戦艦<武蔵>艦長 知名もえか(High School Fleet & Red Sun Black Cross)   作:キルロイさん

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第四二話

エンパイア・ステート・ビルディング、ニューヨーク市、合衆国

同日 午後七時一九分

 

 

 

 大ドイツ帝国の総裁という職業は、一般的常識を持つ人間では理解しにくい職業である。

 

 なぜなら、総統としての仕事が務まる者は僅かしかいないからだ。別の表現にすると、一般的教養しか持っていない凡人には、不向きな職業なのである。

 

 そんな職業へ好んで就いた酔狂な奇人は、ニューヨーク市に到着してからも多忙な日程をこなしていく。

 

 彼はこの地に滞在中の限られた時間で、政界や財界が主催する歓迎会への出席、欧州連合北米総軍の将官たちが居並ぶ会場での演説をしなければならないからだ。さらに、北米戦線の視察や、極秘の目的も果たさなければならない。

 

 そんな日程を組んでいる大ドイツ帝国総統は、彼のために企画された演説会で熱弁を振るっていた。

 

 演説会には、ドイツ北米総軍の将官たち、在米ドイツ人の代表者や合衆国の政治・経済界の重鎮、そしてヒトラーと共に大西洋を渡って来た者たちがいる。

 

 そのうちの一人に、ドイツ軍需相を務めるシュペーアがいた。

 

 彼は聴衆席の高官専用席に座り、ヒトラー総統の演説を聞いていたのだ。

 

 彼の演説は、始まってから一時間近く経過していた。高音域にある男声と演説技術で聴衆たちの心理を、恍惚(こうこつ)状態に誘い込んでいる。そろそろ、感動的な終幕(クライマックス)にするために、聴衆たちの心理を最高潮に押し上げていく時間帯だ。

 

 だが、ナチス政権の高官たちにとって、それは定期的に聴かされる演説と変わらない。姿勢を正して真剣に聴き続けようとするが、集中力が切れてしまうのは避けられなかった。

 

 それは、彼の隣に座る国家宣伝相のゲッペルスも同感だったらしい。とうとう、シュペーアに向けて無駄話を始めたのだ。

 

「なあ、シュペーア。このビルに案内された時、何を考えた?」

 

「僕は背筋が凍ったよ。総統がベルリンに帰るって言い出さないかヒヤヒヤした」

 

「それは無いんじゃないか? 次の予定があるし。俺は、このビルを今すぐに爆破しろと言い出さないかって、ハラハラしてたんぜ」

 

「合衆国人は本当に知らなかったそうだ。総統が鉄筋コンクリートで造った巨大建築物が大嫌いだってことに」

 

「なぜ、そんな事情を知っている?」

 

「講演前に合衆国側の主催者を呼んで聞き出した。彼は総統へ嫌味や皮肉をぶつける意図は無く、純粋に歓迎するつもりだったそうだ。嘘は言ってなさそうだった」

 

 彼らがいる場所はニューヨーク市の中心街にあるマンハッタン島、その島に建てられた世界一の高さを誇るエンパイア・ステート・ビルディングの大広間である。

 

 そして、ヒトラーはこれらの高層建築物を「醜悪な建築物」と捉えており、非常に嫌悪していたからだ。だから、シュペーアたちは、ヒトラーが怒り出さないか心配していたのだ。

 

 ヒトラーが高層建築物を嫌う理由を、シュペーアならば次のように説明するだろう。

 

 すなわち、「ドイツ人が建てる建築物は千年経過して廃墟になったとしても、ドイツ民族と帝国の繁栄を後世に語り継ぐ、美学的に優れた建築物にしなければならないのだ」と。

 

 これは、「廃墟価値理論」と呼ばれるものである。

 

 シュペアーは、ベルリン官庁街を大規模改造する計画(ゲルマニア・プロイエクト)を立案している。現在では、後任のヴェルヘルム・クライスに交代しているが、だからこそ計画の概要を説明できるのだ。

 

 ヒトラーが念頭に置いた建築物は、ギリシャ時代の神殿やローマ時代の競技場であった。それらの重厚な建築物は二千年経過しても、かつての超帝国の繁栄を物語っている。それを、世界の覇者に成らんとする大ドイツ帝国で再現しようとしていたのだ。

 

 建築関係に携わる者なら、彼がそのような発想に至った理由も理解できるだろう。

 

 鉄筋コンクリートで作られた建物は五〇年程度の寿命しか無いし、老朽化で内部の鉄筋が錆色を浮き出していく。それは、治ることが無い皮膚病に襲われた患者を彷彿させる。

 

 だから、ゲルマニア・プロイエクトに基づく建築物の多くが、新バロック様式の外観を持つ巨大石造建築物になっているのだ。

 

 しかしながら、合衆国人は高層建築物に対して、ヒトラーとまったく異なる見方をしている。彼らは、新世紀を迎えた新大陸に相応しい、新たな経済戦争に勝利するための城砦だと認識していた。

 

 だから、合衆国人はヒトラー氏を精一杯に歓待するために、「醜悪な建築物」の代表格であるエンパイア・ステート・ビルディングで、演説会と歓迎会を企画したのである。

 

