ホラーゲームに転生させるとか、神は俺を嫌っているようだ 作:かげはし
カラスが鳴き、雀が飛び立つ時間帯。
日が昇り始めたのだと、薄ら明るい窓をカーテン越しに眺めて舌打ちを鳴らした。
「……クソっ、なんで紅葉はこんな状況でも寝ていられるんだ」
幽霊に怯えて眠れないと怖がっていたはずだった。
なんでも明るい状態を維持しないといけないのと、一人になってはいけないというもの。それがゲームの世界で生き残るための知識だと紅葉は言っていた。
まあ明るさに関しては融通しよう。
こいつは一度死を味わっているのだから。
このまま俺の家で紅葉が死ぬようなことは避けたいと思い、多少の寝不足ぐらいなら許そうと決めた。
それだけだったというのにこの始末……。
眠ろうとした直後に悲鳴を上げ、部屋の隅を指して「変な影がいる!」と涙目で俺を叩き起こそうとした紅葉。
ああそれで何だったか……。
その頭をぶっ叩いて、とっとと寝ろと言ったがそれを聞かなくて。
恐怖で無理だと泣いて妥協して、面倒になって――――。
それで、シングルベッドだというのに何故か二人で寝る羽目になった。
傍にいることでようやく安心できたのか。この馬鹿はすぐさま熟睡してしまったのだ。
曰く、枕で俺たちの間に壁を作れば問題はないと。
ただあのまま別々に寝たら金縛りでもかけられて死んでしまうかもしれないと。
「……女とは思えないほど色気がないな」
見た目は可愛いはずなのだが、何処か残念な雰囲気を漂わせているなと考える。
現在、俺と紅葉の間にあったはずの枕は、寝ぼけたあいつの抱き枕に使われているせいで壁役となってはいない。
そのせいでよく見えるアホ面に笑いそうになった。
涎を垂らして汚いが、終始穏やかな顔だ。
(首から血を流して死んでいたと思えないぐらいには、呑気な顔だな……)
こいつが羞恥心の欠片もない女だというのは理解している。
前世と言った口調。俺という一人称。それと――――まるで男友達のように接してくる、その空気。
紅葉は何も言わなかったが、こいつはおそらく前世の性別とは真逆だったんだろう。
記憶があるせいで女としての自覚もなく今まで生きてきたはずだ。そうでなければ昨夜の騒動には発展していない。
紅葉から感じる空気はとても懐かしく思えた。
かつて幼い頃に感じていた、あの親友に似た安心感だった……。
(いや昔とは違う。あいつとは違って、こいつは裏切ることはないだろう)
もう名前も顔も思い出したくない親友だったあいつなんて気にしない方がいい。
熟睡している紅葉をじっと眺め、戯れに指で頬をつつく。
くすぐったかったのか、意味のない音を出して「むにゃ」と言いつつ何故か楽しそうに笑う。
馬鹿な子ほど癒されるとでもいうのだろうか。少しだけ胸につっかえていた感情が晴れたような気になった。
試しにと鼻をつまんでやる。
そうすると紅葉は反応を見せ、途端に苦しそうな顔をしてきた。
「う……うぐぐ……あまい……のは、かんべんして……」
「ははっ。何の夢を見ているんだこいつは」
ひとしきり笑った後、気持ちを切り替える。
……入学式からたったの二日。夕青の情報は三年以上もあるんだ。
これから先、長期の戦いになると考えて気を引き締めなくてはならないだろうな。
・・・
眠い。寒い。お腹空いた。
でもって、もっと寝ていたい。
そんな感情がぐるぐると回りながらも、鏡夜に引っ張られ歩いていく。
小さなあくびをした後、俺はただ眠そうな目で鏡夜を見た。
「……で、何処へ行くんだっけ?」
「フユノ神社だ」
「……参拝?」
「それもあるが、あともう一つ必要なことをな」
「んん?」
首を傾けた俺に対して「着けば分かる」という鏡夜。
そうして行った神社は、昨日と同じく少しだけ寂しそうな雰囲気があるが――――それでも、最初に来た時とは違って綺麗な状態にはなっていた。
《おはよう鏡夜君。それに秋音ちゃんも……》
聞き覚えのある女性の声が、真正面から聞こえてきた。
「ふぇぁッ!? え、何処にいるの白兎ちゃん!?」
《ここだよ》
「どこっ!?」
きょろきょろと周囲を伺うが、それを見ることはできない。
しかし鏡夜は俺の様子を見て――――ただ深いため息をついただけだった。
「……見えないが、聞こえる……か」
「えっ」
「どういう理屈なのか。お前と俺で何が違うのか分からないんだが……どうやら俺は冬野を見ることが出来るらしい。声を聞くことは出来ないがな」
「えっ、でも二日前に来た時は何の反応もしてなかったのに……」
「二日前の神社に来てから見えたわけじゃない。俺は入学式の……妖精が来る前の教室でも冬野に会っていた。しかし誰も見えてはいなかった。それを確かめる意味でも掃除に連れてきたんだ。
結果、お前と桜坂が見えていなかった。遠くからだがこちらに手を振って笑いかけていた様子が俺には分かったんだ」
「何で?」
《鏡夜君は、私の大好きな人だから……》
「……見えるようにしたのは、白兎ちゃんのせい?」
《違うよ。私は何もしてないよ》
んんん?
