戦艦<武蔵>艦長 知名もえか(High School Fleet & Red Sun Black Cross) 作:キルロイさん
第四〇話
カラカス中心街、首都カラカス、ヴェネスエラ連邦
一九五〇年四月二六日 午後六時一九分
日時は一日前まで遡る。
グアンタナモで天元節の予行練習を兼ねた、舞踏会が開かれている頃だ。
この時刻にヴェネスエラ連邦の首都カラカスの道路を、数両の自動車が走り抜けていく。
興味深いことに、ヴェネスエラの小さな国旗が各車両の前方に掲げられていた。この車列が高官を乗せた政府専用車の一団なのは明らかである。
各車両に掲げられている国旗を見て、国名を言い当てられる日本人は極めて少ない。そもそも、ヴェネスエラという国は、ほとんどの日本人にとって見知らぬ国家の一つともいえる。
後年、「エル・システマ」の発案国として音楽教育関係者が注目するようになる。だが、それでも日本人全体のごく一部だ。だからこそ、当時は外務省の職員や海運業関係者しか耳にしたことが無い国名だった。
当然ながら、第三次世界大戦が勃発するまで日本陸海空軍の士官たちも、興味を示していない。主戦場は中東地方だと想定しており、カリブ海で連合軍と激戦を繰り広げる事態なんて、予想すらしていなかったからだ。
そんなヴェネスエラは、今日も平穏な日常が続いていく。
主戦場であるキューバ島から一四〇〇キロも離れているからだ。だから、カラカスでさえ灯火管制をしておらず、家屋から漏れる明かりが路上に零れていた。
酒場から活気に溢れた笑い声が聞こえ、くだを巻く酔っ払いが外壁に背中を預けるながら路上へ座り込んでいる。そして、道路を挟んだ商店の庇にいる猫が、そんな泥酔者を呆れた様子で見下ろしていた。
さすがにこの時間帯になると、路上を歩く者は少なくなる。この国が戦禍に巻き込まれていないとはいえ、夜間の治安は悪いからだ。夜間に若い女性が一人で歩けるくらい、治安が保たれている地域は非常に少ない。
そんな街路を、政府専用車が走っていく。この車列のうち、前後の警護車に守られながら走るリムジンの後部座席に、二人の高官が深々と座席に腰掛けていた。
面白いことに、路上の喧騒が別世界と思えるくらい、リムジンの車内は静かである。二人とも押し黙っているのは、これから話し合う相手への対策を十分に打ち合わせしているからだ。
間もなく車列は、経過した年月によって渋みを増したレストランの前に停車する。店内には蝶ネクタイを締めた給仕が待機しており、重厚な扉を開けると店内へ高官たちを招き入れた。
この日のレストランは、彼らの会談のために貸し切られている。
だから、室内には高官たちと給仕、さらに目的人物である一人の男しかいなかった。調理室にはコックたちがいるが、調理に専念しているので姿は見えない。
高官たちの目的である人物は待合室におり、テーブルの前に置かれたソファーに座っていた。
彼は高官たちが店内に入ったことに気づくが、顔を上げることなく手を動かし続ける。トランプカードをシャッフルしていたのだ。
その様子を見て、国防大臣のヒメネスは怒りを覚えた。彼が世界有数の強大国の威容を背負っているとしても、この態度は非礼を越している。ヒメネス個人だけではなく、ヴェネスエラ政府を見下しているとも言えるからだ。
だが、ヒメネスに同行しているもう一人の高官は微笑を浮かべつつ、目的人物に向かい合うように別のソファーに座る。彼は招待者の尊大な態度より、彼の要件に興味があるからだ。というより、それしか興味が無い。
そんな高官に倣って、ヒメネスは腹立ちを抑えながら隣に腰掛ける。ヒメネスが不満を漏らさなかったのは、もう一人の高官が彼の上司だからだ。
彼らが着席すると、それまで口を閉ざしていた招待者が言葉を発した。
「待ちくたびれましたよ。カルボー大統領」
「そうかね? 予定時刻より少々早く着いた筈だが」
「我が国が貴国を、世界を舞台にしたゲームへ招待しているのです。なのに、中々参加していただけないからです」
