遅れました本当にごめんなさいもう少し努力します
「お前、ここで何してんの?」
「や、大志君から相談を受けてて」
小町はそう言って隣を見る。そこには学ラン姿の中学生男子が立っていた。そいつは俺たちにぺこりと一礼する。
「八幡の妹さん?初めまして、クラスメイトの戸塚彩加です」
「あ、これはご丁寧にどうもー。うはー可愛い人ですねー、ね、お兄ちゃん?」
「ん?ああ、男だけどな」
「ははー、またまた御冗談を。何言ってんのこの愚兄」
「あ、うん。ぼく、男の子、です……」
そう言って戸塚は恥じらうように頬を染めて顔を背ける。……あれ、本当に男だっけ、こいつ?
「え……ほんとに?」
「ちょっと自信なくなってきたが、多分男だ」
「そ、そうなんだ……」
小町は半信半疑の表情で戸塚の顔をじろじろと眺める。「まつ毛長ーい、肌きれーい」とか言う度に戸塚は視線から逃れようと真っ赤な顔で身じろぎした。
戸塚の「た、助けて……」というアイコンタクトを受け取って小町を引き離す。
「もうその辺でいいだろ。それと、こいつが由比ヶ浜。あの時の犬の飼い主……って、会ったことあるか」
「あの時の………あっ、お菓子の人!」
そのお菓子の人はいつも通り「やっはろー!」と挨拶をする。
ていうか名前じゃなくてそんな代名詞で覚えられていたんだな、由比ヶ浜。ちょっと不憫に思える。
俺が入院した時に菓子折を持ってウチに来たらしいが……その菓子、俺食べてないんだけど?小町さん?
ジト目で小町のことを見ると、サッと視線を逸らされ、コホンと咳払いをする。
「そうそう、お兄ちゃん奉仕部なんでしょ?よかったら相談乗ってよ」
「ああ?なんで俺が……」
「まあまあ、とりあえず話だけでもさ」
いや、確かに面倒って意味もあるが、一応この大志君への配慮でもある。知り合いが小町しかいないこの状況では滅茶苦茶居づらいだろう。いや、ホント知り合いの知り合いとかそういう立ち位置で変なところへ連れていかれるとホント困る。中学時代のあの悪友、俺がそういうの苦手なのを知りながらバンバン連れていったからな。あいつは将来絶対悪女になる。
そんなさり気ない気配りも虚しく、大志はおずおずと話し始める。何とか話しかけようと頑張った大志はなかなかコミュ力が高い。将来有望な男だと言っていいだろう。
「あの、川崎大志っす。姉ちゃんが総武高の二年で……、あ、姉ちゃんの名前、川崎沙希っていうんすけど。姉ちゃんが不良っていうか、悪くなったっていうか……」
ごく最近その名前を聞いた覚えがある。
……そうだ、確か今日の一限の休み時間に遅刻してきた奴だ。
「うちのクラスの川崎沙希か」
「あー。川崎さんでしょ?ちょっと不良っぽいっていうか少し怖い系っていうか」
雪乃は知らないようだが、流石に由比ヶ浜は同じクラスなだけあって認知はしているようだった。
「川崎さんが誰かと仲良くしているところって見たことないなぁ……いつもぼーっと外見てる気がする」
「……ああ、確かにそうだな」
今日の川崎の姿が思い出される。あの瞳は、どこか遠くを見つめているようだった。少なくとも、その視線は教室には注がれていなかった。
「お姉さんが不良化したのはいつぐらいかしら」