どういうことなんだろうか。
幼い頃に繋いだ縁? 祝福によるもの?
でも彼女はもう福の神ではないはずだ。元神様で、今は力を溜めているはずだ。
「……あっ」
そういえばと思い出す。
鏡夜も言っていた。入学式前の教室で見たという言葉の意味に。
ゲーム開始のプロローグにて、何故か神無月鏡夜だけが教室に佇む冬野白兎を見ることが出来たのだと。
それがゲームにとっての、一番最初の出会い方だったのだと。
それを疑問に思ったプレイヤーはいた。
しかしそこの言及は何もなく、二人の出会いだから特別感をと制作会社がやらかしたのではないかと炎上した出来事。
(なんか、怖いな……)
まるで知ってはならない深淵の中身を見たような気がしてゾッとした。
俺たちは何か良くないところへ突き進んでいるんじゃないだろうかと。
なんだかここに居ちゃいけないような気がするのは何故か――――。
「……見ているもの。聞いているものさえ違うってどういうことなの?」
「知るか。いまだにそれを証明する術はないからな。……それと、冬野さんにこれを」
鏡夜が懐から取り出してきたのは幸運の瓶。
おそらくあの海里夏が渡してきたものだろう。偽物じゃないと何か証明でもするつもりかな?
《ッ――――それを、
「えっ」
予想とは違って何故か彼女は息を呑んだような声を出していた。
「彼女はなんと?」
「そ、それを私に返してくれるのって……」
「もちろんだ。フユノ神。――――やはりこれはあなたのものか」
「ええ?」
どういうことだろうかと鏡夜を見るが、彼は首を横に振って「後にしろ」という。
そのまま幸運の瓶を真正面にいる……俺には見えない白兎へと手渡した。
瓶が消えて、白兎の嬉しそうな声が聞こえてきた。
《ありがとう鏡夜君。これで少しは強くなれるよ》
・・・
学校へと向かう途中。彼はただ真顔で歩いていた。
その鏡夜の腕を引っ張って、俺の方へと顔を向けさせる。
「ええっと、白兎とのあれは……つまりどういうことなんだよ」
「幸運を返しただけだ」
「はい?」
「お前が言ったんだろう。そして白兎が伝言で残したんだろう。妖精が福の神の全権限を奪ったんだと」
「う、うん」
「まあ俺も冬野が言うまでは疑問に感じていた程度だったが……。あの幸運の瓶に対する反応で俺の予想は当たっていたと思えたんだよ」
そう言った鏡夜は歩きながらも話してくれる。
「なぜあの妖精がわざわざ幸運を振りまくのか。お前は幸運の瓶が生命力そのものだと言ったな。妖精の性格からしてクリスタル防衛に成功させ、わざわざ幸運の瓶を生き残った者に分け与えるという面倒な真似をする必要があるか?」
「……」
「昨日、幸運の瓶の正体は『この世の起源たる代物』といったな。お前が言ったそれは、本当の事か? いや、本当のことかもしれないが……まあそこはまた調べていけば分かることだろう」
「えっと、つまり……」
「彼女は言ったんだろう。『返してくれるの?』とな。すなわちあれは彼女のもの。幸運の権限を使って生み出した、福の神による力の結晶だろう」
意味が分からないことを鏡夜が言う。
何故そう思ったのかすらわからず、でもそれが当然であるかと言うように……。
でもそれならば、何で妖精は幸運の瓶を配る必要があるんだ?
自分で奪った神の力だ。それを防衛に成功させ生き残った生徒たちに分け与える意味があるのか?