 シュペアーから事実を聞かされると、ゲッペルスは呆れた口調で会話を続けた。

 

「何だ、知らなかっただけか。こんな形で嫌味をぶつけてくるなんて、合衆国人も度胸が据わっているなと思ってたんだが」

 

皮肉と嫌味の効果的活用(ブリティッシュユーモア)は英国人の得意技だ。合衆国人は英国人のように、心が病んでいない(ひねくれていない)

 

「まあ、ある意味で合衆国人は単純だからな。小細工せずに正面からぶつかってくる。こちらとすれば、連中の次の手が分かりやすいから、宣伝する甲斐があるぜ」

 

「それにしても、今回の件で純粋と無知は、壁紙の裏表のようなものだと実感したよ」

 

「おっ? 詩人の言葉が出たな。それで、誰の言葉だ?」

 

 この質問を受けると、建築家である父の子息は微笑みながら答えた。

 

「僕の親父だ」

 

 二人が雑談を続けるうちに、ヒトラー総統の演説は熱を帯び始めていく。講演の終幕段階に入ったのだ。

 

 すると、聴衆席から「ジーク・ハイル」とか「ハイル・ヒトラー」の声が聞こえ始めた。聴衆の一人が自発的に席を立つと、波紋が広がるように他の聴衆たちも立ち上がっていく。

 

 その様子を見て、ゲッベルスは微笑みながら頷く。

 

 ヒトラーが実戦している聴衆扇動術は、国家宣伝相が研鑽して昇華させたプロパガンダ技術の一つでもある。それが見事に成果を現わしたのだから、微笑みを漏らさずにいられなかったのだ。

 

 違う立場の者から見れば、悪徳を企む微笑と表現するだろうが。

 

 シュペーアも講演会場に立ち込める空気に合わせて立ち上がり、右腕を前へ伸ばすナチス式敬礼でヒトラーを称え始めていく。

 

 彼にとって、ナチス政権への忠誠を唱えているつもりはない。未知朦朧の生物が生息する政治の世界で権力を掴み続けられるのは、ヒトラーの後ろ盾があるからだと自覚している。

 

 だから、彼は個人的信念でヒトラー個人を称えていたのだ。それについて、他者からの批判に耳を傾けるつもりは無かった。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 講演会が拍手万雷で終わると、続いて懇談会が始まった。

 

 ヒトラー総統に会場に入ると、たちまち彼の周りに人だかりが出来ていく。

 

 彼に挨拶したり、記念として一緒に写真に収まりたいと考える者たちが集まっていくからだ。それには、自己利益に繋がる思惑を果たそうとする者たちも混じっているが、ヒトラー総統は分け隔てなく応じていった。

 

 意外に思えるかもしれないが、ヒトラーは懇談会に参加したくなかったのだ。 ベルリンから快適な船旅で移動してきたとはいえ、長旅による疲れは残っている。また、講演会での熱弁で体力を消耗していたので、疲労はピークに達していた。彼の本心としては、ホテルの自室でベッドに寝伏したかったのだ。

 

 それでも、彼が懇談会に姿を現わしたのは、合衆国における彼の存在を明確にするためである。

 

 何しろ、この戦争によって大ドイツ帝国の版図はあまりにも急膨張しており、総統の姿を写真や動画でしか見たことがない者が続出しているからだ。そのような者たちにとって、いつまでもヒトラーへの忠誠を誓うのは難しい。逆境に遭うと反抗的になるのは歴史が証明していた。

 

 そして、シュペーアにも自然に人が集まってくる。

 

 軍需相という肩書が持つ権勢もあるが、彼は少々訛りがある流暢な英語を話せるからでもある。つまり、合衆国人にとってヒトラーより面倒事を気軽に打ち明けられるのだ。

 

 それは、合衆国の実情を肌感覚で掴める絶好の機会なのか、面倒事を次々に抱え込まされるだけなのか、判断しかねる状況でもある。それが延々と続いていく。

 

 そもそも、彼はこの視察に動向する必要は無かった。

 

 彼はこれまでに何度か訪米しており、この年の一月にも視察に訪れていたのだ。

 

 その目的は、いつもどおりに合衆国各地にある工業地帯の軍需物資や民需物資の生産状況と、前線で不足している物資を把握することだった。特に、五大湖沿岸にある工業地帯は重点的に実施している。

 

 だから、今回はベルリンで留守を預かってもよかったのだ。だが、ヒトラーに例の男が同行すると聞いた時、即座に彼も同行することを決意した。

 

 その男とは「総統の拡声器」と陰口で嘲られる男、国民宣伝相のゲッベルスだ。

 

 シュペーアにとって人格的に反りが合わないが、仕事(プロパガンダ)に対する熱意や天才的才能には一目置いている人物でもある。友人には成れないが敵に回したくない男だった。

 

 事実、彼の宣伝技術は超一流であり、敵対勢力へ有効な一撃に値する威力を持っている。

 

 問題なのは彼自身が、敵対勢力だけではなく共闘すべき仲間にも一撃を与えていることが、多々生じていることだ。それが、無自覚なので余計に面倒なのである。

 