「は、はいっ!」
出し抜けに雪乃に話しかけられ大志はビクッと反応する。そりゃ俺の知る限り一番の美少女である雪乃に話しかけられれば緊張する。歳上なら尚更だ。今の俺だから慣れてはいるが、中学生男子はこれが普通だろう。
「え、えっと、姉ちゃん、中学の時はすげえ真面目だったんです。それに、わりと優しかったし、よく飯とか作ってくれたんす。高一ん時も、そんなに変わんなくて……。変わったのは最近なんすよ。家族会議をしようにも、両親とも共働きで、下に弟と妹もいるから、中々難しいというか……」
つまり、家族…内部から川崎沙希の素行を直すのはほぼほぼ不可能というわけだ。小町に相談を持ちかけたことからもそれが窺える。
外部から理由を問いただそうにも親しい人はいない。八方塞がりと言っていいかもしれない。
「この前も、『エンジェルなんたら』ってところから家に電話がかかってきて……」
「そういえば、遅くに帰ってくるって、どのくらいの時間帯なの?あたしも遅くに帰ってきてママに怒られることあるけど」
「五時くらいっす」
「朝じゃん……」
エンジェルなんたらから電話がかかってきて、五時くらいに帰ってくる。……うん。
「年齢を詐称してバイトをしている可能性が高いわね」
「だな。だが、理由が分からん」
そもそも、大志が言っていたとおり、総武高に入学できるという事はそこそこ真面目だというわけだ。つまり、遊びたいからという理由でバイトをしているとは思えない。それに、遊ぶだけならわざわざ年齢を詐称して夜遅くまでバイトをする必要性もない。
少しずつ絞り込んでいけ。こういう人の心理に関しては俺の得意分野のハズだ。
まず大志の塾代。それは今通えているのだから問題は無い。だったら何が……。
…いや、違う。総武高校は進学校だ。専業主夫になるという夢を持つ俺も含め、大半の生徒が進学を希望している。それは恐らく、川崎も例外でない。
学費だ。高校受験を控えた中学三年である大志と、来年の大学受験までまだ時間がある川崎沙希。どちらに金を使わせるか、それを考えれば漠然とだが答えは見えてくる。
進学をするならば、当然塾に行くだろう。でもその学費も大志のために使ってほしいと。せめて自分の予備校代は自分で賄う為に年齢を詐称してまで金を稼いでいる。もしかしたら、その後の事まで見越しているのかもしれない。
となると、やはり千葉の兄弟愛は素晴らしい。俺は自他共に認めるシスコンだと自分で思っているが、川崎沙希も相当なブラコンだろう。もちろん、確証は無いが。
「……とまあ、ここまでが俺の推理なわけだが」
思わず、この場にいる誰もが感嘆の息を漏らす。
「す、すごいね八幡…」
「想像だったりは得意だからな。だが川崎の事を詳しく知らない以上、この推理があっていたとしてもそこからどうすればいいのかは知らん。やめさせたところで、だ」
「あー、確かに。やめさせるだけだと、今度は違う店で働き始めるかも」
「でもまずはその店の特定が必要ね」
ぶっちゃけテスト期間だしあまりやりたくないのが本音なのだが、「お兄ちゃん?」と小町のニコニコ顔を見せつけられれば、逆らうことが出来なくなってしまう。くそ、こんな俺が恨めしい!
