戦艦<武蔵>艦長 知名もえか(High School Fleet & Red Sun Black Cross) 作:キルロイさん
カイマレナ港、キューバ島、カリブ海
同日 午後三時一〇分
トラックの車種に詳しくないので形式名は分からないが、わたしが乗ったのは積載量二トン半の小さなトラックであり「ジミー」という愛称で呼ばれているそうだ。
合衆国陸軍の車両らしく、オリーブドラブ一色に塗装された車体に大きな
国土の大半を奪われた合衆国軍は相次ぐ敗戦や反応弾による攻撃によって、開戦前からいる現役将兵が急速に減少している。その欠員を補充するために黒人や有色人種の志願兵を採用しているので、事実上白人優遇制度を放棄していた。
有色人種が次々に入隊し有能な者は相次いで士官に登用されているので、ここに黒人の陸軍兵がいるのは不思議なことでは無い。
だが、日本人だけで構成された組織である日本海軍の一員としては、慣れていないので驚いてしまう。
わたしは彼が日本語の会話が出来ないと思えたので、簡単な英語で会話する。
「Does this car go to the Guantanamo center? (この車はグアンタナモ中心街に行きますか?)」
「Oh.Yes」
「Please pick me up.Go to command of Japanese navy.(わたしたちを乗せて日本海軍の司令部へ行ってください)」
「OK. マカセロヨ、ネーチャン」
どうやら、片言だけど日本語を話せるらしい。
わたしたち以外にも便乗者がいたので、幌で覆われた荷台へ一緒に乗ろうとした。なのに、何故かわたしだけ腕を掴まれ、助手席に座らされる。
このトラックは二人乗りだから、この運転兵と濃厚なひと時を過ごせる訳だよね……。
おまけに伊東中尉が羨ましそうな眼差しで、わたしを見るから余計に困惑する。彼にとって助手席は特等席だからだ。そんな目で見るのならわたしと代わって欲しいと本気で思う。
車は走り出すとグアンタナモ湾を背にして西に向かう。先程まで雨が降っていたので、路面には所々に水溜まりがある。
路面には補修された痕もあり、爆撃による大穴を埋め戻しているようだ。
この道路は鉄道線と並行しているので、偶然にも蒸気機関車が牽引する貨物列車とすれ違った。
機関車の前面には「C56 44」と掘られた真鍮板が取り付けられている。日本滞在中に見た、鉄道省の機関車と同型らしい。
トラックは貨物列車が通過中の踏切がある交差点に到達すると、北に変針してグアンタナモ湾の西岸を進んでいく。しばらく走ると右手にグアンタナモ湾の最奥部が見えてきた。
そこには明朝にレイキャビクに向けて出港する、数隻の駆逐艦と三〇隻近くの貨物船が停泊している。貨物船に隠れて見えないが湾の東岸にはボケロン港があり、カリブ地方最大規模の兵站補給廠がそこにある。
さらに、その北側にある飛行場から統合航空軍の航空機が離着陸している。
ここには、カリブ地方の戦線を維持する一大拠点が点在していた。
路面の凹凸によって車は左右に揺れ続け、不用意に口を開くと舌を噛みそうだ。そんな車内だけど、慣れている運転兵は不慣れな日本語で色々と話しかけてきた。
それが意外にもそれが面白い。本人には申し訳ないけれど本当に面白いのだ。
彼が話したのは食事に関する事だった。
「ボクネ、タベタヨ。チンピラマゴ、サバク、ホシイダケ、マゼマゼシタ、ウマイ、デモ、マズイ」
えっ、あなたはチンピラの孫を食べたの? チンピラは人間だよ。その孫を食べちゃったの?
耳を疑うような言葉だが、彼の身振りは違う事を語っていた。
だから、知名流翻訳では「僕ね、(お寿司を)食べたことがある。金糸卵、鯖(の水煮の缶詰)、干し椎茸を混ぜた料理だ。美味い。でも不味い」になる。
彼が食べたのは、わたしが育った広島県で<ばら寿司>と呼んでいる料理だと思われる。関東では<ちらし寿司>と呼ばれており、艦内にある材料を使って簡単に作れる料理だ。
とはいえ、広島県で育ったわたしにとって、アナゴが入っていないのは<ばら寿司>と呼んで欲しくない。
それはさておき、運転兵から美味いと不味いという正反対の言葉が続くのは理解出来ない。
やっぱり、チンピラの孫を食べたのかな? でも、チンピラは大抵若い人だから孫ではなく子供なのかな?