「頭が痛くなってきた……つまりどういうこと? 妖精が白兎の力を生徒にそのまま渡しているってこと? 理由は?」
「それを知るために俺たちはこれから妖精と対峙するんだ。俺とお前の違いについてもな……の前に、昨夜の騒動をどうにかすることからだな」
「何を……いたッ!?」
首を傾けた俺の額をデコピンして、鏡夜が笑う。
「死んだら一度会いに来いって言ったんだろう? ――――黄組の主人公共に会いに行くぞ」
・・・
学校からすぐ教室へ向かうと、真っ先に話しかけてきたのは心配そうに紅葉を見る桜坂だった。
「朝から二人して仲良く登校かよ」
「やぁおはよう、ボッチの桜坂くん」
「チッ、よー猫かぶり野郎神無月。っと……紅葉、昨日は大丈夫だったか?」
「あっ、うん。体調も良くなったし平気平気。いやー死ぬってものすごく怖いね!」
「いや当たり前だろうが!!」
怒鳴られたことに恐怖はないようで、普通に笑って桜坂に向かって礼を言う。
いや、桜坂の態度に慣れたと言っていいのだろうか。
昨日の時点でも他のクラスメイトに心配をされてはいたが、周りは今日も同じように紅葉を見て、不安そうな顔で声をかけている。
それに気づき、俺は紅葉から離れて自分の席へ鞄を置く。
「あ、秋音ちゃんおはよう!! 身体は大丈夫ッ!?」
「だ、大丈夫大丈夫!」
「おはよう紅葉ちゃん。昨日の事なんだけど身体は――――」
「だいじょーぶだってば! ほら見て私すっごく元気だよ!」
空元気でも何でもなく、みんなと笑い合う。
昨日化け物と会っていたことも、みんなの不安を全て押し隠すかのように……。
(あの妖精の件がなければ……化け物と対峙するだなんて非常識なことがなければ、普通に学校生活を送れただろうからな……)
しかし、それがなかったら紅葉は俺に素で話などしただろうか。
ありえないもしもの未来を考える前にそれを切り捨てて、ただ周囲を確認する。
クラスメイトは
不安な気持ちを抱えたクラスメイトを元気づけるように囲まれながらも、笑い合い話をする。大丈夫かと言われたら礼を言いながらも平気だと言って。
昨日の事なんてへっちゃらだと誤魔化して。
そんな光景を遠目から眺めていると――――何故かニヤニヤと気色悪い顔をした桜坂が肩を叩いてきた。
「そんなに紅葉のことが心配か?」
「あはは、そりゃあクラスメイトの一員なんだから当然だよ」
「気持ち悪い声で気持ち悪いこと言ってんじゃねえよ神無月。……ってかお前、ぶっちゃけて聞くけどあいつと付き合ってんの?」
「はぁ?」
おっといけない。素が出てしまった。
桜坂に向かって笑いかけると、彼はとても気味の悪そうな表情を浮かべる。
「僕と紅葉さんは付き合ってはいないよ。というかお互い恋愛感情もないし、そういう仲になることは決してあり得ないかな」
「……にしては、入学当時から仲良かったよな?」
「まあいろいろあってね」
たった二日だというのに、なんだかもう半年も経ったような気がする。
話をするのも彼女が多い。そりゃあ誤解されるのは当然か。
「……神無月にとってあの紅葉ってどういう存在なんだよ」
「何故それを聞くのかな?」
「ちょっとした興味本位だっつーの」
「そう」
ふむ。どういう存在か……。
まだ出会って短いけれど、信用できる存在であると思ってはいる。
でも友達というと何か違うような気がする。
親友――――という名前は過去のことを想い出すため却下。
相棒というよりは何かが違うような気がする。
……ああそうだ。
あいつが言った言葉を思い返す。
それ以外に見つかることはない。あれは俺の――――。
「
「はっ?」
「っ……ああいや、何でもないよ。紅葉はただの……友達かな」
「ふーーーん?」
「何かなその目は?」
「いいや何でもねーよ。お前もたいがい素直じゃねーな」
「君に言われたくないな」
「へいへい」
ニヤニヤしながら自分の席へ鞄を置き、部活の仲間の方へ行った。
その背に対し、己の失態に怒りを抱き小さく舌打ちをした。
だからだろうか。
――――不意に、背中をポンっと叩かれた。
「おはよ、神無月君」
「っ……ああ、おはよう海里さん」
「そんな警戒しなくてもいいじゃん。私はアンタらに対して中立だよ? 私の邪魔さえしなけりゃあ何もしないっての」
「……そう」
手の平を振って離れていく海里に眉をひそめた。
これは、俺たちへ向けた忠告か。
俺たちが何かしていると察知したか?
