戦艦<武蔵>艦長 知名もえか(High School Fleet & Red Sun Black Cross) 作:キルロイさん
グアンタナモ泊地、キューバ島、カリブ海
同日 午後二時
早朝に入港したのに自分の足で上陸するまで、あっという間に時間が過ぎ去るとは思っていなかった。
今まで何をやっていたのかと振り返ってみれば、<武蔵>各科の職長との会合、第三と第四一駆逐隊の艦長達との会合、白布や旭日旗に包まわれて<武蔵>から下艦する戦友達への送別をしていたからだ。
さらに、被害損傷個所の目視確認、戦闘航海中に目を通せなかった書類への捺印、その他様々な用事を片付けていた。
何しろ、<武蔵>にはわたしの補佐であり、代理艦長にもなる副長がいない。
母港の横須賀を出航した時には乗艦していたが、航行中に原因不明の熱病に罹ってしまったからだ。艦内の医務官では手の施しようがなかったので、仕方なく合衆国太平洋岸の港町であるサンディエゴで降ろして病院に送ってしまったのだ。
<武蔵>において、副長の代理は内務長、砲術長、航海長、機関長の順に定められている。
だが、内務長以下の誰もが<武蔵>の戦闘能力を少しでも早く回復させようとして、必死になって修理や点検作業に取り組んでいる。本当に誰も余裕が無い。
当然ながら、代理の副長がパナマやグアンタナモに居る訳が無く、完治した副長がここに来るまでわたしが面倒事を全部引き受けなければならない。
さて、わたしは何件か案件を抱えている。そのうち最優先で対処すべき案件は、少しでも早く第一機動艦隊に合流して空母の護衛任務に復帰することだ。第一機動部隊司令部からそのように命令されているからだ。
そのためには燃料や資材が必要だ。だが、昨晩にグアンタナモ基地へ連絡しているが、昼前になっても基地側から何の動きも無い。基地にある信号所へ催促の信号を送るが、返信は「シバラク待テ」だ。
わたしたちが欲しいのは戦闘中に消費した燃料、真水、両用砲や機関銃の弾薬だ。
可能であれば摩耗した機関銃の交換用銃身、艦艇に開いた穴を塞ぐ鋼板や木材といった補修用資材も欲しい。それらは艦内に備蓄しているが、それだけでは不足するからだ。更に、欲を言えば工作艦による修理作業も受けたかった。
状況が不明なので主計長自ら他の駆逐隊の主計士官を引き連れて上陸したが、今度は彼らが行方不明になっている。一体どこに向かったのか……。
別の案件もある。ここは日本本土から遠く離れた異国の地だが、日本海軍と日本人特有の暗黙の了解という常識が支配している地域ということだ。
国家公務員である官僚組織と軍隊の常識、出身地が異なる余所者だからという理由だけで排除しようとする村社会のような日本人社会の常識、そして、鉄錆のように自然発生して簡単に削り落とせない暗黙の了解だ。
国外に滞在する日本人の集団に自ら参加しようとする時に、どこでも経験することである。
そもそも、暗黙の了解とは年長者や実力者が自分勝手な固定概念や常識を、他者に押し付けて成立する事がほとんどである。だから、理屈が通用しない。
おまけに、これらの者が神様の気まぐれによる転生実験の試験体に選ばれても、後継者が新たな暗黙の了解を制定する。船底にへばりつく富士壺のように非常に厄介だ。
とはいえ、軍隊特有の超閉鎖的な組織への対処法は幾らでもある。
その一つは意外に簡単な事だが、担当士官へ挨拶して短時間で済む簡単な会話をすることだ。これだけで相手の心証が良くなり、組織へ入り込めるきっかけができる。
もし、今回の作戦が第一機動艦隊の勝利で終了したとしても、すぐに日本本土へ帰れるとは思えなかった。もしかしたら、戦争終結を迎えるまでグアンタナモを拠点にして作戦行動を続けるだろう。
ならば、今のうちに司令部勤務の士官と仲良くなっておくべきだ。
だから、わたしは副官を引き連れて<武蔵>艦尾に向かうと格納庫から
この港の岸壁に隣接する建物に基地の派出所が置かれているからだ。
その行動は実に奇妙な現実を示すものでもある。電報や無線が発達して情報伝達が容易になっている筈なのに、相手の表情を見ながら会話したほうが多量の情報を正確に伝達できるのだ。
別の見方をすれば科学技術は日進月歩進化しているのに、日本人を含めた人類が進化していない事実を裏付けているのかもしれない。
内火艇から見渡すグアンタナモ湾を海上から見渡せば、様々な艦艇が停泊している様子が伺える。
各艦の艦尾には
魚雷によって艦首や艦尾を切断された駆逐艦。
被弾によって浸水が発生したのか、舷側にフロートを括り付けた重巡。
鉈で薙ぎ払われたかのように艦橋やマストが消失している防空巡。
