戦艦<武蔵>艦長 知名もえか(High School Fleet & Red Sun Black Cross)   作:キルロイさん

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(幕間)とある月刊雑誌の編集局長による随筆(3)

 明乃は、わたしの目の前に一枚の大判写真を置く。

 

 それには、二十人近くの児童と教員が整列した姿が写っていた。どこかの建物の前で撮影した集合写真らしい。明乃は、その児童たちのうち一人を女児を指した。

 

「この子が、もかちゃん。その右にいるのがわたし。六歳の時に撮った写真よ」

 

 それには、子供の頃のもえかと明乃が写っている。明乃本人と見比べると、彼女の顔には子供の頃の輪郭が残っていた。これが本人なのは間違いなさそうだ。そして、写真に残るもえかは屈託のない笑顔だった。

 

 彼女の説明によると、背後の建物は孤児院だという。もえかは明乃と一緒に女学校に入学するまで、ここで育ったそうだ。

 

 さて、知名もえかという女性は、毀誉褒貶(きよほうへん)が激しい人物である。当時、彼女と一緒に任務に就いた者たちだけではなく、戦時中の日本海軍を研究する好事家たちでさえ評価が真っ二つに分かれるのだ。

 

 批判者は、ウィンドワード海峡海戦における被撃沈隻数や戦闘指揮の問題を指摘する。それだけではなく、連合軍との停戦時期を誤らせたという主張までしていた。

 

 彼らの主張は、停戦時期を二か月遅くすればロンドンだけではなく、英本土からドイツ軍をドーバー海峡に蹴り落とすことが出来た筈だ。それなのに、彼女が真田中将(戦時中に昇進している)や井上大将へ余計なことを説明したから、ロンドンを奪回できなかったのだというものだ。

 

 肯定的意見を述べる者は、当然ながら批判者とは逆の主張をする。

 

 このように両者の意見がぶつかっているが、彼女の容姿だけは評価が一致している。男性であれば、彼女を妻や愛人にしたくなるような美貌だという点だ。

 

 そんな彼女の写真は何枚か残されている。そして、<武蔵>艦長の時にも撮られていた。

 

 有名な写真は、一九四九年一〇月に開催された布哇会談から横須賀軍港へ帰港した時に撮られた写真だ。それは、下艦前に米内総理大臣や山本海軍大臣、さらに<武蔵>の職長たちが集合していた。

 

 大神工廠を出渠してから二か月近く経っており、乗組員たちは巨大兵器である戦艦の操作に慣れた頃でもある。それだけではなく、無事に長距離航海を終えて母港に入港した時でもあるので、誰もが安堵した表情になっていた。

 

 この写真以外にも、元GF司令長官を務めた米内と山本に挟まれたように、三人だけで撮られた写真も残っている。いずれも共通しているのが、日本人らしい微笑を浮かべていることだ。

 

 これらの写真を見た時、知名に対して失礼ながら一つの感想が浮かんでしまう。それは、宝塚歌劇団の女優が軍服を着て撮影に臨んだ、舞台公演の宣伝用写真に見えてしまったのだ。つまり、彼女の容貌と第一種軍装が吊り合っていないように思えたのだ。

 

 違和感の正体は、彼女の顔立ちが童顔だからだと思える。これを可愛いと受け取れるか、頼りないと思えるか、その人物の立場によって様々な意見が出て来るだろう。

 

 明乃はもう一枚の写真を取り出す。今後は小判の大きさだ。室内で撮られたらしく、長机と椅子が何脚も置かれている。

 

 彼女の説明によると、ボケロン港の近くにある食堂で撮ったそうだ。その港は、カイマネラ港の対岸に位置する港である。写真にはもえか、明乃、ましろ、小太りの女性、小学校中学年に相当する女児が写っている。

 

 他にも水兵服を着た男たちが何人か写っているが、いずれも背景の一部となっている。混み合った店内で撮ったらしい。

 

 これが、本当の彼女の姿なのだろう。そこに写っているもえかは、子供の頃を思い出せるような笑顔だった。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 さて、あの海戦で彼女たちが何をしたのかを聞く前に、確かめたいことがある。それは、彼女たちがあの島にいた理由だ。