 総統と同行中に余計な事を吹き込んだり、些細な問題に脚色つけて重大な問題に仕立て上げたりしてしまう。そのような騒ぎを何度もしているので、シュペーアは用心していたのだ。

 

 彼にはそんな事情があったが、合衆国人とって関係無いことである。 だから、シュペーアに対して遠慮なく愚痴や文句をぶつけていく。だから、彼は遂に耐えかねてしまい、理由をつけて会場から逃げてしまった。

 

 しばらく会場に戻らないつもりで通路を歩いていくと、偶然にも見知った顔に出くわす。その人物は、ヒトラーの個人副官を務めるギュンシェだった。

 

 シュペーアは、すかさず話し掛けていく。

 

「やあ、ギュンシェ君。ニューヨークの夜を楽しんでいるかい?」

 

「今日はそんな余裕が無いです。仕事じゃない時にじっくり楽しみたいですよ」

 

「そうだな。その時にはニューヨークの面白い所を案内してあげよう。ところで、一つ聞いていいかい?」

 

「何でしょうか?」

 

「総統宛に電文が届いていないか?」

 

 それを聴くと、ギュンシェは表情を渋らせる。だが、すぐに返事しなかったのは職務に対する忠誠と、彼自身の思惑がせめぎ合っていたからだ。

 

 ほんの数秒で考えを巡らすと、彼は答えた。

 

「他の方々に、自分から聞いたと言わなければ」

 

「分かった。約束しよう」

 

「二件届いています。一件目はリッペンドロップ外相からです。内容は『ヴェネスエラとの交渉開始。出席者は大統領と国防長官』です」

 

 この件はシュペーアも知っているが、彼は外務省による成果を期待していなかった。

 

 これまでに、ことごとく外交交渉に失敗してきた外務省が、漁夫之利(ぎょふのり)を狙っているようにしか見えなかったのだ。

 

 合衆国の工場を兵器生産に専念させたい北米総軍と、軍需品や民需品をバランスよく生産させたい軍需省による対立。その機会を利用する、()()()()()()()()()()()()()()外務省。

 

 大ドイツ帝国は一党独裁の政治体制であり、党首兼総統であるヒトラーしか国家の全体像を把握していない。それは、権力者や省庁間に生じる利害の調停権限を、彼しか握っていないことを意味している。

 

 だから、常に権力者同士や省庁間による不必要な対立が生じてしまうのだ。そして、それらの問題を解決できる、ヒトラー個人への従属体制が強化されていったのだ。

 

 当然ながら、シュペーアもその一人だった。ヒトラーがいなければ軍需品や民需品の生産計画は簡単に破綻する。軍や親衛隊が横槍を入れてくるのは目に見えているからだ。

 

 しかし、彼にとって石油精製に関する諸問題を短期間で解決するために、ヒトラーが北米総軍ではなく外務省へ外交交渉を命じたのは意外である。

 

 シュペーアには見えない事実が、ヒトラーに見えているのだろう。それしか考えられない命令だったのだ。

 

 シュペアーは一瞬だけリッペンドロップの顔を思い浮かべると、ギュンシェから話の続きを聞き出そうとしていく。

 

「二件目を教えてくれ」

 

「軍事情報なのでお伝えできません」

 

「分かった、ありがとう」

 

「いや、ここで構わんから報告したまえ」

 

 シュペーアの発言を覆すように別の声が被さると、ギュンシェだけではなくシュペーアも背筋を冷やしてしまう。

 

 いつの間にか、彼らの総統(マイン・フューラー)がいたのだ。

 

「ギュンシェ、便所(トイレッテ)はどこだ?」

 

「あ、あの角を曲がって右側にあります」

 

「ついでに、電文について報告しろ」

 

「はい、一件目は」

 

「リッペンドロップからではないか?」

 

「は、はい。そうです」

 

「報告は省いてよい。儂は外務省に期待していない」

 

「えっ!?」

 

 それを聞いた二人は、驚きの声を漏らしてしまった。

 

 二人の脳内で幾つもの疑問符がぐるぐる廻っていくが、ヒトラーはそれに構わずに話し続けていく。

 

「二件目を報告してくれ」

 

「はい、北米艦隊司令部(NAF)からの報告です。『作戦開始に向けて艦隊行動中』」

 

 ヒトラーは笑みを浮かべながら頷き、シュペーアに顔を向けると話し始めた。

 

「シュペーア、儂が考えた作戦計画の一部を特別に教えてやろう。リッペンドロップをヴェネスエラに送ったのは欺瞞作戦でしかない。数日以内に戦況を一気に好転させる作戦を始めるためだ。目標への攻撃開始は払暁(ふつぎょう)とした。奴らは朝食を食べる余裕さえ無いまま、大打撃を受けて戦意を失うだろう。お前に話せるのは、ここまでだ」

 

「分かりました」

 

「ついでに、もう一つ教えてやろう。作戦名だ」

 

「是非、教えてください」

 

 ヒトラーは、無邪気な子供が宝物を見せびらかすように、眼を輝かせながら作戦名を明かした。

 

射手座の矢(サジタリウス)だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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