戦艦<武蔵>艦長 知名もえか(High School Fleet & Red Sun Black Cross)   作:キルロイさん

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第四一話

カラカス中心街、首都カラカス、ヴェネスエラ

同日 午後六時二八分

 

 

 

 ガルボ―たちが会場と定めたレストランは、第二次世界大戦前にフランスから移住してきた家族が開いた店だった。

 

 ヴェネスエラで本格的なフランス料理が味わえる、カラカスにある名店として人気がある料理店でもある。

 

 ガルボ―がこの店を選んだのは、彼がフランス系移民の息子だからという理由だけではない。カラカス市内ではこの店の他に、まともな欧州料理が食べられる店が少ないからだ。

 

 会談の出席者たちが揃ったので、給仕は彼らを食堂に案内していく。そして、彼らが着席すると食前酒を注いだグラスを食卓に置いた。

 

 室内の白熱灯によって磨かれたワイングラスは照り輝き、レストランが吟味した食前酒も淡く輝いている。それを、ガルボーは手に取ってリッベントロップに語り掛けた。

 

「今日の会談が貴国と我が国の双方にとって、実りある結果を生む出すことを期待しましょう」

 

「わたしも、それを期待しています」

 

 そう言うと、彼らはグラスを傾けていく。

 

 皮を剥いた葡萄だけで仕込まれた果実酒は芳醇な香りを鼻孔に充満させ、一口飲むと舌を躍らせていく。食前酒が吟味されているのであれば、この後に続く料理も期待できるだろう。

 

 前菜はヴェネスエラで採れた食材を調理した一品だった。さすがに、自然豊かなヴェネスエラでも育たないトリュフは、他の食材で代用しているが。

 

 二番目の皿はフランス料理の定番とも言えるエスカルゴだ。それを見て、リッベントロップは目を丸くした。

 

「ほう、こんな南国でエスカルゴが出て来るとは」

 

「意外か? カタツムリはフランスの植民地に必ず生息している」

 

「カタツムリなら何でも食べられる訳ではない筈ですが」

 

「わたしの父から聞いた話だが、フランス人が食用に適したカタツムリを植民地にばら撒いたからだそうだ」

 

「なるほど。未だにドイツ人がフランス人に勝てないのは、料理への情熱と女の口説き方ですからな」

 

「欧州の覇者にしては謙虚な言葉だな」

 

「なあに、覇者の余裕です。偉大なるヒトラー総統と精強な帝国軍ならば、いずれ枢軸軍をカリヴ海に蹴り落とせるのですから。そのために、総統はニューヨークで反攻作戦を指揮されるのです」

 

「何だと!?」

 

 今日の午後に、ヒトラーが最新鋭超々々弩級戦艦(フォン・ヒンデンブルグ)に乗ってニューヨークに着いた情報は、ガルボ―たちも部下から聞いている。

 

 しかし、その理由までは知らなかった。

 

 意外な事実を聴いた二人は、お互いに顔を見合わせてしまう。彼らや部下たちは、ヒトラーの目的が将兵たちの慰労や視察だろうと予想していたからだ。

 

 困惑する二人を交互に眺めつつ、リッベントロップはワインを一口だけ飲む。それから、一気に雄弁になると言葉の矢を放っていく。

 

 誰がどう見ても、ドイツ側に好機が訪れた瞬間だった。交渉相手に遠慮する必要は無い。

 

 だから、彼は相手に考えさせる隙を与えずに自らの思惑を押し通そうとしていった。それは、シャンパン輸入会社の社長時代に辣腕を振るった、阿漕な商人らしい言動と言える。

 

 リッペンドロップの要求は二点だった。

 

 一点目は日英米枢軸陣営への石油供給停止。二点目はヴェネスエラが大欧州連合陣営に参加することだ。その対価として、ドイツは北米戦線で運用している兵器をヴェネスエラに提供するという。

 

 その提案はヴェネスエラにとって魅力的であるが、劇薬でもあった。日英米枢軸陣営を敵に回しかねないからだ。

 

 現時点では戦争の勝敗が明確になっていないので、一方の陣営に固く結びつくのは危険だった。外交の舵取りを誤れば、国土を戦渦に巻き込むことにも繋がりかねない。

 

 そんなリッベントロップの要求に受けて立つのは、ヒメネスの担当だ。ガルボ―から交代した彼は、相手の煽りに乗せられつつも的確に発言していく。

 

「順番が違う。まず、あなたたちが枢軸軍をパナマまで押し返すことが先だ」

 

