戦艦<武蔵>艦長 知名もえか(High School Fleet & Red Sun Black Cross) 作:キルロイさん
ハバナ港、ハバナ市、キューバ島
一九五〇年四月二六日 午後九時四五分
キューバ共和国の首都であったハバナは、戦前と変わることなく島内の最大都市として活気に満ちていた。
市街地に面しているハバナ港は、合衆国東海岸や欧州から伸びてきた海路の終着点であり、起点ともなる港である。そして、陸路との結束点でもあり、戦前から貨物や乗客の往来が活発だったのだ。
戦時中である現在では、その内容がガラリと変化している。貨物が砂糖キビやハバナ葉巻から軍需物資に変わり、乗客が合衆国からの用務客や観光客から連合軍将兵に変わった。その程度の変化だ。
これは、ハバナの商人にとって大きな違いでは無い。
キューバ島の商人たちにとって、枢軸軍や連合軍の軍人たちも商売の対象と見なしているからだ。
ハバナ港の貨物取り扱い量増加は、港湾労働者たちの利益に繋がる。さらに、貨物船や艦艇の乗員を相手にしている商売は、それらの寄港回数が増加すれば繁盛していくからだ。
それだけではない。古今東西、各級将兵たちは金払いが良いし値切らない。誰が言い出したのか知らないが。
そもそも、軍隊には見栄を張るために金を掛ける士官と、金の使い方が下手な兵士がいる。そんな者たちを上手に
だから、上客である軍人相手の商売を始めるために、周辺の農村地帯から人々が集まってくる。そんな素人商人たちを相手にする商売も生まれ、ハバナは益々活況が広がっていった。
そのような、金や欲に眼が眩んだ商人たちとは対照的に、ドイツ軍や欧州連合軍を冷めた目で見つめる者たちもいる。ハバナで長らく暮らしている住人たちだ。
ハバナ市内を縦横に走る街路には、鉄十字旗と欧州連合に参加する各国の軍旗が掲げられている。また、戦争による傷病人を頻繁に見かけるようになってきた。
それだけではない。市街地上空を通過していく枢軸軍の大型爆撃機を、見上げる機会が増えてきた。その爆撃機は、市街地近郊にある軍関連施設を空襲する途上か帰航中なので、市街地に爆弾の雨を振らすことは少ない。
海岸線に押し寄せる波のように戦禍が近づいてくるのは、誰もが皮膚感覚で把握できる。それは、住人だけではない。この島で戦っている連合軍将兵たちもだ。
枢軸軍の空襲が活発になったのは、数か月前に戦線をシエンフエゴスとサンタ・クララを結ぶ線まで後退させたからだ。この結果、枢軸軍は爆撃機にジェット戦闘機の護衛がつけられるようになり、戦略爆撃を活発化したのである。
しかしながら、連合軍士官たちに悲壮感は漂っていない。
彼らにとって戦線を後退させたのはミスであり、戦況判断を誤ったからだと認識している。だが、その失点は再度の攻勢で打ち消せると考えていたからだ。
士官たちがそのような認識なので、戦況を見渡せない兵士たちも戦況を好転させられると信じていた。
そして、出港時間の十五分前に夜戦艦橋に登った男も、そのような考えも持っている士官たちの一人だった。
◇◆◇◆◇
彼が航海艦橋に着くと、既に配置に就いていた副長が報告を始める。
「艦長、報告です。艦内異常無し、機関の蒸気圧正常、出港準備良し」
「宜しい。出港時間まで待機」
「了解」
副長からの報告を受けると、彼は航海艦橋からハバナの街並みを眺めていく。
灯火管制によって、すべての灯りが消えている。実際には室内が明るい筈だが、窓と呼ばれるもの全部に黒いカーテンで堅く閉じているからだ。
それでも、彼には朧気ながらバハマの街並みが眼に映っている。淡い月明かりによって。
夜空に浮かぶ月は、どの建物にも等しく月光を浴びせていたからだ。飢えた老人を救うために自らの身体を食料としたウサギは、今でも人間の飢えている心をを平等に満たしたいらしい。