 

 世界中に展開している日本海軍の将兵ならば、誰もが人事局のさじ加減だけで派遣先へ飛んでいく。それは、昔も今も変わらない。

 

 偶然の結果かもしれないが、彼女たちがキューバ島に集まった理由が知りたかったのだ。

 

 それを尋ねると、二人揃って困惑してしまう。その色合いは明乃のほうが濃く、彼女自身が答えを求めているような様子だった。

 

 ましろの説明によると、彼女たちは帝国海軍婦人部隊(WINS)の士官であり、厳密には大日本帝国海軍の士官でないという。英海軍の王立婦人海軍(WRNS)を参考にして設立された部隊だが、実際には正規の兵科将校と同じように扱われていたのだ。

 

 なお、WINSは婦人のW、大日本帝国海軍の各単語の頭文字であるI(J)N、補助員のSを組み合わせた和製英語であり、「ウィンズ」と発音する。日本中央競馬会の場外馬券売り場とは、まったく関係ないのでお間違いなく。

 

 この部隊は、女性将兵が事務や給養員だけではなく、無線、気象予報、工廠の工作作業補助、鎮守府や国外の海軍基地の警備を担当するために設立された。

 

 WINSがWRNSより大きく進歩している点は、駆逐艦までの小艦艇限定とはいえ艦長に成れる点である。兵学校女性士官科と航海科を卒業することが条件だが、艦長まで昇進できるのは画期的だった。

 

 艦長となった女性士官たちは、特務艦に乗って日本沿岸を周航したり、対潜装備を強化した旧式駆逐艦に乗って、日本沿岸の沖合を一〇日程度哨戒して帰港する任務に就く計画だったのだ。

 

 この女性士官制度が有効に機能していれば、彼女たちの任務は海軍内で限定されていた筈だった。しかしながら、切羽詰まった戦況によって制度は拡大解釈されていく。

 

 泊地哨戒任務は国内に限定されていないという無理筋な解釈によって、<晴風>はグアンタナモで作戦行動に就いた。また、工廠に入渠中の艦艇には、誰が艦長になっても構わないという強引な解釈で、もえかが<武蔵>艦長に着任したのだ。

 

 同様の事例は戦争末期になるに従って多くなり、駆逐艦や巡洋艦で女性士官を見かけるようになっていく。

 

 なお、日本海軍は可能な範囲で彼女たちの待遇に配慮している。艦艇に乗艦できるのは士官限定にしていたのだ。

 

 下士官以下の兵員は、軍港で兵器等を整備する時に限って乗艦が許された。なぜなら、航海中に兵員たちの大部屋で、女性兵が男性兵に混じって寝るのはあまりにも危険だからだ。

 

 日本海軍とは対象的に、合衆国海軍は女性水兵を積極的に乗艦させた。相次ぐ敗退で男性兵員の絶対数が不足している状況では、男女の区別なく水兵を採用せざるを得なかったからだ。

 

 男女混合によるトラブル防止のための処置は、日本海軍に比べると極めて簡素だ。例えば、日本政府から貸与された<松>級駆逐艦の兵員用大部屋を、カーテンだけで区切っただけで終わらせた。その程度で兵員たちを男女に分けて乗り込ませたのだ。

 

 では、<春風>がグアンタナモ泊地を拠点にしてどんな作戦任務に就いていたか、駆逐艦長だった明乃に証言してもらうことにする。彼女はノートを開き、グアンタナモ泊地に到着した時のことを話してくれた。

 

「<春風>がグアンタナモに進出したのは一九四九年七月、第一次ユカタン海峡海戦の翌日でした。泊地に到着した途端、第九艦隊司令部(後に、枢軸海軍部隊カリブ海・大西洋方面総司令部、略称カリブ艦隊司令部と改称)から来た参謀が乗り込んできて、命令を下したのです。その海戦で傷ついた艦艇をパナマまで護衛しろと。到着したばかりでカリブ海域のことを把握していないのに、いきなり重大な命令が下されたのです。その時は、戦場とはこんな所なんだなと思いましたわ」

 

