよ」
「そうですね。その時はお願いします」
穏便に会話を終わらせたつもりだが、その言葉を話すだけで精一杯だった。わたしも焦っていたし、頬が熱くなっていたし……。
0900時に出港する通船に乗り、わたしは一路<武蔵>へ向かう。桟橋では彼が手を振って見送ってくれた。
彼には言わなかったが、<武蔵>がグアンタナモ泊地にいる期間は長くない。
近いうちに、レイキャビクから帰って来た輸送船団と一緒に日本へ帰る予定だからだ。何しろ、<武蔵>は中破しているので、今後も戦い続けるには危ない状態だからだ。
再び彼に会う機会は無いだろう。もしかしたら、司令部に顔さえ出さずにひっそりと泊地から出ていくかもしれない。そして、再びグアンタナモに行くのか未定だ。
わたしは、文字通りに一期一会を体験中である。
だけど、何かしらの理由で彼と会わなければいけないとも予感していた。いや、確実に会わなければならないとさえ思っていた。
その時、ふと気づく。
彼と会いたい気分になるのは何でだろうと。
二〇二〇年三月から書き始め、ようやく二〇万文字を超えるまで書けました。
世間一般基準では遅筆ですが、ここまで書けたのは各話を投稿するたびに読んでくださる読者様のおかげです。また、お気に入り登録や感想までしていただき、ありがとうございます。
小説は起承転結のうち、承の段階に入ってます。次章から転の段階に入りますので、今後もお楽しみいただければ幸いです。
また、一点だけ注意していただきたいことがあります。
もかちゃんの性格や内面について、公式プロフィールに書かれてないことは本小説だけの設定です。また、BLを題材にした小説を愛読書としていた訳ではありません。何となく手に取って読んだだけです。本当に偶然なのです。
最後ですが、本年はお世話になりました。
来年もご愛読を宜しくお願い致します。