「わたしも同じことを言わせていただきます。順番をよく考えてください。連合軍が枢軸軍を撃退した後に、同盟を申し込まれても遅すぎます。このまま戦争が終結すれば、我が国(ドイツ)はブラジルやアルゼンチンを優遇します。これらの国は中立を維持しながらも、我が国の戦争遂行に協力しているからです」

 

「優遇とはどういう意味かね?」

 

「合衆国東海岸の石油市場に、ブラジルやアルゼンチンを優先的に開放するという意味です。貴国(ヴェネスエラ)は農産物や畜産物だけ合衆国へ輸出できることになるでしょう」

 

「我が国(ヴェネスエラ)も原油を連合軍に供給しているし、油槽船でカリヴ海を超えて合衆国東海岸まで運んでいる。それを忘れては困る。今月も中立国の油槽船が攻撃を受けているのだ。中華民国とペルーが一隻づつだ。そもそも、無差別潜水艦戦の宣言してカリヴ海を危険な海域にしたのは、どこのドイツかね?」

 

「お言葉ですが、貴国(ヴェネスエラ)は原油を高値で売りつけているだけです。それに対し、かの国々(ブラジルとアルゼンチン)は我が国(ドイツ)に協力的です。だから、戦争終結後に合衆国の石油市場で優遇するのは、ブラジルとアルゼンチンだけになるでしょう。そのように総統が申されています」

 

「我が国(ヴェネスエラ)が日英米からの圧力を防ぎながら、貴国(ドイツ)へ尽力している事実を無視すると言うのか?」

 

「総統の方針ですから。しかしながら、貴国(ヴェネスエラ)は別の方法で我が国(ドイツ)に貢献することができます」

 

 貢献だと! 幾ら国力に圧倒的な差があるとしても、その言い方は常識的に有り得ない。

 

 日本の平田という外交官も失礼な奴だが、目の前に座っているリッペンドロップはそれより遥かに無礼だ。平田は、食後のデザートを一人で全部食べてしまった程度だ。

 

 ヒメネスはそんな事を考えつつ、リッペンドロップの話を聞き続けていく。

 

「貴国(ヴェネスエラ)には合衆国から譲り受けた、石油精製機器の開発技術があると聞いております。それを我が国(ドイツ)に公開していただきたいのです。我が国(ドイツ)と共同で石油精製工場を建てる案も用意しています」

 

「……貴国(ドイツ)の提案は受けられない。断る」

 

「良くお考え下さい。貴国(ヴェネスエラ)には原油蒸留塔を製造できる重工業施設がありますか?」

 

「これから作るのさ。原油を売り上げた利益で、蒸留塔を製造する施設を建設する」

 

「原油を汲み上げられたとしても、相手先が受け取らなければ利益になりません」

 

「原油を売る相手は幾らでもいる」

 

「日英米枢軸陣営がカリヴ海から追い払われたとしても、同じことが言えますか?」

 

 今度はヒメネスが言葉を詰まらせてしまう。そして、ガルボ―も答えられなかった。

 

 これが、ヴェネスエラがドイツに握られている弱点だったのだ。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 ドイツがヴェネスエラに求めている事項は幾つかあるが、最大目的は各種石油製品を増量させることである。そして、ヴェネズエラが維持したいのは合衆国東部の石油市場だ。

 

 すなわち、需要側であるドイツと供給側のヴェネスエラによる、利害衝突とも言える。

 

 だが、ドイツ側の要求事項がリッベントロップという男を経由すると、なぜか意味合いどころか目的まで変化してしまう。

 

 彼の口から出てきた要求は、日英米枢軸陣営への石油供給停止と、大欧州連合陣営への参加だ。さらに、石油精製工場の共同建設案まで付け足されている。

 

 リッベンドロップが適当な事ばかり言っているのではない。彼にとって最良のプランを提示しているつもりなのだ。

 

 彼にとって大欧州連合への加盟は、ドイツの平民が貴族階級に仲間入りするのと同等の価値があった。また、ヴェネズエラが石油製品を増産するのを様々な面から支援するために、石油精製工場を提案したのである。

 

 だが、ヴェネズエラにとって大欧州連合陣営への加盟は、断固拒否しなければならなかった。両陣営が石油資源を戦略物資として認識している以上、一方の陣営に加われば対抗陣営から攻撃されるのは自明の理である。

 

 そして、石油精製工場の技術公開や共同建設案は、受け入れられない提案であった。

 