「すんません、よろしくお願いします!」
大志は高速でお辞儀をした。
********
時刻は午後八時二十分。
俺は待ち合わせ場所である海浜幕張駅前の尖ったモニュメント、「通称・変な尖ったやつ」に寄りかかる。
これから向かうのは千葉有数の高級ホテル、ロイヤルオークラ。そしてその最上階に位置するバー、『エンジェルラダー天使の階』。
深夜まで営業し、尚且つエンジェルと名前がつく店はここと、メイド喫茶しかない。
なんというか、あの川崎がメイド喫茶で「萌え萌えキュン!」みたいな事をするとは到底思えないので、こっちから調査しようと思ったわけだが。
雪乃調べによると、そこはどうもドレスコードがなければ入れない場所らしく、生憎だが由比ヶ浜はそれらしき服を持ち合わせていなかった。
なので、俺と雪乃二人で調査することに。由比ヶ浜が楽しんできてねーと言ったのは、高級バーを楽しむという意味だと願いたい。
俺は親父のスーツを借りて、髪の毛やらなんやら色々をセットしてもらっていた。コーディネート・バイ・コマチヒキガヤ。
取り敢えずそれっぽい雰囲気を醸し出せる感じにセットしてもらった訳だが、まあ割と様になってるのではなかろうか。
ついでに、「メガネかければその腐った目も多少はマシに見えるよ!」と言われてかけた伊達メガネ。あの、笑顔で腐ってるって言われたらちょっと凹む……。
「お待たせ、八幡」
小町に嫌われることしたのかな…とナイーブな気持ちになっていると、ふと透き通るような綺麗な声がかけられた。
振り向いた瞬間、まるで時間が止まったかのような錯覚に陥る。
白く美しい肌を引き立てる漆黒のドレスに、膝丈よりも上のフレアスカートは脚の長さを存分に見せつけてくる。
髪を纏めているシュシュは、この前の誕生日にプレゼントしたものだ。
ただただ美しい。その一言に限る。薄く化粧をしているのか、いつもより更に大人びた雰囲気を見せる彼女は、俺のハートに良い意味でダメージを与えるに充分な要素だった。
「……やっぱなんでも似合うな、お前」
「八幡も充分に素敵よ。にデキる大人みたいね」
そんな微笑みを向けられましても。
素直に褒められたのが妙に小っ恥ずかしくなり、プイっと顔を背ける。
「照れてるの?ふふっ……」
「うっせ。と、とにかく行こうぜ」
この場でこれ以上いるのは俺の心臓が持たない。それに、なんというか………、この雪乃の姿を、あまり他の奴らに見られたくもない。
二人でいるのは心地いいが、今回はあくまで仕事のため。理性の化け物には引っ込んでもらおう。
「タクシーを呼んであるから、それで行きましょう」
「あ、ああ」
タクシーに揺られること十数分。あっという間に目的地のホテルへ到着したわけだが。
「でけぇ…」
建物を照らす淡い光まで高級感を漂わせている。明らかに一介の高校生が立ち入っていい場所ではない。
それでも雪乃に連れられながら中に入ると、足元の感触がもう違う。モフモフ。
客の中にはちらほらと外国人も見受けられる。やべえ、幕張都会すぎる。
「さあ、行きましょう」
雪乃がエレベーターのボタンを押し、扉が音もなく開かれる。
エレベーターはガラス張りで、東京湾が見渡せるようになっている。
すげえなあ、今見えてる光は全部社畜の光かぁ…、とこの先の人生に半ば絶望していると、そっと手が温もりに包まれる。
「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。あなたはあなたらしく居ればいいから」
「………ああ」
安心するな、この手の温もり。今回の件以外にも、今まで感じていた焦燥感やら何やらが和らぐ気がする。
俺らしく、か。ま、一応大人っぽい仕草くらいは演じてみてもいいかもしれない。
あっという間に最上階につき、エレベーターが開かれる。
そこに広がっていたのは、やはりこのホテルと同じく、俺ごときが普段立ち入っていい場所ではない高級感あふれるバー。
そしてその奥に見える一人のバーテンダー。青みがかった黒髪が特徴の女子。川崎沙希だ。
「よう、川崎」
そのバーテンダーの名前を呼ぶと、彼女は驚いた表情を見せた。
「……雪ノ下雪乃」