でも、美味しいからといって手軽に食べてはいけないよね。山賊や妖怪が生息している中国奥地ならあり得るけど、ここはキューバ島だし。
結局、幾ら考えても分からないので英語で聞いてみたが、「Delicious(美味い)」という返事が帰ってきた。もしかしたら、彼の味覚に合わなかっただけのかな?
その話は終わりにして、次は何を話そうかと考えるために何気無く窓の外を見る。
わたしの視界に入ったのは、船団護衛用に雷装を降ろして対空火器を増設した<吹雪>級駆逐艦だった。
対空戦闘の訓練中なのか両用砲や機関銃を上空に向けている。
日頃から訓練して緊張感を持続させないと、水兵の技量が低下してしまう。だから、あの駆逐艦は訓練に熱心な艦長が指揮しているのだろう。
だけど、隣に停泊している貨物船も同様にしている。もしかしたら、合同訓練中なのかなと想像しているうちに、駆逐艦が射撃を開始した。
続けて他の貨物船も射撃を始め、波紋が広がるかのように泊地全体の船舶が射撃を始める。
訓練にしては盛大だ……。いや、違う。敵機が空襲を仕掛けてきたのだ!
だから、わたしは思わず運転兵に向けてきつい言葉で指示をしてしまう。
「Enemy plane approaches are. This track is stop! (敵機接近中です。トラックを止めなさい!)」
咄嗟に脳裏に浮かんだのは、グアンタナモ湾に沿って走るこの車に向けて敵機が射撃をしてくる予感だった。昨日<武蔵>で幾度も銃撃された恐怖を思い出してしまう。
だが、運転兵は首を傾げると速度を上げた。わたしは困惑するが運転兵はさらりと口にする。
「Non problem.(問題無いよ)」
あのぉぉぉ、敵機が接近しているですけど。船団が作った対空砲火の傘から抜け出そうとしたら駄目だって……。
わたしの指示はあっさり無視された。
車は水溜まりに溜まった水を盛大に巻き上げ、周囲に遮る物が無い一本道を驀進する。
すでにグアンタナモ湾の対岸から幾筋もの黒煙が立ち上っている。あれは兵站補給廠なのか、それとも飛行場なのか。
どうか、敵機に見つからないように。母の死と父の虐待を受けてから神様の存在を疑っていたが、この時ばかりは真剣にお祈りする。
日本に帰ったら大宮の氷川神社へお参りしますから、何でもしますから。普段から神様の存在を疑っている罰当たりな女ですが、たまにはわたしのお願いを聞いてください!
でも、罰当たりなわたしに対する神様の仕打ちは非情で冷酷だった。棍棒で殴られたほうがマシかもしれない。
一機の敵機がこちらに近づいてきたのだ。基地周辺にある対空砲座を、制圧するために噴進弾を発射し終えた戦闘爆撃機らしい。
わたしは運転兵に向けて叫んだ。
「Enemy plane approaches are it from the right.(敵機が右方向から接近中です)」
「How many? (何機?)」
「Only One.(一機だけ)」
「Ok. You must observe an enemy plane.(はい、艦長は敵機を観測してください)」
「Ok.(任せて)」
基地へ帰る前に獲物を一匹でも多く狩るつもりなのか、敵機はこの車に狙いを定めている。おまけにジェットエンジンを搭載しているから速い。
わたしは覚悟を決めると、助手席の窓から身を乗り出して扉に腰掛ける。この車の屋根が邪魔で敵機が見えないからだが、これではチンピラ珍走団の首謀者そっくりだ。
車はグアンタナモ湾の西岸から、果樹園やさとうきび*1畑が広がる内陸に入っている。どの植物も背丈が低いから遮蔽物としては不十分である。
その敵機は船団の対空砲火網を迂回しつつ、右前方から接近してきた。
ここから先は<武蔵>の操艦技術の応用だ。敵機の投弾か射撃のタイミングさえ掴めば回避できる。わたしは敵機を睨みつけ、少しでも変化を見逃さないようにした。
