戦艦<武蔵>艦長 知名もえか(High School Fleet & Red Sun Black Cross) 作:キルロイさん
ボケロン港、グアンタナモ市郊外、キューバ島
一九五〇年四月二七日 午後二時二三分
グアンタナモ泊地では、泊地に錨泊する艦船を陸地を行き来できる通船が巡回している。
この船はカイマネラ港から出港すると、泊地に錨泊している艦船を廻ってからボケロン港へ向かい、カイマネラ港まで帰るのだ。
<武蔵>から特別半舷上陸休暇を取って上陸した水兵たちは、当然ながらこの通船を利用している。しかしながら、この通船に全員が乗り切れる筈ではないので、<武蔵>からも内火艇を降ろして運んでいた。
そして、わたしはこの通船に乗って再び上陸した。今回の上陸地はボケロン港だ。
グアンタナモ泊地の西岸側にあるカイマネラ港は日英が管理しているから、東岸側にあるボケロン港が合衆国が管理している。だから、仮設桟橋に立つと風にはためく星条旗がわたしを迎えて……、くれた筈だった。
残念なことに雨が降っているので国旗はしょんぼりと垂れていたのだ。午後五時に旗を降ろすまで少々みっともないが、このまま吊るされ続けるのだろう。
通船から降り立ったのは、わたし以外にもいる。そのうち、一人の中尉は重たい木箱を肩に乗せてわたしの後ろへ付いてくる。それは、わたしの副官である伊東中尉だ。
「中尉、木箱の中にはガラス瓶が入っているから気を付けてね」
わたしが声を掛けると「大丈夫です」と返事が来るが、彼にとって少々重い荷物だったようだ。
何しろ、水兵たちは食糧庫から漬物をぎっちり詰めた樽や米袋を、肩に載せてラッタルを昇り降りしている。それだけではなく、重い機銃弾を弾薬庫から素早く運んでくる訓練を毎日行っているのだ。
並の筋力しかない士官は、彼らのような筋力に勝てない。これは事実である。
それを承知の上で中尉に荷物を運ばせている理由は、目的地で彼にご褒美をあげようと考えていたからだ。
わたしたちが仮設桟橋を歩いていくと、それが接続する岸壁へ接岸中の駆逐艦に視線が向かう。
その駆逐艦は、岸壁に設置された小型起重機で次々に物資を積み込んでいる。わたしが通りかかった時には、艦首にある発射機の前に揚重用のバスケットが置かれていた。
そのバスケットに駆逐艦の乗組員が群がり、次々に砲弾を降ろしている。あの発射機は七式散布爆雷投射機なので、降ろしているのは対潜迫撃砲弾のようだ。
開戦前に駆逐艦の側面にカタカナ文字で大きく書かれている艦名は、戦時中の防諜対策で塗りつぶされている。だが、その艦名をわたしは知っている。
その名は<晴風>だ。
特型の<吹雪>級駆逐艦の後継として建造された、甲型の<陽炎>級駆逐艦の一隻であり、カリブ海だけではなく紅海や印度洋で戦ってきた歴戦の駆逐艦だ。そして、わたしにとっても思い出深い駆逐艦である。
この駆逐艦に乗っていた時に真田提督と出会い、夜間にドイツ海軍と砲火を交えたのだ。それだけではなく、その以上に過酷な経験もしてきた。
ペルシャ湾で
そして、穴だらけになった駆逐艦で荒天海域を突破してコロンボまで航行する、冒険紀行のような任務までやり遂げたのだ。
その時の状況は今でも鮮明に思い出せる。
絶望的という言葉すら生易しいと思えた。
被弾して穴だらけになった天井や硝子板が砕け散った窓から、容赦なくわたしを叩きつける風雨。羅針盤は根本から折れ、海図は雨水でふやけて使い物にならない。六分儀で艦位を測定しようとしても、荒天では測りようがない。