あっれぇー?俺が話しかけたのに?なんで無視するのぉ!?もしかして、名前覚えられてない?同じクラスなのに?いや、俺も覚えてなかったから同じか、うん。
まあ、こんな目の腐った俺よりも有名人である雪乃の方がパッと見の印象には残るか。仕方ないな、うん。
「ここはあんたらが来るような場所じゃないんだけど。もしかして、そんなのとデートしてるの?」
声には必要以上の敵意、そして幾何かの嘲笑が混じっている。言うなれば、侮辱。
流石にそんなの呼ばわりされてカチンとは来たものの、ここは大人の対応をしなければなるまい。ここで騒ぎを起こせば、面倒なことになるのは目に見えてる。
だが、雪乃は違った。俺を除け者扱いした事が頭にきたらしい。
「……川崎さん。口にしていい事と悪い事があるの、知らないのかしら?八幡の事を何も知らないのに、それ以上侮辱するのならーー」
ーー潰す。そう言葉にこそしなかったが、明らかに雪乃は川崎の事を敵視した。いや、最早殺意を込めていると言っていい。
かつての三浦に向けた目と同じ目だ。流石の川崎もそれに気圧され、たじろぐ。
「………ご注文は」
とはいえ、今は客とバーテンダーの関係。それを川崎も弁えている。
「私にはペリエで」
「ああ…じゃあ、俺はジンジャーエールで」
「かしこまりました」
そう言ってサッとドリンクを準備する。その間、俺たちは終始無言のままだった。
ちなみにジンジャーエールは誰しもが知っているだろうが、ペリエとはヨーロッパでポピュラーな炭酸水のことである。とても人気らしい(雪乃談)。
「それで、あたしに一体なんの用?」
二人分のグラスを置き、川崎が問いかける。どうやら、話を聞く姿勢にはなったようだ。
「単刀直入に言うわ。あなたの弟である川崎大志くんから依頼があったの。帰りが遅くて心配だ、とね」
「……まさか、そのためだけにここまで来たの?」
「ええ。ついでに、年齢を詐称してまでアルバイトをする理由もね」
少し声を大きくして雪乃は言った。他の人にも聞こえるように言ったのは、恐らく言質を取るため。バイトを辞めさせやすくするためか。
「どうして夜遅くまで、いや朝方までバイトをしているのか、理由を推察してきたんだが、聞くか?」
「…………」
無言は肯定の意として、俺は話し始める。
高校受験を控えた中学三年生と、高校二年生。どちらを優先すべきか。
大志の塾代はクリアしているが、川崎自身の学費の問題がある。
大学へ行くための予備校代や、その後の大学費。それを稼ぐためにバイトをしているのではないかと。少しでも親の負担を減らそうとしているのではないかと、そう説明した。
掻い摘んで話したが、川崎の反応からして俺の予想は合っていたと言えよう。
本来、他人の家族の問題にとやかく言うのは気が引けるが、これだけは言っておかなくてはなるまい。
「だからと言って法律を破ってまでする必要はない。どの道親に迷惑かけてんのは分かるだろ?何も説明しないのが常に正しいわけじゃない」
「……ホント、よくそこまで頭が回るね。あんた、頭いいの?」
「こんな身なりでも学年二位だ。ちなみに一位は隣の雪乃」
川崎はふーん、と興味無さげに相槌を打つ。いや自分から聞いといて。
「二年生になるまでは真面目だったと聞いていたのだけれど、塾のスカラシップを狙おうとは思わなかったの?総武高に入学できるくらいの学力はあるんでしょう?」
「………スカラシップ?」
え、この反応ってもしかしてスカラシップの事知らなかったの?うそーん、そりゃ金を稼ごうと思うわけだ。
と言っても、前面に出してスカラシップを推奨しているところは少ないし、知らない奴は知らないだろうな。因みに俺も知ったのがついさっきだったりする。だから人のことは言えない。
「簡単に言えば奨学金。成績優秀者は予備校などの入学金や授業料を免除できる制度のことよ」
「……知らなかった」
俺たちは川崎の行く道を提示した。あとは川崎がそれを選ぶかどうか。ま、考えるまでもないか。
これ以上家庭の事情に深く探りを入れるのは気が引ける。ここはそそくさと退散しよう。
「帰りましょ、八幡」
「ああ。じゃあな、川崎」
「………またのお越しを」
もうここに来ることはないだろう。俺たちも、そして川崎も。