「ドイツ語で書かれたルールブックを、辞書を片手に読んでいたから時間が掛かってしまったのさ。わたしは、英語とフランス語しか読めないのでね」
「ご相談いただけたら、わたしが口頭で説明しました。それ以前にドイツ語を読めなければ、ルールブックだけではなく世界情勢さえ読み通せません」
「君のようなドイツ人に教えたいことがある。フランス語の辞書には『不可能』という文字は無いのだ」
招待者はカルボーの嫌味に肩をすくませ、その場を誤魔化すためにトランプカードを配り始める。
カルボーはヴェネスエラで生まれたフランス系移民の子孫であり、その血筋に誇りを持っていることを忘れていたからだ。そして、フランス人がドイツ人に対して、尊敬とは対極的な感情を抱いていることも。
その理由は、彼らが大ドイツ帝国の二級国民として扱われているからだ。
かつて、フランス人はナポレオン・ボナパルトという男によって、欧州を制覇した実績がある。それは過去の栄光なのだが、それ故にドイツ人の足元にひざまずくのは屈辱的とさえ思っている。
だから、フランス人がドイツ人へ反感をぶつけるのは、日常的とも言えた。もちろん、双方の力関係を理解しているので露骨に態度で示すことは稀であるが。
忘れてならない事だが、フランス人とドイツ人の仲が良好だった時は一度も無い。
さて、招待者はカルボーたちの前に、裏返したカードを五枚並べると手順を説明する。
最初に、ガルボ―たちが招待者から見えない様に、トランプの絵柄を読み取る。その後、五枚すべてをトランプカードの山に戻す単純な作業だ。招待者はトランプマジックを披露しようとしていた。
二人は言われたとおりにカードの山に戻す。すると、彼は慣れた手裁きで十分にシャッフルし、一枚を取り出した。
「大統領が選ばれたのは、このトランプですね」
そのトランプには奇妙なことに、
ある動物が描かれていたのだ。淡黄褐色の背中に花柄のような斑点を纏う、獰猛な肉食獣が。
それを見た途端に高官たちは表情を変えるが、二人の反応は対称的だった。ヒメネスは破顔し、ガルボ―は懐疑の眼差しを向けたのだ。
さっそく、ヒメネスは好感を込めた口ぶりで話し始める。
「
「大欧州連合軍の一員となっていただければ、すぐにお渡しできます」
「どのくらいの時間で?」
「一日あれば十分です。カラカスの外港である、ラ・グアイラ港に中立国籍の旗を上げた貨物船を泊めています。だから、短時間で陸揚げできます」
「ほほう、素晴らしいではないか。こんな戦車が我々の」
ヒメネスは微笑みながら話していくが、それを遮るようにガルボ―は会話へ割り込んでいく。
彼が招待者の術中に嵌まりかけているからだ。
「用意周到だな。交渉が成立しなかった場合、その戦車や陸軍部隊を夜闇に紛れて上陸させるのか?」
「そのまま帰るだけです。良からぬことは考えていません」
「そもそも、君たちの狙いは何だ? 原油はルーマニアのプロイェシュティやロシアのバクーで採れるし、合衆国のメキシコ湾岸でも採れる。我が国も輸出しているし、十分な量を供給している筈だ。原油以外の理由で我が国に近づいてくる理由が分からない」
「石油は幾らあっても足りません。戦場へ到着するまでに失ったり、後方で軍需物資を生産したりするのに必要だからです」
「本当に足りないのは原油なのか? 正確に言えば、ガソリンや灯油ではないのか? 今日はお互いに腹を割って話そうじゃないか。リッベントロップ外相」
その言葉を聞いた途端に、大ドイツ帝国外務大臣は言葉を詰まらせる。
ガルボ―の指摘は、大ドイツ帝国が抱える問題点を突く言葉だったからだ。
◇◆◇◆◇
原油から精製されたガソリンや軽油は、第一次世界大戦を境にして重要な戦略物資として位置づけられるようになった。そして、現在では、産油地と輸送手段の両方を守り切った陣営が、戦争に勝利すると言われている。
当然ながら、ドイツもこの戦略物資を重要視している。