 もし、ドイツの提案を受け入れた場合、「設計技術者」や「建築責任者」といった肩書を持つ怪しげな者たちが、次々に上陸しそうだからだ。彼らは、ドイツがどのようにオーストリアやチェコスロヴァキアを併合していったか、十分に学んでいた。

 

 そもそも、ヴェネズエラが中立を保ちつつ自由貿易を続けているには、国家戦略が確固たるものだからである。

 

 かつては、輸出できる農産物が珈琲豆とカカオ豆しかない貧しい農業国。一九一四年にマラカイボ湖で世界最大級の油田が発見されてから急速に発展してきた石油輸出国。そして、将来は中南米の周辺国家を従える覇者になるべき強国。そのような国家を目指していた。

 

 そこまで強気になれるのは、国民の気質によるものだけではない。

 

 この国は第三次世界大戦の勃発前まで、産油国として合衆国に次ぐ世界第二位の座にあったからだ。そして、合衆国や中東が戦乱によって原油の輸出ができなくなった現在、この国は世界最大の産油国になっている。

 

 そんな歴史を歩んできた国家が合衆国東部の石油市場から締め出され、以前のように貧しい農業国に戻る訳にはいかなかった。好んで貧乏人になるような者はごく僅かだからだ。

 

 そんな成長過程を一歩ずつ踏み上がっていくヴェネズエラへ、合衆国東部を支配したドイツが急接近してきた。ヴェネスエラを組み易し相手と判断して。

 

 だから、外交的儀礼であれば外務大臣が出席するべき会談に、この国の実権を握るガルボ―大統領とヒメネス国防大臣が出席している。すべては、ドイツの外交的圧力に立ち向かうためだ。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 会食会を兼ねた会談は、進行と休憩を繰り返して三時間以上も経過している。その出席者たちは双方ともに、妥結してでも今日中に交渉を成立させるつもりだった。

 

 だが、現状では圧倒的にドイツ側が有利であった。

 

 国力の大きな違いによるものではなく、単純にガルボ―とヒメネスの交渉が下手なのだ。そもそも、彼らは軍部出身なので適確な命令は下せても、相手を意図を覆すような交渉術を持ち合わせていない。

 

 それに対して、シャンパン輸入業者の社長から転身したリッペンドロップは、ドイツの上流階級に認められた巧みな話術を駆使していく。ヒトラーから成果を期待されていない男であったが、ガルボ―たちにとって手強い相手であったのだ。

 

 だから、二人は追い詰められる一方である。このまま交渉を続けると、ガルボ―たちの思惑はすべて抑えられるのは明らかだった。

 

 最終的には、「はい」か「後日に引き延ばす」のどちらかしか選択できなくなるだろう。

 

 このため、ガルボ―は交渉戦術を練り直すために休憩を提案し、待合室でヒメネスと打ち合わせしていた。

 

「ヒメネス、軍はどうなっている?」

 

「既に全部隊へ警戒命令を出しています。ラ・グアイラ港に何隻か貨物船が泊まっていますが、すべての貨物船に魚雷艇を張り付かせました。不審な行動を始めたら即時に雷撃します。陸軍も迎撃戦を準備しています」

 

「いや、それだけでは足らない。ヴェネスエラにいる外国船籍の貨物船すべてを、現時点で出港禁止にして一隻残らず臨検させろ。荷役中ならば一時的に止めても構わん」

 

「はい、明朝から臨検を始めるようにします」

 

 ヒメネスが待機中の部下へ指示していく間に、ガルボ―は巻き煙草を取り出して一服を始める。紫煙がゆっくりと立ち昇る様子を眺めながら、リッベントロップへの対抗手段を模索していく。

 

 虚言なのか真実なのか分からないが、リッベントロップは中立国に偽装した貨物船で戦車を運んできたと伝えている。それだけではなく、ヒトラーがニューヨークで反攻作戦を指揮するとまで語ったのだ。

 

 それを言葉にしたのは、ヴェネスエラを舐めているのか? それとも、ドイツの石油事情が危うい証拠なのか? いずれにせよリッベントロップは、ガルボ―たちの予想以上に踏み込んできている。

 

 もちろん、ヴェネスエラにとって都合の良いことばかり並べる訳にはいかない。交渉の妥結点を設けなければならなかった。

 

 ガルボ―とヒメネスの意見が一致したのは、日英米枢軸陣営への石油製品供給停止と、その割り当て分を連合陣営に回すことだ。枢軸側が事情を申し立てた時には「荷役設備の故障」といって誤魔化す予定だ。