無線で救援を頼もうとしても、無線機は被弾によって破損している。空中線は海水を被っているので使い物にならない。艦は押し寄せる波によって揺さぶられ、操舵機や伝声管を掴んでいないと転がりそうになるくらい酷い揺れだ。
その時、わたしは波浪によって駆逐艦が浸水しないか、それ以前に<晴風>はどこにいるのか、確実にコロンボへ向かっているのか、そんな事をしか考えていなかった。
そして、艦橋の死傷者の代わりに配置についた水兵たちを、励ましつつ任務に専念させることも考えなければならない。それが一昼夜続いたのだ。
わたしが出来たのは、波頭が迫ってくる方向に向けて艦首を向けたこと。プロペラの回転数を調整して、駆逐艦の揺れを最小限に抑えようとしたことだ。
艦内には被弾による負傷者が多数いる。彼らを安静に治療させるためには、それが最善の選択だからだ。
なお、荒天海域を突破した後は六分儀による天測情報と海図だけで艦位を測定し、何とかコロンボ港が見えるところまで辿り着いたのだ。
偶然なのか、コロンボ港の沖合に潜伏していた潜水艦に襲撃されたが、爆雷で反撃に成功している。
そして、入港して錨を下ろした時から、わたしの記憶は無くなった。
その後、目に映ったのはコロンボにある病室の天井だったのだ。後で聞いたところ、わたしは即席露天艦橋のような艦橋で崩れるように倒れたのだとか。
そもそも、
この時に中佐が期待していたのは、わたしが泣き詫びながら頭を下げることだったと思う。これは、わたしの推測であり中佐から聞いた訳ではない。だから、わたしは素直に<晴風>へ乗り込んだ。中佐の欲望を受け入れたくなかったからだ。
そして、退院して遣印艦隊司令部へ任務への復帰を報告した時に、その中佐へ礼を言った。
「中佐のおかげで、わたしは身体に潮気を染み込ませてきましたし、大人の階段も一段昇れたようです。このことは一生忘れません。誠にありがとうございます」
わたしの嫌味が効いたのか、中佐は何も答えずに目を泳がせているだけだった。
もし、「俺と一緒にもう一段登ってみないか?」と言い出したら、本気で平手打ちするつもりだったが。
その後、その中佐と顔を会わせる機会は無かった。彼は所用で一式陸攻に便乗した時に、機体と一緒に消息を絶っていたからである。
実は、この一件で驚いたことがある。英海軍がわたしを称賛し、
その時から日本海軍における、わたしのような女性士官たちの立場が変化したのだと思う。
今ではいい経験になったと思う。だけど、損傷駆逐艦で荒天海域を突破するのは二度と御免だ。
そんな風に感慨深げに<晴風>を見上げていたが、中尉に声を掛けられて我に返る。
わたしの目の前には
思い込みとは恐ろしいものだ。それより、灯台側からの再三にわたる警告を無視して突進するのは頭がおかしいとしか……。そんな事は、どうでもいい。
わたしは進路を変えると、港の敷地から市街地に続く門に向かって歩いていく。その門の両隣りから有刺鉄線で仕切られた柵が延々と続いている。つまり、この門が唯一の出入口となる。
門の市街地側では、雨に濡れるも関わらず子供たちが十人以上も立っており、門を通る将兵たちに向けて口々に声を掛けていた。それを聞くと、極寒の氷原や密林の奥深くで暮らしていても、子供は愛らしくて素直な生き物なのだと実感させられる。
この子たちは、「アメダマ、チョーダイ」とか「ギブ、ミー、チョコレート」と叫んでいたのだ。
そんな可愛い歓迎を受けて、わたしは油紙で包んだ黒砂糖を配っていく。先日にミケちゃんから教わっていたので、前もって用意してきた。
だが、この子たちが黒砂糖を口に含めた途端に不思議そうな顔つきになる。それだけならまだしも、一人の男の子は吐き捨ててしまったのだ。
なんでだろう?