月光はハバナ市街地の至る所へ届き、旧市街にあるバロック様式のサン クリストバル大聖堂やビエハ広場を照らしていた。さらに、城砦都市ハバナの名に相応しく、幾つのも要塞を照らしていたのだ。
そして、ハバナ港に浮かぶ艦艇も例外ではない。彼の
月光に照らされているのは航海艦橋だけではなかった。両舷にある両用砲、航海艦橋の前方にある二基の主砲塔、艦首にある錨鎖まで等しく照らされていた。
彼はハバナ市街地を眺め終えると、航海艦橋にいる面々を確認していく。月の光を浴びている水兵たちは、誰もが真剣な表情を保ったまま出港時間を待っている。
そこでは、軽い冗談でさえ場違いに思えるような張り詰めた空気が漂っていた。
その雰囲気に気づくと、彼は心の中で呟く。
無理も無い。この
そんな航海艦橋にいる面々のうち、副長だけは別格である。艦長は何気なく副長へ話し掛けた。
「副長は、久しぶりの実戦だと聞いているが」
「はい。ノバスコシア南西沖海戦(枢軸軍呼称:ファンディ湾海戦)以来です」
「あの海戦は夜戦だったな。今回も夜戦になると思うが……」
「あの時は酷い目に遭いましたが、今回は気楽に勝ちたいです」
副長は軽やかな口ぶりで語るが、その右手から指を何本か失っている。開戦劈頭に生起した、合衆国大西洋艦隊とドイツ北米艦隊による水上砲戦で、彼は負傷していたのだ。
そんな副長に向けて、艦長は艦長職として求められる台詞を並べていった。
「そう願いたい。情報では大多数の艦艇が空母機動部隊に加わっているから、グアンタナモに残っている艦艇は僅かだそうだ。隻数では勝っているが、油断は禁物だ」
「そういえば、黄色い猿は莫迦なので高度な計算が必要な、遠距離砲撃や航空戦は下手だって言われていました。これも油断ですな。今となっては、そんな噂を誰も信じていません」
カリブ海で一年近く激戦を続けているのに、決定的勝利を掴められない。そんな現実を突きつけられると、枢軸海軍の主力である日本海軍を過小評価するほうが莫迦だ。
それは、副長だけではなく艦長も同意見である。
二人がそのような雑談を続けているうちに、航海員が緊張感が残る声で時刻を告げた。
「間もなく、出港予定時刻五分前です」
ほぼ同時に、彼らが乗艦する艦艇より一回り小さな大型艦艇が、発光信号を放つ。それは、彼らにとって大した内容ではなかった。あらかじめ準備を済ましていた事だからだ。
「旗艦<ビスマルク>より信号。『出港用意』」
彼は信号員の報告を聞くと、ただちに号令を発する。
「出港用意、錨揚げ」
艦首側から鋼鉄同士が擦れる金属音が響き出し、両舷にある錨鎖と錨が巻き上げまれていく。
海底の泥も一緒に巻き上げられてしまうが、錨鎖の脇に立つ乗組員がホースから流れる海水で洗い落としていった。
この艦隊の駆逐艦は一時間前に出撃し、ハバナ港の沖合で対戦掃討中だ。だから、一斉に出港していく艦艇は軽巡以上の大型艦ばかりとなる。
最初にハバナ運河に入ったのは、軽巡<マインツ>だった。コルベルク級二番艦として建造され、カリブ海で
続けて運河に入ったのは、歴戦の戦艦<ビスマルク>だ。この艦隊の旗艦であり、第二次世界大戦で英海軍本国艦隊に大打撃を与えた戦績を持つ戦艦でもあった。
<ビスマルク>に続くのは、<フォン・ブロンベルグ>と<フォン・フリッチュ>だ。
いずれも、建造中にドイツに鹵獲された元英海軍の<キング・ジョージV>級戦艦である。就役後には<デゥーク・オブ・ヨーク>と<アンソン>と命名される筈だった艦艇だ。
同型艦は五隻建造する計画だった。一番艦の<キング・ジョージV世>と二番艦の<プリンス・オブ・ウェールズ>は英海軍で活躍中だ。前記のとおり、三番艦と四番艦は建造中に鹵獲され、五番艦<ハウ>は建造が中止されている。