「ひゃあっ!」
「うわびっくりした。紅葉さんどうしたの!?」
「あ、ああごめん……忘れ物したことを想い出しちゃって!」
――――その声を聞いてとっさに振り向けば、紅葉が何かにビクリと体を震わせていた。
そうして慌てたようにクラスメイトから離れて、俺に向かって近づいてくるのだ。
「か、神無月君。授業の前にそろそろ黄組に行かないかなー?」
慌てたような目。不安そうにチラチラと周囲を見つめている顔。
冷や汗とその動揺から見ると――――霊的な何かが近くにいるのだろう。
でも周りにクラスメイトの目があるから、俺と同じように素を出すことなく引き攣った顔で笑いかけてくる。
……ああ、こんな早朝でも関係なく襲い掛かってくるのか。
「……そうだね。行こうか」
「う、うん!」
・・・
ぶっちゃけ心霊現象舐めてた。
(ああなんか首折れたおっさんが見えるうううううっ!!!??)
まだ一度しか死んでいないというのに、何かの影や違和感のある人影が映し出されて見てしまいそうになるのだ。
これで何度も死んでいたならば不運も重なって死んでいただろう。
だから早く、この状況をどうにかしなくてはならない。
そのために必要なのが――――夕黄の主人公だった。
彼だって言っていたんだ。
とりあえず死んだらこっちに来いって。
このままの状態で普通の生活を送れるわけはないから、できれば何とかしてもらわないと……。
「……さて、覚悟は良いな」
「おう」
鏡夜に促され黄組の教室を覗き込んだ。
そこは青組とは違って、なんだか薄暗い雰囲気の漂った空気だった。
「別クラスの生徒? ……こんなところまで何の用だ」
暗い顔で話しかけてきた生徒に対し、鏡夜がすぐさま猫をかぶる。
「ああごめんね。星空君に会いに来たんだけれど」
「星空さ――――ひいいっ!」
「えっ?」
なんだろう、デジャヴを感じる。
悲鳴を上げられ、どういうことだと首を傾ける鏡夜。
生徒は逃げるように自分の席へと戻っていく。どうにも声をかけ直すのは止めた方がいいと思えるほど、彼は怯え切っていた。
だからなんだか、嫌な予感がした。
「……おい紅葉。本当に頼って大丈夫なのか?」
「う、うん。たぶん……」
「多分って酷いっすねー!」
鏡夜が言おうとした瞬間、背後から俺の肩が引っ張られ誰かに抱きつかれた。
ミントのような香水の匂いとその大きな右手の薬指にある指輪は……。
「それに朝っぱらから騒がしいっすね。紅葉秋音ちゃんはともかく、あんたっすよ。別クラスの生徒が何の用っすかー?」
その声は聞いたことのあるものだった。しかしなぜ俺に抱き着く必要があるんだ!?
誰なのかは分かるというのに内心で混乱し、鏡夜に向かって必死に視線だけで助けを求めた。
鏡夜が手を伸ばそうとして、それを奴は片手で制する。
「こーら、逃げちゃダメっすよ」
笑いかけてきた星空天。
俺の髪より少し明るめの茶髪。黄色というよりは金色の瞳。
チャラそうな風貌をしており、身長は春臣より少しだけ大きいと分かるぐらいにはでかい。鏡夜と並んで比べてみたら、おそらく頭の位置に天の肩が並ぶだろう。
ミントのような香水の匂いとその大きな右手の薬指にあるシンプルな銀色の指輪も特徴の一つとしてあげられる。
そんな男が、俺を抱きしめてただニコニコと鏡夜に向かって話しかけた。
というよりは……威嚇してきた?
「そろそろ来るとは思ってたっすよ、神無月くん」
「……ああ、妖精の件で共闘しようっていうことかな?」
「違うっすよ。アンタら俺に用があってきたんでしょ? というか秋音ちゃんが用かな。前に俺に頼み事したいって言ってたし」
「まあ……」
「……ん。ちゃんと死んでから来てくれたっすね。その方がこっちとしても都合がいいっす」
(都合がいい?)