この子たちへ理由を聞きたいのだが、残念ながらスペイン語が話せない。わたしは、納得できないまま立ち去る事しか出来ないようだ。
わたしは気を取り直すと周囲を見回し、ミケちゃんかシロちゃんを探そうとする。
門の市街地側で待っている筈なんだけどと、記憶を思い出しながら首を回していく。その時に意外な者を見つけた。
甘い物に群がる子供たちとは離れた商店の軒下で、雨宿りするように女の子が一人でポツンと立っている。その女の子が大きな紙を掲げていたのだ。
その紙には幼さが溢れる日本語で大きく書いてあった。「ちなもえか」と。
わたしは女の子の前に立つと、英語で本人だと名乗ろうとしたが一瞬遅かった。その前に女の子が、眼を見開きながら問いかけてきたのだ。「ママ?」と。
わたしは、この女の子の母親では無いし、それ以前に子供を産んだ経験さえ無い。落ち着いた声で「違う」と告げてから名乗ると、女の子はしょんぼりしてしまう。
だが、その子は気を取り直すとわたしの手を掴み、先導するように歩いていく。
「行こう。シロ、待っている。ミケ、後から来る。だから、あたし、連れてったげる」
その娘は、わたしの同期たちが待つ場所へ案内してくれるようだった。
◇◆◇◆◇
わたしが案内されたのは、ボケロン港から徒歩で数分の距離にある飲食店だった。
最近になって建てられた建物のようだが、雨音が店内に反響するので安っぽい造りのようだ。そして、店内の備品は中古品をかき集めてきたらしく、どれも古めかしく見える。
そんな店内には店主と思わしき、年配で肥満体型な女性が客席に座っていた。どこから手に入れたのか「祭」と大きく書かれたうちわで涼んでいる。
調理室から物音がするので覗いてみると、一人の女性が包丁で食材を手際良く捌いていた。
「お久しぶり。今、着いたよ」
「ようこそ、常夏のグアンタナモ食堂へ」
彼女はわたしの同期の一人であり、同期のうち主席で卒業した
わたしは伊東中尉と一緒に、木箱からガラス瓶を取り出していく。透明なガラス瓶にはドロリとした褐色の液体が入っているので、中尉は得体の知れない生物を見たような表情で聞いてきた。
「何ですか、これは?」
「ソースだよ。ウスターソース」
「ソース? それを運ばされたのですか?」
「そのソースは濃厚な味付けなのよ。まあ、騙されたと思いながら待ってて」
そんな、わたしたちの会話に気づいたのか、シロちゃんが近寄ってくる。彼女は瓶の王冠を開けると小皿に注ぎ、匂いを嗅いだり味を確かめたりすると満足気な表情になった。
このソースは、シロちゃんが求めていたウスターソースだったのだ。
「これよ、これ。こんなウスターソースが欲しかったのよ」
「浅草から持ってきた甲斐があったわ」
「中尉、重たい荷物を持って来てくれてありがとう。お礼に、もかちゃんの隠し事をたっぷりと教えてあげるわ」
「それだけは、止めて!」
シロちゃんならともかく、ミケちゃんまで加わると話が大袈裟になるし止まらなくなるからだ。先日の舞踏会で適当なことばかり話して得意になっていたのに、自分に関わる話では正反対のことを言い出すとは……。
我ながら都合の良い女だと自己嫌悪してしまう。でもね、このままだと威厳ある艦長として形作ってきた、わたしの人物像が崩れてしまうでしょ!