その後に続く戦艦は、ドイツ海軍ではなくフランス海軍の戦艦だった。
リシュリュー級の<リシュリシュー>、改リシュリュー級の<ガスコーニュ>である。小隊を組むべき同級艦が被雷等で修理中のため、臨時に小隊を組んでいたのだ。
性能面で大きな違いが無いので、戦隊が組み易かったという面もある。
この二隻の戦艦が微速前進で運河に向かっていくと、港内に残る大型艦は彼が指揮する戦艦だけになる。最後尾の<ガスコーニュ>が通過していく頃、出撃順を待っていた艦長は命令を下した。
「微速前進」
彼が指揮する鋼鉄の
艦長は港内の障害物に細心の注意を払いながら、バハマ運河へ艦首を向けていく。月夜とはいえ、暗灰色で塗られている艦艇は夜空と区別しづらいからだ。
特に、彼が指揮するのは戦艦なので、すぐに針路変更できないから注意が必要である。何しろ、港内には貨物船も停泊しているから、それに衝突するような事故を起こしてはならない。
それだけではない。この戦艦は就役してから四ヶ月しか経っておらず、この戦艦の操作に慣れていない乗員が多い。艦長の命令に対して乗員たちがもたつく有様なのだ。
艦長にとって訓練不十分なまま出撃するのは不満だったが、彼の機嫌を損ねること無く新鋭戦艦は進んでいく。
月光を浴びた新鋭戦艦の艦首側には主砲塔が二基装備され、艦尾側には主砲塔一基がある。いずれの主砲塔も四五口径一六インチ砲三連装だ。左右舷にはそれぞれ五インチ連装両用砲が四基づつ装備され、機銃も装備されている。
ここで、ドイツ海軍の兵装に詳しい者ならば疑問に思うだろう。メートル法を採用しているドイツ海軍が、ヤード・ポンド法で作られた兵装を装備している理由だ。
それは、この戦艦を建造したのは、東西に分かれて交戦中の合衆国だからである。
書き加えると、この戦艦は合衆国の政治的思惑に翻弄されてきた。それは、一九四〇年の合衆国大統領選挙で、ニュー・ディール政策を推進してきたフランクリン・ルーズベルトが、落選した時から始まった。
第三三代合衆国大統領に就任したウェンデル・L・ウィルキーは、合衆国の孤立政策を推進する一方で、米独不干渉協定を締結する。同時に、ドイツを刺激しないようにするために軍事予算を削減したのだ。
その影響で合衆国海軍の建艦計画は大幅に見直され、この戦艦は建造を中断した。船体はほぼ出来上がっていたので進水したが、艤装工事は省略される。そして、造船所の沖合で赤錆を浮かべたまま、解体予算が付くのを待ち続けていたのだ。
そんな戦艦を、ドイツ軍が見逃す筈がなかった。彼らは艦内すべてを調査して、大きな損傷が無いことを確かめると艤装工事を再開したのだ。
さらに、艤装期間を短縮するために元の図面に手を加えず、合衆国の兵装をそのまま搭載したのだ。さすがに、無線装置や電測射撃装置はドイツ製に変更しているが。
戦艦はハバナ運河の水辺にあるカバーニャ要塞を通過していく。大ドイツ帝国軍キューバ軍団司令部が置かれている要塞だ。
さらに、運河の出入口に位置するプンタ要塞とモロ要塞を通過すると、洋々たるメキシコ湾に躍り出た。
既にハバナ港の沖合では、旗艦<ビスマルク>を中心にした対潜陣形が組まれていく。彼の戦艦も速やかに陣形に加わらなければならない。
「速力一五ノット」
戦艦は<ビスマルク>を追うように増速していく。
その時、艦長はふと思った。
問い掛けても、鋼鉄の艟艨《どうもう》である彼女は答えない。それに答えたとしても、彼女の心境は彼しか理解できないだろう。なぜなら、彼も彼女と同様で、合衆国の政治家たちに翻弄されてきたからだ。
日本海軍の大和級戦艦を撃破するために計画された戦艦は、その目的どおりに大和級戦艦二番艦<武蔵>と対決すべく、速度を増していった。