そのため、将兵たちの血肉と引き換えるようにして、ルーマニアのプロイェシュティ油田や旧ソ連のバクー油田を獲得したのだ。
第三次世界大戦も同様に、支配地域で産出する石油資源を獲得する計画だった。ところが、開戦前の予想が成立しない事態に直面しているのだ。
なぜならば、北米大陸の産油地域は大陸全体のうち、一部の地域に集中しているからである。
北米大陸の主な産油地域であるメキシコ湾岸では、日英米枢軸軍と大欧州連合軍が激戦を繰り広げている。砲撃や爆撃等で破壊された石油採掘機器を修理しても、新たな攻撃を受けてしまうので放置状態にせざるを得なかった。
また、合衆国のカルフォルニア州とカナダ中部にも産油地域があるが、いずれも日英同盟軍の支配地域にある。強固な防衛線で囲まれているので、ドイツ軍機甲部隊ですら容易に近づけない。
このような状況なので、原油や各種石油製品は欧州や親独寄り中立国である南米諸国から、調達せざるを得なかった。なお、膨大な量の原油が埋蔵されている中東地方は、昨年末に枢軸軍に奪取されている。
そして、この問題に伴って、別の重大な問題が燻りつつあった。
それは、原油から各種石油製品を生産する石油精製工場である。
そもそも、地中の奥深くに埋蔵されている原油は、採掘された直後の状態では焚火にくべる燃料としか使えない。船舶や車両を動かすための燃料、冬季の生活に欠かせない暖房器具、石油化学素材を使用する部品を製品するためには、原油を精製しなければならないのだ。
だから、石油精製工場が必要になる。この工場で原油を精製することで、重油、ガソリン、灯油といった各種の石油製品が生み出されていく。
問題なのは、合衆国にある殆どの石油精製工場が戦禍によって損傷しており、再稼働していないのだ。
そのような状況なのに、戦場ではガソリンや灯油が湯水のように消費されている。
このため、合衆国で生産した銃火器や戦闘車両が燃料不足のために、前線に届けられない事態が発生しつつあったのだ。
石油精製工場を修理して再稼働させるには、非常に時間が掛かる。
その理由は幾らでも挙げられた。
最初に挙げられるのは、合衆国陸軍による破壊工作だ。彼らが西海岸に退却していく際に、これらの工場を破壊したのである。
事実、精製作業にとって重要な蒸留塔には穴が開いているし、配電盤や電線は黒く焦げていた。ドイツ人技術者たちが調査した際に、小手先の修理では再稼働できないと悟ったのだ。
次に挙げられるのは、工具や部品の規格の問題だ。ヤード・ポンド法で建設された機器を修理するためには、メートル法を採用しているドイツ規格の工具や部品は使えない。
だから、ドイツ人技術者たちはヤード・ポンド法に基づいた部品を、合衆国で製作することを考えたのだ。だが、この手段も諦めざるを得なかった。
合衆国にある機械工場は、他の部品を作る余力が無いくらいに軍需品や民需品を生産している。現時点では、石油精製機器の部品製作さえ割り込ませられないのだ。
それだけではなく、省庁間の対立も災いしていた。北米大陸を支配しているドイツ北米総軍の権限が強すぎて、軍需省の管轄である石油精製機器は後回しにされていたのである。
そのため、彼らは新たな方法を考えた。欧州で石油精製機器一式を製作し、合衆国に輸送して据え付けようとしていたのだ。
しかしながら、この方法は非常に時間が掛かる。半数以上の工場が再稼働できるのは、冬季を迎える頃だと予想されていた。
これが、ドイツにとってアキレス腱になりつつある問題だったのだ。
読者様はお気づきかと思われますが、今回は「ベネズエラ」という国名を「ヴェネスエラ」で書きました。
前者は日本国外務省による公式呼称、後者は現地語の発音に近い名称です。
また、本作では史実どおりにガルボ―が大領領として登場しています。しかし、「パナマ侵攻」では、ガルボ―から数えて二代後に就任するヒメネスが大統領になっています。
このあたりの歴史改変事情が読み解けなかったので、史実のままとしました。