 彼女の証言で出てきた第一次ユカタン海峡海戦では、<土佐><キング・ジョージⅤ><ワシントン><剣><アラスカ>といった大型艦が中破以上の損傷を受けている。

 

 これらの損傷を修理するために日本もしくは豪州にある造船所か、北米大陸西海岸にあるサンディエゴ工廠へ向かわなければならない。そのため、損傷した艦艇を潜水艦の襲撃から守りつつパナマまで護衛する任務が必要になったので、<晴風>に割り当てられたのだ。

 

 なお、合衆国海軍太平洋艦隊の基地でもあるサンディエゴ工廠は、一九四八年一二月に反応弾攻撃を受けているが機能は回復しつつあった。工廠施設のうち爆心地に近い区画は放棄され、新たに船台を増築する荒業で対処しようとしていたのだ。

 

 その後、彼女はグアンタナモ泊地を拠点して様々な任務を果たしていく。主な任務は泊地周辺海域や海峡の哨戒、ねずみ輸送だったそうだ。それらの任務について、彼女は詳しく説明してくれた。

 

「まず、哨戒任務は敵潜水艦による偵察や、攻撃を阻止するためでした。防備対象がグアンタナモ泊地の場合、湾の入口から沖合の海域を低速航行で何度も往復します。そうすれば、駆逐艦の聴音機でUボート(潜水艦)のプロペラ音を探知できるのです。目標が見つからなければ、ひたすら低速で航行し続けるだけです。ですが、Uボートを探知すれば爆雷を投下しました」

 

「執念深く潜水艦を追い詰めた訳ですね」

 

「むしろ、<晴風>が追い詰められていたような状況ばかりでした。任務を続けるうちに、なぜかUボートを引き寄せる(デコイ)のような存在になっていたのです。音響追尾魚雷は追いかけてくるし、水中発射型多連装対艦ロケット弾(ディープ・マウシェン)の攻撃も何度か受けたし、散々な目に遭ったのです」

 

「よく躱しましたね。そうすると、潜水艦への攻撃はどのようにされたのですか?」

 

「僚艦か対潜専門の海軍航空隊が仕留めました。魚雷の雷跡を辿ればUボートの位置が割り出せるので、攻撃されると見つけやすいのです。そんなことが続いたので<晴風>が任務に就くと、僚艦や航空隊から『今日も景気よく潜水艦を誘ってね! モテる女は羨ましいよ』と冗談まで言われてしまいましたわ」

 

「戦果はどうでしたか?」

 

「浮上降伏させたのが一隻、それだけです。<晴風>の攻撃で損傷して浮上してきたので拿捕しました」

 

「哨戒任務はどの海域を担当されましたか?」

 

「最初はグアンタナモ湾とマエストラ湾だけでした。キューバ戦線が北上していくと、ウィンドワード海峡とケイマン海峡も哨戒するようになりました。海峡については一時的に友軍潜水艦が担当した時期もありますが、航空隊がUボートと間違えて攻撃してしまう事件があったので、駆逐艦の担当に戻っています」

 

 彼女はさらに説明を続けたが、通常では二隻で小隊を組んで担当海域を哨戒していたそうだ。僚艦は決まっておらず、その都度に編成したという。

 

 その理由は、他の艦艇が緊急で他の任務に就いたり戦没したりしてしまい、固定した小隊編成が組めなかったからだという。

 

 だから、僚艦が駆逐艦ではなく哨戒艇だった時もあるし、一隻だけで哨戒せざるを得なかった時もあったそうだ。

 

 今回の海戦が起きた頃の重点的哨戒ポイントは二つの海峡であり、<春風>は数日間哨戒すると泊地に戻って補給を済ませた。その後に新たな哨戒ポイントに向かうことを繰り返している。

 

 一方、それぞれの湾口に対する哨戒は、艦艇や輸送船団が入出港する直前しか実施していない。通常の哨戒は、対潜哨戒機だけで十分だと判断していたようだ。

 

 明乃は続いて、ねずみ輸送作戦の実情を語ってくれる。ねずみ輸送とは聞き慣れない作戦名だが、これはカリブ地方の複雑な歴史的背景が要因だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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