 

 また、この程度で枢軸陣営がヴェネズエラへ、武力行使をする可能性は少ないと判断している。むしろ、連合陣営への供給を増やすと外貨収入が増えるだ。

 

 ヴェネスエラは、両陣営へ石油製品を輸出する条件を幾つか定めている。その一つに、外貨による直接決済しか認めていなかった。

 

 その条件によるものか、枢軸陣営はヴェネスエラの石油製品を大量に買い求めてこない。

 

 それに対して、連合陣営へは多量であるにも関わらず、常に外貨紙幣で即日決済していたのだ。ヴェネスエラ側からすれと、連合陣営(というよりドイツ)が多額の外貨を抱えている事実に驚くくらいだ。

 

 しかしながら、これはヴェネスエラ側が知らない事実があった。

 

 ドイツは()()()()()()()()()()を印刷しており、これで決済していたのだ。もし、ヴェネスエラが金銭的価値の裏付けが無い紙幣だと見破ったとしても、ドイツ人は気にしていない。

 

 今は戦争中であり、法律や秩序は狂った者が作る。誰かがそのように歌っているそうだが、ドイツはそれを文字通りに実践していた。

 

 ここまでカルボーたちの意見は一致するが、石油精製工場については意見が割れてしまう。ヒメネスは明確に反対したのだ。

 

「わたしは反対します。工場の共同建築だけではなく技術公開も含めてです」

 

「石油精製技術は公開しようと考えていたが」

 

「ドイツ人相手に大盤振る舞いするのは……」

 

 彼らが話題にしている石油精製工場技術は、ヴェネスエラ独自のものではなく合衆国が育ててきたものである。それを、戦時中の混乱を利用して手に入れたのだ。

 

 合衆国南岸に逃げてきた石油技術者たちを、難民として受け入れてヴェネスエラに連れてきた。同時に、石油技術者たちを石油精製関連の技術を持ち出させたり、製作中の機器を運び出させるようなことまでしたのだ。

 

 平時であれば、国際法に違反する悪辣な手段として裁かれるのは確実な行動である。

 

 だが、ヴェネズエラはそれを無視したまま、マラカイボ湖の湖畔に石油精製工場を建設してしまう。そして、試行錯誤しながら石油製品の増産を達成してしまったのだ。

 

 そんな技術をドイツは求めていたのだ。だから、ガルボ―は公開するつもりだったのだ。

 

「石油会社からの報告では、あの技術資料は近い将来に落書き帳程度の価値しか無くなるそうだ。だから、完全に価値が無くなる前に、奴らへの切り札として使おうと考えていた」

 

「連中は合衆国東部に幾つもの石油精製工場を持っていますし、欧州にもあります。だから、石油精製技術は握っているのです。それなのに、我々にその技術を求めるのは裏がある筈です」

 

 ヒメネスの疑問は、石油事情に詳しい者なら当然の疑問だった。

 

 原油を精製する段階について、産油国で精製されて石油製品として輸出される場合と、原油のまま輸出されて消費国で精製される場合がある。そして、圧倒的に後者が多い。

 

 各地で求められる石油製品の成分や添加物の分量が微妙に異なるからだ。日本を例に挙げると国内向けガソリンや軽油は、九州の暖地向けと北海道の寒冷地向けで異なる。

 

 そのようなニーズに産油国側では応じきれないので、消費地側で精製するのだ。

 

 そして、これらの工場は合衆国だけではなく欧州にも点在している。つまり、連合陣営も石油精製工場を建設できる技術を持っていた。それにも関わらず、リッベントロップが執拗に要求する理由が分からなかったのだ。

 

 この時点でガルボ―たちは、合衆国における石油精製工場の実情を把握していない。

 

 世界中に点在する石油精製工場のうち、合衆国にある工場の割合は1/4も占めている。その殆どが、稼働出来ない状態だったことに。

 

 だから、彼は少々的外れな推測をしていた。

 

「我々が握る資料の価値を過大評価しているのだろう」

 

「大統領のご決断に、わたしは従います」

 

 ガルボ―の方針を聞くと、ヒメネスは素直に従った。

 

 彼が腕時計を覗くと午後十時を過ぎようとしている。日付が変わる前に交渉をまとめる決意で、ガルボ―たちは食堂に戻っていく。

 

 これが、彼らにとっての戦争だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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