他にも様々な艦艇が工作艦に横付けして修理を受けていたり、その周囲に停泊して修理を受ける順番を待っていたりしている。
どの艦艇も大破と判定せざるを得ない損傷ばかりだ。おまけに明日の朝になれば、<加賀>に曳航された<蒼龍>が要修理艦艇の順番待ちに加わる。
この状況では<武蔵>や各駆逐艦の修理は後回しにされるのは仕方が無い。
<武蔵>は中破、各駆逐艦は小破から中破の被害で、これらの艦艇が受けた被害と比較すれば軽微なのだから。
損傷艦ばかり目に付くのは健在な艦艇の殆どが出撃しているからだ。
数日前まで<武蔵>もグアンタナモ湾に仮泊していたが、その時は多数の艦艇がこの湾に集結していた。
第一機動艦隊に所属する一〇隻の空母だけではなく、第一機動艦隊の支援任務に就く英海軍や合衆国海軍の空母も仮泊していた。
当然ながら、それを護衛する戦艦、重巡、防空巡、駆逐艦も含まれる。
軍艦マニアであれば小躍りするような迫力ある光景であり、私物のカメラを持ち込んでいる乗組員たちが盛んにシャッターを切っていたのを思い出す。
その一人がわたしの隣にいる。
「艦長、見てください。艦橋とマストが無くなった防空巡がいますが、あれが石狩級三番艦の<網走>です」
「へえぇ、艦橋が無いのに識別できるの? 凄いわね」
「砲塔と舷側電路の配置を見れば誰でも識別出来ます」
「誰でも識別できるなんて無理よ。だって、わたしは未だに<大和>と<武蔵>が識別出来ないのよ」
「それは艦橋後部にあるラッタルの形状で区別出来ます。途中に踊り場があるのが<大和>、それが無いのが<武蔵>です。初心者向けの識別点ですよ」
「それは分かっているけれど……」
わたしの副官であり、軍艦マニアと航空機マニアとカメラを趣味とする彼の名は伊東という。
正直に言うと女性からの視線は常に蔑視に近いのだが、彼はそれを気にする素振りは全く無い。
副官を務めている中尉であり器量良く優秀なのだが、時折わたしを放置して彼の趣味に突き進んでしまうという欠点を持つ男でもある。
趣味を持つ者は大抵そのような行動を取るそうだ。それを、わたしは気にしていない。
彼は任務に忠実であるし、彼の知識を活用する時があるからだ。おまけに、わたしを女として見ていないから気楽に過ごせた。
間もなく内火艇はグアンタナモ湾の隘路ともいえる、小島や岩礁の間を通り抜けていく。ここを過ぎると目の前にカイマレナ港が現れた。わたしたちの目的地だ。
◇◆◇◆◇
元々は富豪の別荘なのか小さなホテルなのか不明だが、カイマレナ港周辺で目立つ大きな黄色い建物にグアンタナモ基地の出張所が置かれている。
その建物の前に立つ旗竿には旭日旗と英国海軍旗が翻り、キューバ島南部の支配者が誰であるかを無言で告げていた。
わたしたちは衛兵に答礼して建物に入ると、そこでは何人かの将兵が真剣に算盤で計算したり帳簿同士を照らし合わせたりしている。
彼らには声を掛け辛かったが、たまたま別の士官が通りかかったので呼び止めて幾つか質問をしてみた。
すると、その士官は担当士官の所に案内してくれた。担当士官はわたしたちに色々と説明してくれたが、わたしたちが何者なのか誤解しているらしい。
この担当士官が最初に説明してくれたのは、わたしが求める情報ではなくグアンタナモ湾の概要だった。
<武蔵>や駆逐艦が停泊しているグアンタナモ湾はキューバ南東部に位置し、カリブ海のウィンドワード海峡に向かって開けている湾です。
湾の入口の幅は約二キロ半、湾口から湾の奥深くまで約二〇キロもあります。
学校の教科書や海外旅行の案内書では、湾の奥深くまで大型船舶が進入できると紹介されています。
それは間違っていないのですが、殆どの者が多数の艦艇や船舶が余裕で停泊できる大きな湾だと誤解されています。
<武蔵>は横須賀鎮守府所属ですので東京湾を例にしますが、観音崎と富津岬を結ぶ線状にある海峡は約七キロあります。
この湾にも同じ様に物凄く狭い地点がありますが、これが文字通りボトルネックになっています。
何しろ小島同士の間隔が三〇〇メートル強しかなく、荷物を満載した大型貨物船が航行可能な航路は、海峡の水深と船舶の喫水の関係で一〇〇メートル以下と非常に狭いのです。
おまけにZ字のように屈曲しており、岩礁や暗礁も多いので慎重な操船が必要です。
ちなみに、日本の本州と九州の間にある関門海峡でさえ、航路として使える海面の幅が最狭部で約五〇〇メートルもあるので、この海峡の狭さは際立っています。
ちなみに、<武蔵>は関門海峡を通過出来ません。
このため、我々にとっては使い勝手が悪い湾なのです。このため、緊急時は速やかに出撃しなければならない艦艇は湾口に、その他の船舶は湾の奥深くで錨を降ろしています。