そして、敵機の機首がこちらを向く寸前、間髪入れずわたしは叫んだ。
「Evade! (回避!)」
その直後、両翼に閃光が輝く。
運転兵はブレーキとハンドル操作で車を横滑りさせた。わたしは振り落とされないように必死にサイドミラーや屋根を掴む。
その直後、先程まで車が走行していた路面へ機関銃弾が突き刺さっていく。
雨上がりの地面には水溜まりが点在しているので、横滑りに適していたらしく回避に成功した。
敵機はわたしに威圧感を与えるかのように、ターボジェットエンジン特有の轟音を轟かせながら上空を航過した。
そして、車の後方で大きな弧を描きながら変針していく。誰がどう見ても、二度目の攻撃意欲が十分な機動だった。
◇◆◇◆◇
わたしたちが乗るトラックの攻撃に失敗した敵機は、高速で疾走する車の紫煙と跳ね上げる泥の向こうから接近してくる。
漠然だけど敵機が射撃するタイミングを掴めたので、それを見越して叫んだ。
「Brake! (ブレーキ!)」
敵機は前方につんのめるように停止する車へ目掛けて射撃するが、車の急制動による未来位置の補正が出来なかった。
大半の銃弾は再び路面に突き刺さるが、一部の銃弾はトラックを貫く。銃弾は荷台の幌を貫通しただけではなく運転室の屋根や窓も貫通していた。
わたしの身体を掠めて飛び去った銃弾もある。室内を覗き込むと、運転兵が大げさな身振りをしつつ肩をすくめていた。「参ったよ」と言っているかのようだ。
敵機は未だに攻撃を諦めておらず大きく旋回中だ。敵機が優位な状況は変わらず、それを逆転させるのは次第に難しくなっている。
車はただちに発進しようとエンジンを唸らせ、盛大に紫煙を吹き出す。しかし、何故か動き出さない。
わたしは室内を覗き込むと、先程まで陽気だった運転兵が目を血走らせて答えた。
「Oh No! Skid!(駄目だ、スリップしやがる)」
何でこんな時に泥に嵌まってしまうのよ! これじゃあ敵機にとって格好の餌食だよ。
わたしは頭を抱える暇も無いまま急いで車内に戻り、運転兵を蹴飛ばして車外へ突き落とす。そして、すぐに荷台にいる伊東中尉たちを降ろして、路外に避難しようとした。
ところが、トラックの後部に回り込んだ途端に予期しないことが起きる。
腕を掴まれると強引に押し倒され、ぬかるんだ路面に顔を押し付けられたのだ。泥水が鼻や口から流れ込んでくる。信じられない事に誰かが後頭部を押さえつけているのだ。
このままでは息が出来ず死んでしまう。必死に頭を動かそうとするが聞き覚えのある声がわたしを叱責した。
「顔を焼かれたくなければ、伏せたまま動かないで下さい」
伊東中尉、そんなことを言われても困る。このままだと、わたしが窒息死するよ! 海で溺死するのは覚悟しているけれど、泥で窒息するのは嫌だ!
思いっきり声を出そうとして口を開けた途端、泥水が一気に入ってしまう。もう駄目かも……。
間もなく敵機から発射された機関銃弾がトラックを次々に貫き、車のあらゆる個所から金属の悲鳴が上がる。
それが次第に近づいて、わたしの頭の近くにもそれが突き刺さる音がした。その時、伊東中尉とは違う男の声が聞こえた。
「Fire! (ファイヤー)」
わたしは聞き慣れない声に困惑し、髪の毛を揺らすような風圧を受けて益々困惑する。そして、上空から爆発音が聞こえる。
いつの間にか後頭部への圧力が消えており、首を動かして爆発音が聴こえた方向へ顔を向ける。そこには、わたしの頭上を航過した敵機の後ろ姿が見えた。
ここから離脱しようとしているのか機首は上空を向いていた。だが、後部にあるジェットエンジンの排気口から部品が次々と剥がれ落ちている。
間もなく、敵機は重力に引き寄せられるように機首を下に向けると、さとうきび畑に急降下して爆発音と共に炎上した。
一機撃墜だ。先程までわたしたちを弄んでいた敵機を撃墜したのだった。