「ところで、ミケちゃんは? あと、あの娘は?」
「ミケちゃんは遅れて来るそうよ。昼前に緊急輸送が決まったから、急いで出港準備をしているって。この娘はスーちゃんって言うのよ」
そういえば、桟橋に接岸中の<晴風>は物資の揚重作業中だった。
こんな状況ならば同期会の日時を改めるべきだが、わたしが近いうちに日本に帰るので次の日時が決められない。また、わたしたちのうち誰がが、明日戦死することもあり得る。
ならば、僅かな時間しか取れなくても同期会をやるべきなのだ。
さて、わたしをここまで案内してくれた女の子が気になった。その娘の目線に合わせるようにしゃがむと、微笑みながら話しかけた。
「へえぇ、スーちゃんって言うんだ。いい名前だね」
「うん、ありがと」
「日本語が上手だね?」
「うん、ママに教わった」
「そうなんだ。教えて、何でわたしを『ママ』って言ったの?」
「だって、ママに見えた……」
それを話してくれた途端に、スーちゃんのつぶらな瞳から涙が溢れてくる。聞いてはいけないことを聞いてしまったらしい。
その子をなだめようとするが、その時に聞き覚えある声が降ってきた。
「あ~あ、また女の子を泣かせちゃった。女泣かせの中尉が大佐になっても泣かせるなんて、今までどんな教育を受けてきたのかしら?」
「ミケちゃんと同じだよ!」
顔を上げると見覚えある顔が目に映る。
数日ぶりの再会した、<晴風>駆逐艦長のミケちゃんだ。
この日の彼女は機嫌が良く、彼女の冗舌は勢いに乗っていた。そのせいで、伊東中尉へ一言余計な事実を吹き込んでしまう。
「もかちゃんは女癖が悪い奴なのよ。今までに年下の女学生たちを何人も泣かせたり、蕩けさせたりしてきたんだけど、知ってた?」
「はうっ? あ、いや、何となく予想していましたが、具体的に聞いたのは初めてです。それで、うちの艦長は何人ヤッて……。いや、泣かせてきたですか?」
「中尉、いい質問よ。女学生たちを、ひい、ふう、みい」
「スト────―ップ!」
これ以上、ミケちゃんに喋らせると大変だ。
そんなミケちゃんの漫談は、シロちゃんが両手を叩いて強制終了させる。同時に、ささやかな同期会の開催を告げたのだ。
シロちゃんは食材を刻む作業に戻り、ミケちゃんはここに持ち込んだ食材で料理を始める。こうなると、わたしはシロちゃんが加工した食材を焼く係になる。
だから、わたしは調理室にあるフライパンを掴んでみた。それは、長年に渡って使い込まれてきた形跡があるが、握り手はがっちりしている。これなら、少々乱暴に振っても問題なさそうだ。
わたしがそれを握った時、興味津々な顔で中尉が話し掛けてきた。
「艦長、<晴風>艦長の話はどこまで本当なんですか?」
わたしは、大きく溜息をついてしまう。
そもそも、わたしが女学生たちを泣かせるようになったのは、紅海から荒天海域を突破して生還した事実を、どこかの新聞社が掲載した時から始まった。
それを読んだ女学生たちは、手紙を書いてわたし宛に送ってくれたのだ。全国各地から届いた手紙は
業務の合間に時間を作って一通ずつ返信したおかげで、数年後になると日本海軍に志願する女学生が増えたと聞く。
だが、今でも自問自答している。果たして、わたしは彼女たちの人生にとって最善の進路を示したのだろうかと。 なぜなら、わたしが直接泣かせた訳ではないが、彼女たちは幾度も泣いてきたからだ。
教練の厳しさで泣いて、上官たちの叱責で泣き、大海原で心細くなって涙を流してきた。いまでも、戦場のどこかで泣いている筈だ
わたしは、そのような経緯を中尉に説明していくが、彼は意外そうな顔になっていく。いつもは、そんな表情をしないので不思議だ。
その理由を聞いてみると、予想していない答えが返ってきた。
「艦長は女にしか興味が無いって噂を、耳にタコができるくらい聞いています。だから、女学生に手を出してもおかしくないかと」
「貴様が妄想しているような、変な事はしとらんぞ!」
「大丈夫です。口が堅いのが自慢ですので、誰にも言いません」
どうやら、中尉は何か大きく勘違いしているらしい。
そもそも、わたしが女学生たちを蕩けさせたのは、純真無垢な心だけだ。
彼女たちの腰回りには指一本触れていない!
いや、彼女たちのお尻を引っ叩いたことはあるけれど、それは教育の一環だ。胸を触ったこともあるが、減るもんじゃない。まったく問題無い。
だが、それを説明する前に中尉が喋っていく。困ったことに、彼は誤解したまま余計な一言を言い出したのだ。
「それで、艦長は矛と盾のどっちが得意なんですか?」
まったく、どうして男って奴は、そっち方面への妄想力が強いんだ?
これ以上は許さん。
エロい煩悩に塗れた貴様を修正する!
わたしが使い込まれたフライパンを握り直し、中尉のお尻に愛情込めて根性注入を遂行した。