太平洋からパナマ運河経由でレイキャビクに向かう輸送船団は、この湾もしくは八〇キロ西にあるマエストラ湾で補給してから、大西洋を北上していきます。
マエストラ湾にはキューバ第二位の都市であるサンティアーゴ・デ・クーバがあるので、ここより賑やかです。
出航まで港で待機する船乗りたちは、ここよりマエストラ湾で待機したいと言っているそうですよ。
この担当士官はこれまでに同じことを何度も説明してきたらしく、流暢に説明してくれた。
時間を割いて説明してくれたのは有難いのだが、わたしが欲しい情報ではない。
改めて必要な情報を聞き出そうとしたが、この話に興味を持った伊東が次々に質問し始める。
どうやら、彼のような者たちが鍛えてきた独特の嗅覚で、同好の士だと認識したようだ。そして、自分の知識を披露したくて、喋り足らなそうだった担当士官も喜んで応じる。
まるで、じゃれあう子犬たちを見ているようだ。彼らのお尻には激しく振る尻尾まで見えてくる。どうやら、わたしは疲れているらしい。
結局、彼らの話が終わるまで十分以上も掛かった。手回し式コーヒーミルで挽いた珈琲豆に、熱湯を注いで抽出されるまでの時間とほぼ同じで呆れてしまう。
あなたたちは熱を注ぐ場所が間違っていると思うよ。そんな言葉を口にしたくなった。
やっと、わたしが質問できる状況になり、何点か尋ねると担当士官が自ら答えた。
「司令部からの命令を受けているので、真水、弾薬、補修用資材は明日以降に各艦に搬入する予定です。工作艦による修理は損傷の大きな艦艇から順番に進めているので、<武蔵>や他の駆逐艦の修理は後回しになってしまいます。この点はご理解いただきたいのです」
「燃料はどうなっているのですか?」
「燃料については命令を受けていません。その理由を艦長には特別に話せますが」
この担当士官の会話を聞いていた伊東は、わたしたちから距離を開ける。自分の任務を理解していることを証明していた。その様子を見ていた担当士官が口を開く。
「実はグアンタナモには船舶用の燃料がありません」
「どうして? 」
「第一機動艦隊が主力となる作戦に、貯蔵していた燃料のほとんどを使ってしまったからです」
「『ほとんど』ということは、少し残っているのでは?」
「燃料は一部残っていますが、既に割り当て先が決まっています。そこの窓の向こうに沢山の貨物船が見えますよね」
「ええ、見えるわ」
「あれが、レイキャビクに向けて出港する船団です。第一機動艦隊の戦闘を邪魔しないように出航を延期していましたが、明日の朝に出航することになりました」
確かに出張所の窓の外に広がるグアンタナモ湾最奥部には、数隻の駆逐艦と三〇隻近くの貨物船が停泊している。
どの貨物船も喫水を深々と沈めているので、限度一杯まで貨物を満載しているのが明確だった。その担当士官は話を続ける。
「燃料はあの船団や湾口の哨戒任務、ねずみ輸送任務に就く艦艇にしか割り当てしていません。実はあの輸送船団の護衛任務には重巡、軽空母、駆逐艦以外に<長門>も就く予定でした。それを取り消して現在は<蒼龍>を曳航しています。ここには明日の朝に到着するので、<蒼龍>を切り離した後にあの船団を追いかける予定です」
「でも、あそこには貨物船以外に油槽船も停泊しているわ」
「あれはレイキャビク基地向けの航空燃料かグアンタナモに帰ってくる輸送船団に必要な燃料が積まれています。ですから、グアンタナモ基地で自由に使える燃料ではありません」
「その燃料を分けて貰うためにはどうすればいいのかしら」
「司令部の主計科と交渉してください。ここでは、何も判断出来ませんので。数時間前に来た主計士官にも同じことを説明しています」
ここまで言われてしまえば引き下がるしかない。主計長たちの行方は掴めたが、この話を最初にして欲しかったなと思う。
懐中時計は午後三時過ぎの時刻を指していた。
折角、ここまで来たから司令部に顔を出して挨拶だけでもしようかと考え、グアンタナモ旧市街地にある司令部への行き方を尋ねる。
担当士官は鉄道、バス、公用車のどれでも好きに選べるが、一番早く着くのは公用車だという。他の公共交通機関は次の便までの間隔が開いているからだそうだ。
民間タクシーも使えるが、遠回りして
だから、土地勘が無くてスペイン語が話せない者には勧めていないという。
公用車は自分で捕まえてくれと言われたので、担当士官に礼を言って建物の外に出る。すると、偶然にも派出所の裏手で
それに便乗させてもらい目的地に向かうことにした。グアンタナモ旧市街地にある枢軸海軍部隊カリブ海・大西洋方面総司令部へ。