どういう意味なのかと思った刹那。
「あんた妖精に目を付けられて雁字搦めに縁で縛り付けられてたっすよ。死んで少しは解かれたみたいっすけど……その状態で家に来られるの、面倒なんで」
その言葉に、息を呑んだ。
――――その優れたる直感は、星空天を確実に生かす。
直感というよりは、予知のようなものに類するかな。
いや、彼の夕黄の直感選択画面の名から『天啓』といった方がいいだろうか。
「それでどうすんの? 困っているから俺に向かって助けてくれーって頼みに来たっすよねー?」
「ふふっ、そういって簡単に頷いてくれるのかい君は?」
「はは。俺はどうでもいいけどね。断ってもいいっすよ。ああそうそう、頼むんならそれ相応の対価はもらいたいなーっていうのが普通っしょ? でもって神無月はこの子の事、殺したくないんでしょ?」
対価を何か払う程度には、この子のこと気に入っているんでしょ? ―――という言葉に鏡夜は眉をひそめた。
「……ああそれでもいいよ。僕は別にどうでもいいけど」
「こらこら、嘘をついちゃダメっすよ。ってか俺にはお見通しだし」
名は体を表すという意味でも、彼は人間なのに人とは思えないほど鋭い言葉を突き刺してくる。
星空が言った俺に対しての「殺したくないでしょ?」というのはつまり、鏡夜が昨日言った「二度と死ぬな」という意味だろうか。
(ああでも……そうか。直感に優れているから、嘘だってわかるのか)
いまだに抱きしめられている状況を何とかしたいとは思うが、そう思った時点で察するらしくギューッとさらに抱きつかれる。
「ちょっと苦しいから、できれば離してほしいなーって……」
「却下っすよ。君逃げるでしょ?」
「ですよねー」
遠い目をしていたら、急に天が俺の髪に顔を寄せてくる。
何故かクンクンと匂いを嗅がれて少しくすぐったく感じた。
「あの、何で匂い嗅いでいるんですかね星空くん!?」
「良い匂いしてるからっすかねー。あっ、でもそっちにいる神無月と同じシャンプーの匂いするっすね? これはこれは、おおっと。優等生君ってば早くも恋人なんか作っちゃって―――」
「僕と彼女はそういう関係じゃないって、君もわかっているんだろう?」
「ちぇ、つまんないっすねそういう澄ました態度」
「いい加減話がしたいんだけど、そろそろ紅葉さんから離れたらどうかな?」
「あっはっはー。嫌っす」
「あはは。我儘言って人をからかうだなんて幼稚なことをするんだね星空君は。お母さんやお父さんから嫌なことはするなって習わなかったのかな?」
「……あんた、嫌な性格っすねー。あんま人を信じてないでしょ。そんでもって懐に入れた子には執着するみたいっすね、いやー重いなー!」
「…………」
なんだろう、ピリピリとした空気を感じる。
どちらも敵意を剥き出しにしながらも、表面上はにこやかに接する。
(……夕黄と夕青の主人公って相性悪い?)
ああ、どうしたらいいものかと悩んでいた時だった。
ふと――――鏡夜が周りを見て、冷めた目で星空を見たのだ。
「そろそろ授業が始まる時間なのに生徒の数が少ない。それに星空君に対して怯えを見せているけれど、君は何をやったんだ?」
「あんたの思っていることっすよ」
その一言で、鏡夜の目から光が消えたように見えた。
ああ、入学式の終わりに調べたと言っていた鏡夜の話が思い浮かぶ。
あの時黄組は妖精の報酬を受け取っていなかった。
すなわち負けたということで―――――。
「……
「弱いものは淘汰されるって世界の理っしょ? でも俺は野郎はともかく女の子には優しいっすから?」
「それにしては女子も少ないように見えるな」
「そりゃあ……ねぇ?」
煽るような声で、舌を出して笑ってくる。
嫌悪感の溢れるその態度に、体が震えそうになった。
鏡夜は何も言わずに彼をじっと見つめているが……。
「それで、助けてほしいんでしょ?」
無理だと悟る。
だって人を切り捨て悪役のような態度をとる彼に助けてもらってもメリットなんて――――。
「女の子虐めはんたーい!」
「ぐふぁッ!?」
刹那、真横から吹っ飛ばされるような衝撃に襲われた。
うめき声をあげたのは後ろにいた天だろうか。
目を見開き驚いたような顔をした鏡夜が視界に映ったが――――そのあとに見えたのは真っ暗闇な世界だった。
誰かに抱きしめられているのだろうか?
顔に柔らかな感触がする。
ぽよぽよとした、ふんわりするような感覚だろうか?
「……ん?」
それが何なのか分かった。
暗く見えなかったのは、メロンぐらいの大きなおっぱいがあったから。
こぼれ落ちそうな胸に抱きしめられていたせいだと理解し、困惑した。
あの直感の優れた男が吹っ飛ばされたということは、察するより早く動く程度には身体能力が高いということであるだろう。
そんな夕黄のキャラクターと言えば……。
「大丈夫? あっ君に虐められてない?」
「あっ――――」
――――夕黄ヒロインの一人である『おっぱいちゃん』こと
いや、アカネでいいんだよな?
眼鏡してないし、多分そう……かな?
気まぐれで助けてくれたんだろうけれど、今の俺たちにとってはこの空気をぶち壊す強力な存在が必要だったんだ。